Cold as ice

なんか最近まったくコメントないなと思ってたら、コメントするのにメールアドレス必須の設定になっていたので修正。サーバ移転してWordPressを再インストールしたときに設定が変わったんだと思う。別にコメントをねだるつもりはないんだけど。

今日も天気予報は外れて曇り。が、母の病院からの帰り道、日が落ちると空から雪が舞い降りてきた。帰宅すると寒い。やたらと寒い。なのでセーターを厚手のものに着替えたりしたのだけれど、夜「風の谷のナウシカ」をぼうっと見ていても台所がちっともあったまらない。明日の天気予報は吹雪で最高気温2度だと。カンベンして欲しいな。もう外で風の音がする。もしかしたら明日は病院行けないかも知れない。が、一日家に閉じ篭って鬱屈するのも嫌だ。

そんなわけで今日は安定剤のレキソタンを昼食後と夕食後に飲んでみたが、あまりよろしくない。ちっとも効かない。やはり一日3錠飲まないと足りないのか。夜はずうっと不安感が澱のようにあって、テレビ見るのもしんどかった。なかなかショック状態から抜け出せない。昨日でちょうど母が手術して入院してから一ヶ月だったのだが。不安感が頑固な油汚れか根雪のようにこびりついている。身体の芯まで浸透している。やっぱりある種のPTSDなのかな……。

今日も母は落ち着いていた。落ち着かないのは僕の方だ。

帰宅後はまた電話病が復活、なにしろ不安で落ち着かないものだから、誰かに電話したくてたまらなくなるが適当な相手も見つからず、そもそも喋ることすら思いつかないので、今日もなんとか電話せずにこらえた。もちろん、こんなことはなんの自慢にもならない。

そういえば台所で「ナウシカ」を見ている間、目がしょぼしょぼしてきて眠くて困った。今朝ゴミを出すために早起きしたせいなのか、それともやたらと寒かったせいもあるのか。今は前代未聞なほど精神的に脆弱だが、ライブでワンステージ立って演奏するほどの体力もない。弱り切ってるな、自宅で遭難しそうなほど。

デル株式会社

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空疎の重さ

毎晩夢を見る。夢を見ない日がない。今朝は三度寝か四度寝をして、なかなか布団から出られなかった。なんていうか、起きたくなかった。色褪せた夢から覚めたくなかった。

天気予報がいい感じで外れて、晴れのち曇り。

相変わらず人生とか幸せとか言葉とか、すべてを見失っている感じ。不安と焦燥感がないまぜになって、ただ漫然と時だけが過ぎていく。こうやって日記を書こうと思っても、ただの一行も文脈が浮かばない。空っぽの頭での即興演奏。脳内ハードディスクの停止。なにやら身体は重いのだが、それでいて自分の人間としての質量は限りなくゼロに近いようにも思える。重いのはサイドブレーキを引いたまま生きていることによる摩擦係数か。今の僕は日差しを受けても影すら持たないのではないか。僕という実存は曖昧で希薄で空疎なのに、現実はひたすら重い。なんか、あらゆるものから酷く遠い場所にいるような気もする。例えば、世界とかそういうものすら壁の向こう側にあるようで。空気にすら押し潰されてしまいそうだ。それでいて宙ぶらりんに中空に浮いているような矛盾。

時間。

ピースがばらばらになったジグソーパズル。

死に場所を探しているうちに道に迷ってしまった象。

再生されることのないレコード。

薬の飲み方をいろいろ考えて、ドグマチールは毎食後3回、安定剤(抗不安剤)のレキソタンは朝夕の2回飲むことにしてみた。が、なにしろ前述のような調子だから、あまり功を奏しているとも思えないが、夕食後にレキソタンを飲むと、少しは不安感がぼやけるような気はする。午後調子(精神的な)が悪かったので、本当は昼も飲んだ方がいいのだろうが、これ以上安定剤に依存したくないので量は減らしていきたい。明日は朝夕じゃなくて昼夕にしてみるか、レキソタン。半減期を考えると朝飲めば午後もある程度血中濃度はもつはずなのだが、実際問題として午後母の病院にいる間の調子はかなり悪かった。へばっていた。いろんな意味で。母は落ち着いていたが、僕の方がへたっていた。

医師と話をして、医療相談室というところと次に移るリハビリ専門の病院について話した。そんなことすらしんどい。今日はあまり長い間病院にいられなかった。

BSでニュルンベルク×シャルケの録画中継をなんとなく見た。明日の朝出すためにゴミをまとめた。そういえばもう年末だから、普通は大掃除とかやるんだろうな。

今日評価出来るのは、今夜まだ誰にも電話していないことぐらいだ。明日は雪が降るのだろうか。

あらゆる意味でダルい。そして、なんだか悲しくなってくる。

今日の母は昨日よりも歩いた。僕は後ろ向きに歩きたい。すべてを巻き戻したい。僕の世界はとうにその輪郭を失っている。


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惑乱

昨夜はPTSDだと書いたものの、あれからウィキペディアで調べてみると確かに症状は合致する部分が多い(強い不安感がフラッシュバックするとか)のだけれど、PTSDはそれが一か月以上続いた場合に呼ぶと書いてあり、おまけにベンゾジアゼピン系(安定剤と睡眠薬)は逆効果みたいに書いてあったので、すっかり混乱して訳が分からなくなってしまった。そんなわけで今日は夜まで安定剤を飲まないでいたのだけれど、夜になってやっぱりどうしようもなくなったので8時過ぎにレキソタンを1錠飲んだ。すると、確かに不安感はぼやけるのだけれどHと電話している途中で眠くなってきて相手が話している言葉が頭に入らなくなってきたりして、終いには自分の状態すら把握出来ないようになってしまった。というのがこれを書いている今現在の状態。

とにかく何も楽しくない。何をやってもまったく気分転換にならない。コーヒーが美味しいと思えるのは朝だけ、煙草はやたらと吸いたくなるが実際に吸ってみると美味しいと思えないし楽になるわけでもない。最低限やらなければならないことを必死こいてようやくやるだけで、後は何も出来ないしやることすら思いつかない。してみるとやっぱりうつが酷いだけなのかとかも思うが、結局のところ症状に名前をつけたところで何がどうなるというわけでもない。どうにもならない状態。

にも関わらず昨夜は珍しく恋をする夢を見て、朝の気分はそれほど酷くはなかった。短い業務を義務的にやり、それから母の病院へ。今日も雪は降らず晴れていた。

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この写真では晴れてるっぽくないが。

病室に行くとベッドが空だったので母を探しに行くと、食堂ではなくもっと小ぶりなデイルームというところにいて、同じ町内の母の友人が3人来ていた。その間の母は表情も悪くなくアイスクリームを食べたりしていたのだが、3人が帰ると珍しく母がいらいらして大きな声を出したりしてちょっと怒っていた。どうやら歩く練習をしないと歩けなくなるということにいらいらしていたらしいのだが、母が怒るのを見たのは5月以来だから7か月ぶりだ。そんな風に短い時間の間でも母の状態はころころと変わる。昨日の医師の話によると、活動的にするために持ち上げる薬を出しているということだったので、そのせいもあると思う。陽性反応だ。こういう不安定なところを見るとまた不安にもなるし憂鬱にもなる。

病院から帰宅して一人になると、前述のように何も出来なくなる。どうしようもないので8時からBSで長友がキャプテンマークを巻いた先日のミラノダービーの録画中継を見たが、試合に入り込めないしちっとも楽しめない。むしろ、何も出来ないのにサッカーなんか見ていていいのだろうかなどという疑念の方が湧いてくる。人生を無駄にしている感が物凄い。

ああ、やっぱり文章が散漫になる。頭が回らないのでまともな文章が書けない。一体全体、どうしたら少しは精神状態が改善するのか、皆目分からなくて困惑している。途方に暮れている。


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たぶんPTSD

世の中はクリスマスイヴ、だが僕は相変わらず精神的に超不安定。夜にHと電話で話していて気づいたのだが、まだ出てきて5日しか経ってないので当たり前か。さっきまでキーボードのヤマザキと連絡が繋がり長電話。で、ヤマザキに言われて気がついたのだけれど、今の僕の状態というのはどうもうつとも違うなと思っていたのだが、いわゆるPTSDの状態なのだと思う。ショック状態から抜け切れておらず、あらゆることが不安で心配。フラッシュバックのように年中不安と恐怖心がやって来る。以前とは違った感じで何も出来ないので安定剤の離脱症状かとも思ったが、言われてみればこれはPTSDあるいはそれプラス不安神経症といったような感じだと思う。

今日の母は昨日同様表情はよかったが、声が小さくてあまり喋らず、喋っても相変わらず妙なことを口にしたりして元気はあまりなかった。

病院に着いてナースステーションに通りかかると中に手術を執刀した母の担当医がいたので声をかけてカウンター越しに立ち話をした。医師の話によると、母の状態は医師が思っていた以上に経過がよく、脳の方はまったく問題がなく後遺症もなく、後は体力の回復だけとのことだった。なので、当初は無理かなと思っていた自宅退院ももしかしたらあり得るかも知れないという話まで出た。ただ、これまでのように一人で介護するのは無理があるかも知れないとは言われた。彼は若いが優秀な医者で、敢えて安心させるようなことを言う人物でもないので、これは総体的には母はかなり順調に回復しているということだ。なので、不安だらけの中、いいことと捉えてもいいのだろう。

今日は例のよく喋る叔母が病院にやって来たので、また母を車椅子に乗せて昨日と同じエレベーター脇の食堂に連れて行った。終日雪という予報だったのだが見事に外れて日中は晴れていい天気だったから、気分転換に外の景色を見せたくて。

それにしてもこの極度に不安定な状態、些細なことでもあっという間に不安の極致に陥ってしまう状態、時間が解決するにしてもいつまで続くのだろうか。それまでの時間をどう乗り切ればいいのか。本当に、何一つ楽しむことが出来ないしリラックスすることが出来ない。


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Damaged

昨夜は日記を書いた後12時半ぐらいに寝て、二度寝して8時まで寝ることが出来たので、ようやく7時間ぐらいの睡眠は取れた。なので、朝の状態は久しぶりに少しは休めたような気分ではあった。今日は雪も降らなかったので久々に様子見というか気分転換というか業務に行ってはみたものの、まったく気分転換にはならず。

2時半ごろに病院に着いてみると病室に母がおらずベッドが空、少し待ってはみたが状態が悪化でもしたのかと心配になってきてナースステーションに訊きにいくと、母はナースステーションの中で車椅子に座ってお茶を飲んでいた。看護師が気分転換にとのことだった。ちょうどそこに同じ町内の叔母(父の姉)がやってきたので、看護師が気を利かせてエレベーター脇の広い休憩室のようなところに全員で移動。叔母はすぐに帰ったが、眺めのいい場所なので今日はしばらく母とそこで過ごした。

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今日の母は昨日とは打って変わった表情で、元気そうに見えた。久々に、手術の日以来の笑顔を見せた。しかしながら、叔母が帰った後話していると、統合失調症のせいなのか譫妄(夢と現実の区別がつかなくなる)があるようで、少し妙なことを話す。だが、それは夢だよね、とか言って聞かせると理解は出来る。日が落ちるまで病院にいて、帰りがけにドトールでカフェ・ラ・テを飲んでスーパーで買い物をしてから帰宅。スーパーの品ぞろえをみると、世の中はすっかりクリスマス気分なのだなと気づく。

その辺まではまだよかった。しかし、帰宅後は夜になるに連れてどうにもならないくらいにダメになる。頭が回らず、すべてが上滑りする。何をしたらいいのか分からないし何も出来ない。音楽を聴いても頭の中を素通りあるいは頭が跳ね返す。どうにもならない。例によって誰かに電話したくなる。ひとまず弟に電話して、それでもどんどん精神的にダメになっていくので連絡出来る相手を探そうとするが見つからない。Facebook上にもあまり人がいないのは今日で連休が終わりのせいなのかそれともクリスマスのせいなのか。

とにかくどうにもならない。昼に安定剤のレキソタンを飲んだら病院でちょっと気分が悪くなったので安定剤を飲む気にもなれず、こういうときに有効な風呂にも入ってみたがそれでも一向にダメさ加減は変わらず、しょうがないのでレキソタンを飲む。

おまけにLINEのチャットで知り合いの女性に最低と言われ、そんなことは百も承知どころか百五十も承知なので本当に参る。とことん参る。また怖くなる。なにしろ僕はひたすら自分を延々と責め続けてとことん劣化している状態なのだから。

そんな感じで完膚なきまでにダメになっているところで昔の仕事仲間のフーちゃんとLINEが繋がり、さっきまで長電話、途中で少しは安定剤も効いてきたのかも知れないが、大分救われた。ありがとうフーちゃん。そういえば昨日書くのを忘れたが、昨日は同級生のジョンともLINEで話が出来て助かる。こんな風に、いろんな意味でLINEに振り回される。かたや罵倒され、かたや救われて。

いずれにしろ、今のこのダメさ加減、巨大なダメージから脱するにはしばらく時間がかかるだろう。ある程度の慣れが必要だし、物事を客観視して距離をおき、自分のペースというものを作るためには、まだまだかなりの時間を要するようだ。とにかく辛いし苦しい。今は。たぶん人生で一番へたっているしへばっているのだと思う。


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あらゆる意味で休んでない

夕方から夜にかけて不安感が強くなり、例によって酷い抑うつ状態かそれともベンゾジアゼピン系(安定剤・睡眠薬)の離脱症状かと思ったのだけれど、どうやらそうでもなさそうで。間違いなくとんでもなくダメな状態で、自分でも顔が青ざめているのが分かるし唇の辺りに血の気がないのも分かる。しかし、以前の抑うつ状態のときのように無理やりでも昼寝出来そうな感じがしない。リセット、リスタート出来る感じがない。どうしても不安感が強いのでHと電話で話してもみたけれど、口があまり回らないし、話がなかなか頭の中にダイレクトに入って来ない。頭が回っていない気がするし、なんか時差ボケに近いような気もする。

そんなわけで、どうもこれは過度の疲労の蓄積と極度の睡眠不足らしいことに気づいたのだった。実際、昨夜も寝たのは3時過ぎなのに6時台に目が覚め、二度寝しても7時過ぎには目が覚めてしまった。日中も眠れる気配がない。考えてみれば、先月の26日に母親が倒れて手術をして以来、かれこれ1ヵ月近く過度に精神的に追い詰められた状態が続いているし、1日たりと気が休まる日がなくノンストップで緊張状態が続き、おまけにそのうちの大半は非日常的な尋常じゃないところにいた。ようやくそこから脱しても休むことなく母の病院に通い詰めている。そのすべての原因が自分にあると思い込んでいるせいで強烈な自責の念が巨大な漬物石みたいに僕に乗っかって僕を押し潰し続けている。それでいてロクに寝ていないのだから、当たり前である。もうとっくにキャパシティオーバー、喫水線を超えているのだ。

この状態では丸一日リラックスして過ごすなんて到底無理、一日の中でもメリハリをつけて気分転換を図るのも至難の業、まったく頭の痛いことで実際ときどき頭が痛くなる。高梨沙羅のジャンプの録画中継やら天皇杯やらを見てもどこか入り込めないし心の底からは楽しめない。何をしたらいいのか分からなくなる。せいぜいが放心して煙草を吸うぐらいが関の山だ。

なので、今日は薬を使ってでも早めに寝てなんとかしてまともな睡眠を取らなければと思う。僕に必要なのは暦の上の休日ではなく、真の意味での休息であり安息だ。1日でいいんだ、1日で。半日でもいい。

今日は朝から凄い勢いで雪が降っているかと思うと晴れたり、また吹雪のように雪が降ったかと思うとまたもや晴れてみたりという奇妙な天気の日だった。なので、結構雪が降ったような印象のわりには雪は積もらず。午前中晴れている時間にガレージの前だけ雪掻きをしたらすぐへばる。息が上がる。

今日の母は元気がなく、疲れているようだった。母が元気がないと僕も元気がなくなる、というか元々そんなものはない。そういえば書くのを忘れていたが、静脈血栓で象の足ようにむくんでいた母の左足は大分よくなっていた。病院からの帰り、1000円カットに寄って髪を切った。

母の病院に通うのを休むつもりは今のところない。何故なら「病院に行かない=休める」というような単純なものではないから。むしろ明日辺り、天候次第だが病院に行く前に久々に業務にでも行こうかと思っている。休息と同じように気分転換を必要としているから。それとある種の集中も。

そういえば、帰宅してみたら10年振りに買った馬券が当たっていた。ネットで有馬記念のオルフェーヴルの単勝と複勝を買っておいたのだ。1000円ずつ。YouTubeで見たら圧勝だった。単勝1.6倍というのはこの場合、高配当ではなく好配当と呼ぶべきだ。しかしながら、こんなことやっても意味ないな、とも思った。競馬というものは継続的に観て継続的にやらないと意味がない。で、今のところそんなことに費やす余裕はない。あらゆる意味で。たぶんもう買わないだろう。

安息を。休息を。


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現実

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母の病室から見た風景。

fragmentsを更新。(「絶望の中で読んだ本」

さっき雨の音がしていた。いずれ雪に変わるのだろう。今日は朝方雪がちらついていたものの、午後からは主に雨。

留置場にいた間、僕は番号で呼ばれた。僕には名前がなかった。僕が名前を取り戻して今日で3日目。それはつまり、僕が自由と現実を取り戻して3日目ということなのだが、僕は3週間のあいだ非現実にいたわけではなく、やはりそれもまたもうひとつの現実、いわば「異」現実とも呼ぶべきものだった。しかし病室で手を握りながら手術で髪を切って坊主頭になってしまった母の顔を見ていると、今の現実というものも次第にどこか曖昧になっていく気がするのだった。

弟は3時過ぎに母の病院から直接仙台に帰り、病院から帰宅すると僕はまたひとりぼっちになった。夜は例の電話病に悩まされ、誰かと話したくてしょうがなかったが、なんとか弟に電話するだけでとどまった。いまのところ。

午後、弟と二人で母の病室に辿り着くと先客がいて、それが母の友人2人だったのでびっくりした。一体どこから母がこの病院に入院しているという情報が伝わったのだろうか。友人2人がいる間の母は、昨日よりも元気そうに見えたのだが、その2人が帰るとどっと疲れたらしく、元気がなくなった。しかしながら、今日の母は友人が置いていったジュースをときおり飲んだり、トイレに行くのに看護師の手は借りるものの自分でベッドから降りて歩いたりは出来ていた。弟が帰った後も僕はしばらく病室に残り、5日も用便がないとのことで看護師が母に坐薬を入れたので、母が用を足すまで待った。5時近くに病院を後にするときには日は既に落ちていた。

帰路、なんとなくドトールに寄ってカフェ・ラ・テを飲んだ。さしたる意味はない。ただ立ち寄って一服したかっただけだ。この現実に戻って以来、すっかり僕は食欲がない。ご飯も炊いていないし、夕飯は簡単なスパゲティを作って済ませた。

何かが頼りないし覚束ない。そんな不安定な感じが常にする。いつもどこか危うい。たぶん、現実というのはそういうものなのだろう。

12時からマンUの試合をBSで中継するというのですっかり見る気になっていたのだが、相変わらずNHKはびっくりするほど引きが弱く、BSで生中継をするときには香川は決まってスタメンではない。途中から出るかも知れないから一応最後まで見るべきかな。それともいまだに十分に熟睡出来ていないので今夜は早めに寝た方がいいのだろうか。しかし、どうせ午前中は何もすることがないしやる気もないから、別に遅くなっても構わないのだが。

とか書いていたらマインツの岡崎がゴールだって。と思ったら今度は岡崎アシスト。岡崎凄いな、今日は。香川はまだ出る気配なし。ヤヌザイがゴールって、また水を開けられるな。

明日の有馬記念でオルフェーヴルの単勝買いたいのだが、登録したはいいものの、いまだに買い方が分からない。どうするか。

明日は予報通り終日雪なのだろうか。あまり派手に降られると母の病院に車で行くのもちょっと不安だ。なんていうか、もう少し、もうちょっと、上手く生きる方法をなんとかして見つけられないものだろうか。


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翻弄

良いニュースと悪いニュースがある、というのは村上春樹の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」の帯の惹句だったけれど、良いニュースというのは今の僕にはなかなか見つけられず、つまりそれは良いことを良いことであると認識するだけの精神状態にない、ということでもある。

そんなわけで、今朝方弁護士から連絡があり、それはとても悪いニュースに思えた。というのも、その内容というのが、昨日の日記にも書いたように僕の処分は起訴猶予ということで捜査は終了ということであった筈が、弁護士が検察庁に確認したところ、起訴猶予ではなく処分保留であるという話だった。何しろ昨日の今日であるし、今の僕の精神状態は生まれてこの方ないほど脆弱で、些細なことにも激しく動揺する、いわば極度に一喜一憂してしまう状態なのだった。なので、僕は非常にショックを受けた。弁護士の「今後も気を付けてください」という言葉に極めて過敏に反応してしまった。僕には、処分が覆ってしまったような気がしたのである。それで僕は今後も捜査が続く可能性があると思い込み、そのうち忘れたころに起訴されるのではないかと思い込み、もはや枕を高くしてどころか、これではおちおち眠れもしないと思った。実際、僕の手はまたぶるぶると震えてしまったぐらいだ。とにかく今の僕は物事が悪い方に転がることしか頭に浮かばないので。

そんな感じで途方もなく悪いニュースと思い込み、動揺しながら弟と一緒に母の病院に向かおうと玄関を出ると、ちょうど叔母がやって来た。この叔母は例の僕の苦手とする饒舌な叔母だが、彼女はかつて裁判所に勤めていた。で、僕が玄関先で今聞いたばかりの話をすると、どっちにしても終わったのだから普通に生活していれば問題ないのだ、と叔母は言うのだけれど、僕はにわかにはなかなかその言葉を信じられなかった。

で、一旦話を夜まで飛ばすと、父君がかつて弁護士であった後輩のM月くんとLINEで話したところ、処分保留と言ってもお役所仕事としての検察の案件としては終了しているのであり、余程ヒマでもない限り継続捜査などしないということで、僕の杞憂であるということだった。まあそれならそれで一安心、というのが普通なのだろうけれど、何しろ今の僕はあらゆる意味で弱り切っている。あらゆることに翻弄される。こちらが済めばこちら、という具合に憂鬱になるタネは尽きないのだった。

そもそも今日はロクに寝ていない。昨夜はなかなか眠れず結局睡眠薬2錠飲んで寝たのは3時過ぎ、で、今朝起きたのは7時半、4時間半しか寝てない。身も心もボロボロの状態。

ここで時間を巻き戻すと、弟と中華そばの昼食を摂ってから、降りしきる雪の中を母の病院に向かった。母は7階の一般病棟に移されていた。三週間ぶりに会う母は顔色も悪くなく、思いの外状態は悪くないようだった。少なくとも、手術後の経過としては順調である。手術以来、統合失調症の薬は一切飲んでいないらしいのだが、ちゃんと脈絡のある会話も交わすことが出来る。ときどき、自分のベッドがないとか、年金がもう出なくなるとかぼそっと言ったりするのだがその程度、確かに記憶はかなり怪しいのだけれどちゃんと話は出来る。そこで僕は昨日までの経過、つまり何故僕が三週間も病院に顔を見せられなかったか、要するに僕は昨日まで警察に逮捕されていたのだと話した。そして、母の怪我が僕のせいと言うことにされてしまっていたのだと話すと、そんなことはない、なんでそんなことになったのかと母は言う。そして、母は僕の頭を撫でた。恥ずかしいことだが、そして当然のことでもあるが僕はボロボロと泣いた。ティッシュペーパーをひたすら消費した。

これはたぶん良いニュースに入る部類なのだろうが、今の僕は素直にそういう風に認識出来ない。とにかく母が可哀想だ。確かに母は順調に回復しつつはあるのだけれど、これは医者からも言われているのだが、老齢のせいで体力が何処まで回復するかはまだ分からない。既にリハビリは始めているのだが、現在の病院の後はリハビリ専門の病院に移る予定になっており、果たして母が自力で歩行し、入浴やトイレなどを済ませられるところまで回復するかどうかはまだ分からない。もしそうならないとすると施設に預けるしかしょうがなくなる。とすると、もしかすると母はもう自宅に戻れないかも知れない。そう考え始めると僕は例えようもなく暗澹とした気分にずぶずぶと沈んでしまう。母が可哀想で堪らない。それに、実際のところ、明日弟が仙台に戻ってまた自宅に僕一人だけが取り残されることが怖い。30年以上も一人暮らしをしてきた人間が何をいまさらというところなのだが、本当に怖いし心細い。

寝不足と疲れのせいで、病院の帰りに弟と寄ったドトールで僕は物凄いダルさを覚える。弟と施設云々の話をしているとホントに暗くなる。かように、何をもってしても今の僕は翻弄されてしまうのである。暗い方に、暗い方に。

夜は前述のM月くんの後、元妻とも長電話をしたし、Hとも電話で話した。これを書いている今、もう深夜2時近い。たぶん僕は眠いのだと思う。ここで残念なお知らせなのだが、M月くんの忠告もあり、昨日の日記には書くと書いたものの、今回の勾留中の詳細を書くのは控えることにする。勾留前の日記の一部も削るべきところは削った。何故だから知らないが、昨日の日記のアクセス数がやけに多かったのも気になるし。

僕が自分の心のバランスを取れるようになるまで、まだしばらくかかるだろう。気がつくと世間はもうすぐクリスマス、そして今年も終わろうとしている。まったく唖然とする一年だ。少しばかり静かに過ごそうかと思う。もちろん、そんなことが出来ればの話だが。

明日も雪なのかな。


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21 days

何から書いたらいいのだろう。とりあえず生きてます、まだ。

先月の29日に僕は警察に逮捕され、20日間の勾留延長の末、本日(19日)4時過ぎに起訴猶予で釈放されました。

今、21日ぶりに自宅の書斎でビル・エヴァンスを聴いている。まだ手がちょっと震える。いまだに自分が自由になったという実感も湧かない。自由ってなんだろうと思う。警察の留置場にいる間、僕の頭の中にある自由のイメージはコーヒーと煙草、ネット、自宅の台所だった。21日間、僕には自由というものがなかった。

21日間もの間のことを、今日一日の日記として書くのは土台無理だ。もう少し落ち着いてから、明日から少しずつ詳細をここかfragmentsに書いていこうと思う。とにかく僕は21日間、自由のない世界、こことは別の、いわば月の裏側のようなところにいた。

あらすじだけは書いておこう。

僕の罪状は母に対する傷害。29日の朝、警察が自宅を訪れ、任意ということで警察署に連れて行かれ、驚いたことにその日の夕方6時ごろに逮捕状が出て僕は手錠をはめられ、腰縄をかけられ、自由を奪われた。一切誰にも連絡すら出来ない。僕は見ていないが翌日には地元の新聞に実名報道されたらしい。にわかには信じ難いことだった。通常ならばまず事件性の有無から捜査が始まるにも関わらず、そこは飛ばして勇み足と呼べるほどの異例のスピードで物事は進んでいった。警察と検察は犯罪であると決めつけ、僕が犯人であると最初から決めつけていた。母の担当医の、罪には問われないと思うとか、むしろ警察に通報した方がいい方に物事が進むと思うという発言、実際の原因は分からないのですという事前の発言、そういったものとはまるで正反対の方向に事態は有無を言わせず進んでいった。

弁護士にすら連絡を取ることが出来ない。僕が外部と連絡を取るには、国選の弁護士が接見にやってくるのを待って頼むしかなかった。そしてまた弁護士がやってくるのを待つ。弟だけは2度面会に来てくれ、差し入れもしてくれた。弟は今日も僕を迎えに仙台から来てくれた。

普通に生活していれば知りえない今回の体験で僕が知ったのは、警察も検察も司法も、決して僕らを守ってはくれないのだということだった。そこにあるのは後付けの「事実」と称するものであり、彼らによるある種の極度の視野狭窄だった。そして、字面の上だけの正義らしきもの(果たしてそう呼べるかもはなはだ怪しい)だった。それと名目上だけの権利。実質、僕はまったくもって囚人扱いされ、権利と呼べるものはほとんどないに等しかった。犯罪者と呼ばれるのは有罪が確定してからであり、起訴されてからは被告人、僕はその手前の被疑者であるに過ぎなかったにも関わらず。

やはりこの調子で書くととんでもない長文になりそうだ。それに、僕はとても、とても疲れている。だが簡単には眠れそうにもない。

4時半に弟が迎えに来て、弟の車で僕らは隣町のイオンにあるサイゼリヤに行き、僕は21日ぶりにコーヒー(カプチーノ)を飲み、煙草を吸った。

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それから僕は21日ぶりに暖かい食事を摂った。留置場では暖かい味噌汁の一杯も出なかった。弟には本当に感謝している。さっき、風呂から上がってから寝ようとする弟にもう一度確認した。本当に捜査は終わったんだよねと。しかし、一体何が終わったというのだろう。一体この21日間はなんだったのだろう。確かに僕には前科はつかない。だが、何故自分が自由だという感じがしないのだろう。

今日までの間、あまりにも長かった。そしてあまりにも多くのことを僕は考えた。ありとあらゆる悪いこと、最悪のことばかりを考えた。そして今もまだ、手はちょっと震えている。心臓がまだ少しどきどきする。それは単純な恐怖というものともちょっと違う。僕は現実と非現実の間を行ったり来たりして、現実と悪夢の境目のないところをさまよった。

明日病院に行って母の顔を見たら、少しはその境目が見えてくるだろうか。こっち側にいることを自覚出来るのだろうか。

自由というものがなんなのか、理解するためにはどうやらもう少し時間が必要なようだ。それと、秩序だって物事を語れるようになるまでも。

眠るのが少し怖い。目が覚めたとき、果たしてこちら側の世界にいるのかどうか、まだ半信半疑なのだ。

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沈黙と饒舌

cloud
午後から雪に変わるという予報だったが、終日雨。明日は雪という予報だが、どうだろう。

1時過ぎに病院に着くと母は同じフロアの集中治療室だが病室が移動されていて、昨日同様盛んに身体を起こそうとするのだが、話しかけてもまったく喋らない。顔がむくんで左目は開かないようだが、右目をときおり開けて瞬きもするし僕を見ているようなのだが、言葉を発することが出来ない。意識がどの程度あるのかもよく分からない。医師も言っていたが、昨日に比べると状態は悪くなった。

これは術後に脳が腫れてきているせいだそうで、医師の話によるとあと数日はこの状態が続くということで気が滅入る。今朝40秒ほど痙攣したのでCTを撮ったらしいが、昨日と(出血の)状態自体は変わらなかったらしい。しかし、38度ほど熱が出て、医師の話によると感染症の疑いもあるので抗生物質を投与しているとのころだが、氷枕で冷やすと7度ぐらいまで下がるので、それほど深刻な感染症ではないとのことだった。

病室に着いて、昨夜散々考えた結果、もしまだなら警察に報告するのを止めてもらえないかと思い、看護師に医師と話したい旨を伝えた。それから昨日も同席した師長が話しかけてきて、どうもこのところの反動なのか、1時間あまりも喋ってしまい、しかもそのほとんどが僕自身の話であり、また少々喋り過ぎてしまったと思った。余計なことまで微に入り細に入り話してしまった。今の僕はやり過ぎること、自分を制御することに対して極度に神経質になっているし、言葉に対しても過敏になっている。

医師が現れたのは夕方の4時ごろで、前述のような今日の母の状態説明をまず聞いたのだが、警察には今日の午前中に既に報告してしまったとのことだった。

帰宅したのは6時ごろ、今日も独りでいるのが怖い。それ以前に、ちょっとでも母が前日よりよくなっていれば別なのだが、逆に悪くなったので極度の抑うつ状態に陥る。今の僕は悪い方にしか考えが回らない。誰かと話さないと怖くてしょうがないと、ベースのヨウタロウとドラムの秋山、弟に立て続けに電話したが、うつが酷くてまともに話せなかった。声も出ないしどもりそうになる。相手の反応や態度、言葉といったものに過敏になってしまい、怖くてなかなか思うように話せない。頭がこれ以上ないほど煮詰まってしまい、どうしようもなくなったので、これは強制終了させるしかないと8時ごろからソファで毛布にくるまって1時間ちょっと寝た。すると、少しは鬱屈が収まったもののまだ不安感が強く、結局今日もHに電話してしまった。で、やはり長電話になる。どうして僕はこう話が終わらないのだろうか。喋り過ぎてしまうのだろうか。

今の僕が考えることは母の状態が好転して欲しいということと、自分をいかに制御するかという2つのことしか頭にない。それだけで始終頭が一杯なのである。それらの拘泥している思念の輪郭がようやくぼやけると今度は空っぽになってしまい、ただの不安感だけが残って何も出来なくなる。ただ煙草を吸うだけ。

今日の母の状態が数日続くとなると、しばらくはこの鬱屈から逃れられそうもない。今朝は7時過ぎに起き、面会は1時からなので昼までは業務に行ったものの、気もそぞろ。どうにも落ち着かない。常に追い詰められて。

明日はホントに雪なのかなあ。嫌だなあ。

それにしてもオランダと引き分けてベルギーに勝った日本のFIFAランキングが48位まで下がって、アジア相手にしか試合をしていないイランに抜かれるって、一体FIFAのランキングってどうなってるのだろう。訳分からなすぎ。


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