ダウン

なんか今日はスパムコメント凄い。皆プラグインがブロックしてくれるけど。確かにアクセス解析とかタマに見ると、何故かロシアとか訳分かんない国からリンク張られてることが結構あるから。どういう意味があるのかいまだに分からないが。

ぶっ倒れるまで頑張ろうと日々思っているのだけれど、今日はそれでいうとぶっ倒れたうちに入るのだろうか。前回医者に行ってから安定剤をレキソタン2mg×3に増やしたのだけれど、何故か業務から夕方帰宅してから夕飯前に精神的にダメになり、手が物凄く痺れて痛いくらいになって2時間近くソファでダウン、その後も体調が著しく悪い。とにかくダルいし、身体が重い。最近なら肌寒いくらいに涼しくなる夕方から今日は蒸し暑くなったせいもあるのだろうか。夕食後も30分ぐらいダウン、まったく今日の体調はダメ過ぎる。一体どうしたのだろうか。風邪でもひいたのかと熱を計ってみてもないし、やはり精神由来だろうか。

2時過ぎ就寝の7時40分ごろ起床。体調も悪いが業務も相変わらず調子が上がらない。母の調子もいまひとつ。ちなみに母は昨日から習字の練習を始めた。習慣にしようと今日もトレンドでブログを書こうかと思ったのだけれど、「地震」と「台風」では迂闊なことは書けない。調子の悪いときに書けるお題ではなかったので断念。

今日の煙草は19本。


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無題

寝たのは2時半ごろだろうか……起きたのは8時過ぎ。

今日は晴れ。日中は久々に気温が上がる。今日はさしたることはしていない。3時過ぎまで業務。帰宅後母と買い物。その後精神的に不安定になり、6時過ぎまでソファで気絶。夕食はカレー。もちろんレトルト。

夜になって、久々に外部ブログを更新。このところの余裕のなさから、まず書くことが思いつかない。それでGoogleトレンドでお題を拾って無理やり書いてみた。しかし、なにしろ知らない人について書くというのは。まさにどうでもいい記事。しかし、このところこの日記以外の文章を書いていないので、書かないよりはマシだろう。こうやって強制的にお題を拾ってしばらく書くかな。

母の小指の爪が伸びていたので切ってやろうとしたら、間違って指を切ってしまった。母は血液の凝固を防ぐ薬を飲んでいるので血が止まりにくいので焦る。バンドエイドを二重に貼ってみたが血が止まらず、慌ててドラッグストアに行って傷薬と水絆創膏を買ってくる。後で説明書を見たら、水絆創膏は出血箇所には塗らないようにと書いてあってしまったと思ったが、一応傷薬を塗ったうえから塗ったこともあり、結果的には血が止まったのでよしとしよう。

日付も変わった先程、洗面所に歯を磨きに行ったら、母が服を脱いでほぼ下着姿、しかもパンツまで脱ぎかけて寝ていて焦る。服を着せたはいいものの、ああいうのを見てしまうと風邪でもひかれたら大変、夜もおちおち寝ていられないことになる。まったく困ったものである。

今日はどうも音楽を聴いても少々ストレスを感じてしまう。よって日付が変わってからYouTubeでタモリの動画を見て、おもむろにギターを取り出して弾き始めるという奇矯な行動。バラエティ番組に関してボロクソに書いているのに。何故かYouTubeでは見れる。要するにCMがダメなのか。一方的な垂れ流しの情報がダメなのか。

今日の煙草は21本。相変わらず夜更けに煙草を吸うと眩暈がする。何故だろう。


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Rainy Monday

寝たのは2時ごろだったと思う。目覚ましで7時過ぎ起床。

雨。午後から寒くなり、夕方帰宅後はヨットパーカーを羽織ったほど。忙しい一日だった。朝イチで母を総合病院へ連れて行く。午前中一杯かかり、昼食は僕がスパゲッティを作った。午後は母がデイサービスを受けられるよう福祉センターに連絡、役場に行って亡父の町民税、僕の健康保険料を払い、銀行に寄り、処方薬局に行って薬を受け取り、それから2時間ほど下見がてらの業務を終えてようやく帰宅。明日の歯医者は来週に延期した。

夕食後に精神的にダメになってくる。7時過ぎから9時までソファで気絶。まだ不安定。母も今日は調子があまりよろしくなく、いまだに洗い物を始めとするいろんなことが分からないと言う。僕の留守中に寒くなって着る物が分からなくなり、隣町の叔母を呼んだというのにはびっくりする。なんか、1月に最初におかしくなったころを思い出す。が、眠気とかを含めて母の体調自体は徐々によくなっているような気はする。

まあそんな感じでバタバタとした一日を過ごしたので、今日もWordPressをあれこれ試しているうちに日付が変わった。というか、今日は夜僕が昼寝したせいで母の就寝が遅くなり、このところ母の入浴時に身体や髪を洗うのを手伝っているし例の弾性ストッキングを脱がせたり穿かせたりしなければならないので、母が就寝したころにはもう12時近かった。

まあそんなわけで相変わらずいろんなことをやる余裕もないし、ここんところかかりきりのオンラインショップ作りも腰を据えて集中して一気に片付ける時間も取れない。なんかひとつ片付かないと次に進めないというか、やっぱり一言で言うと余裕がない。WiFi契約して日中喫茶店に篭るっていう手もあるかな……。そうでもしないと落ち着いて物事に集中出来ない。今日は母が見ていたテレビは埼玉と千葉で起こった竜巻のニュースばかり、それすらロクに見ていないし、せいぜいツイッター見るぐらいでネットのニュースサイトも読んでいないし、世事に対してアンテナも張れていないので雑文ひとつ書けない。母のことで手一杯なのが正直なところ。フェイスブックすら見る時間がない。

それにしても寒くなった。もう9月だしな。

今日の煙草は16本。2時間近く気絶したせいもあるが、相変わらず短いスパンで煙草を吸うと少々眩暈がして気分が悪くなる。半年前までヘビースモーカーだったとは思えない。どういうわけだろう。

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慌ただしく生きる

なんか忙しい。慌ただしく生きている。慌ただしく生きるということは、慌ただしく死ぬということだろうか。

3時過ぎ就寝、7時過ぎ起床。寝不足。9時に母が会員になっている葬儀屋が来て、オプションの契約。4時前まで業務。4時半から自分の精神科。1ヶ月ぶりなのだが、どうも最近の疲労困憊でテンパっていることから、この1ヶ月の自分の状態を上手く説明出来ない。というか、自分の状態を忘れてしまっている。まあとにかくいらいらしがちで安定剤が効かないという、最低限のことを説明。医者は抗精神病薬を提案したが、全力で阻止。というのも、これまでいろいろ飲んできたが副作用ばかりで一度も効果があった試しがないので。そんなわけで一日3回飲む安定剤のレキソタンの1回量を1.33mgから2mgに増やすことに。夕食後から2mgにしたが、気のせいか手の痺れは若干マシになったような。

明日は朝から母の総合病院、明後日は僕の歯医者で抜歯だが、ちょっと病院が立て続いてバタバタしているので歯医者の予約は伸ばそうと思う。明日は風呂を掃除するつもりだし。

ロクに寝ていないのに、なんでこう時間がないのだろうか。今日も自宅にいる間はワードプレスのテンプレートやプラグインをいろいろと試しているうちに終わってしまった感。これまでカスタマイズをほとんどしていなかったから、試行錯誤。

宮崎駿が引退とか、香川がベンチから外れるとか、アメリカはシリアに軍事介入するとか、世の中も慌ただしい感じがする。窓外では盛りのついた猫が奇妙な鳴き声を立てている。ノートPCが夜になって何度もフリーズするし。

今日はさすがに早く寝なければならないだろうな。明日早いし。まったく余裕がない。一日が30時間ぐらいあればな、と思う。もちろん、母親が15時間ぐらい寝るという前提で。ゆっくり文章を書く時間もない。頭の中の余裕の問題なので、単純に業務を休めば、という話でもない。誰かと電話で話す時間もない。

今日の煙草は21本。とにかく今ぐらいはゆっくりとジャズでも聴く。こうして夜は更けて。


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連鎖

日付が変わって9月だけれど、例によってこれは8月31日(土)の日記。

1時就寝、8時起床。6時に一度目が覚めたんだけど二度寝。というわけでかなり寝たのだけれど、相変わらず目の下にはクマが。

3時前まで業務。相変わらずの不ヅキで、泥沼の連敗中。どこまで続くんだろうという感じ。ただでさえ疲れているのに、この負の連鎖はきつい。毎度帰宅すると精神的ダメージが大きく、今日も帰宅後母と散歩してから1時間ほど昼寝、しかしなかなか精神的に立ち直れない。まあ考えてみるとよくあることだし、昔の感覚から言えば額的にはどうってことはないのだが、なにしろ今は疲弊しきっているので気持ちを立て直すのに一苦労、かなり時間がかかる。

台風の影響か、夜JリーグのダイジェストをBSで見ていると強い雨が降ってきて、途端に画面が真っ暗になって放送が途切れてびっくりする。地上波を回してみたらそっちは映った。

それはそうと、長谷部がニュルンベルクへの移籍が決まってよかった。これで出場機会が増えるだろう。昨日書くのを忘れたけれど楽天の田中も負けないな。23連勝て。

夜は制作中のオンラインショップのトップページデザインが気に入らず、テンプレートを変えてみた。なんかだんだん普通のデザインになってきたが、ショップならむしろその方がいいのかなと。ごてごてしてるのが嫌いなので、どうしても淡泊なページデザインになる。商売が向いてないのか。

母は薬が若干減って、昨日までと比べると表情とかは多少よくなったような気がする。しかし、いろいろと覚束ないところは相変わらず。来週から週に一度ぐらいデイサービスに行きたいと言い始めたので、それもいいのかも知れない。例によって母が寝付くまでは自分のことになかなか集中出来ず、やりたいことが遅々として進まない。業務が前述の調子だからちと休んで自宅作業に時間を割いてもいいのだけれど、そんなわけなので日中自宅にいると母のことが気になって集中して作業出来るとも思えず。かといって果てしなく睡眠時間を削るほどの体力もなく。

今日の煙草は18本。今読んでいるのは箸休め的に佐々木譲の連作短編集「廃墟に乞う」。久々にミステリを読むとすいすい読めるのだけれど、佐々木譲は短編だと物足りないなあ。やはり長編の方が面白い。

このところ胃というよりも左の脾臓の辺りがちくちくと痛む。昨年のリンパ腫の影響なのかどうなのか、癌が判明する前からときおり痛みがあったところ。なんでもなければいいのだが。

なんつーか、今日の日記は支離滅裂だな。かなり弱っている模様。

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What Are You Doing The Rest Of Your Life

相変わらずボロボロに疲れている。擦り切れたボロ雑巾のように疲れ果てている。

2時就寝、7時5分に起床、朝は雨。朝食後燃えるゴミを出す。

午前中は母を精神科の病院へ連れて行く。母の眠気が強いことを訴えると、抗精神病薬が若干減った。といっても、リスパダールは変わらず、セロクエルの量が減っただけだが、少しでも眠気が改善されればいいのだが。

母と昼食後、午後は少々業務、帰りがけに買い物、それから町役場に寄って母の介護関係の書類を出し、ついでに車の名義変更用の住民票をもらって帰る。帰宅後、夕食までソファで気絶。もうこのとき既に限界まで疲れていた。

夕食後、母が洗い物を最近しきりに気にするので、母が洗う様子を傍で見ていた。すると、母は洗い物の仕方を忘れてしまったようだ。僕は思わず最初に怒鳴ってしまい、それから僕のことは忘れないで欲しいと言って少し泣いてしまった。実際、夕食後の母は呆けてしまったといってもいい状態だった。神経内科でMRIを撮っても、昨日救急センターでCTを撮っても脳に異常はなく、認知症ではないと医師に言われてはいるのだが、その後放心している母の顔つきは明らかにどこか空っぽだった。いまだに一日のうちで調子の波があるにしろ、そうした状態を見ていると、本当に呆けてしまったのではないかと絶望的な気分になる。それでなくても僕はもうボロボロなのだ。

母が入浴するときは背中を流し、髪を洗うのを手伝う。風呂から上がると背中と髪を拭いてやり、弾性ストッキングを穿かせる。

風呂上りの母はしばらく台所で何もせずに座っており、例によって洗い物のことやらを考えている風だった。しかし、先ほどまでと比べると幾分穏やかな表情にはなっていた。まだ11時前だというのに、僕はもう眠気を感じていた。あらゆるものが、空気すら重く肩にのしかかるようだ。穏やかな顔で洗い物の仕方を忘れてしまった、風呂に入るとお前に迷惑がかかると話す母を見ていると悲しくなる。

今の母を見ていると、僕自身が大変であるとかいうよりもむしろ、老境にさしかかった人間はどう生きればいいのだろうか、などということをふと考えてしまう。いずれは僕もこんな風にいろんなことを忘れてしまうのだろうか、とかそんなことを。そしてそのときは僕は間違いなくひとりぼっちだ。まあそれより早く死んでしまう可能性もあるが。

今からこんなことを考えるなんて。もちろん僕は前々から言っているように考え過ぎるのだ。そして僕は疲れている。放っておくと沼の底にずぶずぶと沈んでしまいそうに疲れている。ありとあらゆるものに疲れ果てている。何もかも忘れて眠ってしまいたいほどに。しかし、例えそうしたとしてもまた次の一日が始まるだけだ。今の僕にはストレスと疲労の区別がつかない。たぶんそれはほとんど同じものなのだ。

こうやって日々を生きて、いずれ何かが好転するのだろうか。ただそれを待って生きて。そのうちこんな生活にも慣れて、どこかで少しだけ楽天的になっていい加減になって。だが、それは投げやりとどこが違うのだろうか。人はどこまで耐えて、頑張るべきなのだろうか。

僕は、母は、これから何を見るのだろうか。窓外で鳴く虫たちの声に耳を澄ませてこうやって深更に日記を書いていると、昨晩同様寝ていた母が起きてきてまだ起きているのかと言う。僕はそれをなだめて寝室へと連れて行く。僕は大丈夫だと母に呪文のように言い聞かせる。もちろん、それは自分自身に言い聞かせているのだ。

今日の煙草は20本。

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うんこ洗い

象徴的なタイトル。あるいは象徴としてのタイトル。

朝食中に母が意識を失った。妙な声を発したと思ったら、みるみるうちに顔が真っ白になり、呼びかけてもまったく反応しなくなった。ぐらぐらしている。一瞬、僕は母に父と同じことが起こったのではないか、つまり食べ物を喉に詰まらせたのではないかと思った。僕がまず最初に確かめたのは母が息をしているかどうかだった。僕が耳元で大声で呼びかけても母はぐったりとして目は何も見ておらず、何の反応もない。その間、たぶん5・6分だったと思う。そのうち母は口の中にあったパンを吐き出し、どうやら意識を取り戻した。随分口が臭いなと思ったら、母は大量に脱糞していた。意識が戻って最初は言葉も不明瞭で、どうやらトイレに行きたいと言っているようだった。なんとか立ち上がれたのでトイレに連れて行って座らせたが、既に母はすべて出し切ってしまっていた。そこら中がうんこだらけだ。それで母を風呂場に連れて行き、シャワーで身体を洗って着替えさせてベッドに寝かせた。それから僕はうんこまみれの母の衣類を洗面所で洗い、洗濯機に放り込んで洗濯機を回し、雑巾と洗剤を持ってきてそこら中に散らばっているうんこを拭き掃除した。

小一時間ほどしてようやくひと段落ついて、机に向かって煙草を一服しながらさてどうしたものかと考えた。この場合、やはり医者に連れていくべきなのだろうかと。救急車を呼ぶべきだったのかと考えたが、僕はこれまで救急車というものを一度も呼んだことがなく、この場合どう説明したものか、果たして救急車を呼ぶべきケースなのか判断が即座にはつかなかった。それでまずHに電話してみたが留守電、次に元妻に電話をしたが留守電、だが元妻からすぐに電話がかかってきたので事情を話すと、脱糞するというのはかなりのことだから救急車を呼ぶべきだと言う。それで119番に電話をして経過を話すと、ものの5分ほどで救急車が来た。

母の静脈血栓のこと、数日前の極端な低血圧のことなどを話すと、救急隊員は血栓が流れてどこかに詰まったことも考えられるし、脳疾患も考えられるので、地元の病院ではダメで隣町の病院に搬送する必要があると言う。救急隊員が奥の部屋に寝ている母のところに行くと、母は歩けるし話も普通に出来る。普通だったらこういう状態の人を救急車では運ばないとは思うのだが、救急隊員は母をストレッチャーに載せて救急車に運び、血圧や心電図を計りながら、通常ならもっと重篤な患者しか受け入れないという、母が静脈血栓で通っている県立中央病院に交渉すると、受け入れてくれるということだった。

それで母は山形の県立中央病院の救命救急センターに搬送され、僕は車で後を追った。

そんなわけで僕が村上春樹の「多崎つくる」を読み終えたのは救命救急センターの待合室でだった。一通りの検査を終えて診察室に呼ばれると、母は点滴を受けていた。医者の話によると脳を含めてどこにも異常はないということで、血栓が流れたわけでもなさそうだ。てんかんの発作があるかどうか訊かれたのでないというと、一時的に迷走神経の関係で血圧が急激に低下したのが原因ではないかと言われた。

病院に向かう道すがら、このまま入院となったらどうしようとぼんやりと考えていたのだが、結局は入院せずに済んだ。母はそのまま帰ることになり、帰り道に僕が空腹を覚えたので途中のドトールに寄って僕はサンドウィッチの昼食を摂り、母は食べたくないと言ったのでアイス・ラ・テを飲んだ。が、夜になって救急車で運ばれた人が帰り道にドトールでお茶を飲むなんて考えられないと母に言われた。おまけにその晩に蕎麦の出前を取るなんてこの辺ではあり得ないと。僕はよっぽど常識がなくヘンな人間なのだろうか。

とにもかくにも、原因となる確たる疾患はなかったのでよかったと言えばよかったのだが、逆に言えばまたいつ起こるか分からないということにもなる。母は15・6年前にも結婚式の最中に3分ほど意識を失って失禁したことがあり、そのときは虚血性のなんとかが原因ということで、今回もほぼ同じようなことだと思う。24時間心配していたらきりがないし、僕の生活というものも成り立たなくなる。だからこれ以上極度に心配するのはよそうと思うが、実際のところ、朝無反応の母を見たとき、このまま母は死んでしまうのではないかと思ったのだが、それでも今日の出来事に関してはどこか現実感が薄いというか、現実の表層だけを上滑りしているような感覚がある。それは僕が安定剤を飲んでいることによってどこかぼうっとしている、ある種鈍感になっていることだと思うのだが、それにしても今朝の出来事が随分と遠いことに今感じられるし、この現実感の希薄さはなんなのだろうと思う。僕は確かに必死に母の脱糞の後始末をしたし、出来るだけのことはやったつもりなのだが、父が倒れたときのように手がぶるぶると震えて止まらないというようなこともなく、アドレナリンが過剰に分泌された感じもなかった。ドトールやら蕎麦の出前やらのことも含めて、この今の僕の感覚というものはいいものとして捉えるべきなのかどうなのか、いまだに分からない。

母は大事を取ってほぼ一日寝ていたけれど、夜になって弟に電話したりと、普通には戻っている。

病院の待合室でもしばらく母の便の匂いが鼻腔からなかなか離れなかった。なので、今日一日の印象は母のうんこの匂いなのである。

というわけで、村上春樹「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」読了。ネット上に感想やら批評やらが溢れているこの作品についていまさら感想を書くのもなんなのだが、最近の村上春樹の作品の中ではストーリーはよく出来ていたと思う。誰かが言っていたような、「1Q84」に散見された「収束されない暗喩」などはどこにもなく、むしろすべてが明瞭になっていた。僕が気になったのは、直喩の多さである。これは「スプートニクの恋人」辺りから目につくようになったのだが、今回は特に「~のように。」「~みたいに。」で終わる文章がやたらと多く、それは過剰であり余計なものに思えた。村上の小説を読む要素の非常に多くの部分を文章を読む楽しみが占めると思うが、この、練りに練られたと思われる頻繁に現れる直喩が、魚の小骨のように文章を読むリズムを悪くしている。意図的に考えられた比喩がそのたびにリズムを止めてしまう。それに、前作辺りからやたらと多い「おおむね」という表現も不自然なくらいに多く、これも頻度が多過ぎて文章を読む興を削ぐ要因となっている。この辺が全部削ぎ落とされて、初期の作品に見られたミニマリズムに近い手法を取っていたなら、もしくは「ような」とか「みたいに」で文章を終わらせず、例えば「ようだった」「みたいである」というような変化をせめてつけていたら、と思う。比喩辞典のような村上の文体とは対照的に、サマセット・モームの「月と六ペンス」においては比喩はほとんど登場しない。これは読んでいて最初は気づかない。途中で、ほとんど比喩が使われていないことに気づく。すべてが映画のようにアクションとシーンの積み重ねで表現されている。これは素晴らしいと思った。練りに練った比喩を積み重ねるよりも、より高度な文章力が必要とされる。以前よりも村上の文体は普通の小説表現に近づいた(比喩を除けば)と思うけれど、昔からのファンとしては過剰な表現を削ぎ落とすことが先決のように思えてならない。

それはそうと、夜もう一度元妻と電話で話していたら、来月末からねこカフェを始めるという彼女がブログを始めて1ヶ月で読者が380人、ねこカフェのブログランキングで4位という話を聞いて衝撃を受ける。彼女の娘のブログに至っては読者が千人単位だと言う。唖然。僕が自分のサイトを立ち上げたのはまだ20世紀だったころ、もうかれこれ14・5年になるというのに、僕の日記の読者は100人いるかいないかといったところ、それでも昔の10倍ぐらいではあるのだが、それにしても。まあ確かに昔のようにパチンコの日記を書いていたころならもう少しカラーが明確ではあったが、今では単なるうつ病の人間の個人的な日記と化しているので無理もないと言えないこともないが、最近ではほとんどコメントもないし、読者定着率が悪過ぎるような気もする。なんていうか、やる気失うなあ。マジで。かなり脱力。といって、いまさら方向転換などをしてもしょうがないし、独自ドメインでやっているとこんなものなのだろうか。まあいずれにしても僕のサイトのコンセプトと方向性の問題なのだとは思うが。うむむ。外部ブログなんかやるよりもfragmentsの更新をやるか、また業務の日記でも書いた方がいいのかも知れないな。と思ったりするものの。

今日の煙草は18本。元妻と話した後、Hと長電話。この日記を書いていると母が起き出して着替えを始めたりしたので、慌てて寝かしつけた。疲れる。


村上春樹「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」


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102

7時過ぎ起床、何時に寝たのか忘れた。結局、途中で睡眠薬を飲んでしまったので村上春樹「多崎つくる」はまだ読み終わっていない。

今日は晴れ渡って気持ちのいい天気、朝食後に玄関前と庭先の草取り、涼しくて気持ちよかったので、4時過ぎまでの業務後、帰宅してから夕方また庭の草取りをした。そのせいなのか、今日も夕食後疲労が酷く、BSでJリーグの試合を見ていたがソファでダウン、1時間ほど気絶。といっても母親に起こされたので起きたまでで、放っておくといつまでも寝てしまいそうに身体が動かなかった。

それもそのはず、血圧を計ってみると上が102しかない低血圧、これを書いている今も眩暈がするのはそのせいもあるだろう。低血圧対策はどうすればいいのだろう。横になっているぐらいしか思いつかない。困ったものだ。

ようやくショップの商品記事を書き終わった。これからというか明日からトップページデザインの見直し。結構疲れるなあ、最初は。まあこれで一通りの体裁は整ったので、今後は他のものにも手をつけられる。

今日こそは「多崎つくる」を読み終えよう。

今日の煙草は19本。しかしふらふらだ。気分も悪い。


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超肩凝り

相変わらず疲れ果てております。肩が死ぬほど凝ってる。ショップの記事書き終わるまで何も出来ないな。が、ちょっと今日は疲れたので後は明日にしよう。

就寝は2時ぐらいだろうか。定かでない。7時20分起床。4時過ぎまで業務。いまだに不ヅキが続いていてホント疲れる。いつまで続くのだろうか。

夕飯は僕はミートソースのスパゲッティを作って食べ、母は赤飯。夜は母と散歩。今日の母は台所の洗い物をしきりに気にしている。例の風呂にしろなんにしろ、自分のしたことに対して不安感を覚えるようだ。母に弾性ストッキングを穿かせたりするのは、運動不足の僕にとっていい運動になる。我ながら頑張っているとは思うのだが。やはり母の口の中は出血しているみたいで気になる。母の相手をする精神的疲労もかなり。

ドグマチールと安定剤のレキソタンを朝昼晩3回飲むようにして、精神的には以前よりそこそこ安定しているような気はするが、相変わらず手が痺れる。ときどき顔も。たぶんレキソタンの量が少ない。歯の痛みはようやく治まった。


日中はこんな風にいい感じで晴れていたが、それでも暑いというわけではない。朝晩は涼しいし、今がちょうどいい気候。と、今見てみると昨日も空の写真貼ったんだった。

山形の夏は確かに暑いけれど、短かかった。それに、夜寝苦しいということもなかった。毎年こうなのだろうか。

そんなわけで今日はこれから、佳境に入った村上春樹「多崎つくる」を一気に読み終えてしまおう。眠くならなければ。

今日の煙草は20本。やっぱり吸いたくなるなあ。でも、20本に近づくと気持ち悪くなる。


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徒労と疲労

疲れている。酷く疲れている。母は今日も夕方以降言動が不安定で、子育てをしているような感じ。風呂で背中を流し、髪を洗ってあげても上がってからヘンだヘンだと言う。寝る前の薬と睡眠薬を飲んで、ベッドに入ってからも桃を剥こうかと言い始める。呆けているわけではないと思うが、ほとほと疲れる。

7時間強の業務も不ヅキで徒労に終わり、それも疲れている原因。夜、8時ごろから1時間ちょっとソファで寝込んだ。昨夜2時過ぎに寝て今朝7時に起きたので、睡眠も少々足りなかった。

夕方、母を歯医者に連れて行き、ついでに僕も診てもらった。医者は「親不知です」と言ったが、レントゲンの写真を見たら一番奥の歯の根っこだった。その周辺の歯茎が腫れているっぽい。来週抜くことに。たびたび痛くなるようではかなわないので。母は上の歯が2本折れてしまって根っこが残っているのだが、血液の凝固を防ぐ薬を飲んでいるせいで抜くことは出来ず、今かかっている総合病院への紹介状を書いてもらった。それ以外の上の歯もぐらぐらしているそうで、口の中も出血しているらしい。

いまだに歯はちくちくと痛み、全身から頭の芯まで疲れ果てている。ちと途方に暮れる。母がもう少し安定してくれないと、自宅仕事も母が寝てからじゃないとなかなか手につかない。どういう風に時間を割り振りしたらいいのだろうか。

日中は天気がよかった。そういえば歯医者の辺りではまだ蝉が鳴いていたな。

今日の煙草は何故か16本。どうして今日は本数が減ったのだろうか。確かに夜気絶はしたが……。謎だ。

村上春樹「多崎つくる」なかなか読み終わらない。一日で読み終わる程度のヴォリュームなのだが。寝床でしか読んでないし、途中で睡眠薬飲むからか。

夜はホント涼しい。さて、これから一仕事。手とか痺れてるけど。今晩のBGMはマイルス・デイヴィス「死刑台のエレベーター」。


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