背水、再発

ふたたび田舎の共用施設から。前回の日記を書いてから、2・3日体調を崩したり、大雪が降ったりして日にちが開いてしまったけれど、客観的な状況は変わっていない。相変わらず父は病室で意識のないまま、人工的な呼吸を機械的に続けている。僕はこのまま、少なくとも1月の第2週までは田舎で過ごすつもり。

この間のもっとも大きな変化と言えば、僕が禁煙を始めたということだろう。またかと思われる人もいるかも知れないが、今度ばかりはちょっと違って、何しろ今日で禁煙して6日目を迎えたところである。ちょっとした奇跡と言ってもいい。きっかけは前回の日記を書いた翌日に風邪気味になって体調を崩し、朝食後に2本ばかり吸ってから1日煙草を吸わなかったことによる。こういうときじゃないと煙草を止めることは出来ないと思ったし、母から「人生で何かひとつぐらい我慢してみろ」と言われたことも大きかった。ウィキペディアによると体内のニコチンは3日で消えるらしいが、6日目に突入した今に至ってもいまだに煙草を吸いたいという意識は消えない。実際、いつ煙草に火を点けてもおかしくない状態がずっと続いているんだけど、そのたびに「今回止められないと2度と止められなくなる」という半ば強迫観念的な意識と、前述の母の言葉によってなんとか押し留めている。さて、僕は本当にこのまま煙草を止めることが出来るのだろうか?

それにしても、一昨日からのいわゆるクリスマス寒波による大雪で、世界は見渡す限り雪に埋め尽くされてしまった。晴れて日が差していると思っていても、いつの間にか猛烈な吹雪に変わったりする。今日も最高気温は零下だ。しかしこのところの僕を悩ませているのは寒さではなく、10年以上前に完治したと思っていたパニック障害が再発してしまったことだ。ちょうど禁煙を始めた辺りから、いわゆる予期不安と思われるものに悩まされている。かつては、二十歳ぐらいから20年近くかかっていたパニック障害だけれど、このところは毎晩夜中に何度も目が覚めてパニック寸前まで行くので、これほどの頻度で予期不安、パニックに襲われるのは初めてと言ってよく、このまま抜けられないのではという不安に日々苛まれている。こういうときに限って耐性が出来てしまい、安定剤を1錠飲んだぐらいではまったく効かず、量を増やすべきかどうか悩んでいる。かつてはスルピリド(ドグマチール)とレキソタンを飲んで2・3ヶ月で治った経験があるので、ここは背に腹は変えられないから、安定剤のソラナックスを2錠にするべきなのかも知れない。

僕のパニック障害の要因は非常に明確でただひとつしかなく、それは死に対する極度の恐怖である。一度死の恐怖に捉えられてしまうと、それは急激に増幅して抑え難くなる。というか、恐怖の増幅するスピードがあまりにも速いので、あっという間にマックスに達してしまう。その結果、僕は大概声を出して叫んでしまう。子供のように母を呼んだりする。それでようやく抑制が効く。これを夜中に何度も繰り返してしまう。もっと若かったころ、以前パニック障害だった20代のころは、抑制が効かなくて完全なパニック状態になり、叫びながら枕を壁に叩きつけたりしてひと暴れしないと治まらなかった。その点を比較すると、今はまだすぐに抑制が効くほうではある。ウィキペディアを改めて読むと、どうやら予期不安というのともちょっと違うようだ。なんにせよ、毎晩物凄く疲れるし、心が休まらない。

こういった状態に陥るのも、今置かれている状況が非常に中途半端で落ち着かないせいだとは思う。精神的に参っているのは母も同様で、安定剤を飲まないとよく眠れないようだ。その点、僕は何度か目が覚めるものの、一応眠れてはいるのだが……。

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急転

田舎の公共施設でこれを書いている。3日前の火曜日、父が病院に担ぎ込まれ、それ以来田舎に帰っている。

火曜の昼前、取り乱した母親から電話があり、父がもう駄目なので帰って来いということだった。最悪の事態が突然やって来た。バッグに黒いスーツを詰める僕の手はぶるぶると震えた。新幹線の時間まで2時間ほどあったので、駅雨の喫茶店で昼食を摂り、それから母に電話をすると、父は脳死状態にあると告げられた。そこでようやく僕の震えは止まった。

田舎の最寄駅に着いたのは火曜の5時過ぎだった。仙台から駆けつけた弟が車で迎えに来て、病院に着くと父はまだ生きていた。人工呼吸器に繋がれて。ときおり瞼や口が動き、僅かながらこの時点ではまだ自発呼吸もあり、もしかしたら意識が戻るのでは、という思いがよぎったりした。が、実質上の父という人格は既に死んでおり、ただ人口呼吸器と点滴で生存活動が続いているというだけの状態だった。2日目からは自発呼吸もなくなった。日本では尊厳死は認められていないらしく、後は父の心臓が停まるのをただ僕らは待っている状態である。それがいつになるか、医者にも分からないということだ。

父は干し柿を喉に詰まらせ、窒息状態になった。10分以上脳に血液が行かないと、人間は脳死状態になるらしい。診断名は虚血性脳症。とにかく父の意識が戻ることはもうない。母はコタツの上に干し柿を置いておいたことを盛んに悔いているけれど、直接の死因はともかく、医者の話によると原因は肺気腫によるタバコ肺であって、吐き出すことが出来ないのもそのせいであり、要するにいずれはなんらかの形でこうなった、ということだ。肺気腫が進んでいるにも関わらず父は煙草を吸い続け、結局はそれが原因で実質的に死んだ、ということになる。

昨日までの3日間は怒涛のように過ぎた。何がなんだかよく分からないうちに、現実は否応なしに押し寄せてくる。僕らは無我夢中でそれに身を委ねるしかない。昨日までは母が病室に2晩続けてほぼ寝ずに泊まり、日中は交代で病室に付き添った。この調子では母の身体がもつかどうか昨日は凄く心配していたのだが、医者からもずっと付き添っていなくてもいいと言われて今日からは病院に詰めるということはしていない。何か変化があったら病院から連絡が来ることになっている。父がいつまでもつのかは個人差があって分からないので、来月に控えた田舎への引越しのタイミングに頭を悩ませている。いつまでこちらに留まるかも分からない。まだマンションに戻る気にはなれないが、引越しの準備もしなければならないし、病院や医者にも行かなければならない。頭の痛いところ。どこかで割り切るしかない。

葬儀の話は叔父に任せてある。喪主は僕だが、いまだに話を聞いても何をどうすればいいのか、具体的なことは何一つ分からない。昨日までの3日間でこの30年来ほぼ顔を合わせたことのなかった親戚の叔父叔母たちと会い、話をした。今日は母の友人たち、それに向かいの住人と話をした。考えてみればこの数年、こんな風にいろんな人と会って話をするという機会すら稀だった。それでなくてもこの1ヶ月来、極度の不安に陥り精神が脆弱になっている僕のことである、誰かと話をするたびに全力で頑張らないと出来ない。なので、昨日までの3日間は無我夢中でテンパって気を張っていたので、今日は疲れ果てている。こういう事態になると、いろんな人がいざとなると助けてくれることが改めて分かる。それは本当に有難く、それがないとどうしたらいいのか皆目見当もつかないことばかりなのだけれど、それにどう報いたらいいのか考えると気が遠くなる。お陰で、一人で何もしていないと不安で気が滅入る。何をしたらいいのか分からなくなる。いざ田舎に帰ってみると、右も左も、何もかも分からないことだらけなのだ。

火曜と水曜は病院からの帰り道は物凄い吹雪だった。運転するのも必死である。今は山形の冬の厳しさを改めて体験している最中でもある。散々悩んできた、田舎に帰るかどうかという問題を、現実はぐうの音も出ないほど強引な力技で僕に回答してきた。すべてがよく分からないまま転がっていく。僕らに出来るのはそれに身を任せることだけだ。

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確定

12時就寝、7時に目が覚めるが例によって起き出したのは7時25分。やや寝過ぎだが抑うつ状態が続いて神経質になり過ぎている嫌いがある今は精神的にも休養が必要なのであまり深く考えなくてもいいか。少しゆるいぐらいで。

今日は曇りときどき雨、日中はというか、朝から薄暗く、昼間から電気を点けたくなるような天気だった。今日は安定剤を午前中に半錠、夜1錠という飲み方をしてみたけれど、案の定ちっとも効かず、すっかり耐性が出来上がっているようだ。それでも夕方までは最近の中ではそこそこ精神的には安定していた方だ。午前中はネットビジネス、特にアフィリエイトについてあれこれと考えあぐねる。さすがにちょっと考えたぐらいではすぐにはいいアイディアは湧いて来ないが、姿勢としては前向きと言ってもいいかも知れない。昼ごろ、とうとう退室通知の葉書を投函する。これにてここを引き払って田舎に帰ることは確定、もはや後戻りは出来ない。この時点ではそれほど精神的には動揺していなかった。かといって別に腹が決まったというほどのものでもない。日付は少々余裕を見て来月の25日にしておいた。

モスバーガーで昼食後、帰宅して実家でネットが出来るようにNTTに連絡してフレッツ光という奴を申し込む。最初はADSLの方が安いかと思ったのだが、話を聞いてみると一番安いプロバイダにすると月々の費用はほぼ変わらず、なら速い方がいい。と、そんなわけでここで初めてアフィリエイトの広告を試しに貼ってみる。

フレッツ光+激安プロバイダで月額費用が安くなる。

ま、いずれにしても思ったほど高くなかった、フレッツ光。今月から4月までキャンペーンをやってるので。初期費用840円だし、LANケーブルを延々引っ張らなくても2階に直接繋いでもらえるということなので。

ネットの開設を決め、その勢いで引越し屋3社に見積もりを依頼、うち1社は電話で見積もり完了、残る2社は直接来て見積もりしてもらうことにする。6時半ごろに1社が来て見積もり開始。最初に電話で見積もりをもらったところが一番安いだろうなと思っていたのだが、ここは予想外に安く、ちょっと驚く。と同時に、目の前で引っ越しの見積もりのやりとりをしているうちに、とうとう田舎に帰るということが現実になったのだという実感が改めて湧いてきて、胃の辺りが重くなり、緊張してきた。見積もりを終えて引っ越し屋が帰ると、僕の気分はすっかり重くなっていた。いざこうやって現実的に物事が動き始めると、もしかしたら自分が間違った選択をしてしまったのではないかという思いがどうしても湧いてくる。恐らくこれは人生最大といってもいい決断だけに、間違えると最大の失敗になりかねない。そんな風に考え始めると食欲が失せ、夕飯の前に吐き気止めを飲んだ。まあそんなわけで夕食後の夜、安定剤を1錠飲んだのだけれど、実際のところはもはや僕に選択の余地はないのだった。確かに今だったらまだ退室の申請をキャンセルすることは可能だけれど、僕はこの先業務を(食うために)続ける意志は皆無、そうなると一通り検査の区切りがつく来年の8月を過ぎてから就職活動を始めるということを考え合わせるとその間ずっとこちらに留まることは経済的に無理がある。その上、年老いた両親のことを考えるといずれはどこかで田舎に帰らざるを得ず、そういった諸々を考えると自ずと結論はひとつしかないのだった。

にも関わらず、どうにも気分はすっきりしない。田舎に帰ることを決めたはいいが、本質的には将来に対する不安は何も解決しないからだ。救いは、ひとまず8月まではのんびり休養してよいということぐらい。田舎の方が就職事情が厳しいことは明らかなので、いざ就職活動を始めたらそれはそれでかなりのプレッシャーはあるだろう。両親が健在のうちはまだのんびり構えることも可能だが、高齢で最近また体調を崩している父のことを考えるとそれはそれで気が気ではない。そんなわけで決めたはいいけれど、いまだに僕の腹は据わっていない。たぶん、時間の経過とともに慣れていくだろうし、来月の引っ越しでまたバタバタになるだろうけど。しかし、本当に慣れるのだろうか。だろうな。人間というのはそんな風に出来ているから。ふと今頭に浮かんだのは、もしかして僕は一時避難のために恒久的決断を下してしまったのだろうか、ということだ。そう考えると恐ろしくなる。だが、すべては止むを得ないのだ。何回考えても同じ結論に達すると思う。僕が気になっているのは、これが積極的決断ではなくて、消去法から出たものであるということだろう。しかし人間というもの、どのみちどちらを選んでも程度の差こそあれ後悔はするだろう。行き着く先は、「結果よければすべてよし」しかない。結果で判断するしかない。いずれ僕もどこかで諦めがつくのだろう。せいぜい、8月までは休養しながらネットビジネスでも模索するようにしよう。

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政権交代の日

衆院選で予定調和的に自公というよりも自民党が圧勝した日、僕は選挙に行く気力はなかった。行ったとしても入れるべきところがどこも見つからなかっただろう。だからこの結果に関してあれこれ言う資格は僕にはない。ただ、世の中がいい方に向かっている気が一向にしないことは確かだ。

12時に就寝して6時に目が覚めたものの、寒さにくじけてベッドから起き出すことが出来たのは7時半だった。朝食後、コーヒーの生豆を炒ってから洗濯をすると、長年の習慣で業務に向かいたくなったが、ぐっと堪える。行ったところで何の意味もない。僕はそろそろ何もせずに休むということを覚えなければならない。そこで、外に散歩に出た。外は快晴でこの季節にしては暖かかった。引っ越して初めて、駅とは反対方向に少しだけ歩いてみた。さしたる発見はなく、結婚式場と児童公園を見つけたぐらい。引き返してマンションのところまで戻るとそこから右に折れた。そこにも公園があることを知っていたから。公園のベンチでしばし日なたぼっこをした。もう一度今の状況と決めるべきことを考えようとしたが、頭は回らなかった。ベンチから腰を上げてちょっと辺りを散策するころには僕はすっかり憂鬱になっていた。

昼食後、12時半に安定剤を1錠飲んだ。やはり一向に効く気配はない。ただ離脱症状を抑えるために飲んでいるに過ぎない。このころの気分はさらに酷く落ち込み、絶望感から僕らしくなく希死念慮らしきものまであった。こんな風に、1日何もしないでいると時折酷く気分が落ち込み、悪い方にばかり頭が行く。

何度目か分からない禁煙をしようと、1時にツイッターで「禁煙する」と宣言したが、何故か今日は酷くストレスを感じて2時間半しかもたなかった。諦めて一服しようと駅前の地下の喫茶店に入り、ウィンナーコーヒーを飲みながら煙草を5本吸ってしまった。店は団体客で混んでいた。唯一の収穫はこの間に本を読むことが出来たことだ。

夕飯を駅前のすき屋で食べるころ、また気分が落ち込み、酷く惨めな気分になった。しょうがないので帰宅してから田舎の母親に電話してしばらく話すと少し落ち着いた。夜、また心がざわついたので10時過ぎに安定剤を半錠飲む。無駄だとは分かっているが。

クラブW杯の決勝は後半の途中から見た。コリンチャンスの先制点を見ることは出来た。少なくとも僕が見てから以降の時間帯は1-0でチェルシーを下したコリンチャンスの方が優勢だったが、たぶん全体的にもそうだったのだろう。コリンチャンスはパス回しの精度が高かった。

それにしても、今の僕には何もしないということが辛い。相変わらず手先に力が入らず、強張っている感じで、無意識のうちにストレスを感じて緊張しているのだと思う。何もしていなくても、心はまったく休まっていないのだ。日中の外は前述のように暖かかったのに、暖房をつけている部屋の中は相変わらず寒く感じる。なんだかまたさらに冬という季節が嫌いになった。今日は珍しくツイッターで呟いたけれど、それはこの日記のための備忘録のようなもので、今はそれだけ記憶力に自信がないということだ。というか、このところの僕は自己を全否定してしまうくらいにあらゆることに対して自信を失っている。そしてそれは気力やモチベーションというものまで奪っている。プラスとは言わない、なんとかこれをフラットまで戻したい。

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相変わらずな1日

2時就寝、8時起床。就職活動の夢を見る。まったくトラウマというか、今の僕のストレスの核だ。今日は朝から終日抑うつ状態、11時に1錠、7時に1錠、安定剤を飲む。が、今日は何故か安定剤が効かない。耐性のせいだと思う。しかしかといって量を増やすわけにはいかない。切りがないから。そういえば朝食後、昨夜抗うつ薬のリフレックスを飲むのを忘れたことに気づいた。離脱症状が出ると嫌なので、一応1錠だけ飲んでおいたが、極度に眠くなるということはなかった。

朝から精神的に煮詰まり、11時過ぎから3時間ほどの遊びの業務、しかしストレスが酷く気分が悪くなりそれ以上は無理。帰宅して、胃がむかむかするので吐き気止めを飲むとこれが何故かよく効き、むかむかが治まると気分までもが落ち着いた。一時的にだけど。してみると、今はストレスが相当胃に来ているということなのだろうか。

その後は夜に至るまでひたすら鬱屈、ときおり強い不安感。途中からもはや何かを考えるのも飽和状態になり、うとうとと寝かけたりもする。最近ずっと、暖房をつけっぱなしなのに部屋にいると寒いと書いてきたが、どうやらソファに横になって何もしていないと寒いということが判明。机に向かっているとそれほどでもない。

午前中、例によって母と電話で話していると、自身も癌を患ったことのある弟の嫁が、病人が一番寒い時期に引っ越すなんてもってのほか、一通りの検査が済む8月まで引っ越さないべきだと言っているという話を聞き、またもや心が揺れた。確かに引っ越さない方が何かと面倒ではない。しかしながら、今の何も出来ない状態、ひたすら鬱屈して不安に耐える状態で8月まで過ごすのは拷問だ。確かにこれからネットを引いたり、冬の寒さ、夏の暑さとか、田舎に住むというのは何かと気掛かりなことは多々あるのだけれど、何度も書いているように今一番必要なのは精神の安定だ。それが得られないと延々と病人のままである。まずは精神的な部分を立て直さないと何も出来ないし何も始まらない。何よりもしんどい。

それはそうと、今これを聴いているのだが、案外とよい。↓

もう1ヶ月近く楽器も弾いてないなあ。

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結局のところ

今日は病院の日なので、昨夜は早めに床に就いて寝ようとしたのだけれど、寝つきが悪く、一向に眠れそうな気配がなかったので久々に睡眠薬を飲んで1時ごろに寝た。で、目覚まし使用で7時半起床。

11時の予約だったが、病院には9時過ぎに着いた。いつもなら採血してから血液検査の結果が出る50分後には呼ばれるのだが、今日は混んでいたのか早く行き過ぎたのかかなり待つ羽目に。呼ばれたのは11時半ごろになってからだった。で、医者には来月一杯で田舎に帰ろうと思っているので紹介状を書いて欲しいという話をした。そこで、改めて医者の今後のプランを訊いてみたところ、抗がん剤治療が終了(8月20日)してから1年間は毎月診察(採尿・血液検査)、3ヶ月に1度はCT検査ということで、治癒ではなく寛解だから再発の可能性も少ないもののあるということ、それらを聞いてようやく、僕はまだ病人の範疇にあるということに気づき、田舎に帰るということにもはや選択の余地などないのだということに気づいた。1年経過すればその後は半年に1度とかでもいいような話だったので、そういうペースになるまで、少なくとも来年の8月まではそもそも就職活動など土台無理なのだ、ということにようやく気づいた。

とまあ、そんなわけでその後夕方まで歯医者だったこともあり、この時点ではある意味腹が決まっていたので日中は安定剤なしでもった。今日は日中は穏やかで比較的暖かい陽気だった。6時過ぎに帰宅すると不安感があったので、駅前のカフェでカレーの夕飯を食べた後、8時ごろに本日初めての安定剤を1錠飲んだ。本来ならそこから安定剤がいい感じに効いて、といったところなのだが夜、母親と電話で話していて僕が先々の不安を話したためにネガティブな話になってしまい、僕よりもむしろ母親の方がしょげてしまい、安定剤を飲んでいたのに不安がまたぶり返していた僕の方が母親を励ますという具合になってしまった。そんなことでなにやらまた精神的に怪しくなりそうだったのでその後Hと長電話。いつもこんなときに相手をしてもらってHには本当に悪いと思っている。

そんなこんなで、結局のところ、来月のCTの検査と診察を終えた後にこちらを引き払って田舎に帰り、治療というか事後検査というか、まあその辺に夏までは専念し、その間に体力を取り戻して酷い抑うつ状態と被害妄想その他にある今の精神状態を回復するという方針にもう迷いはない。だがもちろんその後に控える就職活動に対する不安はある。大いにある。が、もう後戻りは出来ない。もう後はなるようにしかならない。とにかく一番大事なのは精神面を立て直すことだと思う。まずはストレス軽減から徐々にやってかないと。幸い、今日は音楽を聴いてもストレスを感じない。これはひとつよしとしよう。

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暗転、後

1時就寝にも関わらず、9時起床。遅過ぎ。今日も何もしていない。ホントに何も。ただ1日中鬱屈して考え事をしていただけ。

昼過ぎに安定剤のソラナックスを1錠飲む。で、母親から電話があって話している最中に父の具合が悪くなり、電話の向こうで「茶碗が持てない」「目の前が暗くなってきた」という父の声が聞こえた。もちろん父を病院に連れて行くために母の電話は切れ、父の視界同様僕の心も見事に暗転した。父が死んでしまうかもしれないという思念が頭の中を駆け巡り、ネガティブな想像が渦巻き、やがてそれはある種の諦念へと辿り着く。しかし、それは完全なものではなく、正直生きた心地がしなかった。父の様子は母からの連絡を待つしかないので、自室でひたすら待っているのはあまりにも辛いので、駅前の地下の喫茶店に行き、ウィンナーコーヒーを飲んで連絡が来るのを待った。なかなか頭の中は整理がつかないが、少なくとももはや僕には田舎に帰ることしか選択肢は残っていないのだ、とは強く思った。喫茶店にいる間に母から2度電話があり、点滴は受けるが血圧、血中酸素、血液検査とも問題なく、点滴が終われば帰宅してよいとのことだった。とにかく最悪は免れた。

喫茶店から帰宅後も、何も出来なかった。今日は朝からバッハ、のちラフマニノフと音楽を流していたが、最終的にはそれすらストレスに感じた。クラブW杯の準決勝も見る気がせず、僕には楽しみというものが何一つなかった。ネットも憂鬱なだけだった。僕はただソファに仰向けに横たわってぼうっと天井を見ながらあれこれと思索し、ありとあらゆることを心配し不安になり、ときおり換気扇の下に行って煙草を吸った。これほど何もしない日というのも、入院時を除けば思いつかない。ただひたすらぼんやりと憂鬱な思念に浸っていただけだった。そういえば母から最初に電話があった1時ごろまで1時間ぐらい昼寝までした。これだけ何もしていないにも関わらず、心も身体もまったく休めていない。とにかく気が休まらない。こんな状態がそうそういつまでも続くとは思えないが、このままではまず精神的に参ってしまう。いや、既に十分に参っている。何かいい気分転換の方法はないものだろうか。それにしても暖房をつけっぱなしの部屋に閉じ篭っているのに、相変わらずやたらと寒く感じるのは何故か。

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抑うつ

2時就寝、9時起床だったと思う。例によって目が覚めてから起き出すまで30分を要す。今日は朝から精神的なものよりもむしろ体調が悪い。朝食後に換気扇の下で煙草を1本吸ったらくらくらする。昨夜寝床でも胃の辺りが重かったし、またストレスで胃潰瘍方面に向かっているのかも、と思った。散々迷った挙句、それでも3時間弱の業務に行ってしまう。続ける気がないのだからもう行かなければいいのだが。他にすることを思いつかない。昼を過ぎてもいまだ体調が思わしくない。帰宅してパックのご飯をレンジで温めてふりかけをかけて昼食。わびしい。1時過ぎに本日最初の安定剤を1錠飲む。その後も何をしたらよいのか分からず、午後はソファの上で放心状態。3時から4時ぐらいまで昼寝というか、うつらうつらする。その間にいろんなものが頭に浮かび例によって不安を覚えるが、それでも少しは寝たのだろう、4時に目が覚めると体調は少しマシになった。

そんな感じで1日ほぼ何もしていないのだが、終始気分的に鬱屈していた。楽しくない。何をしても。いや、何もしていないも同然なのだが。楽しくないから何もする気になれない。典型的な抑うつ状態。夕方クラブW杯、サンフレッチェ広島×蔚山、3-2を見たのだけれど、唯一の楽しみである筈のサッカーにすら没頭出来ない。今日もすき屋で夕飯後、どうせ何も出来ないから時間を潰そうと駅前の昔ながらの純喫茶風の店に入ってカプチーノを飲む。2時間ぐらい粘ろうと思ったのだが、BGMがクリスマスソングのインストゥルメンタルというのが致命的だった。1時間でいたたまれなくなった。すべてのクリスマスソングに呪詛を。夜はまた気が滅入ってきて、8時ごろに安定剤を半錠飲む。それにしても、抗うつ薬のリフレックスを2錠に増やしたのに、一向に効果が現れないのは何故だろう。どうせ効かないのならむしろ飲みたくないのだが。恐らくストレスの方が強過ぎるのだろうが、様子をみて変わらないようだったら減らしていこう。

田舎に帰る方針はまだ変更していないが、やはりいまだに心は揺れる。迷いも不安もある。本当に正しい決断なのだろうか。抑うつ状態が酷いときに重大なことを決めてはならない、という不文律があるのだが。だが少なくとも今の僕、今日の僕は何かを決めたり、判断することすら出来ない。夜は暖房をつけているのに異様に寒く感じる。頭が回らない。眠い。

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敗北と遁走

2時就寝、8時起床。7時半に目は覚めたのだが……寒いとベッドから起き出す決心がつくまで30分を要す。今朝はこれまでよりも深刻ではないが、些細なことが気になる。よって昨日書いたように、朝食後に安定剤を半分飲んでみる。が、30分経っても一向に効いている感じがないので結局もう半錠飲み、朝に1錠飲んだことになる。が、結果的にはそれで夜までなんとかかんとかもった感じではある。

午前中から今日はエクセルの基本を勉強。と言ってもエクセルのヘルプから飛んだピボットテーブルの演習をやっただけなんだけど、これを小一時間やっただけでストレスが溜まってしまい、自分の精神がいかになまっているかを思い知らされる。

先日、田舎に帰ることを決断と書いたけれど、やはり未だに心は揺れ動く。このところの傾向として、どうしても悪い方、悪い方にばかり考えてしまう。午後、煮詰まったので気分転換に今日も駅前の喫茶店でウィンナーコーヒー。島田雅彦「優しいサヨクのための嬉遊曲」読了。しかし、本を読んでいてもどこか入り込めず、したがって楽しめず、面白いとも思えない。なかなか内容が頭に入ってこないのでどこか上の空で読んでいる感じが否めない。だからここで感想を書くのはあまりフェアじゃないと思うので止めておく。本を読み終えて、ぼうっと考え事に耽る。で、今回の帰郷について、これは敗北、遁走であるのではないかと思った。要するに僕は何事かに、例えば人生というものに負けたのではないかと。負け犬に成り下がったという思いがした。また心が揺れる。だがその思いはそれ以上掘り下げようのないものだった。

駅前のすき屋で牛丼の夕食後、またエクセルの演習をやり、またぞろ過大なストレスを感じながらやり終えると、ふとした瞬間に突如として田舎に帰るという決断がとてつもなく恐ろしくなり、怖くなった。それは物凄く重大な決断であることに改めて思われ(実際そうなのだが)、その決断を下すこと自体に強い恐怖を覚えた。たぶん朝飲んだ安定剤が切れたせいだろうと思い、今度は半錠だけ飲んだ。少しずつ、無理しない程度に薬は減らさなければならない。結局のところ、また両親とも電話で話し、第2の決断も同じ結果になる。さらにHとも電話。いくら迷ったところでたぶん詮無いことだろう。迷っている間は何も決められないから。正直なところ、僕はまだ腹を決めたとは言い難い。が、この先も田舎に帰るという方針を変えることはないだろう。それを打ち消すほどのプラス材料が見つからないからだ。そして、田舎に帰るということには全的ではないにしろ、明らかなプラス材料は存在する。それを覆すものを無理やり見出すことの意味が見当たらないし、恐らくそんなものはないのだ、たぶん。皆が言うように、恐らく今の僕が最優先すべきは心身の健康を取り戻すことなのだろう。それに、今の僕が切実に求めているのも、不安とストレスの泥沼から抜け出すことなのだ。やはりそれは遁走なのだろうか? だろうな。しかし、玉砕するわけにもいかない。必ずしも遁走が最悪とも言えないのだと思う、この場合。

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ベンゾジアゼピン離脱症候群かも

今日は1日を通して、やけに寒く感じた。特に、暖房を付けっ放しにした部屋の中にいてそう感じたので、僕の身体の感覚が異常を来たしているのだろうかと思ったが、今Yahooで今日の気温を見たら最低気温がマイナス2度、確かに寒かったようだ。

2時半就寝、9時起床。夢から目覚めて現実に戻るときに、不安とも恐怖とも取れる、ぞっとする感覚を覚えた。そのせいで朝から精神的には不安定な感じ。その感じを払拭したくて、よせばいいのに今日も朝食後に出かけて遊びの業務を3時間ほどやったが、やはり焼け石に水。午後になっても不安感は増すばかり。しかし、前々から懸念していたことだが(いつのことか日記を検索してみたら11月20日の日記に既に書いていた)、この毎日続く強い不安感はどうもうつ病の症状というよりもベンゾジアゼピン系(つまり安定剤・睡眠薬)の離脱症状ではないかという疑念がどうしても抜けず、出来るだけ我慢しようと思った。が、昼食後も時間が経つに連れ不安感は増し、精神状態はひたすら悪くなっていく。なんとか我慢して乗り越えようと、リラックスするためにまた駅前の地下の喫茶店に行き、ウィンナーコーヒーを飲んで耐えようとした。しかし、あまりにも苦しく、もはや具合が悪くなってきて頭痛までしてきそうになり、身体的にも辛くなってきてもう限界、5時15分に安定剤のソラナックスを飲む。すると、30分ほどするとようやく楽になってきた。

このことからも分かるように、たぶん毎日悩まされている強い不安感の全部とは言わないが、一部もしくは大部分はベンゾジアゼピンの離脱症状の疑いが非常に濃い。それは、先日抗うつ剤のリフレックスを倍の2錠(30mg)に増やしたにも関わらず、一向に不安感が軽減しないことからも推測される。もう1度ウィキペディアで調べてみると、ますますそれっぽい。しかし、僕はこれまで、精神疾患に対する思い込みによる失敗、過ちを繰り返してきた経緯(それで被った被害はとつてもなく甚大である)があるので、思い込みは禁物である。だが、安定剤を再び飲み始めて既に欧米で有効上限とする4週間を超えているし、離脱症状である可能性は極めて高い上に既に依存の状態にある(少なくともこれまでの7・8年は完全に依存状態だった)。なので、薬の離脱、つまり安定剤を止める必要は間違いなくありそうだ。

そこで、さらに検索してベンゾジアゼピン離脱マニュアルである、アシュトンマニュアルを第Ⅱ章まで読んだ。これによると、急激な断薬はかえって離脱症状がきつく逆効果であると判明、今日の5時までの状態もどうやらそういうことっぽい。アシュトンマニュアルによると、かなり時間をかけて少しずつ減薬して離脱(=断薬)しなければならず、それは数ヶ月から場合によっては年単位に及ぶと書いてあってくらくらする。ただ少しだけ救いがあるのは、以前と比べて今飲んでいる量はそれほどでもないので(だから離脱症状があるのだと思う)、上手くすればそれほど長期間ではなく離脱出来そうなのだが、厄介なのは減薬のために安定剤をもっと弱いセルシン(ジアゼパム)という薬に換えて微調整しなければならない。そのためには今の状態がベンゾジアゼピン離脱症候群であるという確信を持って医者に進言して薬を換えてもらわなければならない。こうなると一種の賭けである。まずはいずれにしても慌てて減らしてはいけないので、近頃の飲み方である1日に多くてソラナックス2錠(0.8mg)、少なくて1錠(0.4mg)という量をひとまず一定させる必要がありそうだ。とりあえず1日1.5錠といったところから始めたいのだが、うーん、そうするとここんとこ朝から不安感を覚えるので朝1錠、午後不安感を覚えたら0.5錠にするべきか、それとも朝0.5錠、午後1錠にするべきか迷う。いずれにしてもあまりにも強い不安感を覚えたら無理せずに飲む、しかし1日の量は増やさないで徐々に減らす、という方針にしたいので、後者、つまり朝0.5錠午後1錠というパターンで始めてみるかな。

と、ここでもう1度アシュトンマニュアルでソラナックスのジアゼパム換算値を見ると、0.8mgつまり2錠飲んでも16mg相当でこれはかなり少ない量だ。ということは不安感が強ければ2錠まではあまり気にしないで飲み、徐々に減らす形でもそんなに時間は掛からないのでは、と思う。いやしかし、なんでこんなことを患者である僕が考えなければならないのだろう。一番の問題はこんな風に依存と離脱症状をもたらす薬を延々と大量に出し続ける医者の方にあると思う。まったく、日本の精神医療はどうかしている。

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