Blue Lane

6月19日、月曜日。

9時40分起床。やはり朝食後に書斎のソファで昼まで寝込む。とはいうものの、今日は午後になって意外と普通にしていられた。業務少々。

午後、念のため県立中央病院の内科外来に電話。今日は血液内科のいつも検査してもらっている医師の当番日。で、大まかなところを相談したところ、血痰も鮮血でないのであれば緊急性はないということ。もし血痰が続くようであれば次回の診察を早めることはできると。ただ、先月末CT検査、今月になって血液検査としたばかりなので、結局同じ検査をやることになりそうなので、もうしばらく様子を見ることに。そんなわけで急変があったら連絡するということにした。

で、毎日のようにミックスし直していた曲が、ヤマザキのOKがようやく出たので動画を公開。

結果的にこの曲に関してはドラムの打ち込みに始まってなんだかんだ苦労した。今回は珍しくストレートアヘッドなジャズなので、生のドラムっぽくするのに一苦労。

カテゴリー: 未分類 | Blue Lane はコメントを受け付けていません

遺言

6月18日、日曜日。

10時ジャスト起床。やはり朝食後は昼まで伏せる。

昨夜あれから、寝る前に歯を磨いていたら鼻血が出て止まらなくなった。大量の鮮血がどばっと出たので驚いた。鼻にティッシュを詰めてもいつまで経っても止まらないので、深夜1時を過ぎていたが県立中央病院の救急外来に電話した。で、看護師に経緯を話したのだが、ひとまず鼻血を止めるにはティッシュは逆効果で、小鼻を圧迫すればいいということだった。もしそれでも止まらなかったら地元の病院の救急外来で止めてもらうようにと。血痰のこともあり心配であれば平日に内科外来に相談してくれということだった。

……と、そんな経緯もあったのでさすがにこれは残された人生はあまり長くないのではないかと思い、昼過ぎに弟に電話した。で、僕が死んだら葬式は行わないようにということと、パソコンとスマホのパスワードを伝えた。これは遺言だということで。

その後の午後は昨日ほど酷い体調ではなく、今日は血痰も鼻血も出なかった。それでルヴァンカップ、鹿島 2-0 新潟を台所で見て鹿島が次のステージに勝ち抜けたことを確認し、夜はここ数日動画にしている曲のミックスを再びやり直した。気になるのはいまだにキーボードのヤマザキから返事がないことで、それが心残り。

そんなわけで、今日の前半まではもう俺は長くない、と思っていたのだが喉元過ぎればなんとやらで次第に今の状況に慣れてきて、夜にはあまり気にしなくなっていた。昨夜のように鼻血がどばっと出れば別だが、気にしてもどうしようもないので。

残りの人生が長くないのであればやりたいことをやろうとは思うのだが、それ以前にあまりにも体調がへろへろなのでやれることも限られる。旅に出たかったりもするのだが。

カテゴリー: 未分類 | 遺言 はコメントを受け付けていません

血痰

6月17日、土曜日。

10時30分起床。このところ毎日体調が悪いと書いているが、今日は最悪だった。何しろ、起きてすぐに血痰を吐いた。で、例によって朝食後だるいのか何なのかよく分からない不調で身体が動かず、ソファで寝込む。今日は午後3時ごろまでほとんど死体同然だった。まったく動けず。

夕方近くなってようやく起きてはいられるようになり、むしろ身体を動かした方がいいかもと思って予定通り庭のイタドリの伐採をしたら、ただでさえ具合の悪い人なので10分で完全に息が上がり、その後夕食時まで手がぶるぶると震えた。

夕方二度目の血痰。さすがにここでググってみると、真っ先に「肺がん」という言葉が目に入る。風邪や気管支炎でも血痰が出るらしいが、喫煙者は肺炎とか重篤な病気の可能性があると。これはやはりヤバいかもと病院の救急外来に電話して、看護師と話してみるが県立中央病院にかかっているという話をしたせいかあまり急を要することという感じにもならず、まだ続くようなら内科の医者にかかった方がいいという話で終わった。

今日の前半は本当に具合が悪かったので、自分もこれまでかと思ったくらい。肺がん云々を考慮すると、もしかしたら自分の残りの人生はそれほど長くないのかも、とぼんやりと考える。これがリアルなのはそれほど恐怖心を覚えないこと。11年前に悪性リンパ腫という血液のがんだと診断されたときも、恐怖心はなかった。死が具体的になると案外と恐怖心はなくなるものである。

結局夜まで計2.5回の血痰(3回目は薄かった)。不思議なことに夜になって動けるようになり、曲のミックスのし直しとかをできるようになった。

残りの人生がさほど長くないとなると、会いたい人には会っておきたいし話したい人とは話しておきたい。そういう意味でもキーボードのヤマザキからの返信が途絶えると不安になる。バンドの曲もそう長くは作れないのかも、などと思うし。

とりあえず胃潰瘍の可能性も考慮して、今日から胃酸を抑えるネキシウムを飲むことにした。煙草は辞めない。吸いたくなくなるまで。やりたいことはできるだけやる。

しかし、もうすぐ終わると考えると、これまでの人生はどうにも箸にも棒にも掛からぬ人生だったなと思う。

カテゴリー: 未分類 | 血痰 はコメントを受け付けていません

廃市

6月16日、金曜日。

9時ジャスト起床。とにかく今日は抑うつ状態が酷かった。

朝から調子は悪いが、今日は日銀の政策発表があるので朝食後スマホのアラームをかけてソファで毛布を被り少し昼寝。で、肝心の日銀は相変わらずの現状維持、ただあまりにも体調が悪いのでトレード自体はすぐに切り上げる。予定の半分ぐらいに終わる。

昼食後はほぼというかまったくもって廃人、またソファで横になるが抑うつが酷すぎて眠れない。ただ辛いだけ。しょうがないので安定剤のレキソタンを2錠(2mg)舐める。すると、なんとか起きていられる程度にはなったが、その後何故か顔が火照る。

午後、バンドのLINEに動画を上げたら二人から反応があり、久々にやり取り少々。夕食後にミックスのやり直し。

間食を辞めたら体重が減る。今日も400g減った。しかし夜になるとやはりなんかしら食べたくはなる。プラグインも当分は買わない。

せっかく代表初ゴールを挙げた上田綺世だが今日になって怪我で離脱。これで来週のペルー戦を見るモチベーションがさらに下がる。

ちょっと油断すると何をしたらいいのか分からなくなる。これだけ毎日抑うつ状態が続くとさすがにしんどい。ずっとLINEで既読スルー状態だったキーボードのヤマザキから返事があったのは収穫だが……。

カテゴリー: 未分類 | 廃市 はコメントを受け付けていません

初ゴール

6月15日、木曜日。

9時53分起床。日中業務少々。溜まったごみを処理場に持って行ったり、先日の救急外来での点滴の治療費を病院に払いに行ったり。

親善試合、日本 6-0 エクアドル。上田綺世が代表初ゴール。PKだけど。試合としては開始早々に相手が10人になってしまったので、あまり参考にならず。

いまだに元気はないが、徐々にこの状態に慣れつつはあり。詰まるところ、恐ろしくテンションが低い。

カテゴリー: 未分類 | 初ゴール はコメントを受け付けていません

メタモルフォーゼ

6月14日、水曜日。

9時42分起床。音楽を作る夢を見た。

昨日からのことの成行を語らねばなるまい。まず、昨日の午後に母の部屋で面会をした。予定では窓越し面会だったが、午前中の母の血圧が70台に下がったというので、部屋で面会することになったのだった。

問題は面会が終わったあと。担当職員と看護師が話があるというので別室で話をした。彼らが言うには、母はものを食べたり飲んだりするのが相当大変になってきているので、特老としては看取り介護として見ていく時期にさしかかったということだった。それで、療養型の病院に移すことも検討して欲しいということだった。特老では点滴等の医療措置を施すことができないので。

これが自分にとっては相当にショックだった。看取り介護ということは、ただ死ぬのを待つだけという意味だと思った。要するに母はもう長くはないのだということを遠回しに言われたわけである。毎朝仏壇の父にお願いしているので、母は100歳まで生きるのだと思っていた。数年前に亡くなった伯母も95歳まで生きた。こういう話がもう出てくるというのは、本当にショックだった。

帰宅して、病院に移るケースの場合を調べた。役場に電話したり病院に電話したり。看護師の話によると水を飲むことすら一苦労だというので、もはや病院に移すしかないと思い込んだ。少なくとも病院では点滴を受けられるし、食べられなくなっても鼻から管を入れて食物を胃に入れたりできるから。

とにかく仙台の弟と相談しなくてはというので、弟が会社から帰宅する頃合いを見計らって電話をした。このときの自分の心境としては、もう母を病院に移すしか選択肢はないのだと思っていた。ところが弟の歯切れが悪い。何やらもごもごと自分の考えを述べられないでいる。それで、一体何が引っかかっているのか訊ねてもはっきりしない。それで弟は大事なことだから考える時間をくれと言った。

電話を終えた後、僕は怒り心頭だった。看取り介護か病院の二択しかないのに何を考える必要があるのか?と。つまり、看取り介護を選ぶということは、ただ食べられなくなっていくのを見守るしかないということだから。凄まじい怒りだった。

電話をかけていたのは台所だったので、書斎の机に戻って考えた。俺もヨウタロウのように穏やかでおおらかな人間でありたかった、と思った。すると、怒りは次第に収まっていった。

弟から電話がかかってきた。勤めて穏やかに話そうと思った。弟はやっぱり病院に移す方がいいと思うと言った。弟はまったく感情的になっていなかったし、言葉に何の含みもなかった。電話を切った瞬間から僕は泣いた。何が悲しいのか、母が哀れなのか、とにかく涙がいつまでも止まらなかった。父の葬儀のときに喪主挨拶で途中からボロボロに泣いてしまったことを思い出した。

職員と看護師が、とにかく母が食べるのにどれぐらい苦労しているのか見て欲しいと言うので、一夜明けて今日の昼食時に特老に行った。それで、母から見えない場所から母が昼食を介護されて食べるのを見た。

それを見ているうちに、昨日あれほど病院に移すしかないと思っていたことが、それほど簡単な話ではないことに気づいた。ここではこうやって付きっ切りで食事を食べさせてくれる。しかし、病院ではそういうことはないだろう。確かに点滴などの措置は受けられるだろうが、今病院に移せば母は間違いなく寝た切りになり、衰弱するだろう。それはよろしくないことなのだと思った。

食事を終えたころ(といっても母は半分も食べられなかった)、母のところに行って顔を見せた。母はしばしば目をつむるので眠いのかと訊いたら眠いわけではないと言う。それから職員は母を部屋に移動し、二人がかりでベッドに寝かせた。こういうことも病院では毎食事にやってくれないだろう。

母と少しだけ話をして、それから一階に降りて玄関のところで職員と話をした。看取り介護になったら今やっているようなことをやらなくなるというわけではないことを確認した。それに、今すぐに看取り介護にするというわけではなさそうだった。

もう少しこのまま特老にいさせてくれるように僕は言った。それで食事が困難になるようだったら病院に移したいと。今でも困難な部類ではあるのだが、それ以上に困難になったら、という意味だ。申請して即病院に移れるわけではないので(少なくとも二週間は待たなくてはならない)、そういう判断を担当職員がするのも難しいかもしれない。だが、今の母を病院で寝た切りにさせたくはないという気持ちの方が勝った。

特老から帰宅しても、しばらくいたたまれなかった。一刻も早く弟と話したかったのでLINEをしたら、3時過ぎなら少し話せるということだった。

僕は極限まで疲れ果てていた。昨日一日だけで体重が400g減った。ソファで毛布をかけて横になり、弟の電話が来るまで少し寝ることにした。

3時過ぎに弟から電話がかかってきた。ことの次第を伝えたら、弟も同じ意見だった。


そんなわけで昨日から心身ともに疲れ果てているし、うつも酷い。自分がこれからどうすればいいのか、そういうことを考えるだけで憔悴する。

母は晩年の父のように瘦せ細ってしまった。これは誰しもが通る道なのだということは分かっている。ヨウタロウは昨年お母さんを亡くして両親とも鬼籍に入り、今は実家の整理をしている。I泉さんに至っては小学生のときに事故で家族全員を亡くして天涯孤独になっている。僕はまだ恵まれている方なのかもしれない。それでも母が哀れで仕方ない。

10年前に父が亡くなったとき、母はこれから二人で生きていこうと僕に言った。じゃあ長生きしてよ、と僕が言うと、長生きするよーと答えたのだった。あれから10年、母が特老に入って9年が過ぎた。時は容赦なく過ぎ、人は容赦なく老いる。この9年間、俺は何をしてきたのだろうと思う。9年分の記憶はないが、間違いなく9年という時が過ぎたのだ。

笑えるようになるまで、しばらく時間がかかりそうだ。

カテゴリー: 未分類 | メタモルフォーゼ はコメントを受け付けていません

Body and Soul

6月13日、火曜日。

9時23分起床。

カテゴリー: 未分類 | Body and Soul はコメントを受け付けていません

Mistake

6月12日、月曜日。

9時25分起床。起きてみてどうかなと思ったが、今日は14時まで廃人ということはなかった。

日中ちょこっと業務、の予定が久しぶりに大失敗。本来であれば週明けの月曜日だし明日CPIという大きな指標があるので、今日は別に何もしなくてもいい日だった。それが気がつくと特大のポジションを担がれていた。例によってポジションをひっくり返せなかった。どうにも逃げられそうもないと思ったところで両建てしてみたが、結局のところ両建てした時点で損切りしたのと同じ。わざわざ特大のドローダウンを延々と持っている必要がないと思い、夕食前に損切り。まったくもって余計なことをした大失敗だった。さすがにメンタル的にもどん底に一時なったが、夕食後ヨウタロウとLINEで少しやり取りして少々気持ちは持ち直す。で、一瞬だけトレードしてほんのちょっと取り戻す。焼石に水だが。

今チャートを見ると唖然。放っておいても建値まで戻っていた……。

このところメンタル的に塞ぎがちだったのは、バンドの連中となかなか連絡が取れなかったことが大きく、いわゆるところの既読スルーが続くとじわじわとメンタルがやられて被害妄想的になっていた。いまだにヤマザキとは連絡が取れていないが、ひとまずヨウタロウとちょこっとやり取りしただけでも大分助かった。真面目な話、もう誰にも必要とされていないような気がしていたから。

明日は午後母と窓越し面会。

カテゴリー: 未分類 | Mistake はコメントを受け付けていません

入梅、死亡後、復活

6月11日、日曜日。

9時47分起床。

昨日に凝りてリフレックスを飲まずに寝たら、比較的まともに寝れた感じで起きた……と思ったのが大間違い、朝食後にだるくてどうしようもなくなりソファで毛布を被る。一度目が覚めて昼だったので菓子パンを一個食べたがやはりどうにもならないくらいだるくてまたソファで死亡。結局14時ぐらいまでほぼ死体も同然だった。今日から梅雨入りということで体調を崩したのだろうか。

そんな感じだからほぼ何もできる気配はなく、寝ようと思ったら永遠に寝ていられそうな感じだったが、本当に永遠に寝てしまうのも困るのでなんとか起きてはいた。で、夕方になってようやく人心地ついた。

鹿島 1-0 湘南。鈴木優磨が2度PKを失敗したのにはびっくり。ともあれ、勝ててよかった。

ようやく何事かできるぐらいには復活したので、そういえばとトライアルでインストールしていたVisual Synthesizerという、名前はシンセだが実際は音と同期して映像が動くというソフトを試す。最初はまったく使い方が分からなかったのだが、メーカーのサイトを見たりググって誰かが書いたブログを読んでようやく使えるようになり、バンドの曲で割とストレートなジャズをやっている曲で作りこんでみた。失敗したのは最初に作ったパターンを保存しなかったことで、一応動画にはしたのだがもうひとつ少し派手にしたものを作ってこちらは保存してなおかつこれまた動画にしてみた。

で、トライアルだとウォーターマークが入るので、仕方なく10ユーロ払ってサブスクにしたのだが、そしたらメールでクーポンが届いて90%オフで買えるというので買おうとしたら既に持っていると表示されて先に進めない。とりあえずサブスクを一時停止してみたが一カ月は有効なので状況は変わらず、ひとまずサポートにサブスクに入ったら買えないのかメールで問い合わせてみる。

そこでハタと気づいて違うメールアドレスでもうひとつアカウントを作ってやってみたところ、90%オフ(10ユーロ)で無事買えた。

カテゴリー: 未分類 | 入梅、死亡後、復活 はコメントを受け付けていません

悪夢たち

6月10日、土曜日。

10時26分起床も、昨夜寝る前にリフレックスを飲んだせいか眠くてふらふらでどうにもならず、朝食後書斎のソファで毛布を被って気がつくと午後2時近くになっていた。自分が暴力を振るうという酷い悪夢を見た。夢というのは過去の記憶なのかそれとも未来の記憶なのか、はたまた起こり得るもうひとつのパラレルワールドの記憶なのか。いずれにしろなんらかの材料があって生成されるものではないかと。

午後はまた別の曲をミックス。昨夜寝る前に大体整えておいたので細部を詰める作業。で、2・3試してみたがまたまたリバーブのプラグインをひとつ買わなければならないかも。というのもトライアルで試しているリバーブを使ってしまったから。うーん。他のリバーブで同じようにならないか試してみたのだが、リバーブもそれぞれ個性がある。

夕食は蕎麦を食べようと思って早めに蕎麦屋に行ってみたら土曜日で日中で蕎麦が切れたのか閉店、しょうがないので町内のラーメン屋で冷やし中華を食す。

帰宅後、やけに眠くなる。今日の自分を見ていると、何時間寝たから十分とかそういうこととは真逆で、寝れば寝るほど眠くなるという感じだった。まさに入院患者状態。

夜、ふと思いついてジャケットを作りBandcampからシングルをリリース。

リバーブ問題はその後手持ちのプラグインでなんとか済ませる。

カテゴリー: 未分類 | 悪夢たち はコメントを受け付けていません