飽食

いつものテリトリーが皆午後開店だったので、違うところに行ったのはいいが、そこそこ混んでいる店で午後には両隣に人が。で、対人ストレスで廃人になってきたので、3時前に帰る。今日は痺れもそうだが、ちょっと情緒不安定な感じ。なんか苦しくて独り言を言ってしまう。なので、例によって頓服2錠→昼寝1時間半。

で、クラブワールドカップ準決勝、柏レイソル×サントス(1-3)を見た。何しろ相手はネイマールを筆頭にブラジル代表が7人、かたや柏は去年J2、妥当な結果だと思う。というか、なかなか健闘していた。が、やっぱりちょっと隙があると確実に点を取られてしまう。まあしょうがないかな。でも、この大会で柏はかなり成長したはず。こういう世界のトップクラスのクラブがそこそこ本気で闘ってくれるというのは、それだけでも貴重な経験になる。チームとしては弱いピースはあるものの、柏の組織プレーは大会を通してレベルアップしたと思うが、なにしろそれまでのリーグ戦を全然見ていないので定かではない。ザックジャパンの最初の試合(だったと思う)のアルゼンチン戦でのメッシとか、今回のネイマールとか、本気でマークすればそうそう2点3点と取られることはない、ってこと自体がある程度の自信に繋がると思う。

と書いてはいるが、試合中にポテトチップスを食べ過ぎて異常に満腹になり、頭が上手く働かない。胃薬を探したがなかったので、元々胃潰瘍の薬である安定剤のスルピリドを飲んだ。が、いまだに満腹感が抜けない。過ぎたるは及ばざるが如し。

カテゴリー: 未分類 | 飽食 はコメントを受け付けていません

一応創作活動

やっぱり今日も調子がよくない。顔と手が痺れる。例によって夕方2時間ほど死んでみるが蘇生してもどこかおかしい。目の焦点合わないし。なんか普通に気勢が上がらない。よって、夕食はカップヌードルで済ませる。散歩がてら近所のドラッグストアに行って一応スタバの豆(挽いてある奴)を買ってみる。戻ると若干マシになった。玄関脇の靴箱から大量のスコア用紙を発見したので、久々に作曲活動。イントロからAメロまで書いたが、やっぱり集中力が持続しない。1章だけ書いた小説も、もう何ヶ月もほったらかしだ。今は波が下の方だし、まだ一度にあれこれ出来る状態ではない。再読中の村上龍「コインロッカー・ベイビーズ」、下巻に突入。

父が個室から二人部屋に移動。正確な病名は呼吸不全らしいが、ウィキペディアで調べてみると症状の名前で病気そのものではないのだが。父は退院したいと言っているが、まだ許可が下りない。

カテゴリー: 未分類 | 一応創作活動 はコメントを受け付けていません

下降

昨日からまた手が痺れるようになって、今日も午後痺れと不安感、頭痛。波が下降してるっぽい。例によって頓服を飲んで夕方、1時間半ほど死亡。夜にまた症状が現れたが、頓服を飲んだらなんとかなった。それにしても今日は眠い。というか、眠くなるのが早い。業務を早めに終了して、天気がよかったので隣駅から1時間ほど歩いたせいか。アメリカのシュンちゃんとチャットで久々に話す。お互い、長いこと生きてるといろいろあるなあ。

カテゴリー: 未分類 | 下降 はコメントを受け付けていません

クラブワールドカップ、柏レイソル×モンテレイ

朝起きたら寝過ぎで頭痛が。当たり前である。よって頭痛薬を4錠、計300mgのイブプロフェンを摂取。イブプロフェン200mgのアドヴィルを2錠飲むのは普通だから問題ない。そもそもアドヴィルにはイブプロフェン400mgっていうのがある。それはともかく、夕方にまた頭痛がぶり返してきたが、たぶんこれは抑うつ状態、今日は意地でも昼寝をしないぞと決めて、ソファに横になって毛布を掛けて、クラブワールドカップ、柏レイソル×モンテレイ、1-1(PK4-3)を見た。抑うつ状態で見ているのでいまひとつ気勢が上がらないが、見始めてあれっと思ったのは柏のサッカーが北中米代表のモンテレイと遜色がない、ってこと。柏ってこんなに上手かったっけ? っていうか、考えてみると代表戦ばかり見ていて、Jリーグの試合は最近とんと見ていなかったのだった。結果はともかく、昔と比べるとJリーグもレベル上がったなあ、と思う。トラップひとつ取っても皆昔よりも全然上手い。で、昔の高原みたいにやたらめったら倒れる選手がいない。延長で120分経ってもDFの酒井以外は足をつることもなく走り続けていた。要するに、技術的にもフィジカル的にもレベルアップしているということだ。Jリーグが始まって世界中からビッグネームの選手が来てたバブル時代よりも、今の選手のパスワークの方がずっと速くて正確だ。ボールを持ってからこねくり回すような余計なこともしない。いい傾向だと思う。

どうでもいいけど、スパムコメントをブロックするプラグインを入れてから、ブロックしたスパムコメントは5600を超えた。1日平均800件。何がどうなってるのか。

カテゴリー: 未分類 | クラブワールドカップ、柏レイソル×モンテレイ はコメントを受け付けていません

Red

皆既月食。天空の真上に赤い月。赤と言っても真紅ではなく、不思議な色だった。今夜は何故か星がたくさん見えた。で、月食を見た後シャワーを浴びて杏仁豆腐を食べようとしてコップを割ってしまい、左手の2本の指を切った。お陰で手が血で真っ赤に。ここ数日、毎晩ギターを弾くという、近年なかったことを続けていたのだが、これでちょっと休みだ。右手だったら大丈夫だったのだが。

今日は午前中で小銭を稼ぎ、昼過ぎには帰宅、それから2度にわたって日が暮れるまで寝てしまった。併せて5時間ぐらい。2度目に見た夢の詳細を全部覚えていたら、直木賞を取れただろう。あいにく綺麗さっぱり忘れてしまったが。

カテゴリー: 未分類 | Red はコメントを受け付けていません

朝、何時に起きたかよく覚えてない。たぶん8時ごろだと思う。この辺でも雪が降ったという情報はあったが、朝出かけるときは雨がぽつりぽつり。それにしても寒い。一番寒さを感じるのは何故か外から帰宅したとき。暖房をつけてもいつまで経っても部屋が暖まらない気がする。とりあえず寒いから毛布にくるまって昼寝、2時間。もしかしたら気づいている人もいるかもしれないが、最近手や顔が痺れたと書いてないのは、このところほとんど気にならないからだ。ラミクタールを1日200mg飲むようになってから、心身症の身体的症状が軽減されている。のだと思う。気のせいか、寒いと夜が長く感じる。リハビリの一環でギターを取り出し、とりあえず8小節分程度作曲。もしかしたら3日ぐらい続けてギターを弾いてるかも知れない。だとするとこれは大いなる進歩だ。身体を暖めるために今日はシャワーじゃなくて沐浴。母の話によると父は順調に回復してるっぽい。

カテゴリー: 未分類 | 寒 はコメントを受け付けていません

回復

朝起きてみるとまだ暗い。時計を見ると6時前。そこで二度寝すればよかったのだが、今日は何故か起きてしまった。で、朝食を摂るも寒い。あんまり寒いのでソファで毛布を被っていたらいつの間にか寝てしまい、目が覚めると9時。で、結局遅刻。なんかいかにも雨の降りそうな天気だったが案の定帰るときは雨、ダウンジャケットのフードを被って帰る。帰宅すると、暖房を入れても寒い。というか寒く感じる。頓服を2錠飲んでソファで毛布を被るが今日は一向に眠れない。寒くて。なんでこう寒いんだろう、というぐらい寒い。マンディ満ちるのアルバム1枚聴き終わるころにようやく死亡、目が覚めるとどうやら2時間半ぐらい寝たようだ。これだけ寝てたら朝早く起きるのも無理はない。

何度か病院にいる母に電話を入れたが、父は順調に回復しているようだ。入院しているので酒も煙草もダメなのがかえって功を奏している。母は父が病院にかつぎこまれてからずっと病室に泊まっていてロクに寝ていない。僕はそれも心配なのだが、一応個室で付き添い用の簡易ベッドがついているそうだ。母は盛んに大丈夫というのだが、どうも僕は不安感が抜けず、たぶん父が退院するまでそうだろう。夜、気晴らしにカメさんの水を替えてやったり、またぞろギターを引っ張り出して作曲活動などをしてみる。意外とギターは気分転換に効果がある。Facebookをやっていると皆会社勤めなので寝るのが早く、それにつられて自分も早く寝なければいけないのではないか、などと思うのだが、そうするとまた早朝に目が覚めてしまう。なので、例の24時間営業のスーパーに買い物に出ると、雨はほとんど止んでいた。10時を過ぎると3割引になるバゲットを買い、オレンジ・マーマレード、カシス・ジンジャーエールなどというものを買ってみる。で、今そのカシス・ジンジャーエールなるものを飲んでいるのだがいまいち。最近、僕のお気に入りだったオレンジのスパークリングウォーターがずっと品切れのままだ。今度棚に並んでいたら2・3本買おう。

ジョン・レノンの命日ということで、彼の曲をかけながら酒を飲む後輩多数。しかし、僕はどうもそういうことがピンと来ない。確かにビートルズはやたらと聴いたし(映画も1日で3本立てを2回見た)、ジョンが一番好きだったが、だからといって命日に感傷にふけることはない。そもそも今日が命日ということすら忘れていた。

カテゴリー: 未分類 | 回復 はコメントを受け付けていません

Do you really love me like I do?

父のことが気になって業務に身が入らない。午後には抑うつ状態に突入したので、帰って頓服を飲んでソファで寝た。すると、母からの電話で起こされた。数値が戻って酸素マスクを外しても大丈夫になったとのこと。だが、なんか気分的にまだ安心できない。母が医者から治らない病気だと聞いたことが頭に引っかかっている。たぶん退院するまでこの不安感は治まらないだろう。85円也のカップヌードルの夕飯を済ませ、しばし呆然とするが、気分転換にギターを引っ張り出して弾いていたら、ようやく少し気分的に落ち着いてきた。僕の場合、エクササイズやトレーニングといった練習として弾くのではなく、どちらかというと即興で曲を作る作業に近い。

それはそうと、学生時代、頼まれて僕がギターを弾いていた小山水城のデビューシングル(「彼にはかなわない」)をYouTubeで発見。彼女はコロムビアからデビューしてアルバム1枚で終わり、まったく売れなかったのでちょっとびっくりだ。改めてYouTubeなんか凄い、と思った。グーグルで画像検索してみると、何故かフランスの何軒かの中古屋で激レア盤として売られていた。謎だ。ちなみに曲は(筒美)京平さん、アレンジは新川。このアルバムが完成した直後から3年間、僕は新川のマネージャーをやっていた。

カテゴリー: 未分類 | Do you really love me like I do? はコメントを受け付けていません

死の淵より

午後、3時ごろに業務を終えての帰り道、父の具合が気になったので母親の携帯に電話してみた。すると、病院にいると言う。父は昼過ぎに重度の低酸素血症で救急車で運ばれ、集中治療室で人工呼吸を受けている、と言うのだ。父の血中酸素は通常の5分の1ほどしかなく、かなり危険な状態だったと言う。昨日の父の「俺は今日死ぬ」という発言が蘇る。常に不安に陥らないために意図的に避けてきた「未来」や「将来」というものを、否応なく考えざるを得なかった。もちろん僕は既に抑うつ状態になっていた。電話をひたすら待っているのも辛いので、頓服を飲んでソファで眠った。母親からの電話で起こされ、酸素マスクは外せないものの、どうやらいい方向に向かっている、ということだった。しかし、昼寝しても頭痛は一向に治まらず、悪心がして、夜までソファで延々と天井を見ながら呆然とするしかなかった。頭痛薬と頓服の両方を飲み、9時を回るころにようやく頭痛が治まってきた。その間に何度も携帯に手が伸びたが、かけることはためらわれた。すると、10時近くになって母親から連絡があり、今晩は病院に泊まるということだった。寝ている間に酸素吸入マスクが外れると悪いので、ということだったが、今度はむしろ母親の方が心配になり、まさか寝ずに見ているわけにもいかないだろう、と僕は言って、無理しないように釘を刺しておいた。それから気分転換のためにスーパーに買い物に出かけたが、酸素マスクのことを考えるとまた不安になってきた。もし外れたらどうなるのだろう?

こうして父はなんとか一命を取り留め、寿命が延びたが、僕の寿命は縮まった。

カテゴリー: 未分類 | 死の淵より はコメントを受け付けていません

死の棘

今日も空は晴れ渡っていた。が、例によって精神的体調が悪く、業務を昼過ぎに止めて帰宅の途に就いた。帰路に母親から電話がかかってきて、父が「自分は今日死ぬ。俺にはそれが分かる」と言いだして泣いていて、僕と話がしたいというので電話が父に代わったが、ろれつが回らなくてよく分からなかった。ただ、僕のことが心配だ、というところだけは分かった。また母親に代わったので、悲観的になっているのも情緒不安定になっているのも抑うつ状態だから安定剤のデパスを飲ませるように、それから医者に連れて行って点滴をしてもらうように、と伝えた。帰宅して、当たり前だがやっぱり気になる。父の発言は妄言だと分かってはいるが、もしホントだったら、とか考えてしまうし、とにかく気が滅入る。よって頓服を飲んでソファで毛布にくるまって2時間ほど眠った。途中、母からの電話で起こされ、血圧が下がっていて今点滴を受けている、という報告を受けた。目が覚めてからもなんかいたたまれない。親に「自分は今日死ぬ」と言われて気にならないわけがない。自宅でじっと連絡を待っているとひたすら気が滅入るので、駅前まで歩き、下見を兼ねて少々業務をして気を紛らわせる。その後、再び母から電話があり、点滴中に心電図もとった、ということだった。駅前のなか卯で牛丼の夕飯を食べ、帰宅して音楽をかけながらソファに寝転がってしばらく呆然としていたが、やっぱりいたたまれなくて頓服を飲んで寝ようと試みた。しかし、1時間半経っても眠れない。何度も携帯に手が伸びたが、あまり定かではない理由でなかなかかけられない。9時ごろにようやく電話してみたら、父は落ち着いたということで、母親の方が疲れてもう寝る、ということだった。それで僕は気分転換に24時間営業のスーパーに行き、わりとどうでもいい食品をいくつか買った。以前日記にも書いたことがあるのだが、臨死体験した僕の経験から言って、人間は死というものを認識できない、よって、「死」というのは主観的には存在しないも同義で、客観的にしか存在しない、と思っている。つまり、死が訪れるのは常に自分ではなく他者である、ということだ。もちろんこれは机上の空論、もしくは詭弁であると言われてもしょうがないが、僕らは常に脳というフィルターを通して世界を主観的に認識、見ているわけだから、まんざら的外れというわけでもないだろう、とは思う。だがしかし、現実問題として自分の親に「今日自分が死ぬのが分かる」と言われると、特に僕のような病気の人間にはひどくこたえる。「死」という言葉が棘のように刺さる。これを書いている今はシャワーを浴びた後でようやく(精神的に)人間として活動できるレベルになった、というところなのだが。

カテゴリー: 未分類 | 死の棘 はコメントを受け付けていません