1986

5月2日、木曜日。

長い長い夢を見た。夢の中で、元妻は六本木の風俗に勤めていた。夢の習いで僕は六本木で道に迷った。夢の中の六本木には六本木通りも外苑東通りも存在しなかったのだ。それからバスで実家に帰るのだが、バスの中は隣に座った女の子とナニをしたりと無茶苦茶なことになり、深夜に帰宅すると父と母になんで遅くなったのか、なんで会社を休むことになったのか説明しなければならなかった。そして、いまだかつて存在したことのない姉にこれこれこういうわけでこれからは毎月これだけの出費がかさむと言われて頭を抱えた……。

姉って誰だ?

朝、特養からの電話で起こされた。母が昨日の夜から蕁麻疹が出たので特養のかかりつけの医者に連れて行くという。その後もう一度電話があって、ステロイドのプレドニンが処方されたと聞いてびっくり。プレドニンは抗がん剤のひとつとして自分がかつて飲んでいたので。飲んで数日後に副作用で途轍もなくだるくなる。あとでググってみると、抗アレルギー剤として処方されることもあるようだし、母が処方されたのは最低量だった。

夜、することがなくなってなんとなくYouTubeで自分が業界の現場に入った1986年にレコーディングした曲の動画を何曲か見てみた。この年は最初にレコーディングした南野陽子のシングル(スケバン刑事の主題歌)がそこそこヒットし、それから1986オメガトライブの「君は1000%」がヒットして、そこから連鎖反応的に少年隊の「デカメロン伝説」荻野目洋子「六本木純情派」と立て続けにヒットしてラッキーな年だった。あっという間に新川は売れっ子のアレンジャーとなり、マネージャーとしての僕の仕事は仕事を取ってくることよりも仕事を断ることがメインになった。「君は1000%」はI泉さんとの最初の仕事だったのでことに印象深い。あれからもう33年になるのか……。1989年、つまり平成元年には新川は雲母社を辞めていたので、カルロスに最後に会ったのは1988年ということになる。高輪のプリンスホテルだった。ひとり名前を思い出せなくて古いアドレス帳を開いてみると、懐かしい名前がぼろぼろと出てくる。そういえばこういう人いたなあという人たち。みんなどうしているんだろうか。亡くなってしまった人も何人かいる。というか結構いる。つまり、若くして亡くなった人がそれだけ多いということだ。

1986年。僕は毎日必死だった。自分でスケジュールを入れていたのでしょうがないが休みは月に二日あるかないかだった。今でいうと完全に過労死レベル。しかし、考えてみれば今でも必死なのは同じなのだった。いつでも、どんなときでも僕は必死だった。それがどんなに愚かしいときであっても。そして、それはたぶんそれだけ自分が愚かだという証左なのだろう。いついかなるときであっても、賢く生きることとは無縁だった。正直な話、上手に生きられる人がうらやましい。

そういえば今日はワイヤレスマウスをアマゾンで衝動買いしてしまった。ワイヤレスのマウス、2つ持ってるのに。

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Reiwa

5月1日、水曜日。

そんなわけで平成が終わり令和になった。例によってまったくテレビを見ていないので、何がどう変わったのか分からないし実感もない。とりあえずカレンダーはめくった。

先日届いたUSBからHDMIに変換するアダプター、結局使えなかったのでアマゾンに連絡して返品することにした。サポートが要領がいまひとつよくなくて時間がかかっている間、Webでアマゾンの注文履歴を見たら「商品の返品」というボタンがあったのでそれをたどっていったらなんのことはない、簡単にできた。箱に詰めて印刷したラベルを貼るだけで、あとは日本郵便に電話して集配してもらうだけ。送料も着払い。そういえば何年か前にも動作しないスピーカーを返品したことがあった。どうやったかすっかり忘れていたのである。

午後3時過ぎに母のところに行ってみると、母の部屋に弟夫婦(from 仙台)、弟の長男夫婦(from 盛岡)、弟の次男(from 東京)の5人がいてびっくりした。てっきり甥っ子二人だけが来るのかと思っていたので。こうしてみると家族とはなんと賑やかなことだろう。厳密にいえば弟の方は分家になっていて、実質今の僕の家族(本家)は母と僕だけ。ずっと二人でひっそりと生きてきたので、家族が一堂に会するとこんなにもテンションが高いものなのかと改めて思った。で、甥っ子の嫁が妊娠しているということを聞いてまたびっくり。弟がおじいちゃんになるということになる。なんだかまったくもってピンと来ない。

弟が持ってきたデジタル一眼レフのカメラを三脚に据えて、みんなで写真を撮った。撮るときに「チーズ」ではなく「れいわ」と言って。母までが「はい、れいわ」と言ったので驚いた。弟の家族たちが帰るとまた僕と母だけになり、静かな時間が戻った。さっきまでのあの賑やかさは一体なんだったんだろうという感じで。

母の部屋でスマホで相場のレートを見ると、ポジションがトータルでプラスに転じていたのでその場で決済した。ドル円は結局損切りしてしまったし、そのまま持っていればもっと利益を伸ばせたのだが、なんだか今日はもういいやという気分だった。昨夜深夜0時を回ってから何度かポジションを取ってほぼ全部損切りに終わったので、それを今日のプラス分から差し引くとぎりぎりプラスになっていた。これで一応、令和元年の初日はプラスだったということにはなる。

それにしても、弟一家のあのテンションの高さはなんなのだろう? 詰まるところ、あれが普通で僕があまりにもテンションが低いということなのだろうか。さもありなん、うつ病の人間のテンションが高くなるとロクなことがない。結局のところ、平成から令和になって気分が一新したりテンションが上がったりということはなく、今日のところはむしろいつもより消極的だった。

と、ここまで書いたところでさすがに今日の天皇の即位の様子をまったく見ていないというのはなんだなと思い、タブレットのAbemaTVのニュースでちょっとだけだが見た。ようやく少しだけ人並みに近づいた気分。

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4月30日、火曜日。

夕方まで雨が降っていることに気づかなかった。何時ごろだったか、午後だったと思うがモニターが届き、モニターアームに取り付けてHDMIの変換アダプターを繋ぐが何も映らない。唖然としてそれではとVGAの変換アダプターで繋いでみるが変わらず。どちらもドライバーをインストールしているのに何故認識しないのか? とここでハタと思いつき、USBをハブに繋いでみるとようやく映った。どうしてPC本体のUSBじゃなくてハブの方なら繋がるのか、理屈がさっぱり分からないが、とにかく使えたのでほっとする。

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こんな感じになって、写真には写っていないがこの左側にもう一台モニターがある。というわけで環境だけは整ったのだが、いわゆるところの平成最後の日のトレードは完敗に終わった。ストップを2回食らってぐうの音も出ない。とはいうものの、業務で考えるとごく普通の負け額でさして気に悩むほどではないのだが、今日のところはまずドル円でストップを食らい次にユーロドルでストップを食らいで、やることなすことすべて裏目に出たので精神的なダメージは結構ある。ところで、今回買ったモニター、今まで使っていたものと型番まで寸分違わず同じものだということにさっき箱をしまうときに気づいた。まあそれはそれでいいのだけれど。

母のところで7時のニュースを見たが、平成最後の日一色、ツイッターのタイムラインもまたそうだった。あらゆることが平成最後という冠がつく。何をするにも平成最後というわけだ。それはともかくとして、平成の30年というのはちょうど自分の人生の半分にあたる。それでは昭和最後の日はどうだったかというと、ほとんど記憶にない。新聞(当時は取っていた)の一面に「昭和天皇崩御」と大見出しが出て、街中の通行量も少なかったような気がするが、今回のようにあらかじめ今日で終わるということが分かっていなかったので昭和最後の日に何をやったかなんてさっぱり覚えていないのだ。

考えてみれば平成元年はバブルの真っただ中で、僕が最初にユーミンの原盤ディレクターをやり始めた年だった。あのころはトレンディドラマが真っ盛りで世の中がどこもかしこも浮かれていた。大概のものは領収書をもらえば経費で落ちた。食事をするのにも打ち合わせの経費で落とすためにわざわざ流行りのドラマに出てくるようなカフェバー(死語)とかで敢えて高いメシを食った。ほぼすべての人が車を持っているような気がした。青山の骨董通り近辺では国産車よりもベンツやBMW、サーブといった高級外国車の方が多く走っていた。喫茶店に入るとまだ珍しかった携帯電話で「6億までなら現金で払う」などと声高に喋る輩が普通にいた。

当時僕が付き合っていた人妻のジュンコの旦那もまた、バブルで儲けた不動産屋だった。無免許なのにポルシェとレクサスを持っていた。彼はバブルの崩壊とともに破産してジュンコとも離婚した。

傍から見ればあのころが僕の人生のピークだったのかもしれない。満員の武道館のアリーナで熱狂する人たちを、二階の一番後ろの壁に背中をつけて腕を組んで見ていた。で、俺は一体ここで何をしているんだろう? と思った。LAにレコーディングに行くと、学生時代からあこがれだった当時もっとも売れっ子のスタジオミュージシャンたちと普通に仕事をやった。当時のことを書き始めたら切りがないが、とにかくユーミンの原盤ディレクターをやるようになってから、いろんな奇妙なことが当たり前になっていった。人が聞けば面白がるような話はいくらでもあるが、いまだにこういうところには書けない。書いても差し支えないと思えるものは部分的にちょこちょこと昔のfragmentsに書いてある。

僕が雲母社(松任谷夫妻の会社)を辞めたのはちょうどバブルが終わったころだった。世の中がバカ騒ぎの夢から覚めて次第に現実的になっていったころ。僕も次第に現実的になり、毎年アルバムを一枚作って一年が終わるということをこの先何十年と続けていくのだろうかとぼんやり考えて、会社を辞めることにした。そうしないと、毎年延々と同じことの繰り返しになることが見えてしまったのだった。それこそ30年とは言わないまでも25年ぐらい先ぐらいまで。

今考えてみると、ユーミンの原盤ディレクター時代に仕事で関わったり付き合ったりした人間は皆いわゆるところの超一流の人たちばかりだった。そういう意味でもバブルだった。ある日会社に行くとオリコンのチャートの一番上に自分の名前が載っていたりしたのだ。そういうことが全部当たり前だった。

おっと、あと12分で書き終えないと平成が終わってしまう。いずれにせよ、30年を端的にまとめることなんて無理だ。雲母社を辞めたあとは会社をころころと変わり、そのうち僕も音楽プロデューサーと呼ばれるようになり、そのころに自分のサイトを始めた。そして気がつくとパチプロになっていたり、また音楽プロデューサーに戻ったりしているうちに僕はうつ病になった。それからの20年近くは薬の過剰処方で薬漬けになってへろへろになり、最後の会社を辞めてからはどんどん無茶苦茶になっていった。なんだかよく分からないまま、10年ぐらいが過ぎた。気がつくと結婚して離婚したりしていた。いろんな意味で長い長い悪い夢でも見ているようだった。

あと6分。

あらゆる意味で、平成だけじゃなく人生は夢のようであり、バブルのような泡のようでもある。子供のころ未来として夢に見ていた21世紀になったときも、つまり20世紀が終わりある日21世紀になったときも、そのときは別段何も変わらなかった。しかしながら、あのころはまだ誰もがスマホのような携帯端末を持って暮らすことなど想像もつかなかったことも確かだ。放っておいてもいつか時代は変わるが、それはある日を境に突然変わるわけではない。あらゆる日は昨日になり、あらゆる日は今日になる。

あと1分。

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飛行機雲

4月29日、月曜日。

予想はしていたものの、何の予定もない連休はただひたすらヒマだ。一応日中も相場は開いているとはいってもほとんど動かずチャートを見ていてもすることがない。これまた予想していたのだが朝はアマゾンから荷物が届いて起こされた。モニターアームとHDMIの変換アダプターが届いたのだが、箱が大きくて驚いた。確か9時15分前後に起こされたと思うが、またベッドに潜り込み二度寝して10時32分起床。午前中はモニターアームの組み立て。別にモニターが届いてからでもいいのだが他にすることもない。

午後、あまりにも相場が動かないし、外はやけにいい天気なのでいつもより早く3時前に母のところに行った。外に出るとぽかぽかと暖かかったので、母を車椅子に乗せて外の空気を吸わせようと特養の駐車場を散歩した。

空はやけに広く、飛行機雲がたなびいていた。見ている間にもまた飛行機がやってきて音もなく空を横切って消えていった。

しばらく広い駐車場の中にたたずんで、それから二階の母の部屋に戻る。二階のホールの入り口には達筆で「令和」と書いてあった。昨日どうしても母が令という字を書けなかったので、しばらくその書の前で母に字を覚えてもらおうとする。部屋に戻ってから持ってきた蒸しパンを母は美味しいといって全部食べた。

たかだか車椅子を押して駐車場の中を回っただけなのに、帰宅すると何故か不思議なくらい疲れていた。もしかして日光に当たったというだけで疲れたのだろうか。とりあえずベッドに潜り込むといつの間にかうとうとしてしまったようで気がつくと5時を回っていた。

夕方の欧州時間以降は多少相場が動いたのでちまちまとトレードはしてみたものの、いささかも気合が入らない。EAも稼働させてみたが例によってポジションを取る気配はなし。ZuluTrade(ミラートレード)も動かしてこちらは夕方以降ポジションを取り始めたらまたしても逆張り。それも違うシグナルプロバイダー2人が。夜になって一向にプラスに転じる気配もないのでまた手動で損切り。これまでの経験からいって、小勢逆張りでも大勢順張りであれば含み損を抱えてドローダウン(負け)が膨らんでも結果的にプラスに転じる傾向にはあったが、今日の場合はシグナルプロバイダーが取ったポンドドルもドルスイスもどう考えても逆張りでしかも片方はストップすら置いてないので、大怪我をしないうちに切ったという次第。

なんだか一日を通してヒマを持て余した感が凄く、それに夜になってまた差し歯がひとつ怪しくなってきてもし連休の間に取れたらどうしようと考え始めると物凄く憂鬱になってきた。弟から電話があって、明後日(つまり令和になって初日だ)甥っ子2人が母の特養を訪れるということだったが、うちには寄らないそう。それにしても歯が気になるというのは最低だ。歯の不調はそれだけでもうつ病の原因になると言われているくらいで。今日も楽器に向かう気にはなれず。なんだかもやもやしたままで平成は終わってしまいそうだ。

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苦杯

4月28日、日曜日。

ツイッターのタイムラインは「平成最後の」という言葉で溢れている。確かに平成は残るところあと2日しかないが、かといってそれで何かが終わるのだろうか。日は常に一日一日と明けて、そこには常に今日があるだけだ。それが平成であっても令和であっても。

母に「令和」という言葉を覚えてもらおうと筆ペンで紙に書かせようとしたが、どういうわけか「令」という字をどうしても書けない。命令の令、という具合に分かっていてもだ。令という字のどこがどう難しいのかは僕には分からない。しかしもしかしたら欧米人に「令」という字を覚えさせるのは実は結構難しいのかもしれない。ちなみに令はレミの令でもある。

今日は少々機嫌がよろしくない。鹿島が横浜FMに2-1の逆転負けを喫したからだ。安西のゴールで先制した前半はともかくとしても、とにかく横浜にボールを回され過ぎ。ここまでボールを持たれると持たせているもへったくれもない。それに前回のACLの試合同様攻撃時のミスが目立つしセカンドボールがまったく拾えない。なんだか逆転されるべくしてされたようで憤懣やる方ない。今の鹿島のサッカーは攻撃の戦術というものが見えてこない。川崎を筆頭に、名古屋や横浜FM、FC東京や今では大分までもがコレクティブなサッカーをしているというのに、鹿島は個に頼るサッカーをしていて取り残されている感がある。正直普段どういう練習をしているのかと思う。この2戦を見ていると大岩監督では限界かなとも思ったり。

鹿島が情けない負け方をしたので、その鬱憤を晴らすため(?)にモニターをもう一台買ってしまった。というのも取引ツール以外にブラウザを2つ開ける必要が出てきたからだが、モニターを3台にするためにこれまで机の上に載せていたデスクトップPCを机の脇の小物入れの上に置いてみると、途端に書斎の机の上の見晴らしがよくなり、なんで今までこれに気づかなかったのかなと。マルチディスプレイのために机に取り付けるモニターアームとUSBをHDMIに変換するアダプターまで購入。気がつくと散財している。なんてこった。先日ノートパソコンを買い換えたばかりなので注文を終えたあとでまた無駄遣いをしてしまった感が凄い。とはいうものの、今日の場合は全部合わせても2万円ほどだから、考えてみれば同窓会の会費と一緒。いや、そういう問題ではないのだが……。危うくデスクトップPCまで買い換えそうな勢いが今日はあった。危ないところだった。

今日は鹿島だけではなくて、柴崎がフル出場したヘタフェも負け、昌子が先発しているトゥールーズも現時点で2-0とリードされている。これでは全敗じゃないか。自分の場合はとにかく鹿島が勝ってくれさえすれば留飲が下がるのだが……。

そんな具合にサッカー的に上手くいかなかったせいで、昨日作った曲も今考えるとあまりよろしくない気がしてくる。サビの頭4小節はそれほど悪くないがそれ以降がよろしくない。かといって鍵盤に向かって書き直す気力も今日は湧かず。

それはそれとして、

世の中にはこういう人もいるので、ちょっと救われる。

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シエスタ

4月27日、土曜日。

何の予定もない10連休初日、珈琲の生豆が届いて9時52分に起こされた。しかし何もすることがない。昼食後に2時間昼寝。ロクな夢を見ない。何もしないまま4時半ごろに母のところへ行く。夜、ちょっとコード進行が浮かんだので久しぶりにアコースティックピアノを弾いてみたら調律が酷くて唖然。しょうがないのでシンセとMTRをセットし直して歌ものの曲を1曲書くがサビの終わりがどうしても浮かばず中断。残りは明日以降。

連休はあと残り9日。一体何をすればいいんだ?

ところで、あなたは誰ですか?

(よろしければコメントをどうぞ)

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dele

4月26日、金曜日。

今日は夕方まで雨で気温が下がり、寒かった。明日から10連休というのが気が滅入る。考えてみると10日も休みということなので、珈琲の生豆がもつかどうか怪しくなってきて、ダメ元でいつも頼んでいるところに注文の電話をしてみると今日の出荷に間に合った。こうして、本来なら10連休などというものはまったく関係のないはずの自分にまで影響が及んでいく。

ZuluTradeから資金を移したEAがまったくもってダメ(リスクリワード自体がダメ過ぎる)ということが判明して、思い直してもう一度ZuluTradeの口座に資金を戻して設定をいろいろいじってみたのだが、夜になるまで一向にポジションを持たないので変だなと思ったら、VPS上のMT4の自動取引をオフにしていた。どうりで。たぶん昨日資金を引き揚げたときに自分でオフにしたのだろう。そういうことがまったく記憶にないから恐ろしい。

ドラマ「dele」を最終話まで見た。

いわゆるところのテレビドラマとしては非常によくできていたと思うのだが(実際面白かった)、自分にとってはボロ泣きした2話がクライマックスで、以降は徐々にトーンダウンしていった。それでも続編が作られたら見るだろう。今のところ金城一紀が絡んだドラマにハズレはない。

今日は4時に歯医者。一応医者には念を押しておいたが、新しく作る差し歯の色(妙に白かったら浮く)が気になって仕方がない。用賀の歯医者の場合はちゃんと色見本で色を確かめて作っていたがこの町の歯医者はそういうことを全然しないので。不安だ。

ところで、まったく予定のない10連休は何をしたらいいんだ? 相場は動いているが東京時間はたぶん手を出さない方がいいだろう。週末だしZuluも含めてEAはすべて停めておいたが。週明けから稼働させたら酷いことになるのだろうか。さて。10連休ってあまりにも長い。久しぶりに曲でも書くか、それとも小説でも書くか。

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欠落

4月25日、木曜日。

昨日一日で桜はほとんど散った。10時35分に起きて台所で朝食後の珈琲を飲んでいると、差し歯が取れていることに気づいた。以前何度も取れたことのある差し歯だ。しかし今回は取れた歯がどこにも見つからなかった。いつ取れたのかも分からない。もしかしたら寝ている間に取れて飲み込んでしまったとか。とにかく歯医者に電話して予約を取った。

午後、いつまで経っても答えが見つからないので諦めて同窓会のはがきの出席のところに丸をつけて、郵便局に行って会費の2万円を振り込み、はがきをポストに投函した。それからうじうじと後悔した。いざ出席にしてしまうと途端に行きたくなくなる。とうに忘れたはずの、忘れていなくても記憶の中とはまったく違う人たちにあれこれと今の自分を説明したくなんかない。何も訊かれたくないし答えたくない。たぶん誰もそんなことを望んではいないが、同窓会というのはそういうことしか話題がないのだ。大枚を払ってそんなところに行って、一体何がどうなるというのか。ただ恥ずかしい思いをするだけじゃないのか。僕が傷害で前科一犯であることをみんな知っているだろう。そしてそのことは誰も訊ねないだろう。記憶の中にだけとどめておけばいいものをわざわざ掘り返しに行くなんて。

一通りトレードをやった夕方に眠気が襲ってきて4時ごろに一時間ばかり昼寝をした。6時半ごろに母のところに行く。母の部屋でスマホのMT4を開くと、ZuluTrade(ミラートレード)のシグナルプロバイダーの一人(EA)が凄い勢いでポンドドルの買いのポジションを取って含み損になっていた。ポンドドルの買い? どの時間足で見ても下落トレンドにあるポンドドルを一体誰が買っているのか。完全な逆張りだ。案の定、見ている間に含み損は膨らんでいく。結局帰り際に全部のポジションを手動で損切りした。帰宅後、調べてみると驚いたことにポジションを取っていたのは設定でオフにしていたシグナルプロバイダーだった。唖然とする。200ピップスばかりの損切りで結局昼間ちまちまとプラスにした分を帳消しにされてしまった。そのシグナルプロバイダーはリストから削除はしたものの、設定でオフにしたものがポジションを取ってしまうということで一気にZuluTrade自体を信頼できなくなった。それで夜になって口座の資金を移動してVPS上のEAを2つ稼働させた。EAといえば、これまでずっと一度もポジションを取らなかったEAが、今日見てみたら深夜の間にポジションを取って決済していて少しばかりのマイナスになっていた。ようやっと動いてくれたということで、損をしているのに嬉しかった。これを書く直前にVPSをチェックしたら、今夜稼働させたばかりのEAがドル円を突っ込み売りして踏み上げられてマイナスになっていた。ストップロスがとんでもなく離れているので、一体どこで損切りするのかを確かめたいので放置してみる。

それはそうと、驚いたことに母のところで全部損切りしたポンドドルの買いポジション、夜になって反発して結果的にはプラスに転じていたことになる。がしかし、最大ドローダウン(負け)は500ピップスぐらいに一時なっていたはず。マメにチェックしていたら自分には耐えられなかっただろう。それにEAはどれだけ含み損を抱えていても平気で無限にナンピンするように思える。

今VPSを見てみたらさっきのEAはなんでこんなところで?と思えるところでナンピンして含み損が膨らんでいる。やっぱり自分にはEAは向いていないのかな。

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敗戦

4月24日、水曜日。

自分が確認できたところで日中は25度まで上がった。町中の桜が散り始めている。日中は相場のトレード。いつもの通りポジションを取る時間が早すぎるというか中途半端というか。気がつくと東京時間の一番動かないところでポジションを取っている。今日の場合はとにかくポジションを持っていると若干アドレナリンが出る感じがして、気がつくと2つの口座で9つのポジションを持っていた。今日は夜にACLの鹿島の試合があるのでそこまで引っ張れないのだが、持ってしまったものはしょうがない的な。幸いにして試合が始まる前、夕飯を食べている間にレートが戻ってきたので利食いできた。しょぼいけれど結果オーライ。

ACL、鹿島 0-1 慶南(韓国)。無念。またしても邦本にやられた。うむむむ。今日はレギュラーのセンターバックが二人とも出場停止で、本職のCBは出場経験のない高卒新人の関川郁万だけだったが、確かに関川は開始早々にやらかしそうになったもののそれが敗因ではなかった。むしろCBに入った三竿健斗は安心して見ていられた。今日の鹿島はとにかくミスが多過ぎた。攻撃の肝心な場面でことごとくミスしているようでは勝てるわけがない。前節もまったく使えないと思った小田逸稀を今日も右SBで使ったのは我慢して育てているんだろうかとも思ったが、やはりプレーは不安定でときおり攻撃でいいところを見せたりはするものの唖然とするようなミスをしたりする。期待のボランチ名古も今日はミスばかりが目立った。セルジーニョは先日の試合で決勝ゴールこそ決めたもののそれ以外では最近まったく精彩を欠いている。唯一前よりよくなったかなと思えるのは金森ぐらい。いずれにせよこんな出来では勝てないよな、という試合で憤懣やる方ない。

鹿島が負けたせいなのかそれとも昨日からパジャマを替えたせいなのか、夜になって背中に小さいぶつぶつができて痒くて死にそうになる。風呂に入ったらなんとか我慢できるようになったが。Zuluも今日は夜に微損切り。真面目な話、鹿島が負けてしまうとまったくやる気が失せてしまう。いまだどうしようか迷っている中学の同窓会、連休前に会費を払わなければならないので明後日までに結論を出さねばならない。ここはもう仕方がないので二万円をどぶに捨てたつもりで行くにしろ行かないにしろ出席の返事を出すしかないか。欠席と出して出席するわけにはいかないので。実際のところ、行きたいのか行きたくないのか皆目分からないのだ。いわゆるところのどちらでもない。例えば昔あと二年待ってくれなどと言ってから二十年以上が経過したえっちゃんに会いたいのかどうなのかもよく分からない。

それにしても暖かくなった。風呂上がりにナイトガウンを羽織らなくても平気なんて。ところで昨日からアマゾンのプライムビデオで見始めたドラマ「dele」、めっちゃ面白い。

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後の祭り

4月23日、火曜日。

今日は母の病院の日なので9時10分にアラームをセットしておいたら9時7分に起きた。こういうときにいつも思うのだが人間の体内時計というものは不思議だ。

病院では最初の皮膚科こそ待たされた(その間に入院費を払ってきた)がその後の心臓血管外科、歯科と思いの外早く呼ばれて思ったほど待たなくて済んだ。次は来月の21日にCTを撮り、6月の3日から入院して6日に手術という予定になった。特養から車で迎えに来たのが苦情担当の人だったので、つい昨日のことを打ち明けたらさすがに彼女も呆れていた。

今日は日中とにかく暑かった。病院からの帰りはクーラー全開という。スマホでは23度か4度になっていたが、体感的にはもっと暑かった。病院から帰宅後、自分にしては早起きしたのでまだ眠気が残っていたが相場のトレードを少々。

夕食後、ZuluTradeのシグナルプロバイダーのひとつがポンドドルの売りポジションをばたばたと取り始め、ナンピンで売り上がって最終的にはポジションを8つ取って含み損が150ピップス以上になったのでそれが気になって自分のトレードどころではなくなった。一番建値が悪いものをまず一つ手動で決済したが、今度は別のシグナルプロバイダーが例によってポンドドルの買いポジションをひとつ持ってしまったのでこれまた手動で決済。その後ユーロドルの下落につれてポンドドルも落ちてきて、なんとかトータルプラスになったところで手動で全決済してしまったのだがこれが大失敗。その後ポンドドルはなんと70ピップスぐらい一気に下落したので、そのまま持っていたら一体何ピップスのプラスになったことか。まあ後の祭りである。なんていうか、自分の力のなさをまざまざと見せつけられた感。そういえば以前もユーロドルで同じようなことがあった。つまり学習していない。

いまだに同窓会に出るかどうか決心がつかない。今日の病院で入院は6月3日からということになったので、同窓会は6月1日だから母が入院しているから行けないという理屈は成り立たなくなった。しかし出るにしても自分の中で何か理由がいる。ひとまず、誰に会いたいのかその辺をはっきりさせておきたい。じゃないとなんとなくは行きたくない。という具合に考えてみると、昨日まで思いつかなかったのだが高校のときに付き合っていたアサギに会いたいかなと。というか、なんで昨日までアサギのことを思い出さなかったのだろう? しかしそれはいいとして、アサギが同窓会に来なかったら? うーん、それにしても一体なんでこんなに悩まなくてはならないのか。同窓会の会費が2万円じゃなくて5千円とかだったらまったく悩まずに済んだものを。

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