スパイラル

1月21日、月曜日。

今日のところはなんでこんなに寝てしまったのかよく分からない。8時間半ぐらい寝ている。朝食後は雪かき。所要時間11分。とはいうものの、除雪車が入っていなかったのでそれほどの重労働ではない。がへばる。

アジアカップ、日本 1-0 サウジアラビア。まったくもって塩試合というか、ポゼッションが30%を切るという、ここまでボールを繋げない日本代表を見たのはいつ以来だろう? 相手がブラジルでチンチンにされてるとかいうならまだ分かるが、相手はサウジアラビア。特に後半になってからは一方的に攻められ、たまにマイボールになってもCBの吉田あたりが前方の誰もいないスペースに意味不明のロングボールを蹴ってまた相手ボールになるということの繰り返し。ひとつには前線の3人のミスがあまりにも多過ぎた。これだけパスミスをしていてはどうにもならない。確かに立ち上がりからサウジの選手が倒れると必ずファウルを取られるというジャッジが続いたというのもあるが、それにしてもサウジアラビアのボール回しの方が明らかにシュアだったし、まるで人数が多いかのようだった。今日の試合の柴崎は最近の中では比較的悪い出来ではなかったと思うが、如何せんボランチを通してパスを回すということ自体が極端に少ない試合だった。たまたま先制したので守るといっても、今日のサッカーではまるで格上相手に必死で守っているような試合だった。いろいろ謎が多い。

代表の試合以外は終日相場のトレードも、いつもながら苦手な月曜日、どうしても上手くいかない。たまたま上手くいくポジションを持ったときにはそうそうに諦めてしまうという悪循環。特に夜になってからはどうポジションを取ってもすべて裏目に出るという完璧な負のスパイラルに入ってしまい、久々にキレてファック!と叫んで机を叩いてしまった。こういうときというのは自分でも何をやっているのか分からなくなっており、ただ頑なに一方向に(つまりそのときのトレンドと逆方向に)ひたすらポジションを取っては損切りを繰り返す。昨日丸一日本を読んで勉強したことが役に立つどころか、かえって混乱して自分のスタイルを見失ってしまった。一度リセットして元に戻す必要がある。

そういえば今日は隣組長として先日配った健康診断の調査票を集める日、半分ぐらいの人は持ってきてくれたのだが、一人向かいの人だけ頑として出そうとしない。役場に29日までと書いてあるから自分で持っていくと言ってきかない。呆れ果てる。調査票に21日までと書いたにもかかわらず。これで向かいのおっさんはただの偏屈ジジイという評価が決定。まったくもって協調性というものがない。典型的な自分勝手な年寄りである。

それでもって明日は町内会のごみ当番、以前よりは回収の時間が遅くなったとはいえ、遅くとも9時には起きなければならない。まあアラームをかければなんとかなるだろう。

以下次号。

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真空地帯

1月20日、日曜日。

10時半に近所の人が先日配った健康診断の調査票を持ってきて起こされた。ありがたいんだけれど、寝起きの格好で対応はかなり恥ずかしかった。もっとも、昨夜寝たのが4時なので致し方ないが。

今日もまったく何の予定もなく、恐らくもっともヒマな日になるのではないかと思っていたのだが、先日本屋で見かけたトレードの本が気になってアマゾンで調べると、サンプルが読めるというのでKindleでダウンロードして結局丸一日本を読んで勉強していた。サンプルは半分ぐらいなので、夜になってサンプル分を読み終わった後にKindle Unlimitedの無料体験を開始。というのもこの本がUnlimitedで読める本だったから。今日は他に特筆することもなく。今日から雪の予報だったが雪かきをせずに済んだ。しかしながら母のところから帰る7時半ごろには雪が本降りになり、そのまま一晩中降り続けば明日の朝は雪かきだろう。それにしても最近とみに思うのだが、読解力・記憶力が落ちていて本を読むのが遅い。なかなか頭に入らないのでさくさく読むことができない。で、読んだところを自分が覚えているのか自信があまりない。なんだか頭が茫洋としているようで、昔に比べると脳内のシナプスがぶちぶちと途切れてスカスカになっているようで。いずれにしろ丸一日読んでいたわけだから少しは実になっていると思いたい。

そういえば昨夜、ツイッターとフェイスブックの写真を近影に変更。あまりにも古い写真ではなんだか気が引けるので。

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For That Once

1月19日、土曜日。

というようなことが昼近くに起きた後あったが、業務から引退した今、何の予定もない土日ほどヒマな日はない。することがないというか思いつかない。曲を作るだの文章を書くだの、恐らくなんかしら生産的な行為はやろうと思えばできるはずなのだが、生憎そっちのベクトルに頭が働かない。前述の人が本当にDTMを教えて欲しいと言い始めたら(大概の人は二度目の電話はかかってこない)と考えて、なんとなく机回りとかを片付け始めたのだが、何しろ架空の話なので身が入らない。前回(数年前だ)音楽を教えて欲しいという人と会ったときに、名刺がないとこういうときに格好がつかないなと思ったことを思い出し、名刺でも作ろうかと思った。昔自分で作ったことがあるのでまずWordを立ち上げた。で、テンプレートの「名刺」という奴をクリックすると、なんとそのカテゴリーは削除されましたという表示。唖然。とりあえず「名刺」でググってみる。で、そんなかのひとつでテンプレートを選んで自分でレイアウト、デザインできるものがあったのでなんとなく名刺を作り、100枚注文してしまった。なんてこった。考えてみると田舎の実家に戻ってそろそろ丸六年になるが、その間に名刺があったらよかったなと思ったことは2回しかなかった。今後の6年間に2回以上そういった機会があるとは思えない。そう考えるとひどく馬鹿げたことをやった気がした。しかしながらオンラインで自分でデザインしてそのまま注文できるのは確かに便利だなとも。

名刺を注文したはいいが、その後の予定は何もない。さて、何をしたものかと思い、なんとなくフェイスブックの自分の書き込みをさかのぼってみた。一体何年前から始めたのかもう忘れてしまったが、恐らく2011年とかその辺りだろうと。ツイッターを始めたのもその辺りだったから。で、実際さかのぼっていくと当たり前だがさかのぼればさかのぼるほど書き込みの頻度が増えていく。悪性リンパ腫になった2012年は随分書き込んでいるなと思ったら、その前の年の2011年はもっと書き込んでいた。結局、それだけで丸一日かかってしまった。一体俺は何をやっているんだろう?的な。しかしながらひとくちに7年といってもこうやってひとつひとつさかのぼっていくと生半可な時間ではないんだなということに気づく。YouTubeじゃなくフェイスブックだけにアップした動画も多いのでいちいち再生してみる。そうすると、例えば今日の日記のタイトルになっている曲を自分が学生時代に書いたなんてことをすっかり忘れていたことに気づく。そして、2011年にイタリア在住の同級生女子のビビのために書いた「J-POPのおすすめ」が圧巻だった。なんと25まであった。改めて今読んでみると、7年前の自分は今よりも遥かにボキャブラリーがあったことに気づいて愕然とする。つまり、7年かけていかに自分のボキャブラリーが減ったかに愕然とするのだ。この日記をずっと読んでいる人(そんな人がいればの話だが)なら分かるだろうが、最近の僕の文章はというと、「それはともかく」とか「そんなわけで」とか「それはそれとして」とかしか書いてない。それこそまるでテンプレートのように。それでいて文章の中身はスッカスカになっている。まるでひからびた果実みたいに。それが、ちょっと7年ぐらいさかのぼってみただけで、果汁がたっぷり詰まっているのだ。

フェイスブック離れしてから随分経つけれど、こうして改めて自分の書いたものをさかのぼっていくと、それぞれの書き込み自体はそれなりにどうでもいいものばかりだけれども、何かを書き込むにはそれなりの理由や背景があるわけだから、それがいちいちフラッシュバックしてきて面白い。ああ俺はこんな人間だったのかみたいな発見がある。例えば最近思い出してツイッターで書いたようなことはすべて、数年前にフェイスブックに書いているのだ。ということはつまり、一度思い出したことを忘れてもう一度思い出す、というようなことを人間は繰り返しているのだということが分かる。そんなことが分かって一体何が面白くて何がどうなのだという気がしないでもないが、すっかり遠ざかってしまったフェイスブックで、かつては同級生やサークルの後輩と密にコミュニケーションを取っていたこともあったのだなということが、なんか違う自分を発見したような気がするのだった。

なんだか随分遠くまで来てしまったような気がする。

ひとまず今日は予想外に雪かきをせずに済んだけれども、天気予報によると明日から一週間ずっと雪だという。マジか。

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吹雪く世界

1月18日、金曜日。

というわけで雪かきも、除雪車が入っていなかったので所要時間11分だがそれほど大変ではなかった。県立中央病院に連絡して母の治療を進めてもらう旨を伝える。これでもう後戻りはできない。いや、もしかしたらできるのかもしれないがしない。

今日はとにかく寒かった。ごみが溜まったので午後3時過ぎにごみ処理場に持って行ったのだが外の気温は0度。4時半過ぎに母のところに行ったのだが、帰るときには凄い吹雪になっていた。

なんとなく蕎麦が食べたくなって、早めに夕食を摂ることにして吹雪の中を蕎麦屋に向かうが、悪天候のせいか6時前なのに蕎麦屋はもう閉店していた。頭がすっかり外食になっていたのでそれではというのでラーメン屋に。そんなわけだから一週間と開けずにまたラーメンを食べることになった。

それはいいのだが、後ろの席に座ったおじさんが爆中華の大盛りを頼んでいて仰天、ついまじまじと見てしまった。何しろ先日普通盛りでもとんでもない量で食べても食べても減らず、もう二度と頼まないようにしようと思ったくらいなのだが、それの大盛りだから見た目からして凄い。で、僕が食べ終わるころにそのおじさんはなんと完食していた。とても同じ人類とは思えない。あんな2メートルぐらいある(ウソ)尋常じゃない量のラーメンを食べて、果たしておいしいのだろうか?

夜、アマゾンのプライムビデオで韓国映画「アジョシ」を見た。

まあその、B級映画の習いでキャラクターやらプロットに疑問を抱かず肯定的に見ればそれなりに楽しめる。韓国映画特有の非情な暴力シーンもサービスたっぷりなのだが如何せん、主役を演じている俳優のルックスに頼る部分がほとんどで、本来であれば物凄くクールでなければならないはずの主人公が泣いちゃったりしたらやっぱりダメだろうと思うわけで。それで非情さもセンチメンタリズムもどちらも過剰だからそもそもバランスの取りようがない。こういう映画は途中で「え?なんで?」とか思った途端に極端に陳腐なものに変じてしまう。恐らく「レオン」の韓国版を狙ったんだとは思うが……。

明日も雪かきは決定。除雪車が入らないことを祈る。

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贖罪

1月17日、木曜日。

今日は自分の方から電話をかけようと思っていたのだが、夕食前に弟の方から電話がかかってきた。二人で話し合って、結果治療を受けることにした。自分の意見も同じだし、これはこれで間違ってはいないと思うのだが、もしかしたらこれからの自分の人生を左右することを決めてしまったのではないかと少し怖くなった。何かをしないことよりも何かをすることの方が勇気がいる。自分に勇気があるとは思わないが、どうすべきかと考えた上でのことだ。とにかく問題は解決したのだ。あとは祈るだけ。

10時6分起床。朝起きたときから外は雪が降りしきっていて、昼頃に小やみになったときはあったのだが基本終日雪は降り続いた。日中はそれでも積もらなかったのだが、夜玄関の鍵を閉めるときに外を見たらもう積もっていたし、いずれにしても明日の朝は雪かきだろう。

そんなわけでアジアカップ、日本 2-1 ウズベキスタン。日本は完全ターンオーバーでまったくのBチーム。正直なところ今日負けてグループ2位だったとしてもどうってことはなく、そういう意味では代表の公式戦なのに見ていてまったく緊張感はなかった。結果的に逆転して勝てたのはよかったけれど、先制された失点の場面は相変わらずいただけない。今日は乾の調子の悪さが目立った。それと北川はオンターゲットのシュートがひとつあったものの、やっぱりポジショニングがよくないのだと思う。それ以外のシーンではほとんど存在感がなく。今日の試合で何か収穫があったかというと主力を休ませることができたというただそれだけのような気がする。

それはそうと夜、代表の試合を見ようと茶の間でコタツに入った途端に電気もテレビも消えたので停電かと思ったが隣の家の電気は点いていたのでこれはブレーカーが落ちたのだろうと、台所から去年買ったLEDの懐中電灯を持ち出してみたところやっぱりそうで、ブレーカーを上げたら回復。書斎のエアコンを入れたままでコタツの温度を上げたせいだと思う。それにしてもLEDの懐中電灯を買っておいてよかった。お陰で慌てずに済んだ。

今日はとにかく一日中寒かった。日中でも1度とか。

ところで僕らは本当に間違っていないのだろうか? 果たして正解というものは存在するのだろうか? 何度も書いているように、自分の人生を振り返ると、ありとあらゆる岐路で常に間違った選択をしてきたような気がするのだ。正解とはなんだろう? そんなものがあるとすればの話だが。

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罪と罰

1月16日、水曜日。

弟から電話はなかった。昨日弟に散々悪態をついたことで夜になってから凄い嫌な気分になった。自分こそが弟を苦しめているのではないかと。もう10年ぐらい前か、もっと前か、電話で言い合いになり弟が珍しく泣いてしまったことがあった。あれ以来弟が泣くところを見ていない。なんだかんだ言っても僕らはたった二人の兄弟だ。

昨日の難題はもう自分の中では答えが見つかった。だから今日は弟に電話しようか迷ったのだった。ヒントは自分の書いた日記の中にあって、今回の問題のポイントはたったひとつしかなくて、それは「母の足は治療が可能である」というその一点だけなのだった。つまり、もし治療ができないということであれば問題や議論にすらならないのである。だから治療が可能だということだけでもありがたいと思わなければと思った。一旦そう思うと、目まぐるしく頭の中を堂々巡りしていたものがすっと収まった。これで自分の意見は決まったので、あとは弟次第。もし弟がどうしても治療はしない方がいいと言うのであれば治療はしないことにしようと思った。どうして今日弟に電話できなかったのか、できれば弟に自分で考えて答えを出してもらいたいという気持ちもあった。明日は弟に電話することにしよう。いつまでも悩ませることはよくない。かわいそうだ。

昨日早起きした影響なのか、今朝は9時27分と比較的まともな時間に起きたのだが、眠くて結局昼頃に昼寝をしてしまった。午前中雪がちらついていたが、午後になってから晴れた。

今日のトピックとしては鹿島の背番号が決まり、弱冠19歳の安部裕葵が10番になってびっくり。いずれはなると思っていたがまさか今年とは。

それにしても、こんな気持ちになるんだったら今日弟に電話すればよかった……。

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怒り

1月15日、火曜日。

久しぶりにキレた。怒髪が天を衝いた。

これは順を追って書いていかないと訳が分からないとは思うけど、僕が頭に来たのは弟が母のことをまず考えなければならないときに親戚の話などを持ち出したからだ。物凄く難しい問題だからこそ一生懸命に母のことを考えなければならないときに、こともあろうに親戚の意見を聞くなどということをまるでナイスアイディアであるかのように口に出した弟が許せなかった。僕が聞きたいのは弟の意見であって、考えなければならないのは母のことであって親戚の機嫌取りなどを考えている場合ではない。こいつは本当の馬鹿なのかと思った。親戚に相談するということは単なる責任逃れにしかならない。ただ単にことをややこしくするだけ。それがこいつには分からないのだろうか? 一体全体、57年間も生きてきて、30年以上銀行を勤めあげて、その挙句がこれなのか? これが真っ当な人間の意見なのか? 呆れて物も言えない。あまりにも頭に来たので、自分で考えないと一生後悔するぞ、と母の部屋でスマホに向かって怒鳴った。

あまりにも怒り過ぎて、夜はその怒りをどうやって収めたらいいのかに腐心した。まずもって僕自身すら怒りのあまり母の治療について考えられなくなっており、そのこともまた腹が立つという相乗効果。怒りのスパイラル。どうしたら頭を冷やせるのか分からず、つい数年ぶりにHに電話をかけてみたのだが発信音が鳴らないのでビビッてすぐ切ってしまった。こういうときはもうしょうがないので、一旦まったく別のベクトルに頭を向けるしかない。それはつまり母のことを考えないということでもあり。まったくなんてこった。

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いまさらながら順を追って話すと、朝8時50分にアラームで起きて10時前に病院に向かって10時半ごろには病院に着いてしまった。なので煙草を一本消化。2階の外科受付に行くと特養の職員がいた。番号的に1時間ぐらいは待たなければならないと思っていたのだが、意外と早く呼ばれた。で、医者の話というのはこうだった。

母のCTのデータを大分の血管に詳しい先生に見てもらったところ、動脈と静脈が穴が開いて繋がっているところが複数個所あるという判断。それで、治療としてはカテーテルを使って穴を塞ぐという治療が可能だがそれは大分から先生がやってきて行う。治療しますかどうしますか?

と、簡単に言えばこういうことなのだが、判断が難しいのは治療にはリスクが伴うということ。まず全身麻酔をしなければならないし、合併症を併発する恐れがある。それと内出血してしまうとそれが止まらない恐れがあり、そうすると別途手術をしなければならない。そして、治療をしたからといってよくなるという確証はない(前例がないので)。しかしながら治療をしなければ徐々に(むくみと傷が)悪くなる。最悪足を切断しなければならなくなる可能性がある。とはいうものの、前述の合併症や内出血を起こして手術した場合、その傷が治らないという可能性もある。治療する場合最短で一週間から二週間の入院が必要だが、もし合併症や内出血を起こした場合は延びる。そして、基本的には今母のいる特養は3か月以上病院に入院した場合には退所しなければならない。あとで職員に訊ねたところ、厳密に3か月というわけではなく退院の目途がある場合は猶予があるということだが、もし入院が4ヶ月とか5か月と延びた場合にはやはり退所しなければならない。

治療しなければ悪くなる。治療すればよくなる可能性があるが、もっと悪い事態になる場合もある。

もはや究極の選択である。医者が分からないものに対して素人が正しい判断を下せるわけがない。これはもうある種のギャンブルのようなものだ。どれが正解なのかまったく分からない。結局のところ、どちらを選んだにしろ、結果が悪ければ間違いになってしまう。しかしその結果を事前に知る方法も推測する方法もない。考えれば考えるほど、どれがリスクなのか分からなくなってくる。

一言でいうと僕は追い詰められている。親戚に相談なんてことをして事態をこれ以上ややこしくして誰かに責任転嫁している場合ではないのである。

そんなわけだから僕が一杯一杯になるのももっともなことで、挙句煙草をバカスカ吸って気分が悪くなってしまうのも無理はない。と思う。

考えようによっては治療の方法があるということだから、まるっきりお先真っ暗のどん詰まりという話ではない。医者という職業の習いとして、現時点ではまず都合のいい話ではなくて都合の悪い話、最悪の事態をあらかじめ話しておく必要がある。それがことを難題にしている。ちなみに医者の意見としては治療した方がいいと思うと言っていたが、それはレアケースなので当たり前だと思う。論文のひとつぐらい書ける機会だと思っているのだろう。

しかしいくら頭に来て怒りが収まらないとはいえ、こういうときに誰かに電話したくなるというのは、恐らく単に自分を追認して欲しいと思っているだけなんだろう。

頭の痛い日々が続く。ところでいい話もあって、ようやくメールを受信することができた。分かってみるとなんのことはない、メールソフトのアカウント設定で、ユーザー名をメールアドレスにするだけで解決した。レンタルサーバのサポートからのメールでようやっとそれに気づいたのだが、今までなんでそこに気づかなかったのだろう?

以下たぶん次号。

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真夜中に海がやってきた

1月14日、月曜日。

タイトルはスティーヴ・エリクソンの小説で今日の日記には何の関係もない。備忘録的なもの。以前読んだのだが日本を舞台にしているということ以外は忘れてしまった。

明日母の今後の治療方針を相談するということで県立中央病院に11時まで行かなければならないので、今夜は早く寝なければというプレッシャーが。とはいうものの雪さえ積もらずに道が混んでいなければ車で35分ほどで到着するので、9時に起きれば大丈夫だとは思うのだが、今日も起きたのは10時半過ぎ、警戒するに越したことはない。まあアラームをかけるので2時までに寝れば。

今日は高校サッカーの決勝、青森山田 3-1 流経大柏。どちらを応援したものか微妙だったが、ひとまず流経大柏の鹿島内定の関川郁万に注目することに。すると、その関川がコーナーキックから高い打点でヘディングのゴールを決めて先制、これは凄いと思ったのだけれど、終わってみればやっぱり青森山田が強かったなという試合だった。とはいうものの、関川のDFとしての資質は非常に期待できる。今から楽しみ。いずれ代表に選ばれるのは間違いないと思われ。

日本が祝日ということで相場のトレードは様子見程度。4時半過ぎに母のところに。また名前を書かせてみると今日の母はかなり上出来に書くことができたので、例のひらがなや漢字を忘れた云々というのも日によって波があるのだなと。夕食後の夜はふとしたはずみでYouTubeで日本在住のイギリス人ユーチューバーの動画を見始めたらこれがやたらと面白くて、延々と見てしまった。そもそものきっかけは米沢の温泉に泊まったという動画を見たことだったのだが。

明日は前述の病院に行くほか、15日なので町報を配って町内会費を集めなければならないので日中は恐らくほとんどトレードできないものと思われ。以下略。

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骨と沈黙

1月13日、日曜日。

午後はトレードツールの設定。4時に精神科の予約も電話すると4時半に来てくれというので4時半に行くとそこからさらに小一時間待たされた。実際のところ、精神科といってもただ世間話をしてきて睡眠薬や安定剤、それと内科の薬をもらってくるというだけになっている。少なくとも何かの病気を治療しに行っているという感覚はとっくにない。

そんなわけでアジアカップ、日本 1-0 オマーン。まったくもって塩試合だった。試合後、ツイッターでは原口のPK獲得は誤審、長友のハンドを見逃したのも誤審ということで、ジャッジが正しければスコアは逆になっていたという意見が散見された。確かにジャッジに関してはそうなのだが、実際には原口がPKにならなかったらオマーンの決定機もまたなかったことになるのでスコアが逆になるわけではない。たらればの話が常に怪しいのはそういうところだ。何かひとつでも事実が変わればその後も変わるはず。日本がPKを逃していたのであれば恐らくスコアレスドローとかそんなところだろう。

いずれにせよ、前回のトルクメニスタン戦といい今日の試合といい、今の日本代表は本番前の親善試合のマッチメイクに問題があるんじゃないかというところが明確に。大会前は優勝して当たり前みたいな雰囲気すらあったが、蓋を開けてみるとこれ。ひとつには核となる柴崎の不調がある。中島がいたらどうかという仮説はこの場合あまり意味がなく、むしろ今日の試合で明らかになったのは大迫の代わりがいないということ。前線でポストプレーができて足でも頭でも点が取れるとなると、今日だったら南野がそれに一番近いプレーをしていたが、オンターゲットのシュートはことごとくGKに止められたし、大迫のようなポストプレーができていたかというとそうではない。その意味では、今の日本の選手で大迫の代わりになる可能性があるのは鈴木優磨ぐらいだと思う。だからこそ今回怪我で呼べなかったのは痛い。どのみち、この先も大迫がいないとこんな試合になるのかと思うと、あまりにも大迫に頼る部分が大き過ぎて頭を抱えざるを得ない。

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悲喜

1月12日、土曜日。

何気なく今日もメールクライアントのThunderbirdを立ち上げてみたところ、受信欄にずらずらっとメールが表示されてようやく直ったのかと安堵した。ところがついさっき、読み込んだメールをいらないものを削除していってみると、実は今回読み込んだのは昨日までのメールで、今日のメールは受信されていないことが判明。それではなんで昨日までのメールは読み込めたのかということすら疑問に思えて結局一喜一憂しているに過ぎない。

日中は茶の間のコタツで高校サッカーの準決勝を2試合続けて見た。最初は青森山田対尚志。青森対福島ということでどちらも東北だし、どちらを応援したものか迷う。青森山田は柴崎の母校であるが強いことは十分分かっている。どちらとも決めないまま試合を見始めると、確かに個の力は青森山田の方が上かもしれないがむしろ尚志の方が前半からいいサッカーをしていてなんとなく尚志を応援することにする。試合はシーソーゲームとなり、驚いたのは尚志の2年生フォワードの染野がハットトリックを決めたこと。あまりにもいいフォワードでびっくり。しかしながら結局青森山田も追いついて3-3となりPK戦、青森山田が勝ち上がった。それにしても染野は凄い。鹿島に来てくれないものかと。

次の試合は流経大柏対瀬戸内。これまたどちらを応援したものか迷う。瀬戸内は安部裕葵の母校だし、かたや流経大柏には鹿島内定の関川郁万がいる。ここはひとつ、やはり関川くんのいる流経大柏を応援することにする。瀬戸内の試合は見たことがあるが、流経大柏の関川を見るのは初めて。試合が始まると、さっきまでの青森山田と尚志の試合と比べると瀬戸内のポゼッションサッカーはスピードがないボールを回しているだけのサッカーに見える。レベル差を感じた。試合は一方的な展開になり、流経大柏がこんなに簡単に点が取れるのかという試合になってしまい5-0という大差がついてしまったが、これは力差の通りだと思う。ヘディングでゴールも決めた関川はその面構えや佇まいからして既に鹿島のDFのような風格があり別格だった。イエローをもらったことと早々に試合が決してしまったので後半に交代してしまったが。

2試合を続けて見たあと、そのままコタツでうたた寝をしてしまった。気がつくともう日が翳っていた。6時半ごろに母のところに。今日も母に名前を書かせてみたのだが、先日はひらがなを忘れたと言っていた母だが、今日は最初からひらがなで名前を書き、漢字で書いてというと漢字を忘れたという。最初は漢字の「漢」を書こうとするなど、漢字で書くという概念すら忘れてしまったように見えた。こうして母が衰えていくのを見るのは辛い。

母のところの帰り、今日は米を炊いていなかったし、最近夜中にYouTubeでラーメンの動画を見たりして無性にラーメンが食べたかったので夕飯はラーメン屋へ。

帰宅後の夜はBSで「スピード」を見たのだが、吹替の映画を見るのは久しぶりで実に奇妙な違和感が。声優のキャラクターが俳優とまったく合っていない感。その後TVerでドラマ「メゾン・ド・ポリス」の第1話を見てみたが、これがなんともお粗末なドラマで。作為感全開でまるでリアリティというものがない。いまどきのビデオ撮影というかHD撮影はセットでの撮影があからさまにセットに見えるので、俳優たちの演技がいかにもわざとらしく見えてしまう。手塚理美や西田尚美が年を取るとこうなってしまうのかという衝撃も。女優でも年を取るとこんなに容色が衰えるのかと。ましてや自分の見た目が老けるのは実に当たり前なことなのだった。実際、自分でも物凄く老けたなあと思っているのだが、先ほど風呂上りに洗面所でドライヤーをかけていると、鏡に映った自分が案外とハンサムに見えて何事かと。光線の加減なのかどういうことなのか。スマホで自撮りとかするとものの無残に老け込んでいるのだが……。自分で見るときというのは主観というフィルターを通して見ているので、いい方にも悪い方にも極端に振れるのかもしれない。考えてみると自分自身を客観的に見る機会というのは存外に少ない。思い込みというフィルターの存在も大きい。

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