氷の世界

1月14日、木曜日。

とにかく寒い。母のところに顔を出した7時ごろには氷点下。帰ろうとすると屋外の駐車場に停めていた車のフロントガラスが凍って前が見えない。ワイパーでは駄目なのでエアコンをかけて融けるのを待つ。それぐらい寒いしときおり雪がちらつくものの、不思議なことにいまだに雪は積もらない。

昨夜寝たのは3時過ぎ、今朝起きたのは9時半ごろなので若干睡眠は足りず。朝食後は少々相場、上海市場が開くタイミングでバイト代程度を稼いでから今日も業務。まったく、煙草はもう売るほどあるというのに。

帰宅後眠くなりコタツで少々昼寝。それはいいのだが、台所の暖房をつけっ放しにして出かけてしまっていた。危ない。

先日のデヴィッド・ボウイに続いて今日はアラン・リックマンの訃報。僕にとってアラン・リックマンは「ダイ・ハード」の印象が強く、ハリー・ポッターは見たことも読んだこともないのでなんとか先生のイメージはない。

夕方から取った相場のポジションを夜に利食い。少々ちびって消極的かなあとは思ったものの。

アマゾンのプライムビデオでロブ・ライナー監督「ミザリー」を見たけれど、もしかしたら見るのは二度目かもしれないが、スティーヴン・キングの書く話というのは結末の想像がついてしまう。だから映画化しやすくてアメリカ人受けするのかもしれないが……。

昨日辺りから脇腹というか左のあばら骨の辺りがちくちく痛む。運動不足解消のためときどき空手の正拳突きをしたりするので筋肉痛かもしれない。日中は目を動かすと左目がちょっと痛い感じがして、弟同様に緑内障になったのかとビビる。

先日書き始めた小説はどうにも気に入らなくて頭の中であれこれいじって考えるものの進まず。アイデアが出て来ないのでファイルを開く気にもなれない。

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うーん

1月13日、水曜日。

気がつくと6日連続業務。我ながらそんなに煙草ばかりためてどうするんだという感じなのだが。日中相場に乗り切れないとみると業務に行ってしまう癖がついている。相変わらず寒いがいまだに道路に雪はない。嘘みたいだ。

というわけで夜はサッカー五輪予選、日本×北朝鮮。序盤にコーナーキックから植田が合わせた虎の子の1点を守り切った形でなんとか1-0で勝ったものの、試合内容は酷い。どういうサッカーをやりたいのかまったく見えてこないし、1点リードしていて終盤ボールキープも満足に出来ないなんて。そもそもこの手倉森ジャパン、関根や鎌田を選ばなかった理由がまったく分からない。このメンバーでこんなサッカーをやっているようではよしんば五輪に出場出来ても本番では1勝も出来ないだろう。今日の試合とて、相手がヨーロッパや南米のチームだったら間違いなく3点は取られていた。確かに日本は伝統的に北朝鮮に苦戦する傾向はあるけれど、見ていてストレスが溜まることこの上ない。特に前線は頼りなく、得点の匂いがするのは久保ぐらい。南野は代表に呼ばれるとぱっとしないというかいいところがまるでないのは何故か。

そんなわけだからこのU-23には失望ばかり覚える。せめてもっと見ていて楽しいサッカーをしてくれるのならともかく。

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オーケストラ!

1月12日、火曜日。

久しぶりに映画を見て泣いてしまった。

確かに僕は涙もろい。テレビのドラマを見ていてよく泣いてしまったりする。しかしここ最近でいうと映画を見て泣くのは実に久しぶりだ。それもお涙頂戴のストーリーではなくて、コメディ映画で。

というわけでラデュ・ミヘイレアニュ監督「オーケストラ!」を見たのだが、まずヴァイオリニスト役のメラニー・ロランがあまりにも美人なのに驚いた。世の中にはこんなに綺麗な人がいるんだ、とびっくりするレベル。

この映画はかつて天才指揮者と呼ばれていたロシアの清掃員がパリのコンサートで成功を収めるという、ネタバレしても一向に構わないようなお定まりのサクセス・ストーリー。ある意味馬鹿げたコメディ映画である。最後の演奏会の場面、調子っぱずれで始まった演奏が見事な演奏に変わっていくというのも実に予想通りの展開。しかしこのラストのチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲、メラニー・ロラン演じるところのソリストのヴァイオリンがあまりにも素晴らしく、それにつられてオーケストラが見事な調和をかもしだすというのもまったく予想通りの展開なのだが、ヴァイオリンのソロが始まったあたりからじわじわと目が潤んできて途中から涙が止まらなくなってしまった。一体俺はなんで泣いているのだろうと自分でも不思議に思ったが涙が止まらないのである。それは恐らく、途中から息がぴったり合っていくオーケストラとヴァイオリンの演奏が圧巻であるからだろうと思う。

かつて高校時代にテニス部の悪友と二人で授業をさぼって見に行った「砂の器」を見てラストの演奏会のシーンでボロボロに泣いた覚えがあるのだが、「砂の器」の場合は演奏に回想シーンが重なってそれが泣かせる。つまり「砂の器」はお涙頂戴のいかにも泣かせるような造りになっていたのだが、「オーケストラ!」も確かに回想がかぶってはくるのだけれどどうもそれで自分が泣いているとは思えない。あまりにも見事な演奏に感動して泣いている、つまり純粋に音楽に感動して泣いているのだと思った。それもクラシックで。正直意外だった。なんつーか、チャイコフスキーにここまで感動したことはなかった。

見終わった後でアマゾンのレビューを見てみると、僕以外の人たちもどうやら泣いているようでちょっと安心。しかし、一応前述のように分析してはみたものの、いまだに自分が何故あんなにボロボロ泣いてしまったのか、よく分からないのだった。なんだか知らないけれど万感胸に迫るものがあった。この世の人とは思えないぐらいに綺麗な人があまりにも素晴らしい演奏をして、オーケストラもそれに呼応するという演出にまんまと乗せられたのだろうか。そうであるにせよ、映画を見終わって、なんか素晴らしい体験をしたような気分。

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今日の山形の最高気温はなんと2度、寒かった。もう少し北の方にある新庄では最高気温が氷点下だったらしい。そんなわけだから雪もちらついて夕方以降は結構な勢いで降ったりしていたが、何故か今年は積もらない。道路には雪がない。明日以降も冷えるらしいからもしかしたら積もるのかもしれないが……。

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ボロボロ

1月11日、月曜日。

今日は相場でボコボコに大敗、ぐうの音も出ない。我ながらなんで最低限のルールを守れないのか頭が痛い。深夜までじたばたしたのだが……。本日は日中業務でもボコられる。

朝から雪景色、寒い。今日はデヴィッド・ボウイが亡くなってツイッターのタイムラインはそれ一色になった。僕はボウイは好きでも嫌いでもなく、これといった思い入れはないのだけれどさすがに驚いた。デヴィッド・ボウイは人間ではないという印象(たぶん昔のアルバムのイメージだろうと思う)があったので、ガンで死ぬというのは意外だった。

今日はなんだかボロボロなので手短に済ませる。煙草だけが増えてしまった。

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執筆

1月10日、日曜日。

昨夜は具合が悪かったのでいつもより気持ち早めに寝たので、今朝は8時半ごろに起きた。毎日夢を見る。今日はビートルズのライブを見る夢を見た。とはいってもビートルズはもう2人しかいないし、途中ピアノを弾きながら歌っていた日本人が泣き崩れたのでカバーバンドのライブだったのかもしれない。

ともあれ、朝起きてみると外はうっすらと雪景色になっていた。雪かきをするほどではなく、日中粗方融けてしまったが。別に雪かきをしたいわけではなく出来ればしないですめば有難いのだけれど、もう1月も10日になるのに山形に雪がないというのはどこか気味が悪く、今の時期は雪景色の方がむしろほっとする。

近ごろ午前中を持て余して何をしたらいいのか分からなくなるので業務に行ってしまう。今日も午後の3時過ぎまで業務。気がつくと今週は一週間のうち5日も業務に行っていて、煙草がやたらと溜まる。

二三日前から久しぶりに小説を書こうと思っているのだがアイデアがなかなかまとまらず、というかプロットが浮かばない。午後業務から帰宅してからもプロットを考えたのだがまったく思いつかない。夕方には完全に煮詰まってストレスが物凄いことになり、半ばやけを起こして書斎のソファで毛布を被る。もう寝ながら考えようと思い、寝るのだったら寝てしまってもいいと思って。実際、あれこれ考えても一向にひとつの小説としてのアイデアにはならず6時近くまで小一時間うとうとしてしまった。あまりにも書けないので自分に失望というかほとんど絶望した。このときは本当に心底煮詰まっていた。

夕飯前に母のところに行くと、今日の母は比較的喋った方で最近の中では元気と言ってもよく、話すこともとてもまともで調子がよさそうに見えた。

母のところから帰宅後に昨日スーパーで買ったスペアリブを焼いて夕飯も、焼き方がダメだったのかほとんど火が通ってなくて中は生肉同様、牛ならともかく豚の生焼けというのもぞっとしない。食べ終わった後でクックパッドを見るとやはり焼き方が足りなかったようだ。

その後アマゾンのプライムビデオでエルモア・レナード原作のバリー・ソネンフェルド監督「ゲット・ショーティ」を見た。滅茶苦茶面白かった。これで煮詰まっていた気分が大分晴れる。この手の役柄をやらせるとジョン・トラボルタは抜群にいい。レナードの書く話は気が利いていてやっぱり面白い。

気を取り直したところで、11時近くになって小説を書き始める。まだ全体のプロットはない。ゼロだ。だが、思いついたシーンだけを書いていく。冒頭の数枚を書いた。この先どうなるかはまったく分からない。続きを書けるかどうかも分からない。だが、夕方まで一行も書けずに煮詰まっていたことを思えば、途中で投げ出す結果になったとしても何もしないよりはましだ。

そんなわけで気がつくと1時を回っていた。予報ではしばらく雪ということだが、さて明日以降はどうなるのだろう。

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一回休み

1月9日、土曜日。

風呂上がりに急に調子が悪くなったので本日の日記は一回休み。胃がむかついて気分が悪くなり、頭に鈍痛。やっぱり風邪気味なのかな。

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宝船の効用

1月8日、金曜日。

先日初夢用に折った宝船(厳密に言えば帆掛け船)をずっと枕の下に置きっ放しのままなのだが、それ以来毎日何かしらいい夢を見る。残念ながら具体的な内容は忘れてしまったが今日もそれなりにいい夢を見た。もちろんこういうことは単なる気のせいなのだろうけど、それでも無意識下に枕の下に宝船があるといい夢を見ると思っていればプラセボ効果というか、何かしら効果があるのではないかなどと。

朝起きてみると外はうっすらと雪が降った跡があった。しかしそれも日中にはすっかり融けてしまう。だが寒いことは寒く、母のところで天気予報を見ると今日の最高気温は5度だったらしい。もう1月も8日になるというのに、まったく雪がないというのはどこか気持ち悪いというか。しかしながら天気予報によると今晩は明け方にかけて雪になるらしいし、明日以降は寒くなって雪の予報だ。別に雪かきをしたいわけではないが、一応冬なんだから雪があった方が気分的には落ち着くというか。

今日は頭痛こそなかったものの、また母のところに顔を出すころには気分が悪くなり、やはり多少は風邪気味なのかもしれない。今日は母に先日山形の病院でなんて言われたんだっけと訊かれてどきっとした。血の巡りが悪くなっているので怪我をすると治りにくいから、痒くても足を掻いてはダメだということだよ、と説明しておいた。まんざら嘘ではない。さすがに怪我をすると足を切らなければならないかもしれないとは言えない。

今日は夜に雇用統計があるので日中は相場に手を出しずらく、なんとなく業務に行ったもののただ苦労して元に戻しただけに終わる。結果的には相場もそんな感じで、結局年を明けた今週はうだうだしただけで週明けのプラスを一週間かけて多少減らしただけに終わった。

そんなわけで佐藤正午「アンダーリポート」読了。

とても巧緻に構築されているのだけれど、あまりにも周到にプロットが組み立てられ過ぎている感じが多少する。「Y」「鳩の撃退法」と佐藤正午を読んできて、構成がちょっと似ているのだ。どれも頭の中に結末ありきで書き始められていて、それはそれで見事なのだけれど、ツイートにも書いたようにちょっとパターン化している気がする。音楽でいえばソナタやソナチネの構成が一緒なように。非常によく練られているのだけれど。練り過ぎというのはおかしな話だが、もう少し音楽で言えば即興性が欲しい感じがする。とはいうものの、僕は佐藤正午の書く小説は好きだ。

それで次に何十年かぶりで買った片岡義男の短編集「この冬の私はあの蜜柑だ」の冒頭の一編を読んでみたのだけれど、なんていうかぬるくてリアリティがなくがっかり。老人が無理してお洒落な恋愛を書こうとしているような痛々しさを覚える。昔の売野さんの歌詞を読んで覚えるようなこっぱずかしさを覚えて感情移入や共感ができず、ただ痛い。単純に片岡義男って小説書くのが下手なんじゃないかと思う。これは買って失敗したかなと。

というわけで片岡義男は投げて柚木裕子「孤狼の血」を読み始める。まだ冒頭を読んでいる段階だが語り口硬いな。レナードや佐藤正午を読んだ後だけに違和感がある。ユーモアや繊細さというものが足りない気がするが……。

要するに僕はユーモアと非情さを兼ね備えたレナードの語り口があまりにも好きなのだった。ああいう小説を書きたいなと思う。

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早起きは少し損

1月7日、木曜日。

今日も寒かった。日中は雪がちらちらと舞い降り、夜母のところにいた小一時間の間に駐車場に停めた車のフロントガラスが凍っていた。そのせいなのかどうなのか、どうやら風邪をひいたっぽい。夜になって頭痛がして気分が悪く、少し熱っぽい。熱を計ったらなかったが。

珍しく8時半前に起きたのは、ちょっといい夢を見たから。といっても淫夢ではなく、いろんな連中を一同に集めてスタジオでレコーディングする夢だった。スタジオのブースの床にエフェクターを敷き詰めたギタリストが、このスタジオはやりやすいとか言ってた。しかし、結構な人数を集めた割には、考えてみると見知った顔がいなかった。まっつぁんも今もカタやんも松下も大仏も山木もおらず。しかしこれは考えてみると夢の中で出会う女性が皆見知らぬ人であるように、夢特有のものなのかもしれない。

午後に少し昼寝しようとソファで毛布を被ったが、暑くて暖房を停めてしまったのでこれが風邪をひいた原因かもしれない。午前中から相場のポジションを取ってそれなりに夜中までやっていたのだけれど、今日は判断ミスが少なくとも二度あり、それがなければ楽にプラスだったのだが結局どたばたした挙句に微損。しかし体調を考えると健闘した方なのかも。

結果的に早起きした分煙草が増えてしまう。それと相場のポジションを取るタイミングがちょっと早過ぎた。総じて、早起きしてあまりいいことはなかったように思う。

しかし、午前中からときおり雪が降っていたもののまったく積もらず。これは有難いと言うべきか。まだ少し頭痛がするし胃の辺りがむかむかするような気もする。早く寝た方がいいのだろうが、明日図書館に本を返す予定なので佐藤正午「アンダーリポート」を読み終えてしまいたいところ。

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淫夢

1月6日、水曜日。

7時の寺の鐘の音で目が覚めたが二度寝。すると久しぶりに女の子といちゃいちゃする夢を見た。そこまではよかったのだが、その後は夢特有の消化不良な展開。当たり前といえば当たり前なのだが、夢でカタルシスの極限を得るというのは難しい。というかないのか。

で、最終的に目が覚めたのは10時過ぎだった。8時間近く寝た勘定だ。しかし、それでもやはり夕方以降は眠くなり、夕食後にコタツでうとうとしたところをみると、結局このところの眠気は睡眠時間で解消する類のものではないのか。ただ、アミトリプチリンを飲むのをやめてからは一応朝起きられる傾向にあるし、暴力的に寝続けるということはなくなった。

日中は業務を少々。この冬分ぐらいの煙草は確保。

業務から帰宅後、4時前に母のところに顔を出す。

母のところから帰宅後の夕方、暖房を入れてもなかなか暖まらず寒い気がした。どの程度気温が下がったのか確かめてないが、室温が上がるまでやたらと時間がかかったような気がする。2時間ぐらい経ってようやく台所なり茶の間なりの室温が上がると今度は暑くなってきたが、暖房を切るとあっという間に室温が下がるところをみると、それなりに寒かったものと思われる。

昨日の、母が足を切られてしまうという強迫観念からは完全に脱したとはいえないものの、一夜経ってそれなりに落ち着いた。なんというか、昨日から突然にそういう風になったわけではなく、それまでもずっとそうだったのだと思うことにした。

それにしても北朝鮮の水爆実験には驚いた。これも母の足同様今日突然水爆(原爆という説もある)を生み出したわけではなく、ずっと持っていたものである。

こういう普段気に留めていないものに突如気づかされると人間は恐慌を来す傾向にある。しかし、気づく前と気づいた後で物事が180度変わるわけではない。

それはそうと、ツイッターが140字から10,000字にすることを検討しているというニュース。うーむ、これではツイッターがツイッターではなくなるというか、ブログの存在意義がなくなってしまうのではないかという懸念。実際文字数がそんなに多くなったらフォローする人をかなり絞ることになるだろうなと。今だってタイムラインを追いかけるのが大変なのに、そんなに文字量が増えたらとても読み切れない。

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足を切る

1月5日、火曜日。

7時台に目が覚めたのだけれど、昨日寝不足だったこともあって三度寝か四度寝して9時半前に起床。午前中雪がちらついていたのだが今日も積もらず。もう1月5日だというのにまったく雪がない山形。

今日は先日の母のCT検査の結果を聞きに県立中央病院へ。何故か道が混んでいて11時半をちょっと過ぎてしまう。ほとんど待たずに診察室に呼ばれた。

女医はCTで撮影した画像を3D化したものを見せた。すると医者が言うように母の膝から下の血管が映っていない。血流が悪くて映らないのだ。右足の足首は脈音がはっきりと聞こえるが左の足首はほんのかすかにしか脈音が聞こえない。これは左足の静脈血栓のせいではなく、動脈硬化によるものだという。なので、急に血流が悪くなったわけではなくて、何年もかけて悪くなったものだということ。驚いたのは、足の先を怪我すると治りませんと言われたことだ。血の巡りが悪くなっているので、切り傷とかでも治らないのだという。それで感染症とかを発症すると足を切らなければならないという。女医が盛んに何度も足を切る、足を切ると母の目の前で言うので本当に気が滅入った。僕はただでさえ母に感情移入しすぎる嫌いがある。このときは自分が足を切られることを想像するというよりも、母が可哀想でならなかった。

薬をひとつ出されることになったが、それが何の薬かは失念してしまった。いずれにせよ、バイパスの手術をするのも無理だといいうことで、薬を飲み続けてとにかく足に怪我をしないようにする、ということらしい。あまりにも女医が足を切ると何回も言うので、もはや母はいずれどこかのタイミングで足を切らなければならない運命にあるような気がしてくる。それは避けられないことなのだと言われているような気がした。

まったくなんていうことだろう。確かに血圧の薬は長年飲んでいたけれど、統合失調症を発症するまで母は大きな病気をしたことがなかった。もちろん酒も煙草もやらない。そんな母がどうしてと、物凄く理不尽な思いがした。

病院からの帰り道にドトールに寄って昼食。喫煙席にはいかにも田舎者といった風情の初老のおっさん二人組が大声で話していてうるさかった。彼らはあまりにも訛っていて、まるで外国語を喋っているように聞こえた。母のこともあり、僕は苛ついた。彼らは骨の髄まで訛っているように思えた。

帰宅後、夕方近くなり物凄く眠くなった。それでコタツで一眠り。相場のポジションを持ったがユーロドルでやられた分をドル円でなんとか取り戻してやっとこさイーブン。それ以降はやる気なし。

母のことが気がかりで気分が重いまま。もし母が足を怪我したら、と気になって仕方がない。足を切るということがどういうことなのか、そればかり考えてしまう。こういう場合、人はどうやって自分を納得させればいいのだろうか。どうやって穏やかな心を保てばいいのだろうか。いずれは慣れるのかな。弟がいつか言ったように、なるようにしかならないと。

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