無題

1月2日、金曜日。

大雪を覚悟していたのだが朝起きてみると外は青空だった。朝食後は雪かき。そのうち空が真っ白になり雪が舞い降りてきて、ああやっぱりなと思うとまた青空になったりで、結果的にはそれほど雪は降らなかった。

今日は日中ダルくてまいった。大方朝の雪かきのせいだろうとは思うものの。昨夜から見始めたジョン・レノンのドキュメンタリー「イマジン/ジョン・レノン」を最後まで見る。ジョン・レノンて誰かに似てるなあとずっと考えながら見ていたのだが、結局ジョンはジョン・レノンに似ているということだった。つまり、ジョンが誰かに似ているのではなく、誰かがジョンに似ているということ。そういったある種の既視感は中学から高校にかけてビートルズを聴きまくり、名画座に通い詰めてビートルズの映画を見まくったことから来るのだろう。中学から高校にかけて僕はクラシック・ギターをやっていて、本気でクラシックのギタリストを目指していたのだが、クラシック以外で聴いていたのはビートルズばかりだった。あれから途方もない年月が経ち、今ではただの1枚もビートルズのCDを持っていない(たぶん2階の自室にはまだアナログのレコードはあると思う)。最初は純粋に音楽的にポールの方に夢中だったが、聴き込んでいくうちにむしろ僕の興味はジョンの方に移っていった。そういう人は結構多いんじゃないかと思う。ビートルズの音楽的斬新さはポールにあるが、バンドとしてのコアはむしろジョンに象徴されていたように思う。いずれにしてもジョンとポールという、奇跡のような組み合わせて出来たのがビートルズであることは間違いない。いささか凡庸な感想を述べれば、このフィルムから見えてくるのは神としてではなく、一人の人間としてのジョンだった。ジョンの最終的な伴侶がヨーコ・オノという日本人であったということは、いまさらながら不思議なものに思える。もちろん、それは僕が日本人であるからだ。こんな風に、人は誰しも自分との関係性を特別なものと思いたがるのである。まるでそれが何かの縁か、あるいは運命であるとでもいうように。

前述のようにとにかくダルくて、あくびばかりしていた。例によってテーブルに突っ伏したりもしたが30分も眠らなかった。今日は年賀状は1枚も届かず、何をしたらいいのかさっぱり分からないし何をしたいのかすら分からなかった。ダルくてしょうがないが青空が出ているうちにとスーパーに買い物に行った。後は本を読んで過ごした。

気がつくと日が落ちて冷えてくる。外は氷の世界になる。レトルトのカレーで夕飯を済ませて母のところに行くと、駐車場ががちがちに凍っていて滑って転びそうになる。

夜はスタローン自身が監督した「ランボー 最後の戦場」を見てしまった。スタローンも随分老けたなあと思ったら、この映画の時点で既に60歳を超えていた。人間いくつになっても鍛えればこれぐらいの筋肉はつくのだなと思った。映画自体はいつもの単純極まりない、ロクにストーリーらしきものもない映画だったが、CGを駆使した残酷なシーンが多くエグいなあと思う。正直、なんでこんなもの見ちゃったのかなあという感じ。

で、アゴタ・クリストフ「第三の嘘」読了。ツイートを引用すると、

ということになる。「悪童日記」「ふたりの証拠」「第三の嘘」と移っていくにつれ手法が次第に普通の小説になり、それとは逆にストーリーの輪郭は(意図的に)曖昧になる。普通三部作の完結編であれば最後に全体像が見えてくる筈なのだが、この場合は逆だ。すべてが嘘になり、どれが本当なのか見分けがつかなくなる。そんなわけだから、「悪童日記」における潔さみたいなものを追いかけていくと読者は混沌に落とし込まれる。僕が覚えたのはちょっとした失望だった。

夜も更けて、本日3本目の映画を見ようかどうしようか迷ったが、以前中途になっていたカズオ・イシグロの「充たされざる者」を読み始める。物凄く長い小説でしかも不条理がテーマなので最後まで読み切れるかどうか。冒頭から少々混乱する。この小説は最初からリアリティというか整合性を無視しているところがある。例えば最初のエレベーターの中での会話、これが本当ならこのホテルは何百階という高さがあることになってしまう。それぐらい長い。

しかし正月というものは退屈だ。年始に親戚でも訪ねた方がいいのかとも考えたが行くタイミングが分からない。かといって誰も訪ねてくる気配もない。明日は予定では弟が来ることになっているが、それも天気次第のところがある。もちろん、雪など降らないに越したことはない。


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元日

1月1日、木曜日。

一人の正月というのは一体何をすればいいんだろう?

一夜明けただけで新しい年が始まったという実感はいまひとつない。休日という意味では僕の場合毎日が休日のようなものだし、逆の言い方をすれば一般的な意味での休みなど一日もないとも言える。つまりはいつも通りに過ごせばいいのだろうが、何にせよ今日は元日、自分がそうではなくても世の中全般が正月気分である。今日に限って言えばいつもはまったく見ないテレビを多少見たぐらいか。NHK中心に少々。考えてみれば馬鹿高い受信料を払っているわけだから、多少は見ないと損と言えなくもない。

9時半ごろに起きて、今朝も朝食後に雪かき。除雪車が入ったので結構疲れた。しかし、関西方面でも結構雪が降ったらしい今日、予報通り大雪を覚悟していたのだが日中は晴れ間も覗き、それほど雪は積もらなかった。

午前中は寺に年始に行った。帰宅すると年賀状が届いていた。思ったよりも多い年賀状が届いたがほとんどは母宛て、中には父宛てのものもあった。僕宛ての年賀状は自分が出したものよりも少ないくらい。母宛ての年賀状はどうしようかと思ったが、一応母のところに持って行って見せて、ほとんどは母の教え子かららしく敢えて出さなくてもいいということに。母が老人ホームに入ったことを知らない親戚の分だけ出すことにした。

日中はhuluで黒澤明監督の「八月の狂詩曲」を見ていたのだがあまりにもつまらなくて中途でやめる。不自然な台詞、過剰なヒューマニズム。晩年の黒澤は駄目。まるで面白い映画の作り方を忘れてしまったかのようだ。夜はジョン・ランディス監督「ブルース・ブラザース」をなんとか最後まで見たが、あまりにもおふざけが過ぎて疲れた。アメリカっぽいと言えばアメリカっぽいのだが。

夕方近くなって猛烈に眠くなってコタツで昼寝。

今日はこれだけである。ほぼ何もしていないに等しい。一人で過ごす元日なんてこんなものなのだろう。おせち料理なんて関係ない世界。夕飯は納豆と目玉焼きで食べた。明日来ると言っていたので弟に電話したら明日ではなく明後日に来るという。だったら先に連絡してくれればいいものを。正月は誰かに電話することもはばかられるのでつまらない。

本来なら年が改まって気分も改まる筈なのだが、ただひたすら退屈を持て余す。何をしたらいいのか分からないうちにだらだらと一日が過ぎる。


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2014-2015

12月31日、水曜日。

あけましておめでとうございます。

日付が変わったので(従って年も明けたので)こう書かざるを得ず、そうはいうもののこれは大晦日の日記であって、そういうややこしいことにならないように年が明ける前に日記をアップしたかったのだけれど、今年(つまりもう昨年になったけど)は珍しく紅白を見てしまったのだった。まあ個人的に知っている奴が出るからということもあるけれど(今年は数人だったが)、母のところで最初の方を見てしまい、なんとなく帰宅後もそのまま見てしまった。ちなみに、母に「よいお年を」と言うのは初めてで、なんとなく妙な感じだった。

毎年恒例の今年(だから昨年)の総括をfragmentsにアップ。

9時半ごろ起床。雪が降っていたので朝食後に雪かき。だが日中はさほど積もらず。今年の大晦日は一人なので、夜出前を頼めないから年越しそばは昼食に自分で茹でて作った。

soba1

量の加減が分からなくて、一袋茹でたら結構な量だった。完食したら腹一杯に。

日中はジョン・カーペンター監督「遊星からの物体X」を見た。見るのは二度目だがやっぱりジョン・カーペンター、B級映画の監督だなあと改めて思う。それにしても救いのない話。SFホラーだからしょうがないけど。まだCGのない30年以上前の映画にしては特撮よく出来てるが。それからジョン・ランディス監督「ブルース・ブラザース」を見始めたが結局途中になってしまった。映画を見る合間に(年が明ける前に綺麗にしようと)風呂の掃除をした。ついでに洗面所も掃除。そんなことをしているうちに日が暮れる。

母のところの帰りは吹雪と言っていいぐらいの雪、また車にかなり積もった。これは元日の朝から雪かきはもう決定。帰宅後に紅白を見ながらサバの味噌煮の缶詰での夕飯。食事だけ見るとわびしい。しかし、これだけ長い間紅白を見た(ほぼ終わりまで見た)のは一体何年ぶりだろうか。正直最近のJ-POPは曲も歌詞も酷過ぎて頭痛がしてきそうなくらいだった。それに、なんで皆こんな馬鹿げた格好で歌わなければならないのだろうか。しかし、それも見ているうちに次第に慣れていく。そりゃあいろいろ疑問はある。なんでEXILEはあんな人数が必要なのかとか。なんで美輪明宏はあそこまでビブラートをかけなければならないのかとか。まあでも、見ているうちにそういうのを全部ひっくるめて紅白なんだなあと。今回はかつてレコーディングしたことのあるアーティストはゲストを入れて2人、レコーディングしたことはないがレコード会社時代に一瞬担当だった歌手が一人。バックミュージシャンとして知り合いが数人。どうやらヨウタロウは出なかった模様。

それはそうと、昨日の相場のポジションを今日まで持ち越したら、奇跡的に大敗したと思った分を取り戻してプラスに転じた。そんなわけで今年というか昨年最後の相場はプラスで終えることが出来た。実はまだポジションをひとつ決済しておらず、年を越した。

紅白をほぼ最後まで見てから年が明ける前にと風呂に入ったが、中学から高校にかけては毎年大晦日にビートルズのベスト盤(赤と青)を全曲一緒に歌っていたことを思い出し、湯船の中でLet It Beを歌った。風呂から上がると除夜の鐘が聞こえてきた。で、23時58分に煙草に火をつけ、気がつくと年をまたいで煙草を吸っていた。除夜の鐘とビル・エヴァンスを聴きながら。

今年(今度こそ今年)はいい年になるといいなあ。ちょっとでもいいから。

今年もよろしくお願いします。

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Kyrie

12月30日、火曜日。

10時過ぎ起床。7時間半近く寝たことになる。外を見ると雪。朝食後に雪かきをしたが思ったほど積もっていなかった。しかし地面近くになると雪が凍っておりお手上げ、よって上っ面を雪かきしただけに終わる。午後まで雪は降り続いたが日中は思いの外積もらなかった。

日中に映画を1本。根岸吉太郎監督「絆」。これを見るのは2度目で、記憶によると最初に見たときはピンと来なかったのだが何故もう一度見る気になったのかその辺はよく分からない。役所広司と渡辺謙という豪華な取り合わせだからか。根岸吉太郎と脚本の荒井晴彦のコンビでは「遠雷」と「Wの悲劇」という好きな映画がある。特に「遠雷」は物凄く好きな映画だ。だがこの「絆」に関してはどうも途中から結末が分かってしまう。そういう意味でのストーリーに意外性がない。凡庸なセンチメンタリズムに落とし込むところが見えてしまう。そういう意味でもやっぱり凡作だった。

今日は相場で大失敗。やってはいけないことをやってしまった。夕方ドル円が急落して立て続けにストップを食らい、よせばいいのにバタバタとポジションを取り直してさらにストップを食らい大敗。負けパターンの典型だ。その後さらにポジションを取り直してしまう。結局のところ、どこが底か見極めるまで待っていられなかった。今もまだ結構なポジションを保有中だが、焼け石に水という感じだし、年末も押し迫って相場が薄くどうなることやらという感じ。まあここまで来たらある程度腹が据わってはいるけれど。

今日は夕食後に母のところに行ったので、少し遅くなり到着したのは7時を回ったころ。まだ雪は降っているが思ったほど積もってはいない。母の調子は今日も悪くないのだが、急に「今は朝か?」などと突拍子もないことを言ったりする。部屋に連れて行ってベッドに寝かせ、テレビをつけてレコード大賞を見せたら大分落ち着いたように見えた。

朝のパンがあと1枚しかないので帰りがけにスーパーに寄って買い物。安い食パンは全部売り切れ、しょうがないのでベーカリーの食パン(いつも買う奴の3倍ぐらいする)を買う羽目に。

夜は相場のチャートを見ながらYouTubeでparis matchを聴きまくる。ボーカルのミズノマリの力の抜け具合が凄く気持ちいい。結局帰宅後はレコード大賞を見ないで終わってしまったが、見たところでどうせ何の感慨もないだろう。

ふと思い出して昔ちょっと付き合っていたKのサイトを久しぶりに見る。彼女が亡くなってもう13年になる。彼女は僕のサイトを見てデモテープを送ってきた最初のアーティストだ。自分でプロデュースしたアーティストと付き合ったのは彼女が最初で最後だった。音源と動画はリンク切れになっていた。僕はただ写真だけを眺めた。彼女が生きていれば今いくつなのか思い出せない。探せばどこかに彼女が送ってきたプロフィールがまだあると思うが。写真の彼女は僕と付き合っていたころそのままだが、それはただの写真でありむしろ彼女の不在を表していた。もう随分昔のことだし、あまりにも彼女がいないということが明白なのでずぶずぶとセンチメンタリズムに陥ることはなかった。ただ、彼女と付き合っていた短い間のことを思い出すと、あのころの僕はあまりにも愚かだったなとは思う。彼女との間がダメになって、Kに渡すはずだったティファニーのリングを、僕はパチンコ屋のコーヒーサービスの女の子にあげてしまった。それから2年ぐらいして、彼女は4階から落ちて死んだ。それだけの話である。YouTubeで検索しても彼女の動画は見つからないし、彼女は忘れ去られつつある。実のところ、今日Kを思い出したのも物凄く久しぶりだ。ずっとずっと、僕は彼女のことを忘れていた。数日経てば、また僕は彼女のことを忘れてしまうだろう。こんな風に、肉親とかごく近い人を除けば、人は死んでしまうと次第に忘れられていく。そして何かのきっかけでふと思い出し、また忘れる。それはちょっと寂しい話だ。

僕の心はすっかり干からびている。

危うく書くのを忘れるところだったが、午後にようやく郵便局に行ってはがきを手に入れ、年賀状を作って出した。ワードのテンプレートを使ったら作るのはあっという間だった。出したのは3枚。最低限だ。あとは来た人に出せばいい。

今年も残すところあと一日になってしまった。明日は雪が積もるのだろうか。


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孤立と喪失

12月29日、月曜日。

着々と世界から孤立しつつある、という気がする。もしかしたら気のせいかもしれないし、そうであって欲しいとは思うのだが。

ずうっと昨日の日記のことが気になっていた。あんなこと書くんじゃなかったなあとうじうじと考えた。後半部分だけ削除しようかとも思った。だがもう手遅れだ。これでたぶん僕はまた何人かの友人を失うかあるいは不愉快な気分にさせてしまったのだろう。単に自分が気に入らないということをこんな場所に書くべきではなかったと反省したのだが、いまさら削除したりしたところで少なからぬ人(まあこの日記の読者は非常に少ないが)はもうこの日記を読んでいないだろうから、すべてはもう手遅れなのだなと思った。それに、いつかは書いてしまったことだろう。何度見ても考え直しても、気に入らないものは気にいらないしおかしいと思うものはおかしいのだから。宗教あるいはある種のドグマ、もしくはイデオロギーの類(この場合は神秘主義だが)にハマっている人をいくら批判したり痛罵しても、当の本人はまったく聞く耳を持たないだろうし気にも留めないだろう。それがハマる、盲信するということだから。だから本質的にあんなことを書いてもまったく意味はなく、ただの憂さ晴らしに過ぎないのだ。そして書いた当人である僕自身にとってメリットは何もなく、ただデメリットしか残らない。残念でした。僕はただ自分自身の中にくすぶっていたものを吐き出したに過ぎない。それで何か爽快感でもあるなら別だが、嫌な感じが残っただけだった。

こうして僕はいろんなものを失っていく。

いつもなら電話に出る幾人かの人間に繋がらないのもそういった喪失の一環だと思っていた。しかしヨウタロウが電話に出ないのはどうやら紅白に出る準備をしているからのようだ。と、本日紅白の出場歌手一覧を見て思った。

有難いことに今日も雪は降らなかった。何度寝かして9時過ぎに起き、今日も業務に行き、今日もツイていなかった。本日は映画を見ておらず、代わりに本を読んだ。夕方台所で本を読んでいると胃の辺りが重くなって気分が悪くなり、またテーブルに突っ伏して少し寝てしまった。恐らく遅い昼食後に食べたポテトチップスのせいだと思う。お蔭でちっとも食欲がなく腹が空かない。

日が暮れてから今日も母のところに行く。恐らく世界で今僕を必要としているのは母ただ一人だけだから。しかしながらたった一人でも自分を必要としてくれる人間が存在することに感謝したくなる。

夜はYouTubeでJim O’Rourkeのアルバムを3枚立て続けに聴きながら本を読む。執拗な反復、果てしない継続、断片的な分かりやすさと総体的な不可解さと曖昧さ。ラリってでもいないとかなりヘビーではあるがどこか懐かしく、学生時代のロック喫茶や深夜喫茶を思い出す。

年内は相場をやらないと宣言したのだが、どうやら欧米では今日から実質的に年明けになるというので一応指値だけしておいたら夜になって忘れたころにひとつ成立して少しプラスになった。

というわけで、ニック・ホーンビィ「ア・ロング・ウェイ・ダウン」読了。4人が代わる代わる独白するというスタイルのせいか、いささか饒舌に過ぎた感。それと訳のせいかはしゃぎ過ぎに思えるし彼の作品としては少しユーモアの方向性がずれている気が。もう少し一貫性が欲しかった。

そういえば業務の帰りに郵便局に寄ろうと思ったら駐車場が一杯で諦めた。そんなわけでいまだに年賀状を出せていない。

このところ、毎晩梅酒を飲んで酔っ払っている。これを書いている今もそう。不思議なことに、ビールひと口飲んだだけで真っ赤になる筈の僕が、真っ赤にならない。何事も慣れということなのか。ということは、いつかこの孤独にも慣れるのか。


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凍るタオル、KFC

12月28日、日曜日。

何度寝かして9時前起床。予報どおり、朝から快晴。大変結構。しかし、こういう日の方が朝晩は冷える。洗面所で顔を洗うと、昨夜入浴時に使ったタオルが凍っていた。

今日は暖房をつけていてもなかなか広い台所が暖まらない。どうしようかしばらく考えた挙句、一週間ぶりに業務に行ってみた。もう年末休みだし日曜日だしさぞかし混んでいるかと思いきや、そうでもなかった。しかし今日はツキがない。1時半ごろにヤメ。で、昨日から今日の昼食は隣町まで遠征してケンタッキーのフライドチキンを食べようと思っていた。なんでかっていうと、ツイッターのTLでKFCのチキンを絶賛する人がやけに多かったからだ(クリスマス絡みで)。そんなわけで手帳にも忘れないようにKFCと書いていたので、いささか面倒だなと思いながら車で隣町のイオンへ。で、カウンターで注文しようとするとどれを頼んだらいいのか分からない。実を言うとこれまでKFCではチキンフィレサンドとかその類しか頼んだことがなく、チキンだけとなると一人分の分量の検討がつかない。僕が悩んでいると店員が指差して今はこちらがお勧めですというのでそれでいいですと頼んだ。990円。高いなあと思いながら。ひとまず席について袋を開けてみると、骨付きが4ピース、それと別の袋に骨なしがいくつか。どうやら多過ぎたのかなと思いながら骨付きを全部食べる。骨なしまでは食べられなかった。で、美味しかったのかというとやたらと脂っこい鶏を食べたという印象。こんなものなのかなと思う。

食後の一服をするために喫煙席があるサイゼリヤ(同じイオンの中にある)でカプチーノを飲みながら本を読む。休日の午後は家族連れが多くどうにも落ち着かず、本にも集中出来ない。どうやらこの遠征は失敗だったかなとぼんやり思う。帰りがけ、スタンドに寄ってガソリンを入れたら、一時期よりもリッター辺り20円ぐらい安くなっていた。

どうもチキンを食べ過ぎたのか夕方になっても今日は腹が空かない。huluでデヴィッド・フィンチャー監督「ソーシャル・ネットワーク」を見ていたら胃がもたれる感じがして気持ち悪くなってきた。一時停止してまたテーブルに突っ伏してうたた寝、その後太田胃散を飲む。それから母のところに向かう。

入り口で記帳すると、どうやら午前中に母の友人3人が訪ねてきたようだった。今日の母はそれをちゃんと覚えていてしっかりしていた。8時近くに帰ろうとすると駐車場は物凄い霧で視界が悪く、車のフロントガラスは例によって凍って曇っていた。しばらく暖機運転してエアコンをかけ、煙草を一服してフロントガラスの曇りが取れるのを待つ。帰りがけにスーパーに寄って買い物。

いまだに腹はそんなに減っていなかったがかといって食べないわけにもいかないので帰宅して納豆で夕飯。昼間余ったキチンも食べるとお腹が一杯になる。それから「ソーシャル・ネットワーク」の続きを見る。

「ソーシャル・ネットワーク」、デヴィッド・フィンチャーのいつもの暗いトーンと陰鬱さはなく、全員が機関銃のような早口で台詞を喋るのでむしろ軽快と言っていいほどテンポがよく、見始めるとあっという間という感じがした。しかしながら、その軽快さとは裏腹に友情の崩壊という陰鬱な話であるところはデヴィッド・フィンチャーらしいところか。ま、映画が面白いかどうかは別にして、あらゆるSNSの中でFacebookが一番嫌い。クソだと思っている。ほとんど躁病の集まりとしか思えない。以前fragmentsに書いたMは毎日病的なほど饒舌に長文をやたらと書き込んでいるが、僕には一行も理解できず意味不明、明らかに病んでいるしあっちの世界に行ってるし異様なまでに自意識過剰だ。その僕がまったく理解できない書き込みに皆が「いいね!」を押しているのがまったくもって理解できない。こいつらはホントに彼女の書き込みを理解していいねと思っているのだろうか。だとしたら僕にはビョーキの人の集まりにしか思えない。自閉症の自分の子供が生き神で、自分(つまり彼女だ)の森を奪い合って霊能者たちが罵倒し合ってるとか、揚句の果ては風水がどうのとか、そんなことを嬉々として(つまり不自然なくらいポジティブに)書いている。これだけでも客観的に考えて妄想系の精神疾患、少なくとも極度の躁状態だと思う。医者の診断を受けた方がいいと思うが、大体において人間というのはうつ状態の場合は病気と自覚して医者の門を叩くが躁状態の場合は病気という自覚がないものである。

ここまで嫌いなのだから見なければいいのだが、どうも怖いもの見たさというか、嫌なものほど見たくなるというか、しばしば見に行ってしまう。で、また書いてるとか思う。こうやってますますFacebookを嫌いになる。どう考えてもおかしいと思うのだけれど、もしかしたらおかしいのは自分の方ではないかとか思い始める。かように、Facebookを見るとロクなことがない。確かに僕は人よりテンションが低いのでテンションの高い人は苦手だ。それはツイッターでもそうである。普通の人のテンションがビルの4階ぐらいだとすると、僕は地下1階ぐらいのテンションだと思う。だが前述の彼女はビルの屋上どころか、もはや隣のビルという感じなのである。Facebookの嫌なところは、あんた変だよ、何言ってるのかさっぱり分からんよ、というようなネガティブな書き込みが出来ない雰囲気が充満しているところ。ポジティブじゃなきゃいけないような雰囲気(なにしろ「いいね!」しかないのである)。否を唱えるにはシカトするしかない。そういう意味ではなんと陰湿な世界なのだろうと思う。

大方の人は昨日から9連休なのではと思ったが、年末は皆忙しいらしく、夜何人かに電話してみたが誰にも繋がらなかった。そうすると世の中でヒマなのは自分だけなのではないかと思えてくる。極端なことを言えば、自分だけ違う世界にいるのではないかとか、自分だけ狂気の世界にいるのではないかとか、そういう被害妄想に捕らわれそうになる。ああ危ない。これでは本当に自分の方がおかしいことになってしまうではないか。

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love actually

12月27日、土曜日。

朝起きたら晴れていて、午後になっても天気がよく結局一日中晴れていた。というか、天気予報自体が晴れだったことにようやく気づく。明日も晴れの予報。今日の雪かきは朝の一度だけで済んだ。

あんまり気持ちよく晴れていたので午後、散歩がてら郵便局まで歩いて行ってみる。年賀状を最低限出そうとは思うものの、50円のはがきしかないので切手を年賀はがきと交換するかあるいは2円切手に交換してもらうため。土曜日だけれど普通切手売場ぐらいは開いているだろうと思ったのだが閉まっていた。うーん。このままだと年賀状出しそびれそう。

今日見た映画は2本。なんか最近は映画日記みたいになりつつある。日中はダグ・リーマン監督「ボーン・アイデンティティー」。まったくもって王道のティピカルなアクション映画だった。物凄く面白いわけでも面白くないわけでもない映画だった。

夜はリチャード・カーティス監督「ラブ・アクチュアリー」。この、クリスマスに登場人物ほぼ全員の恋愛が成就して皆幸せになるというコメディ映画を見て不覚にも涙ぐんでしまった。基本的にクリスマスソングとかクリスマスとか大嫌いな筈なのだが。なんていうか、今の自分があまりにも幸せというものから程遠いからかなあと思う。監督のリチャード・カーティスは「ノッティングヒルの恋人」の脚本を書いた人ということでなるほどと。

「ボーン・アイデンティティー」のハッピーエンドは凄く予定調和的な感じがして安直に思えたが、どうして「ラブ・アクチュアリー」の方は素直に感動できたのだろうか。たぶんそれなりの紆余曲折が(英国的)ユーモアを持って描かれているからだろうか。「ラブ・アクチュアリー」も落としどころはとっくに見えていて、そういう意味では予定調和的なのだけれど、落として欲しいところに上手に落としてくれたという充足感があった。

今日は久々にギターを弾いてみたらあまりにも弾けないのでスケール・運指・カッティングと基本練習を少ししたがつまらない。なんていうか、音楽をやろうという意欲自体が欠けている気がする。その後キーボードもちょこっと弾いてはみたが。

たまには今日のように一日晴れてくれると大分気分的には助かる。それでも来週の月曜以降はずっと雪みたいだし束の間。母のところに行った帰りは車のフロントガラスが凍って前がよく見えなかったので気温自体は日が落ちてからかなり低かったようだ。

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東京物語

12月26日、金曜日。

朝方は晴れていて日中は雪が舞うが積もらず、油断していると日が落ちた夕方から積もるというのが最近のパターンになりつつある。今日もそれ。

午前中、と言っても11時だが歯医者の予約が入っていたので念のために9時にアラームをセットしておいて起きた。ずうっと毎日夢を見ているのでアラームで起きたときぐらい夢を見ないかと思ったらやっぱり見た。まあ人間毎晩何百回(200回だったかな?)という夢を見ていて、夢を見たかどうかは起きたタイミングで覚えているかどうかの違いであると何かで読んだ記憶があるけれど。とにかく毎日夢を見る。

朝食後に雪かき。明け方にはそれほど積もらなかったようで、昨晩雪かきしておいて正解だった。歯医者から戻って昼食、その後は煮詰まる。精神状態悪く、とうとう映画を見る気力さえ失ったように思えた。眠気が襲ってきて台所のテーブルに突っ伏してうとうとする。それからhuluでジム・ジャームッシュ監督の処女作「パーマネント・バケーション」を見始めるがこれが恐ろしくつまらない。30分ぐらい見て止めた。中途半端にゲージュツして何かを象徴的に表現しようとしても、結局伝わらなければただただ退屈で鬱屈するだけだ。難解な映画というのは本来存在しないと思う。分かるか分からないかの違いだけ。理解するのが難しいというのは方法論・表現として意図が伝わっていないということに過ぎない。ジョン・ルーリーの音楽も最低。まあ本日の精神状態の悪さもあったとは思うが、とにかく我慢ならなかった。

という感じで挫折したものの、気を取り直して小津安二郎「東京物語」を見た。この映画を見るのはたぶん3度目ぐらいだと思う。で、やっぱりすとんと気持ちのいいところに落ちてくれなかった。皆が絶賛する映画を絶賛出来ないので悩む。そもそもこの映画は気持ちのいいところに落とす映画ではないということなのだろうか。それとも僕の感覚がおかしいのか。原節子にどうにも違和感を覚えて感情移入出来ない。小津は原の演技を絶賛しているが、僕にはどこか嘘臭く不自然に見えるしそれにどう見ても美人には見えない。いずれにしても昨日見た「秋刀魚の味」の方がずっと好きだ。僕には小津が老境の孤独・寂寥に拘っているようにも思えるが、この「東京物語」、家族・親子の関係性を描いたものとしても僕がいまひとつピンと来ないのは、この映画では親子の関係が年を取るに連れて希薄になっていくという風に描かれているものの、自分自身を顧みるとまったく逆だというせいもある。僕自身は子供のころや若いころは親との会話がほとんどなく、年を取るに連れてコミュニケーションが増えていき、親子の関係性という意味では今現在の母との関係がこれまでの人生の中で一番密接になっている。ただふと気がつけば弟との関係性は年を取るに連れて距離が開いていった感じはして、なるほどそういう視点から行けばそうなるのかな、と思えなくもない。いずれにしても人間というのは年を取れば取るほど孤独になるのだ、ということであれば気持ちのいいことではない。なぜなら僕は今、生まれてこの方もっとも孤独を感じているから。この先これ以上孤独になるのは願い下げにして欲しいものだ。

今日は台所の床を拭き掃除したり。灯油が半分を割ってきたので一番安いところに頼もうと電話したら年末は混んでて年明けの5日になると言われ、一応予約はしたものの少々不安なのでいつものところで少しだけ入れてもらった。それでも前回よりリッター10円ぐらい安くなっていた。これは助かる。だが一番安いところだと20円安いのである。

母の調子はそれほど悪くないのだが、気のせいか日一日と老いていっているような感じがする。たぶん自分自身の精神状態のせい、受け止め方のせいだと思うけど。

というわけで梅酒飲んで酔っ払いながら書いております。癖になるとヤバいなあと思いつつ。


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静止画と戦争

12月25日、木曜日。

朝方地震があって8時過ぎに目が覚めた。結構揺れた気がしてそのまま起きてしまった。外を見ると雪は積もっておらず、予報では終日雪だったが朝は晴れていた。玄関の屋根から落ちた雪が溜まっていたのでそこだけプチ雪かき。案の定朝食後にあくびを連発、しょうがないと思ってコタツに入り気絶。すると自分ではうとうとしただけのつもりだったのだがいつの間にか2時間経過、もう昼になっていた。こうして今日の午前中は消滅。

台所に行って昼食。外はいつの間にか凄い雪になっていた。ときどき物凄い吹雪みたいになる。ときおり玄関を開けて外を見るが思いの外積もってない。

そんなわけで昼食後は今日も映画。huluで小津安二郎監督「秋刀魚の味」を見た。秋刀魚はちっとも出てこなかった気がするが。娘を嫁にやるだけで特に何も起こらない淡々とした日常を淡々と描いた映画を淡々と見た。有名な「東京物語」は二度ほど見たがいつもピンと来ず、正直どこがいいのかよく分からなかった覚えがあるが、今回はなんとなく小津のよさが分かったような気がした。気がしただけかもしれない。たぶん僕もそれだけ年を食ったということなのかもしれない。

日中は降り方の割には積もらないなと思っていた雪だが日が落ちた途端に積もり始める。夕食後に母のところに向かうころには10cmぐらい積もっていたが、1時間ほどの間に駐車場に停めた車にはすっかり雪が積もる。この間の積もり方は半端なかった。しょうがないので帰宅後に雪かき。明日も最高気温が0度の予想で雪らしいし、どうせ朝は雪かきになるだろう。母は今日も落ち着いていた。

夜は何を見ようが迷ったがなんとなくリドリー・スコット監督「ブラックホーク・ダウン」を見てしまった。ソマリアの内戦にアメリカが軍事介入したときを描く戦争映画。ずっと戦闘シーンで生きた心地がしない。まったく疲れる映画だった。大体において戦争映画というものは疲れる。なんで見ちゃったのだろうとか後で思う。そもそも戦争映画が好きなわけではないのだ。見終わって若干違和感を覚えるのは、この話はアメリカの失敗を描いた話の筈なのにどこか英雄譚のように見えてしまうというところ。

というわけで、昼間見た映画と夜見た映画の描く世界はまさに対極にあり、天と地ほどの差があった。小津の映画はまるで静止画の連続のようだったが、「ブラックホーク・ダウン」は終始銃声が鳴り止まなかった。「ブラックホーク・ダウン」は実際にあった戦闘を描いているわけでこれも現実。娘を嫁にやる父親がしんみりと感じる寂寥もまた現実というかひとつの日常だ。その落差に少しくらくらする。ソマリアというのはホントに無茶苦茶な国ではあるが、世界中の戦争に首を突っ込むアメリカという国も相当に変だ。

午前中昼寝をしてしまったせいもあるが、結局今日も映画を2本見ただけで一日が終わってしまった。正直こんなことでいいのかなあと思う。欧米がクリスマス休暇になったせいで、やたらと長い年末年始の休みになってしまった。それにしてもまだ12月なのに今年は雪が多い。田舎の実家に戻って来月でちょうど2年、田舎の冬は都合3度目を迎えているわけだが、12月としては雪が多い方だと思う。この調子で雪が積もり続けたら一体どうなるのだろうと心配になるくらい。

明日も一日雪の予報だが午前中歯医者に行かねばならない。


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イヴ

12月24日、水曜日。

終日雨。終日雪よりよっぽどマシ。夜、母のところからの帰り道にはみぞれになっていたので今は雪に変わっているのだろうか。

朝、台所でノートPCの電源を入れるとスタート画面に見覚えのないアカウントがひとつ増えていて焦る。ついそのアカウントをクリックしてしまい、アカウント作成画面が始まってしまいさらに焦り、途中で強制的に電源を切り、再起動してアカウントを削除。ハッキングでもされたのかと思った。もしかしたらどこかいつもと違うところをクリックしてしまったのか。北朝鮮のハッキングが云々というご時勢なので朝っぱらから実に嫌な気分。これまでもグーグルのアカウントに不正アクセスがあってパスワードを変えたりしたことがあるし。

そんなこともあって午前中は気分的に相当に煮詰まる。今日も映画見まくろうとhuluで「探偵はBARにいる」を見始めたのだが、半分ぐらいまで見たところでギブアップ。演技も演出もあまりにも軽く、つまらな過ぎる。「相棒」のスタッフということで最近の日本映画によくある、いかにもテレビのスタッフが撮ったという映画。つまり映画っぽくない。逆に言えばある意味日本の映画っぽいとも言える。冬に雪の北海道を舞台にした映画を見るのもいいかと思ったのだが如何せん、話がつまらな過ぎた。

昼食は先日せっかく叔母にもらったのでとろろ芋を擦っていわゆる山かけご飯にして食べてみる。あっさりしていた。まあ卵かけご飯の代わりにはなる。

ただでさえ煮詰まっているのにつまらない映画に当たってさらに気分が滅入り、しょうがないので午後は隣町の業務スーパーまで買い物に。お茶とか食材を買い溜め。

帰宅して、気を取り直してフェルナンド・メイレレス監督のブラジル映画「シティ・オブ・ゴッド」を見る。ぐいぐいと惹きつけられる。面白かった。リオデジャネイロのスラムを舞台にしたギャング・ストリートチルドレンの抗争を描いていて子供が平気で殺し合ったりするまったくもって悲惨で救いのない話なのだが、これが実話だというのだから恐れ入る。ブラジルというか中南米怖いなあと思う。そういう悲惨な現実を容赦なく描いていて、それでいてポップな映画になっているという。昨日からの、人が平然と殺される映画が何故面白いのかという疑問は続く。

夜は何を見ようか少々迷ったが結局リドリー・スコット監督「グラディエーター」を見た。これも面白かった。2時間半ぐらいある映画なのだがそれほど長く感じなかった。僕にしては珍しく一時停止する回数も少なかった。リドリー・スコットというのは「エイリアン」「ブレードランナー」というような大傑作を撮ったかと思うと凡作を連発したりしてよく分からない監督である。基本は映像美の監督だとは思うが。この映画、ずうっと音楽が鳴りっ放しなのだがあまり気にならない。ローマ時代というその演劇性と、音楽のロール数が多いせいか。昨日見た「皆月」で音楽の使い方が気になったのは同じセンチメンタルなテーマを使い回していたから。スコセッシの「グッドフェローズ」ではずっと歌が流れていたので少々落ち着かない感じはした。「グラディエーター」の場合はどちらかというとオペラの劇伴のような印象。つまり、壮大に構築された演劇を鑑賞しているというイメージ。ある意味とても映画っぽい。

世の中的にはクリスマスイヴ、知らぬ間に「ぼっち」という言葉が流行っているみたいだがそれを言うなら僕はいつもクリスマスなんてほとんど「ぼっち」だった。誰かと一緒にクリスマスイヴを過ごしたなんてこの何十年で数えるほどしかない。元妻と付き合っていたときと結婚していたときぐらいだ。人生の大半のクリスマスは「ぼっち」だった。今年は家に篭っていたせいでくだらぬクリスマスソングを聴かずに済んだことが幸い。クリスマスソングほど憂鬱でうんざりするものはない。

しかし、相場のポジション持ってないとつくづくヒマだなあと思う。昨日宣言したように年内はもうポジションを持たない。母は今日も調子は悪くない。昨日の日記に書くのを忘れたが、昨日の母は一瞬破顔一笑してくれて、それがとても嬉しかった。


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