ある種の復活

2月7日、土曜日。

晴れ。このまま雪が降らずに春になってくれないかなあと思う。ま、そういうわけにはいかないだろうけど。

9時前に起床。どうも最近午前中何をしたらいいのか途方に暮れる傾向にあり、結局今日も業務へ。3日続けてツキがない。2時前には帰宅して、特養に電話して(いまだに面会再開の連絡がないので)母のところに。プリンを持って行く。母と会うのは一週間ぶりだ。ここ最近の母はずっと落ち着いていていい顔になってきた。特養は暖房が効いていてやっぱり眠くなる。

帰宅後、何をしたらいいのか分からず台所のテーブルに座って呆然としてしまうので、掃除機をかけたり洗濯したり、父の命日のために買った花をドライフラワーにするために吊るしたり、まるで主婦のように家事をする。そうこうしているうちに日が暮れて、夕飯をどうしようか迷った挙句久々に炒飯を作ってみた。作り方を忘れかけていたものの、キムチを刻んでキムチチャーハン。これがまぐれ当たりというか、今まで作った中で一番美味しく出来た。ところが今日も夕食後に猛烈な眠気が襲ってくる。考えてみるに、睡眠不足というよりもむしろ業務による疲れなのだろうか。それと暖房負け。またギターをちょこちょこ弾いたりしていたがどうにも眠気が治まらず、8時ごろに諦めてコタツに入って気絶。目が覚めると10時近かった。で、口の中はからからに渇くし、どうにも気分が悪い。どうしてこうコタツで寝ると具合が悪くなるのだろうか。まるで病人。よろよろと台所に戻りコーヒーを淹れて飲むと次第に気分は回復した。

普段弾いている学生時代からの愛器であるヤマハのセミアコ、ネックが反ってきているしオクターブチューニング合ってないし、特に15フレット以上は物凄く弾きにくい。そろそろギター買い替えたいなと思って価格コムを見てみる。すると、今どきギブソンのレスポールが5万台で買えるということが分かりびっくり。しかしこの一番安いレスポール、よく見るとカッコ悪いしレスポールは重くて元々あまり好きじゃない。335とか今使っているのと同じヤマハのSAとなると15万以上する。フェンダーやフェンダージャパンのストラトも5万台とかで買えるので、これにずっと使っていないストラトのピックアップを交換するのはどうだろうと考えるが、そうすると交換代が高くつくんじゃないかとも思う。そもそも、山形にギターのリペアショップというものがあるのだろうか。

そこでふと思いついて、引っ越し以来2階の自室に置きっ放しで開けていなかったムーンのストラトを持ってきてケースから取り出してみる。ピックアップをEMGに交換したこのギターも学生時代に愛用していたものだが、もう10年以上弾いてない。見ると、思ったよりも状態は悪くない。しかし、シールドを繋げてみると音が出ない。唖然。セレクターのトグルスイッチをがたがたといじるとようやく音が出た。あまりにも長く使っていなかったので接触が悪くなっていたようだ。以前楽器屋で見てもらってネックが反っていると言われたのだけれど、実際弾いてみるとセミアコに比べるとオクターブチューニングもそれほど狂っていないし、高音部が弾きにくいということもない。ならこれでいいかとも思うのだが、やはり音と弾き心地はセミアコの方が好きなのだな。

ともかく、こうして弾けるギターが1台増えた。


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ツキと月

2月6日、金曜日。

雪はちらついたものの、天気雨ならぬ天気雪という感じで積もらず。2時過ぎに寝て、二度寝か三度寝をして9時ごろ起床、なので7時間ぐらい寝てるから最近の中では睡眠取れた方だと思うのだが。

結局今日も業務に行き、今日もツイていなかった。帰宅後夕方近くになって何故か猛烈な眠気が襲ってきた。ダウンジャケットを着たままコタツに入って1時間ほど気絶。夕食後、酒以外の飲み物(ジュースとか)が切れたのでスーパーに買い物に行くと、中空にはやけに大きな月が煌々と光っていた。

買い物から帰宅後、夜は雇用統計があるのだがよく分からないので本日は静観を決め込み、9時過ぎにコーヒーを飲み始めると気分が悪くなってきた。また眠気がやってくるし調子悪い。今夜も台所でブルースを弾いてみたが、久々にギターを弾いて3日目にして昨日までよりもあまり指が動かず。どういうわけだろう。その後風呂に入ったら気分は少しましになったが、体調が悪い感じは否めない。7時間寝て1時間昼寝したわりには眠い。

相場は昨夜寝る前に指値していおいたものが寝ている間に成立、雇用統計前の夜に決済。結果的には持ちっ放しが正解だったのだが、そもそも雇用統計の読み自体が外れていたのでしょうがない。余計だったのは夜中になって反動を狙ってポジションを取ったらストップを食らってしまったこと。まあそれでも本日のところはプラス。

先日母に面会に行ったときに職員に母の体重が増えているので差し入れ(いつもプリンとかを持って行く)を少し控えてくれと言われたのが小骨のように引っかかっていて気になるので電話で理由を問い合わせてみた。というのも、母は入院以来随分と痩せてしまったので体重が増えるのはむしろいいことのように思えるからで、それに少し控えろと言われるとどの程度の頻度ならいいのか分からないし出来れば母に甘いものぐらい食べさせたいからなのだが、言い出すと譲らない悪い癖が出て丁寧に話していたつもりだが食い下がってしまい、相手が根負けした形でこれまで通りでいいですと言ったというか言わせたような恰好になってしまった。どうもこういうところはいつまで経っても大人になれない。

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眠気対スケザ

2月5日、木曜日。

昨夜寝たのは明け方の4時過ぎ、ところが朝方トイレに2度も目が覚めた上に9時前に灯油の配達が来て起こされた。当然睡眠不足である。よほどコタツで気絶しようかと思ったが不思議なことにそこまでの眠気ではなく、ただただ頭が茫洋としている。相場の指値をしようにもどうにも頭が回らない。そこで、業務→昼寝→相場というスケジュールを立てた。幸いながら今日も雪は降る気配がない。東京は雪が降ったみたいだが。

そんなわけでとにかく業務に行ってみる。すると不思議なことに気がつくと眠気がどこかに行っていた。それはいいのだが超不ヅキ。4時ごろまで粘ってみたが結局ギブアップ。帰宅してもどういうわけか眠くない。なので昼寝はせずに相場の指値などをしてから夕飯の支度。夕飯を食べていると指値が成立。ところが7時半近くになって急に動いてストップを食らってしまった。何かと思ったらまたしてもスイスの中銀が介入。まったく、何かとお騒がせである。なんか、気がつくと毎日ストップ食らいまくっている。そこからポジションを取り直して粗方は取り戻す。

ところが、案の定というか夕食後に猛烈な眠気が。そこからこれを書いている今に至るまで眠気との戦い。夜に昼寝なんてしようものなら生活リズムがまた崩れてしまうし、あまりにも早く寝てしまっても同様。なんでこんなに眠気を我慢しなければならないのだろうかという根源的な疑問はあるものの、まるで雪山で遭難でもしたかのように必死に眠気と闘う。眠気覚ましに、今夜も台所にギターを持ち込んでブルースを弾いてみる。ブルースを弾くのは楽しい。っつうのは、苦も無く弾けるからであるが、なんていうか、フレージングを考えるのが楽しい。しかしながらジャズブルースだとⅡm7-ⅤというところのⅡm7のところのフレージングがなかなか難しい。あとは12小節目のドミナントの解釈。ま、ペンタトニックやブルーノートスケールで通してしまうというのも手だが。ずっと楽器を触っていなかったので、毎晩弾いていればもう少し弾けるようになるだろう。いずれにせよ、今まで退屈極まりないと思っていたブルースを興味深く聴けるようになったのは進歩だ。

例によって梅酒を飲み始めたら気のせいか若干眠気が治まってきたような気がするが、頭に伸縮性のネットでも被されているような、なんていうか、脳が間接的に存在しているような感じ。それはそうと、マメにメールチェックしていなかったので気づくのが遅れたが、学生時代の同級生女子からメールが届いていてびっくりした。何しろ35年振りだ。この日記を読んでくれたそうで、有難いことである。彼女、姓が変わっていなかったが、僕のつたない記憶によると30年ぐらい前に一度電話したときにお父さんが出て結婚しましたと言っていたような気がするんだが。はて。

今夜はとっとと寝てしまいたいところなのだが、まだ決済していないポジションがひとつあってこれをどうしたものか。目をつむって明日まで持ち越すか。


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命日にブルースが聴こえる

2月4日、水曜日。

今日(4日)は父の命日、午後は県立中央病院で悪性リンパ腫の予後検査であるCT検査があるので、午前中に寺に行った。今の時期は墓地は雪に埋まっていて墓には辿り着けないので本堂の位牌堂に線香を上げる。寺から戻る道すがら弟から電話があり、もうこの町に着いているという。帰宅するとすぐに弟夫婦がやってきた。少し話し、彼らは僕と入れ替わる形で寺に向かい、その足で母のところに寄って仙台に戻る。僕は蕎麦を茹でて昼食を摂り、1時過ぎに病院へ向かう。検査の予約は2時、10分前に到着。思いの外待たされず、検査もあっという間、拍子抜けするくらいに早く終わった。帰り道にドトールに寄る。久々に飲んだドトールのカフェ・ラ・テはちっとも美味しくなかった。このドトールは大きな書店に併設されているので本屋を覘く。すると、翻訳書というか、海外文学の文芸書のコーナーがやたらと小さく、目当ての本はなかった。しかし今どきの翻訳書のハードカバーは馬鹿高くて手が出ない。いくら部数が出ないからといって4000円近いのでは。確かにアメリカでは10年以上前からハードカバーの本は40ドルとかしてたし、考えてみればアナログのLPレコードは3000円とかしていたわけだからしょうがないのか。大半の本は文庫化されるかどうかも分からない(高い本ほど文庫化されないような気がする)ので、アマゾンで中古で安くなるのを待つしかないか。

本日はイスラム国がヨルダンのパイロットを焼殺したことが判明、すかさずヨルダンは交換条件となっていた死刑囚の死刑を執行、もはや報復の泥仕合の体を成してくる。

相場の方は朝方取ったポジションが夕方にはいい感じで利食い出来て、その後取ったポジションでも少々プラスで決済、後は控えめにしておこうと思ったのだが、つい深夜の指標時にまたポジションを取ってしまいいらぬ苦労をして余計な微損を食らう。ぎりぎりまで待ったつもりだが、今チャートを見ると結果的にはもうちょっと我慢すべきだった。一日トータルではプラスなのでまあいいか。

夜、台所でなんとなくYouTubeでジャズのフルアルバムを聴いていたのだが、ジョニー・スミス(オルガン)のアルバムをかけて物凄くシンプルなブルースが始まると、なにやら急にギターが弾きたくなった。それで書斎からギターを持ってきて動画に合わせてひとしきり弾いた。台所でギターを弾くのは初めて。これまではシンプルなブルースにはあまり興味がなかった。聴いていても皆同じに聴こえるしどちらかというと退屈すると思っていた。弾くとそれなりに楽しいのだけれど。ところが、その後風呂に入ると頭の中でブルースがずっと鳴っている。フレーズのアイディアが次から次へと出てくる。なんていうか、この歳になって急にブルースに目覚めたような感覚。今まではブルースをペンタトニック・スケール(あるいはブルーノート・スケール)で弾くのは簡単過ぎてつまらんと思っていたのだが、そういうバイアスがすとんと抜け落ちたような気がした。考えてみれば僕の好きなラリー・カールトン、ロベン・フォードといったギタリストは皆ブルース・ルーツのギタリストだ。ここに来て原点に立ち返ったような気がしないでもない。父の命日に頭の中でブルースが聴こえてくるなんてなんか素敵だ。


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サプライズ

2月3日、火曜日。

今日驚いたのはアギーレ解任(契約解除)の報。告訴が受理されたこを受けて。考えてみれば十分に予測出来たことなのだけれど、気分的には突然というか急転直下という印象を受けた。正直言ってアギーレはそんなに悪い監督ではないと思うしもう少し見てみたかったが、裁判に通いながら監督を続けるのはやはり無理というものだろう。だから今回の決定は当然といえば当然。気になるのは後任だ。いろいろ噂に上ってはいるけれど、そう簡単には決まらないと思う。個人的にはザッケローニにもう1回やって欲しい気がするのだが。W杯で結果を出せなかったし、采配の問題とか失点の問題とかはあるけれど、上手くはまったときのザックのサッカーは面白かったし見ていてわくわくするものがあった。それに、現在の日本の選手を把握しているというメリットも大きい。名前が挙がっている中ではストイコビッチはどうかなあと思う。正直よく分からない。名古屋時代にそんなに成績よかったっけ? どういう戦術なのかいまひとつ分かってない。日本人では城福ぐらいかな。ただの印象論だけど。岡田で守備的なサッカーに戻るのはなんかつまらない気も。

9時ごろ起床。今日は雪は降らなかった。助かる。朝食後、相場のポジションを成行で持った。それから今日もなんとなく業務へ。2時半ごろまで。明日(というか日付が変わったので今日だが)父の命日なので花を買って帰る。

帰宅すると、朝持ったポジションはストップを食らっていた。これですっかり調子を崩してしまう。後で分かったのだが、オーストラリアが金利を下げたのが原因だった。サプライズと言えばサプライズで最近こういうの多い。ここからちまちまとポジションを取りまくるという、ある種の状態に突入。どうもスキャルピングは性格的に向いてないっぽい。どたどたとストップを食らいまくる。気がつくと夜までやたらとポジションを取りまくっていた。もはや大敗は確定、すっかり自己嫌悪に陥る。ところが夜の10時ごろになって突如としてユーロ買いが始まり、半分ぐらい取り戻したのだけれど、ちびって早く決済し過ぎた。ここまで上がるとは思っていなかったので。何が起きたのかと思ったらギリシャ関連だった。今日はここまで相場が動くとは当初思っていなかったのでびっくり。結局今日は朝方考えていた方向で大体合っていたのだが、ストップを食らったことで動転してしまい、相場観が二転三転して訳が分からなくなってしまった。

相場でボコボコにされて気落ちした夜、父のことを思い出す。今さらながらもっと親孝行したかった。父は本当に優しい人だった。徹頭徹尾僕に甘かった。僕はその期待をことごとく裏切ったし、長いこと薬でブレていたとはいえ、とことん駄目な息子のままだった。結果的には、父にとってただの放蕩息子で終わってしまった。それがとにかく残念だ。父と行った町外れの人造湖はいい思い出だ。僕に出来ることは仏壇の脇に花を飾って、父のことを思い出すことぐらいだ。葬儀では父がかけてくれと言った、僕が昔プロデュースした般若心経のアンビエントハウスのCDをかけた。父は喜んでくれただろうか。

パパ、本当にごめん。

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脱力日

2月2日、月曜日。

予報では雪だったがちらついた程度で積もらず、幸いにして今日は雪かきをせずに済んだ。昨夜寝たのは3時半近く、出来れば10時ぐらいまで寝ていたかったのだけれど、9時前に起きてしまった。最近の習いで当然睡眠が足りない。眠くてあくびを連発する。10時を回ったころにあまりにも眠いので諦めてソファで毛布を被って午前中一杯寝る。夢を見て、そこそこ眠れた感じはした。

とまあそんなわけで午前中は寝てしまい、相場の朝の動きに乗り損ねた。なので夕方からの欧州時間かもしくは夜の米指標辺りに照準を合わせて指値だけ置いておく。どうも週明けで平日が始まったという緊張感に欠ける。なんにせよやる気というものがない。気力が湧かない。どこか脱力している。

昼食後の午後になってから、遅ればせながらなんとなく様子見がてら業務へ。だらだらと夕方まで。結局様子見に終わる。帰宅後も相変わらず脱力してやる気がない。huluでピーター・イェーツ監督、スティーヴ・マックイーン主演の「ブリット」(1968)を見始める。確かに何度となく見た映画なのだが、細部まで覚えていてちょっとびっくりする。前回見たのはもう20年以上前だと思うのだが。ところが、途中でhuluのサーバがトラブって見れなくなる。

夕食後、台所でノートPCに向かっているとどうも表示がおかしい。サイトによって文字の表示がところどころ欠ける。どうやら最近はなんとか治まっていたものの、またぞろ不良セクタが原因のようだ。まだ買ってから2年も経っていないというのに。再起動してみるとどうやら表示は直ったものの、今度はブラウザの挙動がおかしくなったりする。PCの調子が悪いとまったく憂鬱だ。なんとも気が滅入るので気分転換に風呂の掃除をした。すると、フィルターがゴミで詰まっていて大変なことに。古い歯ブラシでフィルターを掃除したものの、湯を全部抜いた後にも関わらず何かコトコトと音がする。これはいかんと思ってジャバをかけようとするが、当たり前のことだが湯が残っている状態じゃないと出来ないことに気づき唖然。しょうがないので次回の風呂掃除のときにジャバをかけることに。

こんな風に、自分のやる気のなさに合わせるようにいろんなものが調子が悪くなる。少なくともそんな気がする。こうして夜は更けていく。風呂を沸かしている間、そういえば本日は昼寝と様子見の業務ぐらいしかやってないことに気づき、ようやっと相場をやる気になる。指値は成立しそうにもないので、ひとまずプラン通りに成行でポジションを取ってみる。最初の指標では思ったほど動かなかった。どうも今日はやる気そのものがないせいか、自信もないし待っていられない。読みと逆に動いているわけではないので普通なら深夜の指標まで待つところなのだが、若干なりともプラスになっていたし、風呂に入るタイミングで決済してしまう。風呂から上がり、深夜の指標になるころには当初の読み通りの展開になっており、あのままポジションを持っていれば正解だったなと思うものの、今日のところはやる気も根性もなかったのでしょうがない。ひとまず読みは正しかったということでよしとしておかねば。

しかし、なんで本日はこうもやる気がなかったのだろうか。普通なら相場のポジションを持ったところでアドレナリンが出て緊張感を維持出来るのだが、今日のところは脱力の方が上回ってしまった。終日やる気のないままだらだらと過ごした。午前中一杯昼寝をしたというのにもう目がしょぼしょぼしてきている。なんともモチベーションの低い日だった。


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連鎖、焦燥

2月1日、日曜日。

気がつくと2月。

9時過ぎに起きて、朝真っ先に飛び込んできたのは人質事件の後藤さんが殺害されたというニュースだった。残念極まりない。それで、よせばいいのに遺体が映った動画を見てしまった。トラウマになるかと思われたが、何故かそれはいまひとつ現実味がなかった。この結果を受けての安倍晋三の発言は多大な問題を孕んでいる。特に、「テロリストたちを絶対に許さない。その罪を償わせるために、国際社会と連携してまいります。」という発言、集団的自衛権を発動するという意味にも取れる。後藤さんの母が言及したように、報復の連鎖、憎悪の連鎖を思わせる。今回の事件の問題は、湯川さん、後藤さんの殺害で終わりではなく、始まりだというところだ。憎悪の連鎖ということは恐怖の連鎖ということでもあり、それはイスラム国が望んでいることに他ならない。いずれにせよ、一連の日本政府、安倍晋三の対応、言動は事態を悪化させるだけで最悪の結果をもたらした。肝心なのはこれ以上最悪にしないことだと思う。

朝食後に雪かき。今日の雪は湿気を含んで重く、ただでさえ重労働なのに除雪車が入って巨大な雪の塊を大量に置いていったので超重労働になった。真面目な話、歳を取ったら無理かもと心配になるくらいの重労働。しかし車庫の前を雪かきしないことには車すら出せない。小一時間の雪かきですっかり疲労困憊。

昼はなめこおろし蕎麦を作って食べた。いつも缶詰やレトルトで済ませている夕食よりも手をかけたぐらいだ。おいしかった。午後はさすがに疲れてコタツで2時間ちょっと昼寝。夕飯は久々に外食。同級生のM木に町内で一番おいしいラーメン屋はどこか電話で聞いたところ、以前母が教え子がやっていると言っていた店だったのでそこに行ってみる。みそチャーシュー麺を食べたがいまひとつだった。もっとこってりしたラーメン、欲を言えばとんこつのラーメンが食べたかったのだが(とんこつはなかった)。この町は蕎麦のレベルは高いのだがラーメンのレベルは低いことが判明。

夜は今日も煮詰まる。落ち着かない。不幸とまでは言わないにしろ、幸せじゃないという感じがしてならない。所詮今日は日曜日、休日であるのだから何かをしなければならないというほどのことはないとは思うものの、焦燥感、欠落感、孤立感というものに駆られる。話題のアンディ・ウィアー「火星の人」を読み始めてそれなりに面白く、休日なのだからゆっくり本を読んでいいはずなのだが、どうにも読んでいてこんなことをしていていいのだろうかという疑念が湧いてしまう。充足感がないのはともかく、やるべきことをやっていないという強迫観念のようなものが抜けない。だが果たして、日曜日にやるべきことってなんなのだろう? ツイッターのタイムラインを追っていても、どうにも世の中が自分と関係のないところに存在しているような気がしてならない。自分が世界から浮いているという孤立感。どうにも幸せというものを見失っている感じ。たぶん、自分でも自覚しないうちに抑うつ状態に陥っているんだと思う。


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更新報告(BS事件 ― 超常現象風味 ―)

1月31日、土曜日。

夜になってちょっとした事件(いや、ちょっとしたというわけでもないのだが……)が起こってバタバタしてその顛末を書き始めたらやたらと長文になってしまったのでfragmentsの方に更新(「BS事件 ―超常現象風味―」)。それを読んでもらえれば分かるのだが、今日はオーストラリアが韓国を破って初優勝を遂げたアジア杯の決勝を見れなかった。

ともあれ、今朝も8時過ぎという想定外に早く起きてしまった。朝食後に玄関を開けて出てみると除雪車が入って雪の塊を置いていったので雪かき。予報では雪だったが朝から午前中にかけては雪は降っておらず、結局不本意ながら業務へ。2時近くまで煙草銭を稼ぐ。帰宅するころには雪が舞っていたが、湿気が多くすぐに融けて積もる気配はなかった。なので帰宅後に特養に電話をして(いまだに面会再開の連絡を受けていないので)確認後に母の顔を見に行った。

今日も静養室で面会。母は変わらず落ち着いていたのだが、暖房のせいでまたもや物凄く眠くなってしまい、1時間もいられずに帰宅。情けない。近頃まったく暖房というものに弱い。帰宅後はアジア杯が始まるまで台所で本を読んでいたのだが精神的に煮詰まる。なかなか本を読んでも文章が頭に入って来ないし、かといって何か他のことが出来そうな気も全然しない。あまり効果が感じられないし記憶力と判断力が落ちると医者に言われたので安定剤を飲まずにいたのだが、かといってそれで何かが改善された気配もなく、まったくもって僕は煮詰まっていた。そこに前述の事件が起こった。

まったく、ほんのちょっとした思い込みで世界の見え方が変わってしまう。それに、改めて自分が感情をコントロールすることがなかなか出来ないということに気づき、唖然とする。人間はもろいなあと思う。そして、それが世界をもろくする。

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コタツの魔

1月30日、金曜日。

どうにもコタツと相性が悪い。どうやっても寝てしまう。もはや諦めて、コタツに入るときは寝るつもりで入る。で、寝ると決まって具合が悪くなるのだから困る。冬の間、終日コタツで過ごしていた両親は一体どうやって意識をなくさずにいられたのか謎だ。いや、両親のみならず、この界隈の老人連中は大概一日をコタツに入って過ごす。僕とて以前はコタツに入って毎回毎回即気絶していたわけではなかった。どうしてこのところ条件反射的に意識をなくしてしまうのだろうか。

そもそも今日は寝不足だった。何時ごろだろう、とにかくまだ真っ暗なうちに一度トイレに目が覚め、次に目が覚めたときは7時9分だった。今日は燃えるゴミの日だからゴミを出してしまおうと起きた。昨夜はいつもより早く寝たが、それでも2時は過ぎていたはずだ。昼寝するのは必然と思われた。ともかく、ゴミを出すことは出来た。

朝方はまだ雪は降っていなかった。早起きしてしまったのでこのままでは煙草ばかり増えてしまうと思い、朝食後に業務に。開店直後なのでがらがらだった。一応選んだつもりだったのだが結果的には下ネタを掴まされボコられる。どうやら早起きは得ではなく、むしろ損なようだ。1時前に撤退。外に出ると雪が降りしきっていた。帰宅すると寒くて死にそう。寝不足のわりには眠気はそれほどではなかったのだが、とにかく寒くて仕方ないし、4時半の歯医者の予約までにはまだ時間もあるのでコタツで少し寝ることにしたのだった。

で、4・50分ほどコタツで寝ると前述のように具合が悪くなった。とにかく調子が悪い。胃がむかむかするような感じもあるし気分も悪い。なんでコタツで寝るたびにこうも調子を崩すのだろうかと首を捻る。窓外は雪が凄い勢いで降っている。ともあれ歯医者には行かねばならぬ。

外に出ると、考えてみればあれだけ降り続いていたのだから当たり前なのだが、玄関前にはすっかり雪が積もっていた。これは雪かきをせざるを得ない。しょうがないので歯医者から帰宅後、日が翳った中雪かきをした。すると、先ほどまでの体調の悪さはむしろ治まった。結局のところ、ぐだぐだと寝てばかりいて調子を崩しているので、身体を動かした方がいいということに気づいたのだった。まあそれは薄々分かってはいたものの、何しろ寒いのでどうしても暖房をつけている部屋に閉じこもりがちになってしまう。

夕飯を摂りながらアジア杯の3位決定戦、イラク×UAEを見る。点の取り合いで2-3でUAEの勝ち、結構面白い試合だった。UAEの10番オマルはやはり別格のスキル。逆にイラクはフォワードのマハブートが倒れてばかりで決定機を逃したのが響いた。

相場は朝方指値をしたのだが結局指値はつかず。方向の読みは当たっていたのだが入るタイミングを掴めなかった。今日のところは様子見、夜の指標時に少し小銭を稼いだだけ。今日は相場をやるほど頭が回らなかった。

そんなわけでとにかく寒いし雪は降ってるし体調は悪いしで、ほぼ何も出来ないまま漫然と一日を過ごす。ツイッターで人に勧められた、精神科医が書いたドキュメンタリー、「旅するサイコセラピスト ―特別な患者たちのその後を訪ねて」という本をつらつらと読むが、ひとつには昨日の日記にも書いたようにその前に読んだ「ストーナー」があまりにもよかったということもあるが、精神を病んだ人と向き合うという話がどうも読んでいてしんどい。普通であれば小説よりもドキュメンタリーの方が読みやすい場合も往々にしてあるのだが、どうも今は自分の体調がよろしくないのに同期するように精神状態もあまりよろしくないので、あまりにも精神的にどうかしている人の話(実話)を読むのが辛い。例えば今読んでいる章は北極熊に恋してしまう(比喩的にではなく真剣に恋愛感情を抱いてしまう)男の話なのだがどうにも読んでいて辛くなってしまうのだった。これはたぶん、僕自身が精神を病んでいるということもまんざら関係なくはないと思う。極度の抑うつ状態にあるという自覚はないが、ここ最近はずっと頭が回らないしどんよりとしたうつの傾向にはあると思う。少なくとも常に水面よりもちょっと沈んでいるという憂鬱な感覚が抜けない。それは多分に雪に閉ざされた冬の閉塞感というものもあると思う。

気がつくと毎晩梅酒を飲んで酔っ払っている。依存すると嫌だなあとは思うものの、終日身体がだるくて疲れが取れず、頭に靄がかかったようでいるとああ酒を飲んで寝てしまいたいなどといつの間にか考えている自分がいる。こういうのが依存の始まりなんだろうなと思いつつ。

まだまだ冬は続く。


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ストーナー

1月29日、木曜日。

昨夜寝床でジョン・ウィリアムズ「ストーナー」を読み終わった。

とにかく素晴らしい読書体験だった。主人公のストーナーは助教授止まりの特にこれといって秀でているわけでもない大学の教師だ。忍耐強く、理不尽なことにも激昂して声を荒げることもない。唯一、感情の赴くままに熱烈に求婚した結婚も結果的には失敗だったと言えるが、それに関してもことさら文句を言わずに耐え続ける。特に劇的なことは起こらない。それゆえ、この小説は地味な話だとも言われる。だがそこがいい。ツイートにも書いたように、読んでいて飽きることがない。校長になることも教頭になることもなく、一高校教師として教員生活を終えた亡父がどこかに重なる。人生とはこういうものなんだなあとしみじみと思える。あまりいい例えではないかもしれないが、しんしんと雪が降り積もるように語られる凡庸な人生。とにかく、最近読んだ本の中では出色の一冊だった。ストーナーの人生がいとおしくさえ思える。それはつまり、己の人生に対するいとおしさでもある。長く静かな余韻に浸れる本だった。

ストーナー

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というわけで、本日は3時半に寝て9時に起きた。確かに睡眠時間は足りず、終日眠気に悩まされた。午後にコタツで小一時間ほど寝たのだが、どうも最近は足し算で7時間は寝ないと足りないようだ。夜に至るまでまるで頑固な油汚れのように頭に眠気が貼りついて離れなかった。台所の窓から隣家が毎日のように雪下ろしをやっているのが目に入るので、うちもやらなければならないかなと昼寝後の3時ごろに梯子代わりの脚立を立てかけて玄関の雪下ろしを試みた。屋根に上がるのは怖いので脚立から。しかしがちがちに凍っていてどうにも手に負えない。結局端を削る程度に終わった。ところがこのたかだか20分程度の雪下ろしが夕方になって効いてきて、どっと疲れがやって来て身体が重くなり眠気に拍車をかける。一旦は夕飯を食べて治まったかに思えた眠気だが、しばらくするとまた否応なく襲ってくる。そんなわけだから今日はなかなか頭がまともに働かない。なんていうか、一日中蚊帳の中にでもいるようだった。蚊帳なんて言っても今の人は知らないだろうけど。蚊帳を使っていたのは僕がまだほんの子供だったころ、まだ夏になると蛍が飛び交っていたころだ。

そんな茫漠たる眠気と疲れと闘いながら、それでも夕方から相場をやってそれなりの、この界隈の職人の日当ぐらいは得た。悔しいのは夕食後に取ったポジションを間違ってノートPCのタッチパッドを触ってしまって決済してしまったことと、その後に取ったポジションを利食いし損ねて同値決済になったことだけれど、一時は物凄く悔しくてまるで負けたような気分になったが、今のチャートを見ると結果的には読み間違いだったので結果オーライと言うべきだろう。

huluでデヴィッド・フィンチャー監督の「ゾディアック」を見始めたのだけれど、眠気に負けて中途になっている。今日は眠気もそうだし疲れも取れなくて、全身にガタが来ている感じだからもうちょっとギブアップな状態。早々に寝床に就いて本でも読もうと思う。

例のイスラム国の人質問題、昨夜は24時間の期限が来て固唾を飲んで情報を待っていたが、ただひたすら錯綜するばかりで今に至るまで進展はない。

今日は降らなかったが、明日は予報によると雪になりそうだ。


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