あらゆる意味で休んでない

夕方から夜にかけて不安感が強くなり、例によって酷い抑うつ状態かそれともベンゾジアゼピン系(安定剤・睡眠薬)の離脱症状かと思ったのだけれど、どうやらそうでもなさそうで。間違いなくとんでもなくダメな状態で、自分でも顔が青ざめているのが分かるし唇の辺りに血の気がないのも分かる。しかし、以前の抑うつ状態のときのように無理やりでも昼寝出来そうな感じがしない。リセット、リスタート出来る感じがない。どうしても不安感が強いのでHと電話で話してもみたけれど、口があまり回らないし、話がなかなか頭の中にダイレクトに入って来ない。頭が回っていない気がするし、なんか時差ボケに近いような気もする。

そんなわけで、どうもこれは過度の疲労の蓄積と極度の睡眠不足らしいことに気づいたのだった。実際、昨夜も寝たのは3時過ぎなのに6時台に目が覚め、二度寝しても7時過ぎには目が覚めてしまった。日中も眠れる気配がない。考えてみれば、先月の26日に母親が倒れて手術をして以来、かれこれ1ヵ月近く過度に精神的に追い詰められた状態が続いているし、1日たりと気が休まる日がなくノンストップで緊張状態が続き、おまけにそのうちの大半は非日常的な尋常じゃないところにいた。ようやくそこから脱しても休むことなく母の病院に通い詰めている。そのすべての原因が自分にあると思い込んでいるせいで強烈な自責の念が巨大な漬物石みたいに僕に乗っかって僕を押し潰し続けている。それでいてロクに寝ていないのだから、当たり前である。もうとっくにキャパシティオーバー、喫水線を超えているのだ。

この状態では丸一日リラックスして過ごすなんて到底無理、一日の中でもメリハリをつけて気分転換を図るのも至難の業、まったく頭の痛いことで実際ときどき頭が痛くなる。高梨沙羅のジャンプの録画中継やら天皇杯やらを見てもどこか入り込めないし心の底からは楽しめない。何をしたらいいのか分からなくなる。せいぜいが放心して煙草を吸うぐらいが関の山だ。

なので、今日は薬を使ってでも早めに寝てなんとかしてまともな睡眠を取らなければと思う。僕に必要なのは暦の上の休日ではなく、真の意味での休息であり安息だ。1日でいいんだ、1日で。半日でもいい。

今日は朝から凄い勢いで雪が降っているかと思うと晴れたり、また吹雪のように雪が降ったかと思うとまたもや晴れてみたりという奇妙な天気の日だった。なので、結構雪が降ったような印象のわりには雪は積もらず。午前中晴れている時間にガレージの前だけ雪掻きをしたらすぐへばる。息が上がる。

今日の母は元気がなく、疲れているようだった。母が元気がないと僕も元気がなくなる、というか元々そんなものはない。そういえば書くのを忘れていたが、静脈血栓で象の足ようにむくんでいた母の左足は大分よくなっていた。病院からの帰り、1000円カットに寄って髪を切った。

母の病院に通うのを休むつもりは今のところない。何故なら「病院に行かない=休める」というような単純なものではないから。むしろ明日辺り、天候次第だが病院に行く前に久々に業務にでも行こうかと思っている。休息と同じように気分転換を必要としているから。それとある種の集中も。

そういえば、帰宅してみたら10年振りに買った馬券が当たっていた。ネットで有馬記念のオルフェーヴルの単勝と複勝を買っておいたのだ。1000円ずつ。YouTubeで見たら圧勝だった。単勝1.6倍というのはこの場合、高配当ではなく好配当と呼ぶべきだ。しかしながら、こんなことやっても意味ないな、とも思った。競馬というものは継続的に観て継続的にやらないと意味がない。で、今のところそんなことに費やす余裕はない。あらゆる意味で。たぶんもう買わないだろう。

安息を。休息を。


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現実

hospital3
母の病室から見た風景。

fragmentsを更新。(「絶望の中で読んだ本」

さっき雨の音がしていた。いずれ雪に変わるのだろう。今日は朝方雪がちらついていたものの、午後からは主に雨。

留置場にいた間、僕は番号で呼ばれた。僕には名前がなかった。僕が名前を取り戻して今日で3日目。それはつまり、僕が自由と現実を取り戻して3日目ということなのだが、僕は3週間のあいだ非現実にいたわけではなく、やはりそれもまたもうひとつの現実、いわば「異」現実とも呼ぶべきものだった。しかし病室で手を握りながら手術で髪を切って坊主頭になってしまった母の顔を見ていると、今の現実というものも次第にどこか曖昧になっていく気がするのだった。

弟は3時過ぎに母の病院から直接仙台に帰り、病院から帰宅すると僕はまたひとりぼっちになった。夜は例の電話病に悩まされ、誰かと話したくてしょうがなかったが、なんとか弟に電話するだけでとどまった。いまのところ。

午後、弟と二人で母の病室に辿り着くと先客がいて、それが母の友人2人だったのでびっくりした。一体どこから母がこの病院に入院しているという情報が伝わったのだろうか。友人2人がいる間の母は、昨日よりも元気そうに見えたのだが、その2人が帰るとどっと疲れたらしく、元気がなくなった。しかしながら、今日の母は友人が置いていったジュースをときおり飲んだり、トイレに行くのに看護師の手は借りるものの自分でベッドから降りて歩いたりは出来ていた。弟が帰った後も僕はしばらく病室に残り、5日も用便がないとのことで看護師が母に坐薬を入れたので、母が用を足すまで待った。5時近くに病院を後にするときには日は既に落ちていた。

帰路、なんとなくドトールに寄ってカフェ・ラ・テを飲んだ。さしたる意味はない。ただ立ち寄って一服したかっただけだ。この現実に戻って以来、すっかり僕は食欲がない。ご飯も炊いていないし、夕飯は簡単なスパゲティを作って済ませた。

何かが頼りないし覚束ない。そんな不安定な感じが常にする。いつもどこか危うい。たぶん、現実というのはそういうものなのだろう。

12時からマンUの試合をBSで中継するというのですっかり見る気になっていたのだが、相変わらずNHKはびっくりするほど引きが弱く、BSで生中継をするときには香川は決まってスタメンではない。途中から出るかも知れないから一応最後まで見るべきかな。それともいまだに十分に熟睡出来ていないので今夜は早めに寝た方がいいのだろうか。しかし、どうせ午前中は何もすることがないしやる気もないから、別に遅くなっても構わないのだが。

とか書いていたらマインツの岡崎がゴールだって。と思ったら今度は岡崎アシスト。岡崎凄いな、今日は。香川はまだ出る気配なし。ヤヌザイがゴールって、また水を開けられるな。

明日の有馬記念でオルフェーヴルの単勝買いたいのだが、登録したはいいものの、いまだに買い方が分からない。どうするか。

明日は予報通り終日雪なのだろうか。あまり派手に降られると母の病院に車で行くのもちょっと不安だ。なんていうか、もう少し、もうちょっと、上手く生きる方法をなんとかして見つけられないものだろうか。


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翻弄

良いニュースと悪いニュースがある、というのは村上春樹の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」の帯の惹句だったけれど、良いニュースというのは今の僕にはなかなか見つけられず、つまりそれは良いことを良いことであると認識するだけの精神状態にない、ということでもある。

そんなわけで、今朝方弁護士から連絡があり、それはとても悪いニュースに思えた。というのも、その内容というのが、昨日の日記にも書いたように僕の処分は起訴猶予ということで捜査は終了ということであった筈が、弁護士が検察庁に確認したところ、起訴猶予ではなく処分保留であるという話だった。何しろ昨日の今日であるし、今の僕の精神状態は生まれてこの方ないほど脆弱で、些細なことにも激しく動揺する、いわば極度に一喜一憂してしまう状態なのだった。なので、僕は非常にショックを受けた。弁護士の「今後も気を付けてください」という言葉に極めて過敏に反応してしまった。僕には、処分が覆ってしまったような気がしたのである。それで僕は今後も捜査が続く可能性があると思い込み、そのうち忘れたころに起訴されるのではないかと思い込み、もはや枕を高くしてどころか、これではおちおち眠れもしないと思った。実際、僕の手はまたぶるぶると震えてしまったぐらいだ。とにかく今の僕は物事が悪い方に転がることしか頭に浮かばないので。

そんな感じで途方もなく悪いニュースと思い込み、動揺しながら弟と一緒に母の病院に向かおうと玄関を出ると、ちょうど叔母がやって来た。この叔母は例の僕の苦手とする饒舌な叔母だが、彼女はかつて裁判所に勤めていた。で、僕が玄関先で今聞いたばかりの話をすると、どっちにしても終わったのだから普通に生活していれば問題ないのだ、と叔母は言うのだけれど、僕はにわかにはなかなかその言葉を信じられなかった。

で、一旦話を夜まで飛ばすと、父君がかつて弁護士であった後輩のM月くんとLINEで話したところ、処分保留と言ってもお役所仕事としての検察の案件としては終了しているのであり、余程ヒマでもない限り継続捜査などしないということで、僕の杞憂であるということだった。まあそれならそれで一安心、というのが普通なのだろうけれど、何しろ今の僕はあらゆる意味で弱り切っている。あらゆることに翻弄される。こちらが済めばこちら、という具合に憂鬱になるタネは尽きないのだった。

そもそも今日はロクに寝ていない。昨夜はなかなか眠れず結局睡眠薬2錠飲んで寝たのは3時過ぎ、で、今朝起きたのは7時半、4時間半しか寝てない。身も心もボロボロの状態。

ここで時間を巻き戻すと、弟と中華そばの昼食を摂ってから、降りしきる雪の中を母の病院に向かった。母は7階の一般病棟に移されていた。三週間ぶりに会う母は顔色も悪くなく、思いの外状態は悪くないようだった。少なくとも、手術後の経過としては順調である。手術以来、統合失調症の薬は一切飲んでいないらしいのだが、ちゃんと脈絡のある会話も交わすことが出来る。ときどき、自分のベッドがないとか、年金がもう出なくなるとかぼそっと言ったりするのだがその程度、確かに記憶はかなり怪しいのだけれどちゃんと話は出来る。そこで僕は昨日までの経過、つまり何故僕が三週間も病院に顔を見せられなかったか、要するに僕は昨日まで警察に逮捕されていたのだと話した。そして、母の怪我が僕のせいと言うことにされてしまっていたのだと話すと、そんなことはない、なんでそんなことになったのかと母は言う。そして、母は僕の頭を撫でた。恥ずかしいことだが、そして当然のことでもあるが僕はボロボロと泣いた。ティッシュペーパーをひたすら消費した。

これはたぶん良いニュースに入る部類なのだろうが、今の僕は素直にそういう風に認識出来ない。とにかく母が可哀想だ。確かに母は順調に回復しつつはあるのだけれど、これは医者からも言われているのだが、老齢のせいで体力が何処まで回復するかはまだ分からない。既にリハビリは始めているのだが、現在の病院の後はリハビリ専門の病院に移る予定になっており、果たして母が自力で歩行し、入浴やトイレなどを済ませられるところまで回復するかどうかはまだ分からない。もしそうならないとすると施設に預けるしかしょうがなくなる。とすると、もしかすると母はもう自宅に戻れないかも知れない。そう考え始めると僕は例えようもなく暗澹とした気分にずぶずぶと沈んでしまう。母が可哀想で堪らない。それに、実際のところ、明日弟が仙台に戻ってまた自宅に僕一人だけが取り残されることが怖い。30年以上も一人暮らしをしてきた人間が何をいまさらというところなのだが、本当に怖いし心細い。

寝不足と疲れのせいで、病院の帰りに弟と寄ったドトールで僕は物凄いダルさを覚える。弟と施設云々の話をしているとホントに暗くなる。かように、何をもってしても今の僕は翻弄されてしまうのである。暗い方に、暗い方に。

夜は前述のM月くんの後、元妻とも長電話をしたし、Hとも電話で話した。これを書いている今、もう深夜2時近い。たぶん僕は眠いのだと思う。ここで残念なお知らせなのだが、M月くんの忠告もあり、昨日の日記には書くと書いたものの、今回の勾留中の詳細を書くのは控えることにする。勾留前の日記の一部も削るべきところは削った。何故だから知らないが、昨日の日記のアクセス数がやけに多かったのも気になるし。

僕が自分の心のバランスを取れるようになるまで、まだしばらくかかるだろう。気がつくと世間はもうすぐクリスマス、そして今年も終わろうとしている。まったく唖然とする一年だ。少しばかり静かに過ごそうかと思う。もちろん、そんなことが出来ればの話だが。

明日も雪なのかな。


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21 days

何から書いたらいいのだろう。とりあえず生きてます、まだ。

先月の29日に僕は警察に逮捕され、20日間の勾留延長の末、本日(19日)4時過ぎに起訴猶予で釈放されました。

今、21日ぶりに自宅の書斎でビル・エヴァンスを聴いている。まだ手がちょっと震える。いまだに自分が自由になったという実感も湧かない。自由ってなんだろうと思う。警察の留置場にいる間、僕の頭の中にある自由のイメージはコーヒーと煙草、ネット、自宅の台所だった。21日間、僕には自由というものがなかった。

21日間もの間のことを、今日一日の日記として書くのは土台無理だ。もう少し落ち着いてから、明日から少しずつ詳細をここかfragmentsに書いていこうと思う。とにかく僕は21日間、自由のない世界、こことは別の、いわば月の裏側のようなところにいた。

あらすじだけは書いておこう。

僕の罪状は母に対する傷害。29日の朝、警察が自宅を訪れ、任意ということで警察署に連れて行かれ、驚いたことにその日の夕方6時ごろに逮捕状が出て僕は手錠をはめられ、腰縄をかけられ、自由を奪われた。一切誰にも連絡すら出来ない。僕は見ていないが翌日には地元の新聞に実名報道されたらしい。にわかには信じ難いことだった。通常ならばまず事件性の有無から捜査が始まるにも関わらず、そこは飛ばして勇み足と呼べるほどの異例のスピードで物事は進んでいった。警察と検察は犯罪であると決めつけ、僕が犯人であると最初から決めつけていた。母の担当医の、罪には問われないと思うとか、むしろ警察に通報した方がいい方に物事が進むと思うという発言、実際の原因は分からないのですという事前の発言、そういったものとはまるで正反対の方向に事態は有無を言わせず進んでいった。

弁護士にすら連絡を取ることが出来ない。僕が外部と連絡を取るには、国選の弁護士が接見にやってくるのを待って頼むしかなかった。そしてまた弁護士がやってくるのを待つ。弟だけは2度面会に来てくれ、差し入れもしてくれた。弟は今日も僕を迎えに仙台から来てくれた。

普通に生活していれば知りえない今回の体験で僕が知ったのは、警察も検察も司法も、決して僕らを守ってはくれないのだということだった。そこにあるのは後付けの「事実」と称するものであり、彼らによるある種の極度の視野狭窄だった。そして、字面の上だけの正義らしきもの(果たしてそう呼べるかもはなはだ怪しい)だった。それと名目上だけの権利。実質、僕はまったくもって囚人扱いされ、権利と呼べるものはほとんどないに等しかった。犯罪者と呼ばれるのは有罪が確定してからであり、起訴されてからは被告人、僕はその手前の被疑者であるに過ぎなかったにも関わらず。

やはりこの調子で書くととんでもない長文になりそうだ。それに、僕はとても、とても疲れている。だが簡単には眠れそうにもない。

4時半に弟が迎えに来て、弟の車で僕らは隣町のイオンにあるサイゼリヤに行き、僕は21日ぶりにコーヒー(カプチーノ)を飲み、煙草を吸った。

capchino

それから僕は21日ぶりに暖かい食事を摂った。留置場では暖かい味噌汁の一杯も出なかった。弟には本当に感謝している。さっき、風呂から上がってから寝ようとする弟にもう一度確認した。本当に捜査は終わったんだよねと。しかし、一体何が終わったというのだろう。一体この21日間はなんだったのだろう。確かに僕には前科はつかない。だが、何故自分が自由だという感じがしないのだろう。

今日までの間、あまりにも長かった。そしてあまりにも多くのことを僕は考えた。ありとあらゆる悪いこと、最悪のことばかりを考えた。そして今もまだ、手はちょっと震えている。心臓がまだ少しどきどきする。それは単純な恐怖というものともちょっと違う。僕は現実と非現実の間を行ったり来たりして、現実と悪夢の境目のないところをさまよった。

明日病院に行って母の顔を見たら、少しはその境目が見えてくるだろうか。こっち側にいることを自覚出来るのだろうか。

自由というものがなんなのか、理解するためにはどうやらもう少し時間が必要なようだ。それと、秩序だって物事を語れるようになるまでも。

眠るのが少し怖い。目が覚めたとき、果たしてこちら側の世界にいるのかどうか、まだ半信半疑なのだ。

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沈黙と饒舌

cloud
午後から雪に変わるという予報だったが、終日雨。明日は雪という予報だが、どうだろう。

1時過ぎに病院に着くと母は同じフロアの集中治療室だが病室が移動されていて、昨日同様盛んに身体を起こそうとするのだが、話しかけてもまったく喋らない。顔がむくんで左目は開かないようだが、右目をときおり開けて瞬きもするし僕を見ているようなのだが、言葉を発することが出来ない。意識がどの程度あるのかもよく分からない。医師も言っていたが、昨日に比べると状態は悪くなった。

これは術後に脳が腫れてきているせいだそうで、医師の話によるとあと数日はこの状態が続くということで気が滅入る。今朝40秒ほど痙攣したのでCTを撮ったらしいが、昨日と(出血の)状態自体は変わらなかったらしい。しかし、38度ほど熱が出て、医師の話によると感染症の疑いもあるので抗生物質を投与しているとのころだが、氷枕で冷やすと7度ぐらいまで下がるので、それほど深刻な感染症ではないとのことだった。

病室に着いて、昨夜散々考えた結果、もしまだなら警察に報告するのを止めてもらえないかと思い、看護師に医師と話したい旨を伝えた。それから昨日も同席した師長が話しかけてきて、どうもこのところの反動なのか、1時間あまりも喋ってしまい、しかもそのほとんどが僕自身の話であり、また少々喋り過ぎてしまったと思った。余計なことまで微に入り細に入り話してしまった。今の僕はやり過ぎること、自分を制御することに対して極度に神経質になっているし、言葉に対しても過敏になっている。

医師が現れたのは夕方の4時ごろで、前述のような今日の母の状態説明をまず聞いたのだが、警察には今日の午前中に既に報告してしまったとのことだった。

帰宅したのは6時ごろ、今日も独りでいるのが怖い。それ以前に、ちょっとでも母が前日よりよくなっていれば別なのだが、逆に悪くなったので極度の抑うつ状態に陥る。今の僕は悪い方にしか考えが回らない。誰かと話さないと怖くてしょうがないと、ベースのヨウタロウとドラムの秋山、弟に立て続けに電話したが、うつが酷くてまともに話せなかった。声も出ないしどもりそうになる。相手の反応や態度、言葉といったものに過敏になってしまい、怖くてなかなか思うように話せない。頭がこれ以上ないほど煮詰まってしまい、どうしようもなくなったので、これは強制終了させるしかないと8時ごろからソファで毛布にくるまって1時間ちょっと寝た。すると、少しは鬱屈が収まったもののまだ不安感が強く、結局今日もHに電話してしまった。で、やはり長電話になる。どうして僕はこう話が終わらないのだろうか。喋り過ぎてしまうのだろうか。

今の僕が考えることは母の状態が好転して欲しいということと、自分をいかに制御するかという2つのことしか頭にない。それだけで始終頭が一杯なのである。それらの拘泥している思念の輪郭がようやくぼやけると今度は空っぽになってしまい、ただの不安感だけが残って何も出来なくなる。ただ煙草を吸うだけ。

今日の母の状態が数日続くとなると、しばらくはこの鬱屈から逃れられそうもない。今朝は7時過ぎに起き、面会は1時からなので昼までは業務に行ったものの、気もそぞろ。どうにも落ち着かない。常に追い詰められて。

明日はホントに雪なのかなあ。嫌だなあ。

それにしてもオランダと引き分けてベルギーに勝った日本のFIFAランキングが48位まで下がって、アジア相手にしか試合をしていないイランに抜かれるって、一体FIFAのランキングってどうなってるのだろう。訳分からなすぎ。


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孤独

今日は上手く日記を書ける自信がない。たぶんまとまらないだろう。

母が入院して弟が仙台に帰り、帰宅して夜、ついに一人ぼっちになった。あまりの寂しさに唖然とする。かといって、何一つすることが思いつかない。このままだとうさぎのように寂しくて死んでしまいそうだったので、先ほどまで久しぶりにHと長電話をして、2時間ほどかけて延々と喋ってしまったので、そこまで語らないと伝わらないものをここに書けるとは思えないのだ。

医師と11時に約束していたので、弟と11時前に病院へ。朝撮ったCTの結果、母の術後の経過は良好で命に別状はないとのことだった。ここから医師の話題は変わり、今回のことを警察に報告する義務がある(事件性ありということで)のだが、どうしたらいいか意見を聞きたいということだった。まず何があったか話して欲しいというので、僕はありのままに話した。医師の話では軽微な脳挫傷があり、それが原因で少しずつ出血して昨日具合が悪くなるに至ったということだった。

それからどういう経過か、いつの間にか僕は親戚や弟とも話をしたくないのだというような、自分のことを話していた。弟が同席していたにも関わらず。僕はぺちゃんこで、空っぽだった。いかに親戚の意見を聞きたくないか、それが無意味であるかなどという話もした。それで、結局、義務があるなら報告してくださいと言った。僕のうつ病のことまで話した。医師は、警察に報告した方が、今後の介護や僕自身のためにもいいことがあるだろうから、と言ったが、その「いいこと」の具体性はなく、ただの彼の想像の範疇を超えなかった。

正直言って、これを書いている今、報告してくれと言ったことを後悔している。たぶん、それでいいことなど何もないだろうから。万が一僕が罪に問われるようなことがあったら、誰にもメリットがない。母を世話する人間がいなくなってしまう。ただの時間の無駄だ。真実を知っているのは僕と母しかおらず、事実を立証出来る人間は誰もいない。いまさらながら、自責の念に駆られたとは言え、よい選択ではなかったように思えた。警察と話をする時間があるのなら、母に付き添っていた方がいい。

とはいうものの、昨日の日記に母のためだけに生きると書いておきながら、実際には4時過ぎには病院を後にした。数日前から左の膝が痛いし、疲れてもいたし、正直しんどかった。所詮、僕はその程度の人間であるのだ。それでいて、前述のように帰宅しても何一つすることが思いつかなかった。食欲はゼロ、寝てしまいたいところだが眠くもない。音楽を聴いても何をしても楽しくない。すべてがストレスに思える。

堂々巡りだ。気がつくと自分のことばかり考えている自分がいる。人間は所詮自分のことしか考えられないのだろうか。

ただひたすら煙草だけ吸った。喫煙を再開して最高記録の26本。

僕の世界には母と僕の二人しかおらず、後は皆実体を持たない書割のような存在に思える。その母がここにいない。もうここに戻って来れないかもしれない。そのことは、あまりにも重い。これが軽くなるのは母が元通りに回復したときしかなく、それまでは僕は薄氷の思いで過ごさなければならない。僕はもう一度母と歩きたい。

生きることはなんと苦しいのか。重いのか。明日からはせめてこの日記だけでももう少し軽くしたいものだ。

おっと、危うく書くのを忘れそうになったが、母は話しかけると身体を起こそうとする。まだ術後の出血を排出するために頭から管が出ていて、酸素も吸入している状態なので、そのたびに起きないように言い聞かせなければならない。まだ母の右側には麻痺があって上手く動かせないようだ。無事回復することを祈るのみ。

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母倒れる

母が午前中、デイサービスで嘔吐し、意識を失った。救急車で地元の病院に運ばれてCTを撮り、急性硬膜下血腫と診断され県立中央病院に移送して手術した。手術が終わったのはさっき、日付か変わってからだった。手術は無事終わった。

県立中央病院に運ばれて集中治療室に入ったころには母の意識は戻っていた。僕が話しかけると母は笑った。母の笑顔を見たのはいつ以来だろう。母はここ数カ月とは別人のような優しい目をして、僕が田舎に戻ってから一番いい顔をしていた。僕は号泣した。それから、手術のために母の髪は全部剃られた。

母の右半身には麻痺があり、どこまで回復するかは分からないと医師は言う。母の回復力次第だと。母がまだ生きていることに、母に、亡父に感謝した。

皮肉なことに、デイサービスの施設から病院までの道すがら、救急車の後をついていると、虹が出ていた。

rainbow

病院にいる10時間以上のあいだ、僕の頭の中をぐるぐると思念が回った。昨日も書いたように、人間は己の感情から逃れられないのだろうか、とか。そして、考えれば考えるほど、世界は自意識の中にしか存在しないのだった。結局のところ、人間というのは自分のことしか考えられないものなのだろうか。

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人は何故キレるのか?

頭に鈍痛。そのぼうっとした頭で、どうして昨夜の僕はキレてしまったのだろうかとさっきから考えている。確かに以前も書いたように、きっかけは母の挙動に対する恐怖だが、今覚えるのは自分自身に対する恐怖だ。どうして人はある瞬間から歯止めが利かなくなってしまうのだろうか。何故自分自身を制御出来なくなってしまうのか。恐怖や怒りを完璧に抑え込むことなど、果たして本当に出来るのだろうか。

昨日の僕は情緒不安定だったのではないかとも考えた。だが、そうだとすると僕は毎日情緒不安定だということになり、何故昨夜だけキレたのかという説明にはならない。確かに僕は怖かった。そして、最初に大声を張り上げてしまった瞬間から、自分自身に対して怖くなったのだ。そしてそれは止まらなかった。キリストも釈迦もガンジーも、ただの一度もキレることはなかったのだろうか。恐怖を、怒りを制御出来なくなることはなかったのだろうか。それはある種の無感動であり、無慈悲なのではないだろうか。そこに感情はあるのか。本当に慈愛はあるのか。すべての感情を遮断することは可能なのか。

昨夜、床に就いた母の頭を抱いて僕は泣いた。自分自身の欲望を完璧に殺すことは不可能だろう。少なくとも僕にとっては。だが、母を最優先することなら、80%ぐらいまでなら出来る。人間の感情は川と堤防の関係に似ている。とにかく決壊しないことが肝要だ。僕という人間は完膚なきまで未熟だ。恐ろしいほどに。

結局、答えなんか何処にもない。あるのは事実と言葉だけだ。

確か今朝は7時ごろに一旦目が覚めたと思う。だが、諦念の方が勝り、二度寝して自分の病院に行くのは諦めた。キャンセルして、予約を取り直した。今日は一日母と一緒にいて様子を見るべきかと思ったが、それも出来なかった。4時間弱の業務に行った。それは僕の欲望なのか、それとも逃避なのか、区別はつかなかった。確かに母は不安定だが、それぐらいの時間なら一人にしておける程度でもある。

さすがに明日の朝はゴミを出さなければならないので、今日は早く寝ようと思う。頭痛いし。昨夜はラリって寝たが、今夜はこれ以上安定剤飲むのはやめよう。ビル・エヴァンスの古い録音を聴きながら煙草を1本吸って、少しだけ寝床で本を読んで眠りに就こう。せめていい夢が見られるといいのだが。


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転落

母は完全に呆けた。もう無理だと思った。母はいくら言っても歯を磨かなかった。もう介護は出来ないと思った。地獄だ。もう生きていたくないと思った。父が死んで、母は統合失調症になって、狂って、ちょっと正気になって、そして呆けた。深更、母は急に優しくなった。とっくに入った風呂に入ると二度も三度も言う。深夜を回ってから夕飯を食べようかと言う。こっちに戻ってきて10ヶ月、どうして物事はこうどんどん悪い方悪い方に行くのだろう。

最悪だ。すべてが最悪。何もない。明日、自分の病院へは行けないだろう。煙草を好きなだけ吸って死んでしまおう。しかし、さっぱり煙草がおいしくない。ただただ酷い気分だ。僕が死んでも母は電話ひとつ出来ないだろう。

床に就いてから、母はしきりに僕に謝った。母は悲しいくらい優しく、母の半分は悲しいくらい正気で、残りの半分は悲しいくらいに呆けている。これ以上呆けたらどこにでも入ると母は言った。僕はこれから、一体どうすればいいのだろう。僕のこれまでの人生はなんで、これからの人生はなんなのだろう。

さっきまで、本気で死んでしまいたいと思っていた。頭の中には無理と嫌の2つしかなかった。それから、寝床の母の言葉を聞いて、どこにも入れたくないと思った。途轍もなく悲しくなって、それから僕は空っぽになった。指が痛い。風呂に入れるかどうかも怪しい。とりあえず思いつくのは、安定剤を飲んでラリってしまおうということぐらいだ。もう既に、僕の人生は終わってしまっているんだと思う。終わっていないと勘違いしていただけなのかも知れない。

もう何もかも分からない。僕に出来ることなど何もない。

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惰眠堕休

終日晴れ。だと思う。というのも、今日は外に一歩も出ていないから。

惰眠を貪り、無駄に休んだ。そんな一日。弟と母は午後に墓参りに出かけたが、僕は留守番を決め込んで、コタツでJリーグのC大阪×広島を見ていた。とにかく、コタツに入るといつの間にか寝てしまう。それ以前に眠くなる。それにしても柿谷、アシストしたスルーパスは見事だったが、シュートを打つ本数が少ないのが気になる。

弟は4時過ぎに仙台に帰った。話を聞くと、今は転勤して毎日5時半起きだそうで、それはそれで大変だなあと思う。ちなみに今日起きたのは8時半。それでも昨夜寝たのは3時近かった。

今日何かやったと言えば、Windows8.1の再インストールぐらい。ようやく再インストールする前にほぼ戻った。それにしても何もしていない。クリエイティヴィティゼロ。生産性ゼロ。

先月入れたばかりというのに、灯油が半分ぐらいになっていたので入れたら、あまりにも高いので危機感を覚える。少し節約しないと。夜、NHKスペシャルが認知症の特集だというので他人事ではないと思って見たのだが、介護する当事者(元NHKのディレクター)もスタジオの連中もへらへら笑ってばかりいて、まるで介護は楽しいというような(あるいは楽しい介護)雰囲気に不愉快になり、最後まで見なかった。大体において、定年退職して70を過ぎてから介護をやるのと、僕の年齢で介護をやるのでは人生を無駄にしている感が違う。排便の世話も週に一回のときもあった、などというのには何を騒いでおるのだ、という感じ。僕などは4・5日続けて毎日朝から晩までだったのだ。

それにしても、この何も出来ない状態のまま雪に閉ざされる冬に突入してしまうと、一体どうなるのだろう。4ヵ月もの間、ほぼ引きこもりになってしまうのであろうか。憂鬱である。今年の頭、父が亡くなってから春まで、自宅にいる間はほぼ何もしなかったが、あのときはそんなに危機感はなかった。今は本当に無駄に人生を費消している感じがする。明後日は自分の病院(悪性リンパ腫の予後検査)なのだが、それも行きたくなくて予約を取り直そうかと思っている。ひたすらモラトリアムに走っている。

今日の煙草は22本。


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