怒り

3月6日、水曜日。

8時21分起床。10時半に母が病院到着の予定だからだが、朝食後に準備をしているといつの間にか弟が来ていた。

病院自体は以前中学の同級生が言っていたほど最悪ではなかった。むしろ近隣の病院ではいい方に思えた。ちょっとした問題は担当医の説明時に起こった。弟と二人で説明を聞いていたのだが、何を勘違いしたのか医者があからさまに弟に向かってばかり説明している(ように感じた)ので、終了後になんだあいつ?と口にしたら弟に肘鉄を食らった。それがもろもろ済ませて帰宅した後にふつふつと怒りの感情として湧いてきたのだった。感覚としてはいわゆるハブられた、意図的に無視されたような気分で、不愉快な感情がいつまで経っても抜けない。怒りという感情はどうしてこうも抜けないのだろうと不思議に思えるほどだった。

そういう精神状態で業務をやると案の定失敗する。言ってみればやる前からメンタル的にやられているというわけである。そんなわけだから黙ってやり過ごせば乗り切れるものも乗り切れない。

結局、夜に弟に電話するしかなかった。弟に悪気がないことは分かっているので。薬で躁転していたころほどではないにしろ、いまだに感情をコントロールするのは難しい。

ところで、入院の手続きを済ませた後、特養に行って弟と荷物の一部を車に載せて持ち帰ったのだが、弟が来てくれて助かった。一人では運べないくらい大きな箪笥的なものがあったので。

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ペシミスト

3月5日、火曜日。

9時27分起床。

今日はとにかく徹頭徹尾悲観的だった。午前中は何もする気になれず昼寝。珈琲と煙草も美味しいと思わないくらい悲観的になっていた。何の喜びも感じない。午後はあまりにも精神的に行き詰まっているので、家事をやろうと溜まったごみを処理場に持っていく。それから母のところへ面会に。今日は母が特養で過ごす最後の日だ。母は明日の朝病院に入院する。母の友人であるがすっかりボケてしまっているF先生が面会に来たのかどうか、母に訊いてもよく分からなかった。こうして、ほぼ何もしないうちに日が暮れる。

どうしてこうも悲観的になっているのか、抑うつ状態と言ってしまえばそれまでなのだが、ドラマ「私の夫と結婚して」を見て以来(それも2回も)、運命というものを考えるようになったからかもしれない。もう僕の運命は既に決まっていて、それはろくでもないものである、と思ってしまっている。どうにもこれから先いい方向に物事が進んでいく気がしない。そういう風に考えるとどうしても憂鬱になる、という次第。

それは多分に年齢のせいである。これから先はすべてが衰えていく一方に思え、何かいいことがあるとも思えない。それでも自分はまだ生きているし、恐らく人生はまだ続く。

それで?

これはある種の燃え尽き症候群かもしれないとも思う。

今日は一曲動画を作ってYouTubeに上げたが、まだ公開していない。アルバムのリリースが16日の予定なので、それに合わせるかどうか、それとももう公開してしまうかどうか検討中。

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Fate

3月4日、月曜日。

9時59分起床。今日も雪。

午前中に特養から電話がかかってきて、母の友人の二人が面会したがっているのでいいか、ということだった。一人はもう一年ぐらい前からボケてしまっているが、恐らくボケていない方のA先生が今日面会したということ。

韓国ドラマ「私の夫と結婚して」、2回目を見終わった。ただでさえ長いと思った話を立て続けにもう1回見れるとは当初思わなかった。記憶を保持したまま人生をやり直せたら上手く行くに決まっている。このドラマのキモは「起こることは必ず起こる」という縛りで、それをいかに回避していくのかという話だ。いわゆる運命論は、起こることは既に決まっており、結果は先にあり、我々はそれをただ辿っているだけだということだ。実際のところ、すべては既に決まっているのだろうか。決まっていなければ予言はあり得ない、ただの妄言だと言える。

夜、YouTubeで昔VHSで持っていた(今も二階にあるかもしれない)Gino Vannelliのビデオを見た。1977年のものだ。今思うに、僕の人生はジノ・ヴァネリと出会ったことがすべてのような気がする。つまりそれは運命論を逆に辿るようなものだが。今でも1977年のジノ・ヴァネリはスリリングで光り輝いている。しかしジノが輝いていたのはA&M時代だけで、それ以降は再び輝くことはなかった。それでもアルバム「Brother To Brother」を初めて深夜喫茶で聴いたときの血の沸き立つような興奮は忘れられない。

運命を変えてしまうようなもの。そういえば長い間聴いていないが、キース・ジャレットの「ケルン・コンサート」の最初の8小節。打ち込みでは決してできない、息遣いとインスピレーション。すべてがそういうものでできていたなら、人生はもう少し美しいものになりそうだが。

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忘却

3月3日、日曜日。

9時29分起床。終日雪。というか、日中は本降りの雪で、雪かき少々。

昼頃に一曲ギターを少々修正して、昨日作ったアルバムジャケットでバンドのサードアルバムの配信申請をした。順調に進めば16日ごろにリリース。何かを決めるということは何かを諦めるということだ。

それはともかく。午後の何時ごろだったか、眠気を感じてソファに横になったのだが、そこでうとうとしながら何かを考えて、何かを思い出せないことに気づいた。そこになんらかの齟齬がある気がした。つまり少しばかり重要な矛盾がある気がした。ところが夜になって風呂に入っていると、日中何を思い出せなかったのか思い出せないことに気づいた。唖然。これでは思い出せるわけがない。まったく年は取りたくないものだ。こうして記憶という名の自分の人生も少しずつ欠落していくのだろうか……。

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The Art Of…

3月2日、土曜日。

9時1分起床。

朝起きたらうっすらと雪が積もっていて本降りの雪だった。そんなわけでここに来てまた冷える。

鹿島 1-1 C大阪。先制したセレッソは普通に強かった。なので鹿島は追いついただけでも儲けものと思うべきなのかもしれない。だがFC東京に期限付き移籍している荒木遼太郎が3ゴール目を決めたとなると、どうせ4-2-3-1の布陣だったら荒木がいれば勝てたかも……などと思ってしまう。

夕方母と面会。今日も母は点滴をしていて、眠そうでほとんど一言も喋らなかった。看護師の話によると母は点滴を嫌がっているという。しかし他に方法がない。今日は嘱託医の回診の日で、医師の判断で病院に移るまで毎日点滴をするということだったが、だったらなんでもっと早く点滴をできなかったのか。というか、点滴をできるのであれば病院に移らなくてもよかったのでは……とかいろいろもやもやはする。

夕食後、バンドのサードアルバムのジャケットを作った。が、これがなんとも言えない代物で、ある意味アートと言えばそうなのだがシンプルというより単なる稚拙なデザインと言えなくもない。もしこれがバンドのラストアルバムになるとすると、果たしてこのデザインでいいのかという疑念は湧くが、ひとまずヘタウマのアートということで。

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March

3月1日、金曜日。

9時52分起床。今日から3月。

夕方、病院の人から電話があり、母の入院が来週の水曜日に決まった。思えば、今週の月曜日に母と面会したときから、怒涛の展開でなんだかあっという間に決まってしまった。これで、母が10年間過ごした特老から病院に移ることになった。

気になることは予め訊いておいた。入浴は週一回、身体を拭くのが一回。面会は午後14時から17時までだが予約はいらず土日も面会できるとのこと。毎日、しかも予約なしで面会できるというのは嬉しい誤算ではあった。ただ、施設を退所するんですね?と言われたときは胸をぐさりと刺された気分だった。もう後戻りできないのだと。

病院の人と特老の担当職員との間の打ち合わせで、嘱託医に頼んで今夜から点滴を打つことになった。なんていうか、それができるのであればもっと早くからやって欲しかったというのが正直なところだが。結局のところ、施設の難点は独自の判断で医療行為をできないところだ。本当にただそれだけ。点滴さえしてくれれば今のままでよかったのに。なんでこういうところは融通が利かないのだろう?

今日も日中バンドのサードアルバムの曲順を考え、改めて聴き直して後半の曲順をちょっと変更。アルバムタイトルはもう考えてあるので、終末にジャケットデザインを考える。といっても大したことはできないが。

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Lost World

2月29日、木曜日。

9時17分起床。

今日は日中相場が大きく動いたが、気づくのが遅れたせいもあり結局取れず。というか、ポジションは取ったのだがすぐ手仕舞いしてしまい、余計なドテンとかをしたせいで結局一日かかって微損。

なかなかいろんなことが手につかない。母のこともあるし、精神状態的にもう1曲作れそうにもないので、ひとまず手元にある曲でバンドのサードアルバムをリリースすることに。それで午後は曲順を考えた。改めて聴き直すと若干手直しが必要なものも見つかり、ミックスし直したりマスタリングし直したり。夜になってもう仕方ないかという気になり、現状のラインナップで出すしかないと。

母は今日も比較的よく喋った。あと何日特老の部屋にいられるのか分からないので毎日面会に行っているが、土日も行っていいのかどうなのか、明日確認してみないと。

今日で2月も終わり。時は容赦なく過ぎる。なんだか置いてきぼりを食らいそうだ。

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記憶

2月28日、水曜日。

9時39分起床。8時間半ぐらい寝た。

それはともかく。今日が水曜日だということに今気づいた。ずっと火曜日だと思っていた。ということは、記憶が一日分欠落していることになる……。いや、手帳を見ると確かに水曜日だ。月曜日も火曜日も、そして今日も母と面会している。それにしても最近、直近の記憶が怪しい。キーボードの山崎も同じことを言っていたが。短期記憶が怪しい。

女子サッカー五輪最終予選、日本 2-1 北朝鮮。

先日の試合がスコアレスドローだったとはいえ内容は完敗だっただけに、今日は負けると終わりという条件でどうなることかと思って見ていた。が、結果的には常に先行して得点していたことが功を奏した。前半終了間際のGK山下がライン際でクリアしたところとか、後半1点返されたところとか、薄氷を踏むような勝利。

一方で業務の方は損切り。例によって日中から踏み上げられて、夜の試合中に切った。

母は今日も比較的よく喋った。昨日も今日も事前予告なしに面会したので、嬉しそうだった。母は公園の夢を見るという。町内の公園?と訊ねてもどうやら違うようだ。

相変わらず何もかも上手くいかない感はつきまとう。何やら酷い運命を辿っているような。それで夜、見終わったばかりの「私の夫と結婚して」をまた1話から見始めた。人生をやり直し、運命を覆す話だから。というか、例えドラマでも誰かが幸せになる話でも見ないと、なんだかやりきれない。

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あやまち

2月27日、火曜日。

9時49分起床。

老人ホームの担当職員に、母を病院に移して欲しいと依頼した。

午前中、町役場に電話して健康保険の担当者に減額証(医療費の限度額適用)の説明を受けた。不思議なことに、保険証とマイナンバーカードの両方を持ってきて欲しいという。本来であればマイナンバーカードが保険証の役割を果たすのでは?と思ったが、今のところどうやらそうではなさそうだ。こんなことで、10月に本当に保険証を廃止するという愚行をするのだろうか。現政府のやることなすこと、すべて滅茶苦茶だ。

特老の職員に電話した際に、予約をしないで母に面会しに行ってもいいということを確認、前述の減額証を申請するために保険証も必要なので、午後に特老に面会に行った。

改めて見ると母の部屋は広くて日当たりもよく、住環境としてはいい。いつもと違って、事前に面会に来るという情報なしで訪れたので、母は喜んで今日はよく喋ってくれた。母に病院に移ることを告げたが、母はそれでもいいと言う。しかし、それを告げながら自分は間違っているのではないかという思いが頭から抜けなかった。病院の大部屋に移れば明らかに環境は悪くなる。今の母親は自力で起き上がることもできないので行動範囲はベッドの上に限られるが、それでもスペースが極度に狭くなるのは辛いのではないかと。とはいうものの、まだこうして話せるうちに点滴なりをしないと、凄いスピードで母は衰弱するだろう。

いずれにしても、母を病院に移すというのは究極の選択だった。

面会は15分程度と言われていたので、その足で役場を訪ね、先ほど電話で話した職員を呼んでもらって減額証を発行してもらった。それからまた特老に戻って保険証と発行されたばかりの減額証を預かってもらう。

これで本日やるべきことはすべてやった。残るは買い物だけだったが、雪かき用のプラスティックのスコップはホームセンターにもなかった。

帰宅して、抜け殻のようになってしまった。いまだに自分は間違っているのではないかという思いが抜けない。耳鳴りが酷かった。町営の温泉に行って戻ると、耳鳴りは少しましになった。

夜に弟と電話で話して、間違ってはいないことを確認。しかし母が可哀想だという気持ちは消えない。

昨日YouTubeにアップした曲に高評価がつかないので、ツイッター(X)で若者を煽るようなツイートをしたら、YouTubeに動画を上げるようになって初めて、ひとつだけ低評価を食らった。実際に低評価されてみると物凄いショックだった。結局、口は災いの元というか、余計なことを言わなければよかった。それにしても、ボサは何故こんなにも評価されないのだろうか? フェイスブックにも告知したので、同級生たちにもそれほど評価されていないというのは。結局、今日一番のショックはこれになってしまった。

ふと今気づいたが、ここにリンクを埋め込んでも、再生はされるが高評価はされないんだな……。YouTube上で見ないと。それでもめげずに貼っておくか。めげているけれど。

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長い話

2月26日、月曜日。

9時15分ごろ起床。

午前中母と面会。今日は母の部屋での面会だったが、担当職員に食事も飲み物もほとんど摂れていないのでもう看取り介護にするか病院にするか決めて欲しいと言われた。実際母はたった一週間でも見るからに弱っていて、いつ亡くなってもおかしくないように見え、僕はベッドの脇でボロボロと泣いてしまった。母はまだボケてもいないし受け答えもするが、もう長くは生きられないのだと。母の人生は終わりに近づいているのだ。夕方会社から帰宅した弟と電話で話し、このまま母が餓死するのを見守るわけにはいかないから病院に移すということに決めた。弟が妙に冷静だったのは、僕がまたボロボロ泣いたせいだろうか。明日担当職員に電話して、10年間いた特別養護老人ホームから病院に移すという話をする。

今日韓国ドラマ「私の夫と結婚して」全16話を見終わり、長い話にもいつか終わりはあるのだと思った。なんだかんだ、物凄く欲張った話ではあったが。途中いかに酷いことがあっても、最後がハッピーエンドならいいのだろうか。このドラマは人生をやり直す話だったが、現実には時間は巻き戻らない。人生もまた、ハッピーエンドならそれでいいのだろうか。長い話のように人生にもまた終わりがある。このドラマで印象に残ったのは、主人公の「運命なんて怖くない」という言葉だが、そりゃ、やり直せるのなら怖くないだろうな。未来は本当に不確定なんだろうか。変えられるものなのだろうか。

夜、バンドの新曲をYouTubeで公開。5拍子のボサ。ファーストアルバムにもボサを入れたのだがいまひとつ受けがよくなかった。この手のものはいかによい演奏をしても凡庸に聴こえるのだろうか。それとも単に、南米系というかラテン系の受けがいまひとつなのか。この曲の弦は本職のアレンジャーである陽太郎にアレンジしてもらった。タイトルはバルガス=リョサの「緑の家」。

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