疲弊

6月22日、木曜日。

9時11分起床。今週は起きる時間が(自分にしては)早いが、その分早く寝ているので睡眠は取れているはず。

だが、やはり朝食後にだるいというか疲労感が凄く、書斎のソファで昼近くまで昼寝。

午後母と窓越し面会。今日の母は髪がめっきり白くなったように見えたが、表情はそれなりによくて比較的元気そうに見えた。

午後も疲労感は抜けず。そんなわけだから本日の業務は実働時間が超短い。その割には夜の指標で珍しくポンドのポジションを持ってかなり焦る。結果的には助かったが。

それにしても今週はずっと身体がだるい。体調がいい日がない。体調が悪いとメンタルにも余裕がないというか、そもそも心因性の不調っぽいから当たり前なのかもしれないが。

ほぼほぼミックスを終えているバンドの新曲3曲目、どのタイミングで動画にするか考え中。

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Damage

6月21日、水曜日。

8時29分起床。起きた時間だけは早いが、今日も体調が悪くて寝てばかり。

それでも折を見て業務。とにかくだるくてすぐに疲れる。椅子に座っているだけでも疲れたりするから始末が悪い。そんな調子だから一日の半分は使い物にならない。

昨日に引き続きテープシミュレーションのプラグインを延々と試して悩む。途中、一部レゾナンス(共振)があったので焦り、今度はレゾナンス・サプレッサーのプラグインを調べたり。もう一度DAWを立ち上げ直すと、レゾナンスで歪んでいると思っていた部分は大丈夫だった。いずれにせよ、もうプラグインは(当分)買わないと思っているのに、何故悩むのか。自分には必要ないことを確認しているのだと言い訳しているのだが、欲しいから試しているのに決まっているのである。

拡散してくれと言われたので書いておくと、来週土曜日の21時からBSプレミアムでヨウタロウがアレンジ・音楽監督を担当した歌番組(歌えるJ-POP黄金のヒットパレード)がオンエアされるということ。俺は見るけど、昭和の時代のアーティストしか出ないよ。

とにかくだるい……。

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Time after time

6月20日、火曜日。

8時31分起床。今日は午後精神科だがやはり朝から体調はよくない。朝食後、アラームをセットして書斎のソファで寝込む。

事前に電話して行ったら、精神科はほとんど待たずに済んだが、最近の調子の悪い時間帯なのでもうふらふら。医師にこのところの点滴事件や母のこと、血痰と鼻血のことなどを話す。で、救急外来で血液検査した血糖値の198というのはやはり高いんじゃないかということで、糖尿病疑惑が再燃、診察後に改めて血液検査。ただ、糖尿病で症状が現れるのは300とかそういう数値になってかららしい。処方薬局に寄って帰宅してからもほぼほぼ廃人、ボロボロだった。

ソファでうだうだしているとかえって調子が悪くなるような気がして、無理やり起き上がって机に向かって業務を開始すると、幾分かましになったところをみると、やはり心因性の不調なのかもしれない。本来体調の悪いときはトレードしないのがルールではあるのだが。

親善試合、日本 4-1 ペルー。ランキングでも互角の南米のチーム相手にほぼ完勝。特に前半の日本は素晴らしかった。伊東純也と三笘薫が派手だったせいで試合後の評価はそれほど高くなかったが、個人的には久々に鎌田大地がよかった。攻撃のハブになっていた。いずれにせよ、ペルーが弱かったということは決してなく、南米のチームらしく繋げるしそれなりに技術も高かったところを見ると、日本代表が強くなったということなのだろう。

もうプラグインは当分買わないと思っていたのだが、試合後の夜トライアルでテープシミュレーションのプラグインをいくつか深夜まで試す。危うく買いそうになるが、そこまで明確な買う理由は見つからず。セールで25ドルだから買ってもいいんだけど……。

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Blue Lane

6月19日、月曜日。

9時40分起床。やはり朝食後に書斎のソファで昼まで寝込む。とはいうものの、今日は午後になって意外と普通にしていられた。業務少々。

午後、念のため県立中央病院の内科外来に電話。今日は血液内科のいつも検査してもらっている医師の当番日。で、大まかなところを相談したところ、血痰も鮮血でないのであれば緊急性はないということ。もし血痰が続くようであれば次回の診察を早めることはできると。ただ、先月末CT検査、今月になって血液検査としたばかりなので、結局同じ検査をやることになりそうなので、もうしばらく様子を見ることに。そんなわけで急変があったら連絡するということにした。

で、毎日のようにミックスし直していた曲が、ヤマザキのOKがようやく出たので動画を公開。

結果的にこの曲に関してはドラムの打ち込みに始まってなんだかんだ苦労した。今回は珍しくストレートアヘッドなジャズなので、生のドラムっぽくするのに一苦労。

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遺言

6月18日、日曜日。

10時ジャスト起床。やはり朝食後は昼まで伏せる。

昨夜あれから、寝る前に歯を磨いていたら鼻血が出て止まらなくなった。大量の鮮血がどばっと出たので驚いた。鼻にティッシュを詰めてもいつまで経っても止まらないので、深夜1時を過ぎていたが県立中央病院の救急外来に電話した。で、看護師に経緯を話したのだが、ひとまず鼻血を止めるにはティッシュは逆効果で、小鼻を圧迫すればいいということだった。もしそれでも止まらなかったら地元の病院の救急外来で止めてもらうようにと。血痰のこともあり心配であれば平日に内科外来に相談してくれということだった。

……と、そんな経緯もあったのでさすがにこれは残された人生はあまり長くないのではないかと思い、昼過ぎに弟に電話した。で、僕が死んだら葬式は行わないようにということと、パソコンとスマホのパスワードを伝えた。これは遺言だということで。

その後の午後は昨日ほど酷い体調ではなく、今日は血痰も鼻血も出なかった。それでルヴァンカップ、鹿島 2-0 新潟を台所で見て鹿島が次のステージに勝ち抜けたことを確認し、夜はここ数日動画にしている曲のミックスを再びやり直した。気になるのはいまだにキーボードのヤマザキから返事がないことで、それが心残り。

そんなわけで、今日の前半まではもう俺は長くない、と思っていたのだが喉元過ぎればなんとやらで次第に今の状況に慣れてきて、夜にはあまり気にしなくなっていた。昨夜のように鼻血がどばっと出れば別だが、気にしてもどうしようもないので。

残りの人生が長くないのであればやりたいことをやろうとは思うのだが、それ以前にあまりにも体調がへろへろなのでやれることも限られる。旅に出たかったりもするのだが。

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血痰

6月17日、土曜日。

10時30分起床。このところ毎日体調が悪いと書いているが、今日は最悪だった。何しろ、起きてすぐに血痰を吐いた。で、例によって朝食後だるいのか何なのかよく分からない不調で身体が動かず、ソファで寝込む。今日は午後3時ごろまでほとんど死体同然だった。まったく動けず。

夕方近くなってようやく起きてはいられるようになり、むしろ身体を動かした方がいいかもと思って予定通り庭のイタドリの伐採をしたら、ただでさえ具合の悪い人なので10分で完全に息が上がり、その後夕食時まで手がぶるぶると震えた。

夕方二度目の血痰。さすがにここでググってみると、真っ先に「肺がん」という言葉が目に入る。風邪や気管支炎でも血痰が出るらしいが、喫煙者は肺炎とか重篤な病気の可能性があると。これはやはりヤバいかもと病院の救急外来に電話して、看護師と話してみるが県立中央病院にかかっているという話をしたせいかあまり急を要することという感じにもならず、まだ続くようなら内科の医者にかかった方がいいという話で終わった。

今日の前半は本当に具合が悪かったので、自分もこれまでかと思ったくらい。肺がん云々を考慮すると、もしかしたら自分の残りの人生はそれほど長くないのかも、とぼんやりと考える。これがリアルなのはそれほど恐怖心を覚えないこと。11年前に悪性リンパ腫という血液のがんだと診断されたときも、恐怖心はなかった。死が具体的になると案外と恐怖心はなくなるものである。

結局夜まで計2.5回の血痰(3回目は薄かった)。不思議なことに夜になって動けるようになり、曲のミックスのし直しとかをできるようになった。

残りの人生がさほど長くないとなると、会いたい人には会っておきたいし話したい人とは話しておきたい。そういう意味でもキーボードのヤマザキからの返信が途絶えると不安になる。バンドの曲もそう長くは作れないのかも、などと思うし。

とりあえず胃潰瘍の可能性も考慮して、今日から胃酸を抑えるネキシウムを飲むことにした。煙草は辞めない。吸いたくなくなるまで。やりたいことはできるだけやる。

しかし、もうすぐ終わると考えると、これまでの人生はどうにも箸にも棒にも掛からぬ人生だったなと思う。

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廃市

6月16日、金曜日。

9時ジャスト起床。とにかく今日は抑うつ状態が酷かった。

朝から調子は悪いが、今日は日銀の政策発表があるので朝食後スマホのアラームをかけてソファで毛布を被り少し昼寝。で、肝心の日銀は相変わらずの現状維持、ただあまりにも体調が悪いのでトレード自体はすぐに切り上げる。予定の半分ぐらいに終わる。

昼食後はほぼというかまったくもって廃人、またソファで横になるが抑うつが酷すぎて眠れない。ただ辛いだけ。しょうがないので安定剤のレキソタンを2錠(2mg)舐める。すると、なんとか起きていられる程度にはなったが、その後何故か顔が火照る。

午後、バンドのLINEに動画を上げたら二人から反応があり、久々にやり取り少々。夕食後にミックスのやり直し。

間食を辞めたら体重が減る。今日も400g減った。しかし夜になるとやはりなんかしら食べたくはなる。プラグインも当分は買わない。

せっかく代表初ゴールを挙げた上田綺世だが今日になって怪我で離脱。これで来週のペルー戦を見るモチベーションがさらに下がる。

ちょっと油断すると何をしたらいいのか分からなくなる。これだけ毎日抑うつ状態が続くとさすがにしんどい。ずっとLINEで既読スルー状態だったキーボードのヤマザキから返事があったのは収穫だが……。

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初ゴール

6月15日、木曜日。

9時53分起床。日中業務少々。溜まったごみを処理場に持って行ったり、先日の救急外来での点滴の治療費を病院に払いに行ったり。

親善試合、日本 6-0 エクアドル。上田綺世が代表初ゴール。PKだけど。試合としては開始早々に相手が10人になってしまったので、あまり参考にならず。

いまだに元気はないが、徐々にこの状態に慣れつつはあり。詰まるところ、恐ろしくテンションが低い。

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メタモルフォーゼ

6月14日、水曜日。

9時42分起床。音楽を作る夢を見た。

昨日からのことの成行を語らねばなるまい。まず、昨日の午後に母の部屋で面会をした。予定では窓越し面会だったが、午前中の母の血圧が70台に下がったというので、部屋で面会することになったのだった。

問題は面会が終わったあと。担当職員と看護師が話があるというので別室で話をした。彼らが言うには、母はものを食べたり飲んだりするのが相当大変になってきているので、特老としては看取り介護として見ていく時期にさしかかったということだった。それで、療養型の病院に移すことも検討して欲しいということだった。特老では点滴等の医療措置を施すことができないので。

これが自分にとっては相当にショックだった。看取り介護ということは、ただ死ぬのを待つだけという意味だと思った。要するに母はもう長くはないのだということを遠回しに言われたわけである。毎朝仏壇の父にお願いしているので、母は100歳まで生きるのだと思っていた。数年前に亡くなった伯母も95歳まで生きた。こういう話がもう出てくるというのは、本当にショックだった。

帰宅して、病院に移るケースの場合を調べた。役場に電話したり病院に電話したり。看護師の話によると水を飲むことすら一苦労だというので、もはや病院に移すしかないと思い込んだ。少なくとも病院では点滴を受けられるし、食べられなくなっても鼻から管を入れて食物を胃に入れたりできるから。

とにかく仙台の弟と相談しなくてはというので、弟が会社から帰宅する頃合いを見計らって電話をした。このときの自分の心境としては、もう母を病院に移すしか選択肢はないのだと思っていた。ところが弟の歯切れが悪い。何やらもごもごと自分の考えを述べられないでいる。それで、一体何が引っかかっているのか訊ねてもはっきりしない。それで弟は大事なことだから考える時間をくれと言った。

電話を終えた後、僕は怒り心頭だった。看取り介護か病院の二択しかないのに何を考える必要があるのか?と。つまり、看取り介護を選ぶということは、ただ食べられなくなっていくのを見守るしかないということだから。凄まじい怒りだった。

電話をかけていたのは台所だったので、書斎の机に戻って考えた。俺もヨウタロウのように穏やかでおおらかな人間でありたかった、と思った。すると、怒りは次第に収まっていった。

弟から電話がかかってきた。勤めて穏やかに話そうと思った。弟はやっぱり病院に移す方がいいと思うと言った。弟はまったく感情的になっていなかったし、言葉に何の含みもなかった。電話を切った瞬間から僕は泣いた。何が悲しいのか、母が哀れなのか、とにかく涙がいつまでも止まらなかった。父の葬儀のときに喪主挨拶で途中からボロボロに泣いてしまったことを思い出した。

職員と看護師が、とにかく母が食べるのにどれぐらい苦労しているのか見て欲しいと言うので、一夜明けて今日の昼食時に特老に行った。それで、母から見えない場所から母が昼食を介護されて食べるのを見た。

それを見ているうちに、昨日あれほど病院に移すしかないと思っていたことが、それほど簡単な話ではないことに気づいた。ここではこうやって付きっ切りで食事を食べさせてくれる。しかし、病院ではそういうことはないだろう。確かに点滴などの措置は受けられるだろうが、今病院に移せば母は間違いなく寝た切りになり、衰弱するだろう。それはよろしくないことなのだと思った。

食事を終えたころ(といっても母は半分も食べられなかった)、母のところに行って顔を見せた。母はしばしば目をつむるので眠いのかと訊いたら眠いわけではないと言う。それから職員は母を部屋に移動し、二人がかりでベッドに寝かせた。こういうことも病院では毎食事にやってくれないだろう。

母と少しだけ話をして、それから一階に降りて玄関のところで職員と話をした。看取り介護になったら今やっているようなことをやらなくなるというわけではないことを確認した。それに、今すぐに看取り介護にするというわけではなさそうだった。

もう少しこのまま特老にいさせてくれるように僕は言った。それで食事が困難になるようだったら病院に移したいと。今でも困難な部類ではあるのだが、それ以上に困難になったら、という意味だ。申請して即病院に移れるわけではないので(少なくとも二週間は待たなくてはならない)、そういう判断を担当職員がするのも難しいかもしれない。だが、今の母を病院で寝た切りにさせたくはないという気持ちの方が勝った。

特老から帰宅しても、しばらくいたたまれなかった。一刻も早く弟と話したかったのでLINEをしたら、3時過ぎなら少し話せるということだった。

僕は極限まで疲れ果てていた。昨日一日だけで体重が400g減った。ソファで毛布をかけて横になり、弟の電話が来るまで少し寝ることにした。

3時過ぎに弟から電話がかかってきた。ことの次第を伝えたら、弟も同じ意見だった。


そんなわけで昨日から心身ともに疲れ果てているし、うつも酷い。自分がこれからどうすればいいのか、そういうことを考えるだけで憔悴する。

母は晩年の父のように瘦せ細ってしまった。これは誰しもが通る道なのだということは分かっている。ヨウタロウは昨年お母さんを亡くして両親とも鬼籍に入り、今は実家の整理をしている。I泉さんに至っては小学生のときに事故で家族全員を亡くして天涯孤独になっている。僕はまだ恵まれている方なのかもしれない。それでも母が哀れで仕方ない。

10年前に父が亡くなったとき、母はこれから二人で生きていこうと僕に言った。じゃあ長生きしてよ、と僕が言うと、長生きするよーと答えたのだった。あれから10年、母が特老に入って9年が過ぎた。時は容赦なく過ぎ、人は容赦なく老いる。この9年間、俺は何をしてきたのだろうと思う。9年分の記憶はないが、間違いなく9年という時が過ぎたのだ。

笑えるようになるまで、しばらく時間がかかりそうだ。

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Body and Soul

6月13日、火曜日。

9時23分起床。

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