午前中のない世界、神秘大通り、ムーンライズ・キングダム

12月22日、金曜日。

まったくもって当たり前なのだが、昼過ぎに起きると食後の珈琲を飲みながら煙草を吸っているともう1時を過ぎる。唖然たり。というわけでジョン・アーヴィング「神秘大通り」読了。

くどいようだがアーヴィングの小説に熊が出て来ないなんて、村上春樹の小説に「やれやれ」が出て来ないようなものである。それにしても傑作だ。過酷な運命を軽妙に書くということにかけては、右に出る者がいない。アーヴィングにかかっては死すらある意味滑稽な幻想のような気がしてしまう。

昨日のように酷いうつ傾向にあったわけではなく、むしろ昼過ぎに起きてしまったことをポジティブに考えている自分がいてちょっと驚いたのだが、それにしても起きた時間が時間なので何をするにも中途半端。今日の場合、相場はクリスマス前の最後の金曜日ということで様子見、よって業務に行きたいと思ったので素直に行ってみた。すると珍しくいつものネタは他の客が粘っていて断念、昔使っていたネタが空いていたのでお遊び程度に。今日のところは勝つほどツイてはいなかったが負けるほどツキがなかったわけではなかった。実に中途半端だが5時前にしばし考えてヤメ。帰りがけに図書館に寄ってアーヴィングを返却し、桐野夏生「アイム・ソーリー・ママ」(未読)を延長する。

帰宅後の夕方、チャートを見ていて発作的にポジションを取ってしまう。するとこれが裏目ったような気がして損切りというかドテン(ポジションをひっくり返す)、するとこれまた裏目ってまたドテン、これが裏の裏、という具合に往復ビンタを食らいまくる結果に。ドテンするとポジション量が多いので上手くいかないと結構な損失になる。そこから気を取り直してさらにドテンしてなおかつ買い増ししてようやっと半分近くを取り戻す。トレードとしては失敗なのだが、なんていうかちょっと面白かった。もうちょっとやってみたかったが母のところへ行く時間になって時間切れ。夜はもう相場に手をつける気はなし。負けで終わっているのは正直凄く悔しいのだが。

そんなわけで夕食後の夜はアマゾンのプライムビデオでウェス・アンダーソン監督「ムーンライズ・キングダム」を見た。これが大層面白かった。

ツイートしたように子供の出る映画は苦手なんだけれども、その辺を考慮しても実にバランスの取れた、肩の力が抜けた素晴らしい演出。それにポップだ。駆け落ちする子供ということでは「小さな恋のメロディ」を思い出すが、もっとずっと奇妙な味わい。子供というのは弱いものであると同時にある意味スーパーヒーローでもあるという。その辺の発想は特に目新しいものではないのだが、ちっとも深刻にならないという点ではアーヴィングの小説にも通じる感覚。いい意味での軽さがある。ファンタジーにならずにハッピーエンドで収める手腕は見事。見終わったときの八方丸く収まった感が素晴らしく気持ちいい。

それはそうと、明日からは土日、来週からは雪の予報、ひとまず昼過ぎまで寝てしまった今日どうするか。クリスマスを挟んで来週の月火は相場はほとんど参加者がおらずやる意味がないので事実上年内は休むか。とすると長い年末をどう過ごしたらよいのか。映画を見まくるといっても限界がある気が。日中は久々に業務に頑張るという手もあるが土日は混んでるだろうから今一つ乗れない。いわゆるそして僕は途方に暮れる感。

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Storm At Sunup

12月21日、木曜日。

うつ傾向。あらゆるモチベーションが落ちる。考えてみたら朝起きたときからダメだった。8時に目が覚めて二度寝したら10時57分、結局その後は寝過ぎで頭痛。今日は昼に日銀の決定会合があったのだが相場もさして動かず。午後業務に行ってみるが65%が続かずとっとと帰る。外はいい天気だった。

頭痛がなかなか治まらず、アドヴィルを飲んで結局夕方昼寝。相場はやる気なし。何を考えてもネガティブな方になる。これではどうしようもない。もう既に年末モードというか、とにかくモチベーションというものがまったくない。6時半ごろに母のところに向かうと、外は濃霧だった。帰るときは車のフロントガラスががんがんに凍っていて、中からタオルで拭いてもその瞬間に凍る。前がよく見えなくて運転していて怖かった。

あまりにも鬱屈していて、見逃し配信で柴崎が途中出場したヘタフェの試合を見るも意気がまったく上がらず。柴崎は一本素晴らしいスルーパスがあった。夜沈滞。何もやる気になれないので、ジノ・ヴァネリのA&M時代、つまり70年代のアルバムを聴きまくる。

抑うつ状態の証拠に手が痺れている感覚がある。ちょっと今日はダメ。ギブアップ。昔だったら頓服の安定剤を飲んでいるところ。最近は飲まない。

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Livin’ Inside Myself

12月20日、水曜日。

という具合に比較的真っ当な時間に起きた。外は予想外に天気がよくて、雪かきは飛び石の上を掃く程度で済んだ。朝食後、仲値の時間に間に合ったので普通に仲値に合わせてドル円をロング(買い)したら下がって損切り。結局その後なんとか損切り分を取り戻す。というか、今日は夕方からちまちまとユーロドルを押し目買いしていたのだが、この想定は実は大当たりだったのだけれど大きく動いたのが夜中になってからでそのころはトレードしてなくて乗り損ねた。

で、例によって午前中1時間ほど昼寝。午後は欧州時間までヒマだったので業務に行ってみる。行きがけに町役場に寄って固定資産税を払う。業務は絶好調で2時間ばかりでこの辺の職人の日当分ぐらいを稼いだ。1パチなのに。謎だ。前述のように帰宅後はちまちまと相場のトレード。5時過ぎからどういうわけか異様に腹が減って、6時過ぎにはレトルトのカレーで夕飯を済ませ、6時半過ぎに母のところへ。このころには雪が降りしきっていた。母のところから帰宅後の夜は再びちまちまとトレードしていたのだが何故かモチベーションが続かず、たぶん今週末にクリスマスを控えているので薄い相場が信用ならないからだと思うが、そんなわけで久しぶりにYouTubeで動画を見まくる。安部公房の講演とか、ジャズのライブであるとか、ジノ・ヴァネリのライブであるとか。当初は一瞬自分のバンドのライブの動画を見たのだが下手すぎて物凄く気が滅入ったのですぐやめた。ジノ・ヴァネリ界隈でいろいろと思い出す。で、ずっとアルバム「Brother to Brother」でパーカッションをやっていたと思っていたMike Fisherが、実は彼が参加していたのはその次の「Nightwalker」の方だったということにいまさらながら気づく。あまりにも「Brother to Brother」が好きだったので、ユーミンのレコーディングでMike Fisherを使ったときに彼にジノのこととかを訊いたのだけれど、なんか怪訝そうだった意味がようやっとわかった。しかし、なんで勘違いしていたのだろう?

なんだか一向に気勢が上がらず、積極的なのは昼寝に対して(というよりも夢を見るということに対してか)だけで、なんとなく一日が過ぎて今年も終わろうとしている。今のところは雪がそんなに積もっていないのであれだが、どうやら来週からは積もりそうという予報で、結局いつものように正月にはすっかりと雪に埋もれるのだろうな。

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埋没

12月19日、火曜日。

そんなわけで先週の土曜日に続いてトイレに起きてしまうという困った事態。起きて台所に行くと外は大粒のボタ雪が落ちていて、そもそも今日は雪かきをせねばならないだろうなと思っていたし困ったものだなと。で、朝食後に煙草を二服したあとにようやっと重い腰を上げて着替えて雪かきをしようと玄関を開けると、どうやらみぞれのようで既にほとんど融けており雪かきする必要はなかった。

例によって相場の想定をして指値を置いて、さわり程度にドル円を売ってみたものの、クリスマスを控えた今週はとにかく動かない。なので微益で利食いして後はひたすら動くのを待つことにする。とはいうものの、僕は何が苦手といって待つことぐらい苦手なものはない。冒頭に書いたように昨夜寝るのが遅かったとはいうものの7時間は寝ているわけだが、そのうち眠くなってきてしまった。それで最近はすっかり昼寝に対する抵抗感というものがなく、以前だったら昼寝なんかするのはダメな人間なんじゃないかとかいう罪悪感があったのだが、今はむしろちょっと眠くなったら積極的に昼寝をしようと思うようになってしまった。それで夢でも見れればオーケーと。で、3時前からベッドに潜り込んで昼寝を始めたのだが、3時半ごろに普段滅多に鳴らない固定電話が鳴って起こされた。不承不承出てみるといわゆるアンケートの類、今手が離せないのでといって切ってまたベッドに潜り込んでしまった。それで結局5時近くまで寝てしまい都合2時間ほど昼寝。つまり7時間足す2時間で合計9時間も寝てしまったのである。

ともかく、昼寝から目が覚めると日が傾いて部屋の中はもう暗く、電気を点けた。それから6時過ぎまでちまちまと相場のトレード。6時半ごろにいつものように母のところに向かうころには雪が舞っていて、どうやら路面は凍結しているようだった。母のところからの帰りは結構な雪が降っていた。しかし今日の天気予報によると明日から今週一杯はそれほど雪は降らないという予報だったし、明日までの積雪も1cm以下ということだった。

帰宅後スパゲッティを茹でて夕食。その後また相場のトレードをちまちまと。ところが驚いたことに、書斎に移動してトレードをしていた10時ごろになるとやおら眠気が襲ってきたのである。足し算で都合9時間も寝ているのに。まるで澱のように重たい眠気が。昼寝に対して抵抗がなくなったように、眠気がやってくると無抵抗に屈したくなる。しかし、いくらなんでもそこまで寝てばかりでは人間として失格であるだろうし、第一にそんな時間に寝てしまったら明日の朝とんでもなく早い時間に起きてしまって生活のリズムが滅茶苦茶になるだろう。なので、睡魔の泥沼に埋没しそうになったところをなんとか風呂に入る。風呂に入ってすっきりして眠気がおさまったと言いたいところだが、いまだに頭の中に濃霧でもかかったように眠気がぼんやりと、しかししっかりとある。カフェインの入ったペプシストロングゼロを飲んでいるのに。なんでこんなに眠いのだろうか?

それは恐らく、くどいようだが寝るということに自分が肯定的になっているせいだと思われる。睡眠に対して半ば憧憬のようなものがある。それで夢を見られればそれでいいみたいな。果たして人間はそんなことでいいのだろうか?

考えてみると、一日たりとて夢を見ない日はない。何かしら、必ず夢を見ている。よく、夢も見ずに泥のように眠ったという表現があるが、そういうことはない。しかし、毎日必ず夢を見ているのに、淫夢というものをほとんど見ないのはどうしてなんだろう? そこに関してはちょっとだけ損している気がしないでもない。だが、よく見る道に迷う夢でもいい。ただ僕は夢を見たいのである。こんなことを言うとまるで子供のようだが、僕にとって眠りとは夢への入り口なのだった。

ああもう、頭の中がおがくずとかかつお節とか、そういうもので一杯になっている。願わくばよい夢を。

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リップヴァンウィンクルの花嫁

12月18日、月曜日。

今日から新しい手帳、つまり来年の手帳に切り替える。

8時前に何度か目が覚め、そういえば今日は雪かきがありそうだというので8時20分に起床。しかしながら午前中は存外に天気がよく、雪かきも3分で終わる程度だった。早起きはしたものの、なんだか昼寝をしなければならない気がして午前中に都合2時間も昼寝してしまったので、早く起きたこともすっかり忘れていた。近ごろは昼寝して起きようとすると寒くて、つまり布団の中があったかくて居心地がよくてなかなか抜け出せない。

今日は相場のトレードは2回しかしていない。週明けだしあまり動きそうにもなかったので、指値を置いてひたすら待っていた。そのうち、一体自分が何をどこまで待っているのか分からなくなった。どうにも動きそうにないので、午後業務に行ってそこそこ。

前述のように最初は天気がよかったのだが、母のところに行くころには雪が舞っていた。しかしそれも夜には雨に変わったようだ。

ひたすら何事か(たぶん相場が動くのを)を待っていたのだが、なんだか待ちきれなくなり、アマゾンのプライムビデオで途中まで見ていた岩井俊二監督「リップヴァンウィンクルの花嫁」を最後まで見た。3時間ある映画だがそこまで長い気はしなかった。

岩井の映画は小説で読むと違和感がある。つまり、文章にすると過剰というか作為とかやり過ぎなところが目についてしまう。つまりは、映像作品というのは過剰なぐらいがちょうどいいのかもしれない。

なんだか今日は結果的に映画を一本見ただけの日になってしまった。夜湯船に浸かっていて、この家で一番天井が高いのが浴室であることに気づく。

とりあえず明日頑張ることにする。そういえば業界時代、上司に「とりあえず」という言葉は使うなと盛んに言われたことを思い出す。

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続・惨敗後の世界

12月17日、日曜日。

昨日の日本代表の惨敗の後味があまりにも悪く、いまだに引き摺っている。これから代表で一体何が起こるのか、さっぱり分からなくなっている。一番大きいのはハリルホジッチ監督に対する不信感。今回ばかりは彼の発言の意図や心理がどうにも読み取れない。

まあそういうこともあるし予定のない日曜日ということもあって、朝はなかなかベッドから起き出す気になれなかった。現実に戻りたくないというか。そんなわけで8時前にトイレに起きたのに二度寝三度寝を繰り返し、結局起きたのは11時18分。で、起きてからそういえば今日は大荒れの天気という予報だったということを思い出す。つまり雪かきをせねばならない日であることを思い出した。ところが台所に行ってみると外はどういうわけか青空が見えていい天気のようだ。また予報が外れたのかなと思って朝食後に玄関を開けてみると、天気はよくて雪は融けそうなのだがそれでも明け方にかけて積もった雪が玄関前の飛び石を覆っている。なので、そこだけ雪かき。

起きた時間が時間だからそんなことをしていると昼過ぎ、何をする気にもなれず。なので、DAZNの見逃し配信で森岡先発のベフェレンを試合を見る。途中パンの昼食を食べたら、うすうす感づいてはいたが先日つけてもらったばかりの差し歯がまた取れた。たぶん今年もう3度目。このところずっと違和感があったので取れるのは時間の問題と思ってはいたがそれにしても。ここに至って、やっぱり歯医者が下手なのではないだろうかと思う。というのも、用賀の歯医者でつけてもらった差し歯は15年ぐらいもっているから。いくらなんでも1ヶ月やそこらで取れてしまうようでは。

4時に母のところに行く。例によって手を繋いでホールを2周歩かせて、それから部屋のベッドに寝かせると、窓の外には結構な雪が降っていた。ああやっぱり降るのか。帰りにはやはり駐車場に停めた車には雪が積もっていた。

夕飯を食べながらなんとなく香川先発のドルトムントの試合を見逃し配信で見て、それから20時キックオフのヘタフェの試合を見た。柴崎は後半途中から交代出場も、今日はあまりボールが回ってこなかった。そんなわけで今日はドラマ「陸王」をリアルタイムでは見れなかったのでTVerで見ようと思ったのだが、今に至るまでいつまで経っても配信が始まらず少々焦る。と思ったら今見たら来た。なので、「陸王」見ます。

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惨敗後の世界

12月16日、土曜日。

韓国戦、歴史に残るくらいの惨敗だった。1-4というスコア以上に、何の言い訳もできないくらいの惨敗だった。おまけに試合後の監督の談話がすべての面で韓国が上回っていたとお手上げ状態なのでは、ちと救いがない。これまでなんとかハリルホジッチはいい監督なのだと思おうとした。しかしながらことここに至って、さすがに懐疑的にならざるを得ない。もう時間がない。あと半年でW杯は始まり、それまでに代表は2試合しかできないのである。今回は全部国内組だから云々というのは相手も同じなのでなんの言い訳にもならない。だからこそ、ハリルホジッチはすべての面で相手が上回っていたとしか言いようがなかったのだろう。しかし、相手は韓国である。これまで何年もの間、日本は韓国相手にパスワークで翻弄してきた。今回もまた同じになるだろうと韓国の人ですらそう思っていた。それが蓋を開けてみるとこれでは。ただただ、いろんな何故が浮かぶだけだ。何故植田をCBではなくサイドバックで使うのか。何故ゲームを作る中盤の3人が全員ガンバなのか。何故全員が揃いも揃ってパスミスをしてまったくボールを繋げないのか。何故予め高いと分かっている相手フォワードに簡単にヘディングのゴールを許したのか。何故北朝鮮戦、中国戦と攻撃面でブレーキになっていた倉田を使い続けるのか。何故、何故、何故。きりがない。

今日の試合でよくやっているなと思えたのは土居聖真ぐらいだった。小林悠はPKを決めた場面とオウンゴールを決めた場面以外はほぼ何もできなかった。アンカーの今野はアンカーの役目も、ゲームを作ることもできなかった。井手口は今のところたまにビューティフルゴールを決めるだけの選手でしかない。昌子はCBとして9番のヘディングに身体を寄せることすらできなかった。正直なところ、昌子と植田がいつも通りの守備ができていたら、少なくとも2失点は防げていた。しかしながら、車屋の凡庸なミスで与えたフリーキックを鮮やかに決められた辺りから、まるで瓦解するようにゲームは一方的に韓国に傾いた。

たぶん昌子はW杯には出場できないだろう。今日唯一いいプレーを見せていた土居も最終的には呼ばれないだろう。一体全体、今日の試合をどうとらえたら、そして今後の代表をどう頭に描けばいいのか。まさしく、果たしてハリルホジッチでいいのかという物凄く大きなクエスチョンマークが僕らの頭上に浮かんでいるのだった。ごくごく普通に考えて、韓国相手にすべての面で上回られて惨敗するようであれば、W杯本番でただの一勝も挙げられるわけがない、ということは容易に想像がつく。この辺が、日本は結構やれるんじゃないか、これまでで最強じゃないかと本番間際まで思わせていたザックジャパンとまったく真逆の精神状態に僕ら全員はいるのだった。あ、忘れていた。そういえば前回の東アジアカップでも日本は最下位だったよね? で、あのときもハリルホジッチだったよね……。

なんていうか、路頭に迷った気分だ。先がまったく見えない。

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という具合に、あまりに脱力したので試合以外の今日一日はツイートを貼りつけて済ませる。で、明日からどうすればいいんだ? とりあえず、明日の夜のヘタフェの柴崎に期待しよう。今のところそれぐらいしか思いつかないな。そもそも僕の中でのサッカーの序列は、鹿島→柴崎→大迫→代表→森岡だから、基本そこまで落ち込むことはないのだが、昌子がセンターバックでキャプテンだったからなー。

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憎悪、64

12月15日、金曜日。

という具合に珍しく特に何の用事もないのに8時ごろに起きたので、普通ならこれが今日の日記のテーマになるはずなのだがさにあらず。そのまま起きていると煙草の本数が大変なことになると思ったし、睡眠時間も6時間ぐらいなので今日も午前中に調整の昼寝。それから相場少々。欧州時間までヒマになったので業務。で、問題はここから。

4時過ぎに業務から帰宅すると、ちょうど家の前に隣組長である向かいの人がいたので、今日は15日だから町内会費の集金に来たのだなと。それはいいのだがよろしくないのは、彼がうちの駐車場の電動シャッターの音がうるさいと言ったこと。油を差した方がいいとかなんとか。まあ近所関係で来年は僕が隣組長をやらなければならないとかいうこともあってそのままそうですかとか言っていたが、彼が帰ると憤懣やる方なく、もう本当の殺意に近い憎悪を覚えた。確かに金属音が耳障りでうるさいと言えばうるさいが、それもたかだか開け閉めする30秒とか40秒のこと、大体に於いて隣の家から苦情が来たこともないし、向かいと言っても寺の隣だから正確には斜め向かいの家にいてあんなものがうるさいとは、ケチをつけるにもほどがある。世間によくある近隣のトラブルというものはこうして発生するのかと。一番頭に来るのはこの先のことがあるからことを荒立てるのが一番厄介だということで、そういう意味ではこっちは我慢してシャッターを開けっ放しにするぐらいしか対策がないのが腹が立つ。元々実家に戻った当時しばらくは、もしシャッターが開かなくなったらどうしようという強迫性障害的な強迫観念に捉われてシャッターを閉じたことはなかったのだが、一昨年ぐらいだったか、一度車のワイパーをいたずらされたことがあってそれ以来シャッターを閉めるようになったのである。それにしてもこの怒りをどこに持って行ったらいいのか。まさにやり場のない怒り。無用なトラブルを避けるため、誰それが気に入らないからというそれだけのことで何万もかけて壊れてもいないシャッターを直すなどというのは言語道断、まさに何をどう考えても気に入らず不愉快なことこの上ない。今回の件で向かいの人は自分の中で決定的に嫌な奴と断定されて、デスノートがあったら真っ先に名前を書く候補となった。

とにかく自分でもびっくりするほどの憎悪感情で僕の頭はパンパンになってしまった。まさに不愉快の塊といった風情。まあただこれがエスカレートするといろんな事件に発展しちゃうんだろうなという論理的な思考も頭にはもちろんあるのだが、何しろ感情の方がどうにも。要するに納得というか得心がいかない。まさに煮え湯を飲む思いで普段はシャッターを閉めず、何日か家を空けるようなときだけ閉めるようにはするが。かつての僕であれば気に入らないなら民事訴訟でもしろと食ってかかるところである。

と、思い出すとまた腹が立つ。

なので、夜は相場にも集中できそうもないので昨日からアマゾンのプライムビデオで見始めた瀬々敬久監督「64-ロクヨン-」の前編の続きから最後まで見て、勢いでそのまま後編も最後まで見た。都合丸々二時間の映画を二本見た勘定になる。で、二時間×2でこれかよ、というのが最後まで見た感想。横山秀夫(原作)の話というのはとにかく安っぽいセンチメンタリズムとか正義感といったものに帰着して、この「64」なんかは典型的にそうだが論理的に詰めるとプロット自体は破綻している。よって、いくら永瀬正敏がハナを垂らしまくって熱演してもかえってしらけてしまうのである。登場人物全員が情に流されているし、なんつーか、もうこうなると自己陶酔型の話しかこの人は書けないんじゃないかと。救いがないのはユーモアがまったくないこと。リアリティも論理性もないお涙頂戴の浪花節で2時間×2っていうのはさすがに無理がある。とかく横山原作の映画は「慟哭の結末」とかそういう大仰な惹句が必ず付いて回るのだが、この後編のラストを見てもえっ?これで終わり?みたいな、なんですか感が残るだけである。11歳の少女が車でしか行けない場所にいつの間にか誰にも目につかずに行くとか、ディテイルのリアリティをひとつずつ取り上げるともうボロボロ、要するにセンチメンタリズムを取り除くと何も残らない。ただ、この前後編に渡る長い映画を見ている間は、前述の憎悪を忘れていられたのが救い。とにかく横山秀夫に関しては「このミス」で1位とか、物凄い大仰な惹句であるとか、いかにも物凄い作品風味に騒ぎ立てられている割には読むとがっかり、というものばかり。僕自身は単純に筆力の問題だと思っている。端的に言ってつまらない。いや実際、最近の「このミス」の1位ってホントつまらない。なので最近はまったく参考にならない。最近でいえば米澤穂信の「満願」とか。この程度で1位かよ、って感じ。ストーリーテリング的に物足りないものが多すぎる。正直ミステリとかエンターテインメント作品は面白ければそれでいいと思っている。そういう意味で妙に格好だけつけて面白くない作品が多すぎ。近年(でもないか)では高野和明の「ジェノサイド」が面白さという点では断トツで突出していて、あれを超える作品はいまだひとつもない。

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早起きはしたものの

12月14日、木曜日。

今日は町内会のごみ当番なので、アラームで8時20分起床。朝食後、玄関を開けるとごみ当番の前に雪かきをせねばならない。どうやら除雪車が入ったようだ。ひとまず簡単に済ませる。所要時間11分。それからごみ当番の仕事、つまり集積場に回収されずに残されたごみがないかどうか見てくる。ない。っていうか、この約5年の間であったのは一回しかない。ほうきを次の人の家に届けて終了。

で、相場の想定をして指値を置き、仲値のタイミングで少々スキャル。なんていうか、仲値の時間(9時55分)にチャートに向かっていることなど滅多にないのでちと新鮮。それから、睡眠時間が6時間に満たないのでたぶん眠いのだろうと推測してベッドに潜り込み、強制的に昼寝。結果的に、この昼寝をしようと試みたときが本日一番眠くなかった。つまり、それ以外の時間はひたすら眠かった。昼過ぎに目が覚めて昼食。

昨日の天気予報をちゃんと見ていないのであれなんだけど、今日は雪が降るどころか天気がよくて晴れていた。なので日中は雪が融ける。欧州時間までヒマなので業務に行ってみる。ツキも中途半端なり。帰宅後相場。で、5時半過ぎから急に腹が減る。早起きしたせいだろうか。とにかく腹が減ったので、本日は夕飯を食べてから母のところへ。すると路面が凍結していた。で、帰るころにはフロントガラスが凍っていた。どんだけ寒いんだ。夜相場のトレード少々。

という具合になんとなく一日が過ぎた。で、前述のように午後からは終始うっすらと眠気が頭のどこかにあった。だがどうにもならないほど眠いわけでもなく、ただ眠くないとは言えず。実際のところ、これを書いている今、深夜0時半を回ったところだが、いつもならまったく眠くない時間なのにもう眠くなっている。たぶんこれも早起きのせい。なんというか、常日頃8時半ごろに起きたいと思ってはいるものの、実際にその時間に起きると今度はそれなりに早く眠らなくてはならないという、当たり前のことに気づく。これでいいのかな?

天気予報によると明日も雪は降らないらしい。ということは明日の朝は雪かきしなくてもよさそうだ。明日は何も予定がないがさて。とにかくもう眠いな。

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メダリスト

12月13日、水曜日。

9時14分起床。7時台にも一度目が覚めて、雪かきをしなければならないから早く起きなければという意識がある。起きたときから昨日の雪かきで腰に来ているし尻が筋肉痛。昨夜の様子からして昨日より今日の雪かきの方がヘビーだと思っていたのだが、朝食後雪かきに出るといつの間に融けたのか、思ったほどではなく8分で終了。昨日が14分だから今日と合わせてトータル22分しか雪かきをしていないのだが、いまだに尻が筋肉痛だし腰にも来ている。どんだけ運動不足なのか。

今日は4時に精神科の予約があるし、深夜というか早朝にFOMCの政策金利の発表があるので相場は様子見。昼食後に昼寝。最近は昼寝をすることにまったく抵抗がなくなった。なんだかんだ雪はときおり小止みになったりしながらも降り続いていて、精神科の帰りには凄い吹雪になっていた。驚いたのは診察と薬局合わせて小一時間の間にフロントガラスががんがんに凍っていた。帰りがけ、図書館に寄って念のためにアーヴィング「神秘大通り」の下巻を延長して、さらに桐野夏生「アイム・ソーリー、ママ」も借りておく。ついでにコンビニに寄って帰宅。

6時半ごろに母のところに向かうころにも雪は盛大に降っていた。よほど車のエンジンをかけっ放しにしておこうかと思ったがやめた。母の部屋に行くと、傍らの歩行器に何やら赤いリボンのようなものがかかっている。何かと思ったら紙で作った金メダルだった。母にこれどうしたのと訊ねると、母は輪投げだかなんだかのチャンピオンになったのだと破顔一笑した。母が笑うのを見たのは久しぶりだ。なんにせよ、母が何かで優勝したり一番になるのは初めてじゃないかと訊くとやはりそうらしい。母はとにかく嬉しそうだった。

こうして母はメダリストになったのだった。

雪は間断なく降り続き、明日の朝は間違いなくまた雪かきだし、それ以前に明日の朝は町内会のごみ当番である。前回の経験から、8時半きっかりに行っても意味ないので9時ごろに見に行けばいいとは思うが、それにしても早起きはしなければならない。

久しぶりに大貫妙子の「MIGNNONE」を聴いて、大貫妙子じゃない誰かを思い出す。

Lord, give me one more chance これが最後かしら

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