どうも調子が悪い。不思議なことに朝から飲んで一日3回安定剤を飲んだ日の方がむしろ調子が悪い。例によって母の病院に行くと物凄く眠くなり、リハビリを見学している間にパイプ椅子の上で涎を垂らして寝てしまったり。実際問題として体調が悪い感じだった。帰宅後も上向かず、夕食後にコタツでオリンピックをなんとなく見ていたのだが調子が悪いので寝ようと努力して2時間ほど寝た。

昨日こっそりgambling awayを更新してそこにも書いたのだが、今月の業務は何故か勝ちと負けが交互に来る。禍福は、ということわざがあるけれど、そんなに律儀に来なくてもいいような気がするのだが。昨日はツイていたのに精神的にダメと書いたけれど、今日は今日でツイていなくてもダメ、前述のように体調的なものもあるかも知れないが、どうにも精神的に粘る体力がない。根性とか根気と言い換えてもいいけれど。とにかく、何故か安定剤を飲むと逆に精神的にも身体的にも調子が悪い。明日は減らしてみる手か。確かにこのところずっと7時前には起きて早起きなので、夜の睡眠が5時間ぐらいと若干足りないのかも知れないが、その分昼寝してるのに。

FXの方も勝ち負けを繰り返している。傾向として、精神状態が弱っているときは裏目に出ると酷く悲観的になったりするが、逆に考えれば大きく負けるということは大きく勝つ可能性があるということで、そう考えればプラス思考になる。いずれにしても今日のように体調も精神的にも調子が悪くて頭がぼうっとしているときは判断がつかない。だが、頭さえはっきりしていればなんか手はありそうだという気はしてきた。

母は相変わらず精神状態がよくない。もうずっと柔和な表情は見せず、どこか怯えているような不安げな顔を常にしている。顔が気難しそうに強張っている。どこにも手がかりがないというか、これは母の精神状態なので僕にはどうしようもない。こういう母と向き合っているのは相当しんどい。

今日はツイッターのタイムラインにオリンピックのツイートが少なく、森元首相(東京パラリンピック委員長)の浅田真央が負けると分かっていた発言関連ばかりだ。なんか盛り下がっている感。今日はコタツで気絶するまで、スキークロスという競技を見たが、案外と面白かったけど。浅田真央の失敗やノルディック複合の団体が5位に終わった辺りが盛り下がっている要因か。いずれにしてもフィギュアスケートという競技がスポーツであるということに対する違和感は消えず、懐疑的に見てしまう。なんでスポーツなのに演技なのか。いや、演技なのにスポーツなのか。で、何故選手ごとに音楽が違うのか。課題曲を統一した方がスポーツとしてはフェアではないのか。というか、体操のように音楽などいらないのではないか、等々。終いには女子選手の化粧が過剰だとか、そういうところまで気になってしまう。

森元首相の発言に戻ると、オリンピックに関して言えば、成功する選手もいれば失敗する選手もいる。だからこそ見ていて面白いのだが、それと特定の選手が必ず失敗するというのはそもそも観点が違う。必ず成功する選手と必ず失敗する選手が決まっていてはちっとも面白くないではないか。というような意見を述べるにも値しないほどの発言。どうして政治家という人種はこういう人間ばかりなのか。


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今日は昨日ではない

今日は昨日ではない。サイトのトップページにも掲げているレイモンド・チャンドラーの作中の文言だ。どの作品だったかは忘れた。味わい深い言葉だ。実際、今日は昨日ではない。もしかしたら、それが救いでもある。実際、ときにはそれが救いになる。よく言われる「明日がある」というのは、今日という日は常に昨日になるという宿命を示唆しているだけなのかも知れない。僕らが生きているのは常に今日であり、今である。昨日ではないし明日でもない。だからたぶん、希望は常に今日あるべきなのだ。

だが皮肉なことに脳が認識するタイムラグにより、僕らは常に微妙に過去を生きている。そして、不安というものは過去よりも主に未来にある。一寸先は闇、次に何が起こるかなんて誰にも分からない。

FXの為替相場のチャートを見ていると、上がったり下がったりする。不安や希望のように。昨日から試しにストップロスを多めに取ってポジションを日をまたいで持ち続けてみた。そうすると、プラスになったりマイナスになったりする。損切りしない限り、いつかどこかではプラスになる(筈)。しかし、分からないのはどのタイミングで抜けるのがいいのかということだ。結局、次にどうなるかなんて分からないから。チャートの上下というのはもしかしたら僕自身の感情や欲望の上下を見ているのかも知れない、などと思う。

まったく希望がない毎日を生きているとずっと思っていたが、恐らく幾ばくかの希望は常にあるのだろう。そうでなければ生きていけない筈だ。ただ不安や絶望がそれを凌駕しているだけで。

そんなわけで今日は何度か自分に「今日は昨日ではない」と言い聞かせた。

前置きが長くなった。

朝は町内会のゴミの当番だった。なので、朝食後に集積場に行ったが何事もなく、ただホウキを持って往復しただけ。むろん、その方がいいのだが。雪はちらついていたが、雪かきするほどではない。

業務は昼過ぎに恰好がついたのでタマには無理せずにとっとと帰ることにした。というと聞こえがいいが、要は基本通りに粘る精神力がなかっただけ。言い方を変えれば、今日は昨日よりもツイていると思いたかったので、ツイているうちに帰ったというわけ。なので1時前には帰宅。ところが、机に向かってFXのチャートを眺めていると、前述のようにどこで抜けるのか(決済するのか)一向に分からない。そのうち煮詰まってきた。いまだ抑うつ状態である。なので、母の病院に行くまで少しソファで寝ることにした。

結局、2時間ばかり寝て、現実とあまり大差ない夢を見た。危うく現実と混同するところだった。目が覚めると電話が鳴り、母の病院の、先日打ち合わせをした師長からだった。話を簡単にまとめると、先日申し込んだ介護施設はなかなか空かないので、次に移る療養型の病院を早く申し込んで欲しい、という内容だった。だが問題は候補に挙がっている2つの病院それぞれに難点があるということ。一番の要因は母が統合失調症という精神疾患を抱えていることで、ひとつの病院は精神科があるが理学療法士がおらず、体力回復のリハビリが十分に受けられるかどうか分からない。おまけに病床数が少なく、かなり順番待ちをしそうだ。もうひとつの病院は理学療法士がいるが精神科がない。おまけにこちらは入院費が高い。月々赤字になるくらい。一長一短というよりもむしろ、どちらも短所があるということである。結局、後でキャンセル出来るので両方に紹介状を書くから申し込むだけ申し込んで欲しいとのことだった。後者の方が待たずに済みそうなので、施設に移るまでの2・3ヶ月であるなら後者の病院でも仕方ないかなと思う。

それから母の病院へ。着いたのは4時半ごろだった。母の精神状態・認知機能は日増しに少しずつ悪化している。今日も名前と誕生日を書く練習をさせたのだけれど、書くたびに間違えたり思い出せなくなるのが酷くなる。被害妄想や幻覚も少しあるようで、不安げな声をしきりに出す。正直、母が何を考えているのか、母の頭の中がどうなっているのか、さっぱり分からない。もはや感情移入することも難しくなっている。だが悲しいことではあるけれど、それが僕のある意味救済になるという皮肉な構造が見える。つまり、もう療養型の病院に入れて、やがては施設に入れるのも仕方がないのかなと腹を括り始めた。母を見捨てるわけではないが、物凄く主観的だった見方が少しずつ客観的な方に向かい始めている。それがいいことなのかどうか、僕には分からない。だがもはやそうするしかなさそうに見える。

結局のところ、人間は自分のことしか考えられない。他者のことを考えているつもりでも、実際は自分自身のことを考えている。どこかで自分は本質的に自分勝手で自分本位な存在であることを認めなければならない。

なんかこういうことってちょっと悲しい。僕は母のために生きたかったのに。母はどんどん僕のあずかり知らぬところで変容していってしまう。そして僕はそれを受け入れ続けなければならない。

今日はいい日でもなく、特別に悪い日でもなかったのだろう。世界は常に変容する。一刻も休むことなく。そこには絶望も希望もある。


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暗中模索

何をやっても上手くいかない日。一昨日のように酷い抑うつ状態になってもまったく不思議じゃない日だったが、先日来安定剤を毎食後飲んでいるせいなのか、夕食後にコタツで気絶したせいなのか、なんとかもっている。不思議だ。コタツで寝て、この界隈に住んでいる夢をこっちに引っ越してきて初めて見た。相変わらず、コタツに入っているとテレビでも見ていない限りホントに眠くなって困る。

夜はオリンピックのスピードスケートを見た。スピードスケートのラップを見ているのって、いかにもオリンピックを見ている感じがする。

業務は結果がどうのうこうの以前に精神的にダメ。辛くなる。母の病院に向かいながら、これではもう続けられないかなと半ば諦めの気分に。母は相変わらず元気がなく、表情も感情の起伏も乏しい。今日は足の爪を切ってあげたけれど、そういう母に向き合っているのはかなりしんどい。どうやって元気づけたらいいのかさっぱり分からなくなる。ただでさえ、僕の方が元気がないのに。

FXは相変わらず裏目るというか、機を逸するというか、タイミングがつかめない。要するに、自分のスタイルというものがまったく定まっていない。暗中模索。そんなことを言えば、すべてが暗中模索だ。なんだかよく分からずに、なんか上手くいかないなあと思いながら日々が過ぎていく。ひとつには、上手くいくイメージというものがない。イメージ出来ない。このところずっと大なり小なり抑うつ状態なので、何をやっても楽しく思えないからしょうがないところもある。なんていうか、確たるものがないまま、なんとなく時間が過ぎていく。特に帰宅してからがそうだ。どこか、寒いということに振り回されている気が非常にする。


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変遷

それにしても昨夜の抑うつ状態は酷かった。結局風呂に入らずに寝て、悪夢を見て朝目が覚めてもまだうつの残滓は残っていた。なので、今日は朝から毎食後安定剤を飲んだ。

朝から雪が降りしきっていて、朝食後に雪かきをしたが降り方が凄い割にはそれほど積もっていなかった。昼過ぎまで結構降っていたのだけれど結果的に積もらず、業務後母の病院にいるころには晴れ間も見えてくるという奇妙な天気だった。

昨夜の抑うつ状態の要因としては、2日続けて業務で大敗を食らって気が滅入っているところに母の認知機能障害が酷くなったように見えて、母が僕を忘れるのが怖いと言いだしたりしたことが重なったからだと思う。このところの母は毎日書いているように口数が極端に少なくて元気がなく、名前や誕生日を書く練習をさせるとやたらと間違える。

今日灯油を入れたら、この1ヶ月あまりで灯油代が約4万円、いくら灯油が値上がりしたからと言ってもちょっと洒落にならない。去年の同時期と比べると3倍近い。書斎と台所という、一番広い部屋の暖房を夕方から寝るまでずっとつけっ放しにしていたせいだと思うがそれにしても。危機感を覚える。なので、台所はこまめに暖房を消し、書斎は朝と寝る前にこの日記を書いたりするときだけ使い、後は一回り小さい茶の間でコタツに入って節約することにした。だが毎回書いているようにコタツに入ると眠くなるし、どうも理由はよくわからないがコタツが苦手、というか座椅子に座っているのが苦手になってしまった。疲れるしどうにも落ち着かない。足腰とかがよほど弱っているのか。去年父の葬儀後しばらく茶の間のコタツで過ごしていて最終的に煮詰まり、春ごろからずっと台所で過ごしていたことを思い出す。茶の間にいると閉塞感を感じるし、テレビをほとんど見ないし。書斎で音楽をかけながら机に向かっているのが一番楽なことは楽だ。

今夜は昨日に比べるとそれほどうつが酷くない。まだ多少顔と手が痺れているけれど。帰宅後はオリンピックもさして見るべきものが見当たらないので、なんとなくFX。今日はアメリカが休日ということもあり、値動きが少ないのでちまちまとスキャルピングの練習。

精神的にはまだ完全には立ち直れていない。眠くなるのが早い。それにしても(北)関東周辺の雪害、深刻なことになっている。一昨日頼んだコーヒーの生豆がいまだに届かないのも雪のせいだろう。それでいて雪国のこの辺はそれほどの雪ではないところが不思議だ。昨夜弟に電話したら、仙台は40cmぐらい積もっているということだったが。

そんなわけでもう眠い。今日も早く寝てしまいそうだ。出来ればいい夢を見たいのだが。


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擬死、他人の顔

最近にない極度の抑うつ状態で完全な廃人状態。というよりむしろ死体に近い。身体が思うように動かない。手と顔の痺れが酷く、他人の顔が貼りついているようだ。頭は鈍痛、気分が悪い。もうどれぐらい天井を眺めて放心していただろうか。3錠目の安定剤をさっき飲んだが、どうやら無駄なようだ。身体が強張って重く、力が入らない。今日は風呂に入れそうにない。これだけ酷いのはいつ以来だろうか。何も出来ない。

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雪の土曜日

昨夜はあれからフィギュアスケートをちょっと見た。羽生結弦を生で見るのは初めてだったが、ジャンプで2回失敗したので僕が見たせいかなと思ったが、結果的に金を取れてよかった。今日になってようやく、最高点を取ったショートプログラムの演技を見たが凄かった。なんていうか、姿がいい。フィギュアスケートに対して懐疑的でもありさして興味がない僕でも素晴らしいと思った。対して、パトリック・チャンは何をやっても姿が悪く、これではどうやっても羽生に勝てないなと思った。

大迫先発の1860ミュンヘンの試合も最後まで見て、大迫は惜しいヘディングシュートが2つほどあったが得点は出来ず。1860ミュンヘンのサッカーは大雑把で、クロスの精度もあまりないし正確なラストパスなんてまず来ない。パワーサッカーになりがちでパスを組み立てて崩すということがなかなか出来ない。それでもその中では大迫の技術は突出して見えた。数少ないチャンスでもそのうちまたゴールを決めるだろう。結局寝たのは朝の5時過ぎ、しかし不思議なことに7時の寺の鐘で一度目が覚め、二度寝したものの8時には起きた。5時間昼寝したので足し算では辻褄が合うものの、不思議だ。朝食後に胃の辺りから眠気が案の定湧いてきて、やっぱり睡眠不足気味かと思ったがなんとか夕方まではもった。

今日は各地で雪で死者が出たり大変なことになっているようだが、こちらも朝から凄い勢いで雪。一応朝雪かきはしたものの、降り方の割にはそれほど積もらず。午後になって雨混じりになったせいもある。あまり雪の降り方が凄いのでどうしようか迷ったけれど、朝からまた寝直すというのも関心しないので結局業務に行き大敗。上手く行かないものである。

その後は母の病院に行き、土日はリハビリが休みなので歩く練習などをさせてみたけれど、車椅子から手助けなしでも立てるようになっていた。随分な進歩だ。今日も母は元気がなく、父の戒名を覚えられないことを情けないと嘆息してばかりいるので、戒名を書いた紙を渡してあまり気にせずにゆっくり覚えればいいと言ったものの、紙を渡したのは逆効果だったかなと今になって気になっている。悪い方に拘るのはあまりいいことではないので。

先月からのこの1ヶ月あまりの灯油代がちょっと洒落にならないことになっているので、節約しなければとこれまで書斎と台所の暖房を入れていたのを止め、茶の間の暖房とコタツでなるべく済ませようとコタツでなんとなくオリンピックを見ていたら案の定気絶、気がつくと6時ごろになっていた。1時間半ぐらい寝ただろうか。夕食は昨日に引き続き焼肉。

その後後輩のM月くんからLINEで電話があり、FXの話で長電話。で、彼がかれこれ足かけ5・6年もFXの自動売買のプログラミングをやっていて、それでもFXで食えているわけではないので、やっぱりFXで食うのは難しいのかなと思う。話していて、自動売買のプログラミングそのものがどうも錬金術に近いのではないかという感じを受けた。つまり、不可能を可能にしようという試みに思えた。FXというか、為替相場というもの自体、不確実性そのものなのではないかと。まあじゃあそれでFX止めるのかというとそうではなくて、僕は僕なりにもう少し検証してみようとは思うけれど。なんとなく文系の勘だけれど、いかに(方法論を)単純化するかとどういう段階を踏んでいくかということがポイントのような気がする。ドラムのミヤザワにはミクシィ経由で早く億万長者になって俺に投資してくれと言われたけれど、たぶん無理。

なんかさっきから脇腹が痛くて気になる。明日も大雪の予報。どうしようか。だが、どうにもコタツに入っていると自動的に気絶してしまう。

そんなわけでジェイムズ・エルロイ「アメリカン・タブロイド」読了。面白かった。とにかく読みやすい。回りくどい情景描写や心象描写、余計な比喩は一切ない簡潔な文体。登場人物のほぼ全員が悪人というかまともな人物ではなく、映画のように小刻みにシーンを積み重ねることで目まぐるしく進む悪夢のようでいて、それでいて前述のように文句なく面白く、ある意味悲惨な結末に突っ走るのだが後味も悪くない。初期の短編とか読むと拙いのだけれど、LA四部作以降のエルロイはとにかく巧いなあと思う。この三部作もいずれ全部読もう。

今夜のBGMはノルウェーのピアノトリオ、Helge Lien Trio。


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空白

今深夜2時近く、こんな時間にコーヒー飲んでる。まだ風呂にも入ってない。というのも、夕食後書斎でPCに向かっていたのだが特に足下が異常に寒く感じて、あんまり寒いので8時ごろソファで毛布を被ってちょっと寝ることにしたのだが、一度目が覚めて時間を見ると11時近く、また3時間も寝てしまったと思ったのだけれど次の瞬間またワープしてしまい、結局目が覚めたのは1時だったのだった。唖然。5時間も寝てしまった。この空白は。せっかくこのところ毎日1時ごろには寝て7時前に起きるというサイクルが出来ていたのに、これでは時差ボケになってしまう。それにしても、夕飯に久しぶりに肉食べたのになんであんなに寒かったのだろう。謎だ。肉が裏目ったのか。

というわけでコーヒー飲みながらヴァレンタインのチョコレート(嘘)食べてます。

snow5

東京は今日も雪が積もったみたいだが、この辺は毎日こんな景色だ。今年は去年よりずっと雪が少ない。今のところ。明日明後日は雪の予報なのでまた積もるかも知れない。

昨日業務中にストレス凄かったので、今日は朝から安定剤を飲んでみた。結局、朝昼晩と3回飲んだのだが、もしかすると5時間も気絶してしまったのはその影響もあるのだろうか。久々に3回安定剤飲んだのに夕食後逆に不安感強かったし。今日は業務で久々に大台も超えたし、母の様子も昨日とそれほど変わらないし、まったくこの不安感の正体は分からない。FXのポジションは持っていたがほんの少額、さして騒ぐほどのものでもない。全体、僕の不安というものは漠としていて実体というものがない。

そういえば夕方、数年前に原稿を送った出版社から携帯に連絡があり、僕の処女長編「ホリデイズ」を文庫で出版したいので書き直す気があるかという話だったが、前回同様僕も出資しなければならない共同出版の話だったらお断りしますと言ったら案の定そうだった。ただの営業の電話。だがもう書いて15年ぐらい経つけれど、ずっと直したいとは思っている。特に書き出しのあたり。そのうち余裕が出来たら直そうと思う。

もう2時を過ぎた。これから風呂入って2時半からの大迫先発の1860ミュンヘンの試合をネットで見ようか。あ、先日シャルケで足を痛めた内田、もしかしたらW杯間に合わないかも知れないということで残念。ということは本番はどちらかの酒井になるのかな。若干不安。

こうして夜は更けていく。


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忘れない

FXでポジションを持っていると、数字ばかりが気になって何も手につかない。どうにも落ち着かず、気もそぞろでそわそわしている。機械的にこなす家事とかは出来るが、頭の中が相場の上がり下がりだけになってしまう。夜はそんな感じだった。振り回されている感強い。

東京は明日また大雪の予報だが、こっちは明後日からの土日が雪みたいだ。冬が来る前、雪に対して物凄く憂鬱になっていたが、業務の途中に休憩で外に出て、遠くの山並みや雪景色を見ると一体僕は何を怖がっていたのだろうと思う。

また眩暈。どうやら煙草が20本に達すると眩暈がするようだ。最近、朝起きるのが早いせいもあって、日中の煙草の本数が増える傾向にある。

今日も昼は安定剤を抜いてみた。確かに異常に眠くはならなかったが、安定剤を飲まない影響だろうか、立ち回りもブレたしやたらとツキがなかった今日の業務は途中から物凄く精神的に辛くなった。隣の人が異常にツイていたせいもあるだろうが、それにしても辛かった。単にツキのなさとかばかりではなくて。なんていうか、嫌だったな。途中から凄く嫌になった。なんでこんなことやってなきゃいけないんだ、みたいな。母の病院に着いたころには顔も痺れたりしていたので、抑うつ状態だったのだと思う。やはりまだ昼夜の2回飲んだ方がいいのだろうか、安定剤。

母は認知機能障害が見られる。父の戒名を何回教えてもどうしても覚えられない。途中から苛立ちを覚え、それから悲しくなった。もしかしたら母は僕のことも忘れてしまうのだろうかとふと思った。帰り際に僕はいつも母の頭を抱き締める。一度帰りかけて戸口のところで足が止まり、僕はベッドのところに戻ってもう一度母の頭を抱き締めた。すると、母は一言、「忘れないよ」と言った。それは父の戒名のことではない。僕のことを忘れないと言っているのだった。

何をやっても上手く行かない日、夕食後に心の中で亡父に問うてみた。すると、頭の中に返ってくるのはすべて優しい言葉なのだった。父は本当に優しい人だった。僕と父は十分なコミュニケーションを取ったとは言えない。父は僕を許すとき、優しい言葉をかけるとき、滅多に笑わなかった。そういうときはいつもむっつりした顔だった。それが父のスタイルであり、矜持だったのだろう。今思うと、本当に優しい人だった。

ときどき、波のように間歇的に悲しくなる。辛いとかそういうんじゃなくて、悲しくなる。自我の中で、主観的視野とか物事との距離が遠ざかったり近づいたりしながら僕は生きて、ときおりセンチメンタリズムに埋没する。埋もれる。だが人間はずっとそんな気分では生きていけない。それと同時に、まったくクールに即物的にも生きていけない。やはり人間とは、感情的な生き物だ。

寝る前に読んでいるジェイムズ・エルロイの「アメリカン・タブロイド」、たぶん今夜で読み終わるだろう。次に読むのはカズオ・イシグロの「わたしを離さないで」。カズオ・イシグロは好きな作家だけれど、この小説は介護とか施設とかが重いような気がしてずっと敬遠していたが、今は逆にそれだからこそ読みたい。


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光と影

line

6時半起床。なんかだんだん朝方になってきた。今日も晴れ。

朝起きて録画しておいた女子ジャンプをまず見る。高梨沙羅が4位というのは残念だったが、ある意味、最近の高梨を象徴しているようでもあった。つまり、失敗もしないが大ジャンプもないというこのところの飛び方そのものだった。安定感が強みでもあるが、一発勝負で最高の力を発揮するというところまではまだ行っていないということか。負傷から復帰していきなり本番を迎えたヘンドリクソンともども、2人のサラには残念なオリンピックになった。

業務はまずまず、かつてのスタイルが戻りつつある。FXはいまだ暗中模索で絶不調。ただただ右往左往する。一応それなりに学習はしていて、やってはいけないことばかりが溜まっていく。

今日の母は元気がなかった。リハビリにも付き合ったが、身体の方はよくなってきているので、恐らく精神的なものだろう。

今日は夜もオリンピックを見た。ノルディック複合個人のノーマルヒル。渡部暁斗の銀メダルは胸が熱くなるものがあった。久々にわくわくした。クロスカントリーでこれだけ走れる日本の選手を久々に見た感じ。それにしても、前半のジャンプだけ見ていると日本はやたらと強く見える。団体戦が楽しみだ。

例の眠気対策、今日はいつも昼夜と飲んでいる安定剤を昼抜いてみた。すると、母の病院では少々眠くなったものの、昼寝はせずに済んだ。強烈な不安感もなかったので、この調子が続くようなら今日のように夕食後の1回だけにしてもいいかも知れない。


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負け組

晴れ。昨夜早めに寝たせいもあり、6時台に起きた。朝起きるとドイツ2部の1860ミュンヘンに移籍した大迫がデビュー戦でゴールを決めていた。大迫半端ない。

業務は出だし好調も、尻すぼみの結果に。最近、結果が裏目に出るとダメージでかい。以前に比べると精神的にかなり脆弱になっている。基本通りに粘った結果なのでスタンスとしては間違っていないのだが、目先の結果に動揺してしまう自分がいる。

病院に行くと、このとこはずっとそうなのだが母は僕を見ると嬉しそうな顔を見せる。今日はここ数日と比べると喋った方だろう。祭日でリハビリが休みなので、車椅子でエレベーター前のホールに連れて行き、立ったり歩いたりする練習をさせた。最近は自分でベッドから降りられるようになったし、以前と比較すると大分よくなったように思える。その後、ベッドに戻して話をしていると、廊下の向こうで叫び続けている老人がいて、母があの人は施設に移るのだと言う。それで施設の話になり、母も施設に移らなければならないかも知れないという話をした。母はどこでもいいと言うのだが、僕には母が可哀想で哀れに思えてならない。そういえば倒れて手術する前、自宅にいたときもそんなことを口にしたことがあった。どこにでも行くよと。母が可哀想で、僕はまた泣いてしまった。帰り際、いつものように明日また来るからと言うと、母は「待ってる」と言った。いつもは言わないのに。また僕はティッシュで鼻をかむ羽目になった。

FXやら業務やらの結果が裏目に出ていることもあって精神的に脆弱になっているのか、涙もろくなっている。なんていうか、そこはかとなく悲しくなってくる。

どうも最近のやたらと眠くなるのは、疲れと安定剤のせいのようだ。ベンゾジアゼピン系(安定剤・睡眠薬)の性格からして、とうに耐性が出来て効かなくなっている筈なのだが。実際、眠くなるのは安定剤を飲んで以降だ。

夕食後、疲れと眠気で頭がぼうっとしてどうにもならなくなり、今日は仕方ないと思って茶の間のコタツで昼寝体勢に入る。すると、2時間半気絶。調子が悪くて寝た筈なのに、起きたら超絶に調子が悪い。やはりコタツで昼寝はよろしくない。今度からソファで毛布を被ることにしよう。

FXはいまだ迷走中。昨日今日とマイナス。迷走する相場に迷走しているようでは。時間帯を考慮する必要がありそうだ。それに、いまだにスタンスを決められないでいる。

相変わらずオリンピックは見ていない。深夜の女子ジャンプだけ録画予約。たぶん今日も早めに寝ることになるだろう。

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