雪景色

8時に目が覚め、9時過ぎ起床といういつものパターン。朝の精神状態はまずまず。朝から部屋の中が暗いなと思ったら、午前中からどかどかと雪が降り出した。雪は結構な勢いで降り続き、昼過ぎにはすっかり雪景色になった。こんな天気なので、一番近いスーパーで昼食のサンドウィッチと夕飯までついでに買う。マンションの前の道は、雪で立ち往生した車が出て大渋滞。

午後から夜にかけて、ずっと部屋に篭ってYouTubeでジャズのライブを見て過ごす。こんな大雪の日にわざわざ外に出るまでもない。

夜、弟から電話があり、母が朝から取り乱していたという報告、叔母叔父と弟まで駆けつけたらしい。また気が滅入る。一応母に電話してみると、落ち着いているようではあったが、まだ叔母がついていてくれていた。こんな調子では、僕が戻る来週までもつのだろうかと心配になる。毎日叔母に任せなければならないのも悪いし。朝不安定になるというのは、やはり母はうつ病なのだろうか。母の話ではパニクってしまったらしいが。それにしても、いつまでこの気が滅入る状態が続くのだろうか。まったく、希望というものがいつまで経っても見えて来ない。

開き直ってAl Jarreauをしばらく聴いていると少しは気が紛れた。人間はどんなに酷い状態でも恐らく慣れるし、次第に鈍感になるのだと思う。

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ダイオウイカ

8時に目が覚めたものの、起床は9時。やっぱり8時間は寝てしまう。今朝はどういう加減か、例の現実に戻るときの嫌な感じはなかった。半減期の長いセルシンの影響だろうか。

今日も特にこれといった予定はなく、明日が燃えないゴミの日なのでゴミをまとめる。コンビニからファックスを送るのと寸法直しに出したスラックスを受け取るために昼ごろ外出、で、バロック音楽の流れるいい感じの喫茶店を発見して昼食。コーヒーの味も悪くなかった。やはり喫茶店は木の床に漆喰の壁が一番落ち着く。で、BGMも重要。

いまだに禁煙は続いている。今日で23日目だ。しかし、ストレスを覚えるたびに何かを食べたくなるので、やたらと間食する癖がついてしまった。この分だとマジに太りそうでヤバい。日中はドロップシッピングにトライしてみるが、この手のネットビジネスはもっと本腰を入れてやらないと全部中途半端に終わる。で、そこまで腰を据えてやり切るほどの根気が今はない。

夜は世界で初めて生きて動いているダイオウイカの映像を捕らえたNHKスペシャルを見る。思ったほど大きくはなかったものの、なんか凄いなあと思う。アホみたいな感想だけれど、そうとしか言えない。黄金色に輝く姿は、なんかとんでもないものを見てしまったと思わせるものがある。その後は途中からだがジェームズ・キャメロン監督「アバター」を見た。設定がよく分からないまま見てしまったけれど、CG全開という感じで、これが興行収入1位というのがどうにもピンと来ない。

とか書きながら今日もセルシンを10mg飲む。電話で話した母は今日も頼りなかった。依然心配。

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最後の晩餐

今朝も昨日と同じ、目が覚めてきて夢から現実に戻るときがたまらなく嫌だ。さしたるいい夢でもなかったのだが。希死念慮とまではいかないが、あまりにも現実逃避願望が強くて、このまま永遠に寝ていたい、などと思う。朝、Hから電話、夕飯をおごってくれるという。

今日は特に予定がなく、午前中はなんとなくネットをして過ごし、昼は本を整理して不要なものを資源ゴミとして出し、午後は高校サッカーの準決勝を見て過ごす。

6時に隣の武蔵浦和のドトールでHと待ち合わせた。一番居心地がいいと思われるイタリアンレストランを目指したが満席、考えてみると今日は3連休の初日なのだった。結局もう1軒のイタリアンカフェで夕飯。久しぶりにまともなイタリアンを食べる。話はどうしても今の僕の心配事とこの先の不安の話になってしまい、辛気臭い話ばかりしてHには申し訳ないことをした。実際、今の僕にはなかなかいい材料というものが見つからないのだった。駅での別れ際、Hはお守りとお見舞い、餞別までくれたので僕は非常に恐縮してしまったが、もう2度と会えないかも知れないじゃん、と言われるとそうだなと思う。実際のところ、もうほとんどの人と僕は恐らく2度と会えないのだった。僕はもうすぐ、いろんなこと、いろんなものに決別をしなければならないのだ。階段を昇るHの横顔を見たが、僕は立ち止まって見送ることはしなかった。なんというか、センチメンタリズムに埋没してはいけないような気がした。

安定剤のセルシン、夕方に5mg、夜にまた5mgを飲んだが、やっぱりソラナックスより弱い気がする。ちっとも効いている感じがない。かといってネットで調べると上限が15mgと書いてあるのでこれ以上飲む気がしない。医者はソラナックスより強いと言っていたのだが。

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歯医者、Memories

今日も8時間睡眠で9時過ぎ起床。悪夢ではないのだが、夢から次第に現実に戻っていく過程が実に嫌な感じだ。朝からちょっとした絶望感に近いものを覚える。たぶん、強い失望なのだと思う。午前中はゴミを片付け、昼食を買いに行くついでにウエストがきつくなったスラックスを寸法直しに出した。

今日は午後から歯医者の日だった。今日と来週の2回しか行けないことを医者に告げると、バタバタとあちこちを応急措置をして、終わったのは1時間半後だった。しかし歯医者の治療というのは実に気が滅入る。歯医者を出ると並びの眼鏡屋に寄って、出来上がった眼鏡を受け取る。いざかけてみると、もうちょっと度を強くしてもよかったかな、などと思う。とりあえず運転用なので、今年の免許の書き換えの視力検査に通ればそれでいい。

帰りがけ、ドトールの禁煙席でカプチーノを飲んだ。なんていうか、こういう店で煙草を吸わずにいるのにまだ慣れていない。禁煙席でカプチーノを飲んでいる自分がしっくり来ない。今日で禁煙して21日目だが、いまだに煙草を吸いたいという欲求は消えない。どうも落ち着かなくて、そそくさと席を立ってしまう。一体いつになったらこの欲求、迷妄が消えるのだろうか。

夕飯はスーパーから買ってきた弁当で済ませた。味の方はいまいちで、外食した方がよかったか。今日は終日不安感が抜けない。パニック障害の気配もなかなか抜けない。夜、母親と電話で話すと、昨日よりはマシだが会話が途切れ途切れになってしまい、まだ母親の状態はどこか覚束なく、また不安を覚えてしまう。昨日処方してもらった安定剤のセルシンを飲んでみる。最初は1錠を半分に割って2.5mgを飲んでみるが、結局残りの半分も飲み、5mg飲んだことになるが、飲んで30分以上経過した今に至ってもあまり効いた感じはしない。ソラナックス2錠の方が効果があるのだろうか。

気がつくと、もう2か月近く楽器を弾いていない。実際、今の状況では弾く気もしない。昨夜、some-kind-of-musicのリンクを修正しておいた。ついでに、YouTubeにドラムとパーカッションを差し替えてオルガンを弾いたバージョンの”Memories”をアップ。今はとても楽器やMTRをセットアップして曲を作る気分にはなれないし、山形の実家に戻ってからもそういう気分になるとは思えないので、もしかしたらこの曲が最後になるかも、などと頭をよぎる。そうならないことを祈る。ひとまず、煙草を吸っていたころの自分にこの曲を捧ぐ。

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喫煙席

1時前就寝、9時起床。どうも不思議なことなのだが、パニック障害が復活したっぽいにも関わらず、年末からこの方、最近はずっと寝付きがいいのだった。で、寝過ぎる傾向にある。何故か8時間以上寝てしまう。帰省中はほとんど何もやっていない日々を過ごしていたにも関わらず、すっかり寝過ぎる癖がついてしまった。困ったものだ。

ところで書くのを忘れていたけれど、先月の22日の朝から始めた禁煙は21日目の今日に至るまで、奇跡的にまだ続いている。実のところ、今日は昼食を摂るために入った喫茶店、電車の待ち時間を潰すために入ったドトール、夕飯を食べるために入ったサイゼリヤ、すべての店でこれまでの習慣で喫煙席に座った。ダウンジャケットのポケットには封を切っていないラークマイルドが1箱入っている。にも関わらず今日も吸わなかった。少なくともこれを書いている今の時点まで。1本吸ったならどれだけ気が楽になるだろうという妄想はいまだに続いている。だがそれと同時に、1本吸ってしまったらまた振り出しに戻ってしまうという強い懸念があり、それがなんとか僕を押し留めている。実際、ここまで禁煙を続けてきたのにまた最初からやり直すなんて考えただけで気が滅入るしめんどくさい。もはや、吸わない方が楽なのだ。

ウィキペディアにも禁煙すると2kgだか3kgだか体重が増えると書いてあったけれど、よく言われるように煙草を止めるとメシが美味くなって食べ過ぎる、というわけではない。単にストレスを感じるたびに煙草を吸う代わりに何か食べたくなってしまうだけだ。なので、やたらと間食をするようになった。体重計には乗っていないけれど、2kgぐらいは増えていてもおかしくない。口がさびしいから食べる、というわけでもない。とにかく原因はストレスなのだ。

昼過ぎに以前住んでいた隣の武蔵浦和に行って、区役所に寄って高額医療の申請を済ませると、駅前の眼鏡屋に行って運転用の眼鏡を作った。今年免許の書き換えなのである。視力検査をすると案の定、特に左目の視力が落ちていた。ドトールでカプチーノを飲んで時間を調節し、ひとつ隣の中浦和に電車で移動してメンタルクリニックに。この医者に通うのも今日が最後だ。紹介状を書いてくれるように事前に電話で頼んである。このヤブ医者のお陰で僕は人生の大層な部分を薬漬けになって無駄にした。それが今の悲惨な境涯に直結している。だがいまさらこの医者を恨む気はない。一番の原因は自分の思い込みだから。処方薬局の薬剤師のおばさんとも今日が最後だ。こちらはなんか名残り惜しいものがあり、長い間お世話になりましたと深々とお辞儀をして別れた。思えば、彼らは僕のもっとも悲惨な時期をずっと見守ってきた人たちなのだ。駅に向かう道すがら、多少のセンチメンタリズムを覚える。だがそれも束の間だ。

夜、田舎の母親が心配になり電話をしてみる。午前中にも一度電話しているのだが。電話に出た母親の声は心なしか弱弱しく、実に頼りない。話を聞いていると、母はもう車を運転しないつもりなのかも知れない。話しているうちに諸々の不安が頭に押し寄せてきて、なかなか電話を切れない。電話を切った後も不安を拭い去ることは出来ず、YouTubeで音楽を聴いても、例えそれがゴキゲンな演奏であっても何故か不安感が増してしまう。しょうがないので9時過ぎに安定剤のソラナックスを2錠飲む。そういえば、今日から安定剤を同じベンゾジアゼピン系でも半減期が長く離脱調整にも使えるセルシン(ジアゼパム)に換えてもらったのだった。こっちを飲んだ方がよかったか。

今日はCDとDVDを大量に捨てたし、一見ヒマを持て余しそうでいて、なんだかんだやった一日だった。このペースで食器やオーディオなどを捨てまくると、結局引っ越しの荷物は実に少ない量になりそうだ。

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一時帰還

そんなわけで本日、午後の新幹線で田舎から埼玉のマンションに一時帰還。今後の予定としては来週病院でCT検査と診察、再来週の22日にこちらを引き払って田舎に引っ越す。2週間弱で引っ越しをすべて済ませなければならない。父の状態は相変わらずのままだが、引っ越しが終わるまではなんとかもってもらいたい。

目下のところ、一番心配なのは母だ。前回の日記にもちょっと書いたけれど、ここ数日、母は言動や精神状態が不安定で、うつ病とかならまだしも、認知症や痴呆の兆候では、と考えると生きた心地がしない。新幹線の中でも、マンションで久しぶりにPCに向かってネットをしていても、時折そのことが頭をよぎると酷く不安になり、暗澹とした気分になる。今、2錠目の安定剤を飲んでしまったところだ。もうソラナックスは1錠ではまったく効かなくなっている。また薬漬けになるのは真っ平なので、こちらも頭の痛いところである。いずれにせよ、予定通り再来週に引っ越したら、これからは母親と2人で田舎で生きていくことになる。否が応でも今後は僕が母を守っていかなければならない。

正直、日に日に不安定になっていく母を置いてこちらに来るのは気が気ではなかった。僕が留守にしている間、実家の隣町に住む叔母がマメに見に来てくれることにはなっているけれど、一日中見てくれるわけではない。かといって、こっちはこっちですべて片付けないと収拾がつかない。実際、3週間とちょっとぶりに戻ってくると郵便物や支払いも溜まっているし、未読のメールも大変なことになっていた。

母の状態があまりにも気掛かりで、朝起きて窓外に降りしきる雪を見て、まるで憂鬱が積もっていくように感じた。山形で生きていくこと自体が物凄い苦行のようにそういうときは思える。新幹線が郡山を過ぎると、雪が消えて風景が一変した。それはとても奇妙なことに思えた。川端康成の「雪国」をちょうど逆行するような。大宮に着き、京浜東北線で南浦和に降り立つと、山形の寒さとは比べ物にならないほど温暖だ。だが、精神的苦痛である筈の雪に覆われた山形の風景が何故か恋しく思われる。何故だろう。心配と憂鬱のタネである筈の母が傍にいないということの不安を強く感じる。結局のところ、僕の心は既に山形にあり、ここ埼玉にはないのだ。そんなことを、久しぶりに音楽、ビル・エヴァンスを聴きながら思う。

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謹賀新年

ひとまず、あけましておめでとうございます。現実はちっとも変化がなく、まったくおめでたくはないのだけれど。相変わらず田舎の共用施設から。父の病院に寄った帰り。依然として父の心臓がいつまでもつのかは分からない。昨日医者と話をして、こちらの都合として、出来れば今月一杯はもたせて欲しいという意向は伝えたのだけれど、こればっかりはコントロール出来るものではないので運を天に任せるしかない。僕は医者やら引越しやらがあるので、2・3日中に埼玉のマンションに戻るつもり。ひとまず僕の病院の検査や引越しと、父が息を引き取るのが重ならないことを祈るばかり。

今日は朝から精神的に調子が悪く、夕方まで放心。もっとも先月田舎に急遽帰ってから、父の病室に顔を出す以外はほぼ何もしない毎日が続いている。昨日までは母の精神状態が悪く、母は少なくとも抑うつ状態ではあるし、もしかしたら軽いPTSDかも知れない。母の様子が変だと、僕のほうはうつになっている余裕すらない。が、昨夜は例のパニック障害の予期不安に寝てから何度も襲われた。

禁煙の方は今日で16日目、奇跡的にまだ続いている。しかしながら、いまだに煙草を吸いたいというイメージは頭から拭い切れず、この調子だとマンションに戻ってからまた吸ってしまうのではないかと気が気ではない。体内のニコチンはとうに排出されているので、煙草の精神依存というのは実に半端ないと思う。ウィキペディアとかによると、30日を越えて初めて禁煙したと言えるようなので、まだ道の半分まで来たに過ぎない。

相変わらず山形の冬は寒い。道は朝晩は凍るし。一昨日は最高気温が氷点下だったし。今のところ心配なのは母の状態だ。母も僕も、精神的な蓄積疲労が半端ない。この2・3日、母はいろんなことにボーンヘッドが目立つようになり、ちょっと普通の状態ではない。どうも母を一人置いて埼玉に戻るのが心配でしょうがない。かといって、引っ越さないわけにも、病院の紹介状をもらわないわけにもいかないので、なんとかそれらを今月中に片付けなければならない。

更新の間隔が随分開いてしまったのは、共用施設が休みだったせいだけれど、先月田舎に帰ってからもうかれこれ3週間、これだけ長い間ネットのない環境にいるのも久しぶりである。お陰で、長いこと見れなかったテレビを見れるようにはなった。何しろ他にすることがないので。このままなし崩しに田舎に帰って母親と2人で生活していくことになるのだが、正直なところ、まだまだ不安は多々ある。が、この3週間あまりでかつての過敏に神経質だったころと比べるとかなり精神的には鈍化して鈍感になってきている。というか、そうじゃなきゃとてもじゃないけど日々やっていけない。何がなんだか分からないままに日々が過ぎていく。

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背水、再発

ふたたび田舎の共用施設から。前回の日記を書いてから、2・3日体調を崩したり、大雪が降ったりして日にちが開いてしまったけれど、客観的な状況は変わっていない。相変わらず父は病室で意識のないまま、人工的な呼吸を機械的に続けている。僕はこのまま、少なくとも1月の第2週までは田舎で過ごすつもり。

この間のもっとも大きな変化と言えば、僕が禁煙を始めたということだろう。またかと思われる人もいるかも知れないが、今度ばかりはちょっと違って、何しろ今日で禁煙して6日目を迎えたところである。ちょっとした奇跡と言ってもいい。きっかけは前回の日記を書いた翌日に風邪気味になって体調を崩し、朝食後に2本ばかり吸ってから1日煙草を吸わなかったことによる。こういうときじゃないと煙草を止めることは出来ないと思ったし、母から「人生で何かひとつぐらい我慢してみろ」と言われたことも大きかった。ウィキペディアによると体内のニコチンは3日で消えるらしいが、6日目に突入した今に至ってもいまだに煙草を吸いたいという意識は消えない。実際、いつ煙草に火を点けてもおかしくない状態がずっと続いているんだけど、そのたびに「今回止められないと2度と止められなくなる」という半ば強迫観念的な意識と、前述の母の言葉によってなんとか押し留めている。さて、僕は本当にこのまま煙草を止めることが出来るのだろうか?

それにしても、一昨日からのいわゆるクリスマス寒波による大雪で、世界は見渡す限り雪に埋め尽くされてしまった。晴れて日が差していると思っていても、いつの間にか猛烈な吹雪に変わったりする。今日も最高気温は零下だ。しかしこのところの僕を悩ませているのは寒さではなく、10年以上前に完治したと思っていたパニック障害が再発してしまったことだ。ちょうど禁煙を始めた辺りから、いわゆる予期不安と思われるものに悩まされている。かつては、二十歳ぐらいから20年近くかかっていたパニック障害だけれど、このところは毎晩夜中に何度も目が覚めてパニック寸前まで行くので、これほどの頻度で予期不安、パニックに襲われるのは初めてと言ってよく、このまま抜けられないのではという不安に日々苛まれている。こういうときに限って耐性が出来てしまい、安定剤を1錠飲んだぐらいではまったく効かず、量を増やすべきかどうか悩んでいる。かつてはスルピリド(ドグマチール)とレキソタンを飲んで2・3ヶ月で治った経験があるので、ここは背に腹は変えられないから、安定剤のソラナックスを2錠にするべきなのかも知れない。

僕のパニック障害の要因は非常に明確でただひとつしかなく、それは死に対する極度の恐怖である。一度死の恐怖に捉えられてしまうと、それは急激に増幅して抑え難くなる。というか、恐怖の増幅するスピードがあまりにも速いので、あっという間にマックスに達してしまう。その結果、僕は大概声を出して叫んでしまう。子供のように母を呼んだりする。それでようやく抑制が効く。これを夜中に何度も繰り返してしまう。もっと若かったころ、以前パニック障害だった20代のころは、抑制が効かなくて完全なパニック状態になり、叫びながら枕を壁に叩きつけたりしてひと暴れしないと治まらなかった。その点を比較すると、今はまだすぐに抑制が効くほうではある。ウィキペディアを改めて読むと、どうやら予期不安というのともちょっと違うようだ。なんにせよ、毎晩物凄く疲れるし、心が休まらない。

こういった状態に陥るのも、今置かれている状況が非常に中途半端で落ち着かないせいだとは思う。精神的に参っているのは母も同様で、安定剤を飲まないとよく眠れないようだ。その点、僕は何度か目が覚めるものの、一応眠れてはいるのだが……。

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急転

田舎の公共施設でこれを書いている。3日前の火曜日、父が病院に担ぎ込まれ、それ以来田舎に帰っている。

火曜の昼前、取り乱した母親から電話があり、父がもう駄目なので帰って来いということだった。最悪の事態が突然やって来た。バッグに黒いスーツを詰める僕の手はぶるぶると震えた。新幹線の時間まで2時間ほどあったので、駅雨の喫茶店で昼食を摂り、それから母に電話をすると、父は脳死状態にあると告げられた。そこでようやく僕の震えは止まった。

田舎の最寄駅に着いたのは火曜の5時過ぎだった。仙台から駆けつけた弟が車で迎えに来て、病院に着くと父はまだ生きていた。人工呼吸器に繋がれて。ときおり瞼や口が動き、僅かながらこの時点ではまだ自発呼吸もあり、もしかしたら意識が戻るのでは、という思いがよぎったりした。が、実質上の父という人格は既に死んでおり、ただ人口呼吸器と点滴で生存活動が続いているというだけの状態だった。2日目からは自発呼吸もなくなった。日本では尊厳死は認められていないらしく、後は父の心臓が停まるのをただ僕らは待っている状態である。それがいつになるか、医者にも分からないということだ。

父は干し柿を喉に詰まらせ、窒息状態になった。10分以上脳に血液が行かないと、人間は脳死状態になるらしい。診断名は虚血性脳症。とにかく父の意識が戻ることはもうない。母はコタツの上に干し柿を置いておいたことを盛んに悔いているけれど、直接の死因はともかく、医者の話によると原因は肺気腫によるタバコ肺であって、吐き出すことが出来ないのもそのせいであり、要するにいずれはなんらかの形でこうなった、ということだ。肺気腫が進んでいるにも関わらず父は煙草を吸い続け、結局はそれが原因で実質的に死んだ、ということになる。

昨日までの3日間は怒涛のように過ぎた。何がなんだかよく分からないうちに、現実は否応なしに押し寄せてくる。僕らは無我夢中でそれに身を委ねるしかない。昨日までは母が病室に2晩続けてほぼ寝ずに泊まり、日中は交代で病室に付き添った。この調子では母の身体がもつかどうか昨日は凄く心配していたのだが、医者からもずっと付き添っていなくてもいいと言われて今日からは病院に詰めるということはしていない。何か変化があったら病院から連絡が来ることになっている。父がいつまでもつのかは個人差があって分からないので、来月に控えた田舎への引越しのタイミングに頭を悩ませている。いつまでこちらに留まるかも分からない。まだマンションに戻る気にはなれないが、引越しの準備もしなければならないし、病院や医者にも行かなければならない。頭の痛いところ。どこかで割り切るしかない。

葬儀の話は叔父に任せてある。喪主は僕だが、いまだに話を聞いても何をどうすればいいのか、具体的なことは何一つ分からない。昨日までの3日間でこの30年来ほぼ顔を合わせたことのなかった親戚の叔父叔母たちと会い、話をした。今日は母の友人たち、それに向かいの住人と話をした。考えてみればこの数年、こんな風にいろんな人と会って話をするという機会すら稀だった。それでなくてもこの1ヶ月来、極度の不安に陥り精神が脆弱になっている僕のことである、誰かと話をするたびに全力で頑張らないと出来ない。なので、昨日までの3日間は無我夢中でテンパって気を張っていたので、今日は疲れ果てている。こういう事態になると、いろんな人がいざとなると助けてくれることが改めて分かる。それは本当に有難く、それがないとどうしたらいいのか皆目見当もつかないことばかりなのだけれど、それにどう報いたらいいのか考えると気が遠くなる。お陰で、一人で何もしていないと不安で気が滅入る。何をしたらいいのか分からなくなる。いざ田舎に帰ってみると、右も左も、何もかも分からないことだらけなのだ。

火曜と水曜は病院からの帰り道は物凄い吹雪だった。運転するのも必死である。今は山形の冬の厳しさを改めて体験している最中でもある。散々悩んできた、田舎に帰るかどうかという問題を、現実はぐうの音も出ないほど強引な力技で僕に回答してきた。すべてがよく分からないまま転がっていく。僕らに出来るのはそれに身を任せることだけだ。

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確定

12時就寝、7時に目が覚めるが例によって起き出したのは7時25分。やや寝過ぎだが抑うつ状態が続いて神経質になり過ぎている嫌いがある今は精神的にも休養が必要なのであまり深く考えなくてもいいか。少しゆるいぐらいで。

今日は曇りときどき雨、日中はというか、朝から薄暗く、昼間から電気を点けたくなるような天気だった。今日は安定剤を午前中に半錠、夜1錠という飲み方をしてみたけれど、案の定ちっとも効かず、すっかり耐性が出来上がっているようだ。それでも夕方までは最近の中ではそこそこ精神的には安定していた方だ。午前中はネットビジネス、特にアフィリエイトについてあれこれと考えあぐねる。さすがにちょっと考えたぐらいではすぐにはいいアイディアは湧いて来ないが、姿勢としては前向きと言ってもいいかも知れない。昼ごろ、とうとう退室通知の葉書を投函する。これにてここを引き払って田舎に帰ることは確定、もはや後戻りは出来ない。この時点ではそれほど精神的には動揺していなかった。かといって別に腹が決まったというほどのものでもない。日付は少々余裕を見て来月の25日にしておいた。

モスバーガーで昼食後、帰宅して実家でネットが出来るようにNTTに連絡してフレッツ光という奴を申し込む。最初はADSLの方が安いかと思ったのだが、話を聞いてみると一番安いプロバイダにすると月々の費用はほぼ変わらず、なら速い方がいい。と、そんなわけでここで初めてアフィリエイトの広告を試しに貼ってみる。

フレッツ光+激安プロバイダで月額費用が安くなる。

ま、いずれにしても思ったほど高くなかった、フレッツ光。今月から4月までキャンペーンをやってるので。初期費用840円だし、LANケーブルを延々引っ張らなくても2階に直接繋いでもらえるということなので。

ネットの開設を決め、その勢いで引越し屋3社に見積もりを依頼、うち1社は電話で見積もり完了、残る2社は直接来て見積もりしてもらうことにする。6時半ごろに1社が来て見積もり開始。最初に電話で見積もりをもらったところが一番安いだろうなと思っていたのだが、ここは予想外に安く、ちょっと驚く。と同時に、目の前で引っ越しの見積もりのやりとりをしているうちに、とうとう田舎に帰るということが現実になったのだという実感が改めて湧いてきて、胃の辺りが重くなり、緊張してきた。見積もりを終えて引っ越し屋が帰ると、僕の気分はすっかり重くなっていた。いざこうやって現実的に物事が動き始めると、もしかしたら自分が間違った選択をしてしまったのではないかという思いがどうしても湧いてくる。恐らくこれは人生最大といってもいい決断だけに、間違えると最大の失敗になりかねない。そんな風に考え始めると食欲が失せ、夕飯の前に吐き気止めを飲んだ。まあそんなわけで夕食後の夜、安定剤を1錠飲んだのだけれど、実際のところはもはや僕に選択の余地はないのだった。確かに今だったらまだ退室の申請をキャンセルすることは可能だけれど、僕はこの先業務を(食うために)続ける意志は皆無、そうなると一通り検査の区切りがつく来年の8月を過ぎてから就職活動を始めるということを考え合わせるとその間ずっとこちらに留まることは経済的に無理がある。その上、年老いた両親のことを考えるといずれはどこかで田舎に帰らざるを得ず、そういった諸々を考えると自ずと結論はひとつしかないのだった。

にも関わらず、どうにも気分はすっきりしない。田舎に帰ることを決めたはいいが、本質的には将来に対する不安は何も解決しないからだ。救いは、ひとまず8月まではのんびり休養してよいということぐらい。田舎の方が就職事情が厳しいことは明らかなので、いざ就職活動を始めたらそれはそれでかなりのプレッシャーはあるだろう。両親が健在のうちはまだのんびり構えることも可能だが、高齢で最近また体調を崩している父のことを考えるとそれはそれで気が気ではない。そんなわけで決めたはいいけれど、いまだに僕の腹は据わっていない。たぶん、時間の経過とともに慣れていくだろうし、来月の引っ越しでまたバタバタになるだろうけど。しかし、本当に慣れるのだろうか。だろうな。人間というのはそんな風に出来ているから。ふと今頭に浮かんだのは、もしかして僕は一時避難のために恒久的決断を下してしまったのだろうか、ということだ。そう考えると恐ろしくなる。だが、すべては止むを得ないのだ。何回考えても同じ結論に達すると思う。僕が気になっているのは、これが積極的決断ではなくて、消去法から出たものであるということだろう。しかし人間というもの、どのみちどちらを選んでも程度の差こそあれ後悔はするだろう。行き着く先は、「結果よければすべてよし」しかない。結果で判断するしかない。いずれ僕もどこかで諦めがつくのだろう。せいぜい、8月までは休養しながらネットビジネスでも模索するようにしよう。

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