政権交代の日

衆院選で予定調和的に自公というよりも自民党が圧勝した日、僕は選挙に行く気力はなかった。行ったとしても入れるべきところがどこも見つからなかっただろう。だからこの結果に関してあれこれ言う資格は僕にはない。ただ、世の中がいい方に向かっている気が一向にしないことは確かだ。

12時に就寝して6時に目が覚めたものの、寒さにくじけてベッドから起き出すことが出来たのは7時半だった。朝食後、コーヒーの生豆を炒ってから洗濯をすると、長年の習慣で業務に向かいたくなったが、ぐっと堪える。行ったところで何の意味もない。僕はそろそろ何もせずに休むということを覚えなければならない。そこで、外に散歩に出た。外は快晴でこの季節にしては暖かかった。引っ越して初めて、駅とは反対方向に少しだけ歩いてみた。さしたる発見はなく、結婚式場と児童公園を見つけたぐらい。引き返してマンションのところまで戻るとそこから右に折れた。そこにも公園があることを知っていたから。公園のベンチでしばし日なたぼっこをした。もう一度今の状況と決めるべきことを考えようとしたが、頭は回らなかった。ベンチから腰を上げてちょっと辺りを散策するころには僕はすっかり憂鬱になっていた。

昼食後、12時半に安定剤を1錠飲んだ。やはり一向に効く気配はない。ただ離脱症状を抑えるために飲んでいるに過ぎない。このころの気分はさらに酷く落ち込み、絶望感から僕らしくなく希死念慮らしきものまであった。こんな風に、1日何もしないでいると時折酷く気分が落ち込み、悪い方にばかり頭が行く。

何度目か分からない禁煙をしようと、1時にツイッターで「禁煙する」と宣言したが、何故か今日は酷くストレスを感じて2時間半しかもたなかった。諦めて一服しようと駅前の地下の喫茶店に入り、ウィンナーコーヒーを飲みながら煙草を5本吸ってしまった。店は団体客で混んでいた。唯一の収穫はこの間に本を読むことが出来たことだ。

夕飯を駅前のすき屋で食べるころ、また気分が落ち込み、酷く惨めな気分になった。しょうがないので帰宅してから田舎の母親に電話してしばらく話すと少し落ち着いた。夜、また心がざわついたので10時過ぎに安定剤を半錠飲む。無駄だとは分かっているが。

クラブW杯の決勝は後半の途中から見た。コリンチャンスの先制点を見ることは出来た。少なくとも僕が見てから以降の時間帯は1-0でチェルシーを下したコリンチャンスの方が優勢だったが、たぶん全体的にもそうだったのだろう。コリンチャンスはパス回しの精度が高かった。

それにしても、今の僕には何もしないということが辛い。相変わらず手先に力が入らず、強張っている感じで、無意識のうちにストレスを感じて緊張しているのだと思う。何もしていなくても、心はまったく休まっていないのだ。日中の外は前述のように暖かかったのに、暖房をつけている部屋の中は相変わらず寒く感じる。なんだかまたさらに冬という季節が嫌いになった。今日は珍しくツイッターで呟いたけれど、それはこの日記のための備忘録のようなもので、今はそれだけ記憶力に自信がないということだ。というか、このところの僕は自己を全否定してしまうくらいにあらゆることに対して自信を失っている。そしてそれは気力やモチベーションというものまで奪っている。プラスとは言わない、なんとかこれをフラットまで戻したい。

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相変わらずな1日

2時就寝、8時起床。就職活動の夢を見る。まったくトラウマというか、今の僕のストレスの核だ。今日は朝から終日抑うつ状態、11時に1錠、7時に1錠、安定剤を飲む。が、今日は何故か安定剤が効かない。耐性のせいだと思う。しかしかといって量を増やすわけにはいかない。切りがないから。そういえば朝食後、昨夜抗うつ薬のリフレックスを飲むのを忘れたことに気づいた。離脱症状が出ると嫌なので、一応1錠だけ飲んでおいたが、極度に眠くなるということはなかった。

朝から精神的に煮詰まり、11時過ぎから3時間ほどの遊びの業務、しかしストレスが酷く気分が悪くなりそれ以上は無理。帰宅して、胃がむかむかするので吐き気止めを飲むとこれが何故かよく効き、むかむかが治まると気分までもが落ち着いた。一時的にだけど。してみると、今はストレスが相当胃に来ているということなのだろうか。

その後は夜に至るまでひたすら鬱屈、ときおり強い不安感。途中からもはや何かを考えるのも飽和状態になり、うとうとと寝かけたりもする。最近ずっと、暖房をつけっぱなしなのに部屋にいると寒いと書いてきたが、どうやらソファに横になって何もしていないと寒いということが判明。机に向かっているとそれほどでもない。

午前中、例によって母と電話で話していると、自身も癌を患ったことのある弟の嫁が、病人が一番寒い時期に引っ越すなんてもってのほか、一通りの検査が済む8月まで引っ越さないべきだと言っているという話を聞き、またもや心が揺れた。確かに引っ越さない方が何かと面倒ではない。しかしながら、今の何も出来ない状態、ひたすら鬱屈して不安に耐える状態で8月まで過ごすのは拷問だ。確かにこれからネットを引いたり、冬の寒さ、夏の暑さとか、田舎に住むというのは何かと気掛かりなことは多々あるのだけれど、何度も書いているように今一番必要なのは精神の安定だ。それが得られないと延々と病人のままである。まずは精神的な部分を立て直さないと何も出来ないし何も始まらない。何よりもしんどい。

それはそうと、今これを聴いているのだが、案外とよい。↓

もう1ヶ月近く楽器も弾いてないなあ。

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結局のところ

今日は病院の日なので、昨夜は早めに床に就いて寝ようとしたのだけれど、寝つきが悪く、一向に眠れそうな気配がなかったので久々に睡眠薬を飲んで1時ごろに寝た。で、目覚まし使用で7時半起床。

11時の予約だったが、病院には9時過ぎに着いた。いつもなら採血してから血液検査の結果が出る50分後には呼ばれるのだが、今日は混んでいたのか早く行き過ぎたのかかなり待つ羽目に。呼ばれたのは11時半ごろになってからだった。で、医者には来月一杯で田舎に帰ろうと思っているので紹介状を書いて欲しいという話をした。そこで、改めて医者の今後のプランを訊いてみたところ、抗がん剤治療が終了(8月20日)してから1年間は毎月診察(採尿・血液検査)、3ヶ月に1度はCT検査ということで、治癒ではなく寛解だから再発の可能性も少ないもののあるということ、それらを聞いてようやく、僕はまだ病人の範疇にあるということに気づき、田舎に帰るということにもはや選択の余地などないのだということに気づいた。1年経過すればその後は半年に1度とかでもいいような話だったので、そういうペースになるまで、少なくとも来年の8月まではそもそも就職活動など土台無理なのだ、ということにようやく気づいた。

とまあ、そんなわけでその後夕方まで歯医者だったこともあり、この時点ではある意味腹が決まっていたので日中は安定剤なしでもった。今日は日中は穏やかで比較的暖かい陽気だった。6時過ぎに帰宅すると不安感があったので、駅前のカフェでカレーの夕飯を食べた後、8時ごろに本日初めての安定剤を1錠飲んだ。本来ならそこから安定剤がいい感じに効いて、といったところなのだが夜、母親と電話で話していて僕が先々の不安を話したためにネガティブな話になってしまい、僕よりもむしろ母親の方がしょげてしまい、安定剤を飲んでいたのに不安がまたぶり返していた僕の方が母親を励ますという具合になってしまった。そんなことでなにやらまた精神的に怪しくなりそうだったのでその後Hと長電話。いつもこんなときに相手をしてもらってHには本当に悪いと思っている。

そんなこんなで、結局のところ、来月のCTの検査と診察を終えた後にこちらを引き払って田舎に帰り、治療というか事後検査というか、まあその辺に夏までは専念し、その間に体力を取り戻して酷い抑うつ状態と被害妄想その他にある今の精神状態を回復するという方針にもう迷いはない。だがもちろんその後に控える就職活動に対する不安はある。大いにある。が、もう後戻りは出来ない。もう後はなるようにしかならない。とにかく一番大事なのは精神面を立て直すことだと思う。まずはストレス軽減から徐々にやってかないと。幸い、今日は音楽を聴いてもストレスを感じない。これはひとつよしとしよう。

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暗転、後

1時就寝にも関わらず、9時起床。遅過ぎ。今日も何もしていない。ホントに何も。ただ1日中鬱屈して考え事をしていただけ。

昼過ぎに安定剤のソラナックスを1錠飲む。で、母親から電話があって話している最中に父の具合が悪くなり、電話の向こうで「茶碗が持てない」「目の前が暗くなってきた」という父の声が聞こえた。もちろん父を病院に連れて行くために母の電話は切れ、父の視界同様僕の心も見事に暗転した。父が死んでしまうかもしれないという思念が頭の中を駆け巡り、ネガティブな想像が渦巻き、やがてそれはある種の諦念へと辿り着く。しかし、それは完全なものではなく、正直生きた心地がしなかった。父の様子は母からの連絡を待つしかないので、自室でひたすら待っているのはあまりにも辛いので、駅前の地下の喫茶店に行き、ウィンナーコーヒーを飲んで連絡が来るのを待った。なかなか頭の中は整理がつかないが、少なくとももはや僕には田舎に帰ることしか選択肢は残っていないのだ、とは強く思った。喫茶店にいる間に母から2度電話があり、点滴は受けるが血圧、血中酸素、血液検査とも問題なく、点滴が終われば帰宅してよいとのことだった。とにかく最悪は免れた。

喫茶店から帰宅後も、何も出来なかった。今日は朝からバッハ、のちラフマニノフと音楽を流していたが、最終的にはそれすらストレスに感じた。クラブW杯の準決勝も見る気がせず、僕には楽しみというものが何一つなかった。ネットも憂鬱なだけだった。僕はただソファに仰向けに横たわってぼうっと天井を見ながらあれこれと思索し、ありとあらゆることを心配し不安になり、ときおり換気扇の下に行って煙草を吸った。これほど何もしない日というのも、入院時を除けば思いつかない。ただひたすらぼんやりと憂鬱な思念に浸っていただけだった。そういえば母から最初に電話があった1時ごろまで1時間ぐらい昼寝までした。これだけ何もしていないにも関わらず、心も身体もまったく休めていない。とにかく気が休まらない。こんな状態がそうそういつまでも続くとは思えないが、このままではまず精神的に参ってしまう。いや、既に十分に参っている。何かいい気分転換の方法はないものだろうか。それにしても暖房をつけっぱなしの部屋に閉じ篭っているのに、相変わらずやたらと寒く感じるのは何故か。

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抑うつ

2時就寝、9時起床だったと思う。例によって目が覚めてから起き出すまで30分を要す。今日は朝から精神的なものよりもむしろ体調が悪い。朝食後に換気扇の下で煙草を1本吸ったらくらくらする。昨夜寝床でも胃の辺りが重かったし、またストレスで胃潰瘍方面に向かっているのかも、と思った。散々迷った挙句、それでも3時間弱の業務に行ってしまう。続ける気がないのだからもう行かなければいいのだが。他にすることを思いつかない。昼を過ぎてもいまだ体調が思わしくない。帰宅してパックのご飯をレンジで温めてふりかけをかけて昼食。わびしい。1時過ぎに本日最初の安定剤を1錠飲む。その後も何をしたらよいのか分からず、午後はソファの上で放心状態。3時から4時ぐらいまで昼寝というか、うつらうつらする。その間にいろんなものが頭に浮かび例によって不安を覚えるが、それでも少しは寝たのだろう、4時に目が覚めると体調は少しマシになった。

そんな感じで1日ほぼ何もしていないのだが、終始気分的に鬱屈していた。楽しくない。何をしても。いや、何もしていないも同然なのだが。楽しくないから何もする気になれない。典型的な抑うつ状態。夕方クラブW杯、サンフレッチェ広島×蔚山、3-2を見たのだけれど、唯一の楽しみである筈のサッカーにすら没頭出来ない。今日もすき屋で夕飯後、どうせ何も出来ないから時間を潰そうと駅前の昔ながらの純喫茶風の店に入ってカプチーノを飲む。2時間ぐらい粘ろうと思ったのだが、BGMがクリスマスソングのインストゥルメンタルというのが致命的だった。1時間でいたたまれなくなった。すべてのクリスマスソングに呪詛を。夜はまた気が滅入ってきて、8時ごろに安定剤を半錠飲む。それにしても、抗うつ薬のリフレックスを2錠に増やしたのに、一向に効果が現れないのは何故だろう。どうせ効かないのならむしろ飲みたくないのだが。恐らくストレスの方が強過ぎるのだろうが、様子をみて変わらないようだったら減らしていこう。

田舎に帰る方針はまだ変更していないが、やはりいまだに心は揺れる。迷いも不安もある。本当に正しい決断なのだろうか。抑うつ状態が酷いときに重大なことを決めてはならない、という不文律があるのだが。だが少なくとも今の僕、今日の僕は何かを決めたり、判断することすら出来ない。夜は暖房をつけているのに異様に寒く感じる。頭が回らない。眠い。

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敗北と遁走

2時就寝、8時起床。7時半に目は覚めたのだが……寒いとベッドから起き出す決心がつくまで30分を要す。今朝はこれまでよりも深刻ではないが、些細なことが気になる。よって昨日書いたように、朝食後に安定剤を半分飲んでみる。が、30分経っても一向に効いている感じがないので結局もう半錠飲み、朝に1錠飲んだことになる。が、結果的にはそれで夜までなんとかかんとかもった感じではある。

午前中から今日はエクセルの基本を勉強。と言ってもエクセルのヘルプから飛んだピボットテーブルの演習をやっただけなんだけど、これを小一時間やっただけでストレスが溜まってしまい、自分の精神がいかになまっているかを思い知らされる。

先日、田舎に帰ることを決断と書いたけれど、やはり未だに心は揺れ動く。このところの傾向として、どうしても悪い方、悪い方にばかり考えてしまう。午後、煮詰まったので気分転換に今日も駅前の喫茶店でウィンナーコーヒー。島田雅彦「優しいサヨクのための嬉遊曲」読了。しかし、本を読んでいてもどこか入り込めず、したがって楽しめず、面白いとも思えない。なかなか内容が頭に入ってこないのでどこか上の空で読んでいる感じが否めない。だからここで感想を書くのはあまりフェアじゃないと思うので止めておく。本を読み終えて、ぼうっと考え事に耽る。で、今回の帰郷について、これは敗北、遁走であるのではないかと思った。要するに僕は何事かに、例えば人生というものに負けたのではないかと。負け犬に成り下がったという思いがした。また心が揺れる。だがその思いはそれ以上掘り下げようのないものだった。

駅前のすき屋で牛丼の夕食後、またエクセルの演習をやり、またぞろ過大なストレスを感じながらやり終えると、ふとした瞬間に突如として田舎に帰るという決断がとてつもなく恐ろしくなり、怖くなった。それは物凄く重大な決断であることに改めて思われ(実際そうなのだが)、その決断を下すこと自体に強い恐怖を覚えた。たぶん朝飲んだ安定剤が切れたせいだろうと思い、今度は半錠だけ飲んだ。少しずつ、無理しない程度に薬は減らさなければならない。結局のところ、また両親とも電話で話し、第2の決断も同じ結果になる。さらにHとも電話。いくら迷ったところでたぶん詮無いことだろう。迷っている間は何も決められないから。正直なところ、僕はまだ腹を決めたとは言い難い。が、この先も田舎に帰るという方針を変えることはないだろう。それを打ち消すほどのプラス材料が見つからないからだ。そして、田舎に帰るということには全的ではないにしろ、明らかなプラス材料は存在する。それを覆すものを無理やり見出すことの意味が見当たらないし、恐らくそんなものはないのだ、たぶん。皆が言うように、恐らく今の僕が最優先すべきは心身の健康を取り戻すことなのだろう。それに、今の僕が切実に求めているのも、不安とストレスの泥沼から抜け出すことなのだ。やはりそれは遁走なのだろうか? だろうな。しかし、玉砕するわけにもいかない。必ずしも遁走が最悪とも言えないのだと思う、この場合。

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ベンゾジアゼピン離脱症候群かも

今日は1日を通して、やけに寒く感じた。特に、暖房を付けっ放しにした部屋の中にいてそう感じたので、僕の身体の感覚が異常を来たしているのだろうかと思ったが、今Yahooで今日の気温を見たら最低気温がマイナス2度、確かに寒かったようだ。

2時半就寝、9時起床。夢から目覚めて現実に戻るときに、不安とも恐怖とも取れる、ぞっとする感覚を覚えた。そのせいで朝から精神的には不安定な感じ。その感じを払拭したくて、よせばいいのに今日も朝食後に出かけて遊びの業務を3時間ほどやったが、やはり焼け石に水。午後になっても不安感は増すばかり。しかし、前々から懸念していたことだが(いつのことか日記を検索してみたら11月20日の日記に既に書いていた)、この毎日続く強い不安感はどうもうつ病の症状というよりもベンゾジアゼピン系(つまり安定剤・睡眠薬)の離脱症状ではないかという疑念がどうしても抜けず、出来るだけ我慢しようと思った。が、昼食後も時間が経つに連れ不安感は増し、精神状態はひたすら悪くなっていく。なんとか我慢して乗り越えようと、リラックスするためにまた駅前の地下の喫茶店に行き、ウィンナーコーヒーを飲んで耐えようとした。しかし、あまりにも苦しく、もはや具合が悪くなってきて頭痛までしてきそうになり、身体的にも辛くなってきてもう限界、5時15分に安定剤のソラナックスを飲む。すると、30分ほどするとようやく楽になってきた。

このことからも分かるように、たぶん毎日悩まされている強い不安感の全部とは言わないが、一部もしくは大部分はベンゾジアゼピンの離脱症状の疑いが非常に濃い。それは、先日抗うつ剤のリフレックスを倍の2錠(30mg)に増やしたにも関わらず、一向に不安感が軽減しないことからも推測される。もう1度ウィキペディアで調べてみると、ますますそれっぽい。しかし、僕はこれまで、精神疾患に対する思い込みによる失敗、過ちを繰り返してきた経緯(それで被った被害はとつてもなく甚大である)があるので、思い込みは禁物である。だが、安定剤を再び飲み始めて既に欧米で有効上限とする4週間を超えているし、離脱症状である可能性は極めて高い上に既に依存の状態にある(少なくともこれまでの7・8年は完全に依存状態だった)。なので、薬の離脱、つまり安定剤を止める必要は間違いなくありそうだ。

そこで、さらに検索してベンゾジアゼピン離脱マニュアルである、アシュトンマニュアルを第Ⅱ章まで読んだ。これによると、急激な断薬はかえって離脱症状がきつく逆効果であると判明、今日の5時までの状態もどうやらそういうことっぽい。アシュトンマニュアルによると、かなり時間をかけて少しずつ減薬して離脱(=断薬)しなければならず、それは数ヶ月から場合によっては年単位に及ぶと書いてあってくらくらする。ただ少しだけ救いがあるのは、以前と比べて今飲んでいる量はそれほどでもないので(だから離脱症状があるのだと思う)、上手くすればそれほど長期間ではなく離脱出来そうなのだが、厄介なのは減薬のために安定剤をもっと弱いセルシン(ジアゼパム)という薬に換えて微調整しなければならない。そのためには今の状態がベンゾジアゼピン離脱症候群であるという確信を持って医者に進言して薬を換えてもらわなければならない。こうなると一種の賭けである。まずはいずれにしても慌てて減らしてはいけないので、近頃の飲み方である1日に多くてソラナックス2錠(0.8mg)、少なくて1錠(0.4mg)という量をひとまず一定させる必要がありそうだ。とりあえず1日1.5錠といったところから始めたいのだが、うーん、そうするとここんとこ朝から不安感を覚えるので朝1錠、午後不安感を覚えたら0.5錠にするべきか、それとも朝0.5錠、午後1錠にするべきか迷う。いずれにしてもあまりにも強い不安感を覚えたら無理せずに飲む、しかし1日の量は増やさないで徐々に減らす、という方針にしたいので、後者、つまり朝0.5錠午後1錠というパターンで始めてみるかな。

と、ここでもう1度アシュトンマニュアルでソラナックスのジアゼパム換算値を見ると、0.8mgつまり2錠飲んでも16mg相当でこれはかなり少ない量だ。ということは不安感が強ければ2錠まではあまり気にしないで飲み、徐々に減らす形でもそんなに時間は掛からないのでは、と思う。いやしかし、なんでこんなことを患者である僕が考えなければならないのだろう。一番の問題はこんな風に依存と離脱症状をもたらす薬を延々と大量に出し続ける医者の方にあると思う。まったく、日本の精神医療はどうかしている。

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Skype

朝目が覚めて時計を見ると既に9時半。昨夜寝たのが1時なので焦るが、いい感じの夢を見ていたので余韻に浸りたく2度寝して結局10時起床。寝過ぎだ。しかし、あまり気にし過ぎないように努める。

今日はほとんど何もしていない。昼食も食パンにピーナッツバターを塗って済ませ、外出したのは1度、駅前の地下にある喫茶店に行って帰りがけにスーパーに寄っただけ。それもただ単に気兼ねなく煙草を吸いたいがためで、コーヒーは薄くていまいちだった。夕飯は節約のためにスーパーから買ってきた米をレンジで温めて納豆で食べた。それとコールスローを少々。

相変わらず今日もあらゆることが不安の種になる。テレビを見る練習をしようと昼からテレビを点けて少々見たが、テレビから流れてくるあらゆる情報を自分と結び付けて不安材料として受け取ってしまうというネガティブさ。なるべく安定剤を飲まずに我慢しようと思ったが2時ごろに堪らず1錠飲み、夜ももう1錠飲んでしまった。母親の病気は細菌性胃腸炎ではなく、感染症胃腸炎だったらしいが、今日も点滴を受けたものの昨日今日は吐かずに済んだそうである。

夜はクラブW杯、広島×アルアハリ、1-2を見るが、途中例によって母親と電話で長時間話していたため、アルアハリの決勝点のシーンは見逃した。が、前半はアフリカ代表のアルアハリのボール回しがさすがに上手いなあと思っていたが、次第に広島のボール回しもよくなり、後半は広島のよさが出ていたように見えた。佐藤寿人がGKとの1対1を外したのが痛かった。

その後、とみに経済的なことに過敏になっている折、電話代がかさむのが気になるので通話料が安いSkypeのクレジットを買ってアキヤマとHと長電話。固定電話に掛けたアキヤマの方は安く済んだが、携帯にかけたHの方は4倍ぐらい掛かり、どうもSkypeの固定・携帯共通という通話料は嘘っぽい。

換気扇の下でしか煙草を吸わないという方針にしてから煙草の本数が減った。意外といい作戦だったかも。それにしてもいつになったら安定剤頼りから脱却出来るのだろうか。まだまだ本来の意味でのリラックス、のんびりからは程遠い。

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決断その1

昨夜は何時に寝たのだろう? 日記を書いた時刻から察すると2時ぐらいか。とにかく、今朝は7時に目が覚めたのだがなんとなく2度寝をして8時起床。今日から、というか正確には昨夜からになるのか、自分んちで煙草を吸うときはruseyarnさんを見習って換気扇の下で吸うことにした。少なくとも、いちいち窓を開けて吸うよりは寒くない。

朝食後、何をしたらよいのか分からず、なんとなく青空文庫で夏目漱石の「こころ」を読んでいると母から電話があり、細菌性の胃腸炎と診断されてこれから点滴を受けるとのことだった。とにかく大病ではないらしく、ほっとする。夜もう1度電話で話をしたが、明日もう1度点滴するとのことだが今日1日は吐かずに済んだようだ。

3時ごろまで遊びの業務をやってみたが、やはり今の僕には業務に対するモチベーションがまったくといっていいほど欠けている。よって単なる暇つぶしにもならない。モスバーガーから昼食を買って帰り、その後は何もしていない。考え事をしただけと言っていい。で、ひとつの決断をした。安定剤を飲んで落ち着いた状態での決断なので、果たしてこれが正しい判断なのかはまだそれほど自信はなく、したがって決断その1という感じではある。しかし、気持ちの上ではまったくもって傾いた。正直、随分と長い間考え過ぎて悩み過ぎて、もう面倒になってきたのである。その決断とは、来月一杯をもってこっちを引き払って田舎に帰る、ということだ。

結局のところ、いろんな角度から考えてみたのだけれど、将来的に渡ってずっと田舎に戻らないという選択肢はない、という結論に至った。したがって、どうせいつか戻るのなら早い方がいいだろうと思ったのだ。一度そう決めてしまうと(安定剤の効用もあるのだろうが)少し気が楽になり、山形までの引っ越し費用がいくらかかるかネットや電話で見積もったりしてみた。やはり直行便だと10万ぐらいかかりそうだ。来月一杯までとしたのは、それが退去費用が一番安く上がるから。もちろん、どうせ帰るのならこっちで何もすることなくうだうだしているのなら、とっとと帰りたいというのも山々だ。基本的には、病院(悪性リンパ腫の予後検査)と歯医者の区切りをつけてからということになる。病院とメンタルクリニックからは転院するための紹介状をもらう必要もある。

一度は田舎に帰ると決めて前述のように気が楽にはなったのだが、夜になって安定剤が切れてくると困ったことにまた不安感がぶり返してしまった。よって、シャワーを浴びる前に本日2度目の安定剤を飲む。って、この状態は結局安定剤に依存しているということなのではないかと頭を掠める。

決断と書いているぐらいだからある程度腹は決まっているのだけれど、それでも田舎に帰る、田舎で生活するということに対する不安は多々ある。何しろあまりにも長い間都会暮らしをしているせいで慣れがない。戸惑うことも多いだろう。すべてが楽になって解決するわけではない。たぶん田舎の方が就職はより厳しいだろう。田舎に帰ったら業務からは完全に足を洗うつもりだから、当分の間、何をして過ごしたらいいのかも分からなくなったりするのかも知れない。ただ、そういうこともすべて、こっちにいても同じ悩みは存在する。以前も書いたように、当面の目標はのんびりすること、体力を回復させること、精神面を改善することだから、そのためには一番頭の痛い経済的な負荷を極力軽減させる必要がある。相対的かつ総体的に、田舎に帰った方がストレスは軽減するというのが今の判断だ。だが、前述のようにあんまり自信はないんだよね、実際。そのうちやっぱりもう1度考えた結果、なんて言い出す可能性はある。いずれにせよ、僕は今人生の岐路に立っている。

今日はジョンの命日だな。

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揺れ、警察庁から来た男

むむ、今気づいたがもう引っ越して4日目なのだな。

1時就寝、8時半起床。昨夜は耳栓なしで眠れた。睡眠薬も飲まなかった。ただし、リフレックスを1錠半飲んだ。Mサキの夢を見て目が覚めた瞬間、死に対する強い恐怖感を覚えた。夢との因果関係はないのだが。またもやパニック障害が再発するのではという、ウィキペディアによると予期不安に近いものを感じたため、朝っぱらから安定剤を飲む始末。まあなんとか押さえ込む。

で、今日も遊びの業務を4時間。虚しい。が、今は業務というよりも何事も長時間やる気力がないので、一種のリハビリである。3時半から歯医者の予約が入っているので、昼食を摂りにモスバーガーに入りそのまま3時過ぎまでぼうっとして時間を潰す。ここで本日2錠目の安定剤を飲む。すると、電車で隣駅(かつて住んでいた駅)に移動して歯医者の待合室で待っていると安定剤が効いてきて猛烈に眠くなり、名前を呼ばれるまでどうやら20分ぐらい寝ていた模様。で、どういうわけか歯の治療をしている最中が本日もっとも気が楽な時間であった。医者は僕の病気のこととかを知っているので、すみませんを連発してもうすぐ終わりますからと盛んに言うのだけれど、僕の気分としてはなんならこのまま延々と何日もぶっ続けで治療を続けてくれたら禁煙も出来るのだが、などと考えているぐらいだった。たぶん、治療中というのはある意味集中していて余計なことを考えないで済むからだろうか。選択の余地がないし。

5時ごろに歯医者を出て、夕飯には早いのでサイゼリヤのドリンクバーでカプチーノを飲んで時間を潰す。と、久々に携帯の緊急地震速報が鳴り、身構えていると母親から携帯に電話が掛かってきて、出ると音を立てて物凄く揺れていて怖いと母親が言う。後から聞いたところによると母親は地震が来てから電話したのではなく、たまたま僕に電話した瞬間に地震が来たようだ。話している最中にタイムラグでこちらも揺れ始め、結構長い間揺れた。たまたま他の客もいるファミレスにいたのでそれほど怖くなかったのは幸い。帰宅してから気象庁のサイトを見ると、こっちも震度4だった。夕飯はそのままサイゼリヤで済ませた。

今日参ったのはどちらかというと地震ではなくて、母親が体調を崩したことだ。前述の電話は気分が悪くなったのだがトイレで吐いたら治った、ということを報告するためであったらしいが、夜、9時ごろに心配になって電話してみると、また吐いたという。それもジュースを2口飲んだだけで。この時点で、最近の僕の傾向である常に最悪のケースに思考が一気に飛躍してしまう状態に陥り、今母親に入院でもされたらと頭に浮かび、目の前が真っ暗になった。暗澹たる気分というほかない。電話で話しながら、これはもうすぐにでもここを引き払って田舎に帰るべきなのではないかと思った。母親は夕飯を食べておらず(腹は空かないらしい)、今まで寝ていたが口が渇いてしょうがないというので、父親用に買ってあると聞いた点滴と同じ成分のスポーツ(?)ドリンクとゼリーを飲むように薦めた。すると、電話を切って10分ぐらいしてまた電話が掛かってきて、半分ぐらい飲んだが吐かなかったということだった。その後少し気分的に落ち着いてきたところでHと長電話。いつも同じ話に付き合わせて悪いね、H。

おっと忘れてた、佐々木譲「警察庁から来た男」読了。道警シリーズ、つまり「笑う警官」の続編なのだけれど、今作は「笑う~」に比べるとスピード感やサスペンスという点では劣る。小ぢんまりとした作品、という印象。つまらないというわけではないが、少々物足りないことは確か。前作同様に面白くなるキャラクターは揃っているのだけれど、事件が少々小粒だったか。この道警シリーズはさらに「警官の紋章」があるが、そのうち読んでみよう。今読んでいるのは島田雅彦「優しいサヨクのための嬉遊曲」。3度目のトライ。今度は最後まで読めるだろうか。

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