Testify、ピカソの助言

6時に目が覚めた。朝食を摂るとまた眠くなり、布団の中に潜り込む。次に目が覚めたのは8時だった。僕としては最初から8時まで眠りたかった。さしたる意味もなく業務を昼過ぎで切り上げ、駅のホームで電車を待っていると、不安感がやってきた。今日は何故か足、左の太腿に痛みがある。いつもなら頓服を飲むところだが、どうせ帰って昼寝をするだろうから我慢した。スーパーに寄って昼食と夕食を買い、朝YouTubeで聴いて気に入った椿屋四重奏という既に解散したバンドのCDを5枚借りた。実を言うと、彼らの演奏を聴いて、朝出かける前に衝動的にマルチ・トラック・レコーダーを注文してしまった。まあいずれは買うつもりだったので、ただのきっかけに過ぎないが。ドラムマシンを内臓している奴なので、後はキーボードがあれば完パケの音源が作れる。駅からの帰り道は、足に痛みがあるのと不安感とで足元が覚束なかった。帰宅してパンの昼食を食べると、気分はなんとか少しは落ち着いた。借りてきたCDを全部PCにリッピングして、頓服のセパゾンを飲んでソファで昼寝した。珍しく淫夢を見た。たまにはいいだろう。時計を見ると、3時間が経過していた。今日は長い一日になると昼から覚悟していたが、夕飯を食べてもまだ7時、さてどうしようか。最近は夜に鬱屈するのでなんとかそれをやり過ごす方法はないものだろうか。ネットを一通り見て、それから駅に出かけることにした。借りたCDを返すのと、久しぶりに駅前のドトールにでも行こうかと思った。もし1000円カットが空いていたら髪を切ろう。もう我慢ならないほど髪が伸びている。ダメなら本屋に寄って本を買ってドトールで読もう。CDを返し、ドトールの前を通るとそれほど混んでいなかった。1000円カットは赤いランプが点いていて、断念した。本屋に寄り、文庫本を2冊買った。芥川賞を取ったばかりの円城塔「Self-Reference ENGINE」、「のぼうの城」が面白かった和田竜「小太郎の左腕」。本当は高野和明「ジェノサイド」とアントニオ・タブッキの短編集を買いたかったのだが、とにかくハードカバーは高過ぎる。アメリカほどではないにしろ。ドトールで買ったばかりの本を読もうと思ったら、混んでいたのでやり過ごして帰宅の途に就く。帰り道、歩きながらなんとなく頓服のレキソタンを飲んだ。転ばぬ先の杖。歩いていると、頭の中にtestifyという単語が浮かんだ。Testify。どういう意味だっけ。大体、なんでこんな単語を覚えているのだろう。本当にある単語なのだろうか。それとも僕の頭が作り出した造語だろうか。とにかく、蚊や蝿が一匹飛ぶように、頭の中に言葉が浮かぶようにはなってきた。これがだんだん増えてきて、文章や物語のプロットになればいいのだが。帰宅して早速testifyをネットの辞書で調べてみた。

testify - 〈人が〉証言[証明]する;〈事・物が〉(…の)証拠となる

やはり存在していた。しかし、一体僕の頭の中の何処からこの言葉がやってきたのか。中学か高校のときに覚えたのだろうか。確かなのは、これまで一度も使ったことがないということだ。

それからはギターを弾いて歌モノを1曲とコード進行を1曲分作った。譜面に書くのが面倒だったので、MP3で保存。後はなんとなくトップページにブックマークアイコンをつけてみたりしているうちに、今晩は酷い状態にならずに夜は更けていった。

昨日書くのを忘れていたのだが、Facebookに誰かがフィードしていたピカソの言葉。

ピカソから7つの助言

1. 必ずできると信じろ

「思いついたことは出来る。思いつかないものは出来ない。これは避けがたく、明白なことだ。」

2. 限界を超えろ

「私はいつも自分の出来ないことをする。どうやればいいのかわかるからだ。」

3. 「その時」を待つな

「インスピレーションは常に存在する。見つけに行くんだ。」

4. 動け

「明日に引き伸ばせば、それは死んでしまう。」
「行動がすべての成功の鍵だ。」

5. 正しく問え

「他の人間はなぜそうなったかを問う。私はいつも何ができるのか、なぜできないのかを問う。」

6. ジャッジせず、隠された美を見ろ

「我々は脳をブン投げて、ただ目だけで見ることができればいいのだが。」

7. 遅すぎるなんてことはない。

「若さと年齢は無関係。」

これからはこれも座右の銘に加えよう。長い日記になってしまった。

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無間地獄

どうでもいいが、父が通っている歯医者が今朝、全焼したそうだ。次回、義歯を入れる予定だったそうなのだが。父の義歯はどうなるのだろうか。

午後から抑うつ状態、auに寄って携帯料金を払ったりしているうちに気分が悪くなり、例によって夕方頓服を飲んで2時間ばかり昼寝はしたものの、総じて今日もそれほど酷くないな、と思っていたら、夜、ソファに寝転がってGil Scott-Heronを聴いていて、順番的にGino Vannelliの「The Best and Beyond」に移り、素晴らしいと思って聴いていたのだが、突然落下して酷い抑うつ状態に。もう音楽は聴いていられない。頭の中が渋谷のスクランブル交差点みたいになって、気が狂いそうになる。具体的な要素がないので、いい方向に考えようがない。じっとしているとホントに気が狂いそうなので、おもむろにギターを取り出してAのブルースをしばらく弾く。で、録音した18分ばかりの演奏を聴いて、また発狂寸前になる。ま、そういう状態の演奏なので斬新な部分はあったが。出口は見えないし、もうホントにどうにもならないところまで追い詰められていたので、とにかくこの部屋から抜け出さないと、というよく分からない理由で腹も減ってないのに24時間営業のスーパーへ。で、歩きながら電話で母親と話していると(それで冒頭の歯医者の件が判明)、だんだん頭が空っぽになってきて、スーパーからの帰り道辺りでようやく酷い状態から脱出。疲れた。

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鬱屈中

今日は昨日までとさほど変わらず、違うと言えば朝6時に起きたこと、夕方昼寝の後に頭痛が来なかったことぐらい。頭痛の原因は、たぶん暖房を付けっ放しにしてドアを閉め切って寝るからだと思う。で、夜になって携帯が停められていることに気づき、そこから気分は急激に落下してしまった。郵便受けを見たが、支払い票は支払期限が過ぎていて、コンビニに払いにも行けない。いつもならCメールでauから連絡が来るのだが、今月は何故か来なかった。どうしても電話したいわけじゃないけれど、とにかく電話をしたくても出来ない、という現在自分が置かれている状況に対してストレスを感じる。それもかなり。いまだに僕は電話に依存しているのだろうか。もちろん、完全に依存していた数年前とは比べ物にならない。だったら何故、こんなに気が滅入ってしまうのだろう。特に話すべきことなどないのに。頓服を1錠飲んで、さっきシャワーを浴びた。その前に腹筋もしたし、ゴミも出した。洗濯物も干した。やれることはやったつもりだ。自分が世界で一番不幸だなんて思わない。ただ、幸せではないと思う。幸せには何種類かあると思う。感情としての幸せ、物質的な幸せ、もっと連続した長いスパンの、ある種のシステムのような幸せ。既に60億を超えている世界の人口の中で、一体僕は何番目に幸せじゃないのだろうか。と、こんな風に考えること自体がダメな状態である証拠。

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Telephone

んー、今日は途中まで昨日とほぼ同じ、少なくとも夕食後に日本茶を飲んでいると頭痛がしてくるところまでは同じだった。頭痛薬と頓服、それに氷枕で凌ぐところまで一緒。その後は例によって煮詰まる時間帯だが、ダメ元でI泉さんに電話してみたら案の定留守電、なのでなんとなくYouTubeでGil Scott-Heronなんぞを聴いていたら携帯が鳴り、I泉さんからだった。お陰でいつも一番しんどい時間帯を半分乗り切り、タミコと少々チャットで話し、またぞろ母親と電話で話している間になんとか11時まで漕ぎ着けた。で、気がつくと今日は朝しかギターを弾いてなかったので30分ほど弾くとちょうどシャワーを浴びる時間、並びにブンデスリーガの試合が始まる時間となり、なんとか日付が変わるまで持ちこたえた。って、なんでこう毎日その日を乗り切るのに苦労してるのか。

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忸怩、鍵のかかったドア

じくじ【忸怩】[名](スル)深く恥じ入ること。

なんとなく昨日の日記の続きのようになってしまうが、実際問題として今日は昨日の続きのような日であったし、日々というものは大概そういう風に存在する。やっていることもそうで、起きた時間も7時、業務を終えて帰宅したのが3時ごろ、さほどの症状もなく、頓服を1錠飲んで昼寝、1時間ちょっとで目が覚める。夕食後、日本茶を飲んでいると、急に頭痛が来て、それと同時に手が痺れ始める。ひとまず頭痛薬を飲んで、頭痛を和らげるために氷枕をしてソファに横になった。しばらくすると頭がきんきんに冷えて頭痛が気にならなくなり、ついでに身体も冷えてきたのでもういいだろうと起き上がると、頭痛は消えていた。で、なんとなくギターを弾き始め、1弦と2弦の開放弦のオスティナートで、A△9-Am9-D13-Bm11/E7というコード進行でしばらく即興で弾き、俺は天才なんじゃないだろうか、などと思い、それからこれまたなんとなくUKの物凄く下手糞だがちょっと気になるオルタナ・ロックのバンドをひとしきり聴いた。このバンドはプログレとハード・ロックの要素が強く、僕はクラシック上がりなので、中途半端にクラシックを使うプログレというのが大嫌いなのだが、このバンド(Muse)は95%は酷い代物なのだが、残りの5%がちょっと気になる。で、そのちょっと気になる部分を聴きたくて聴くのである。その5%は、ある種の出鱈目、もしくはいい加減で突拍子もない部分。要するに僕の中の引き出しにない部分が突然現れたりする。それが少々興味深い。だが、僕にはこういう曲を書けと言われても到底書けないだろうし、いまだに現場にいてこのバンドのデモテープが送られてきたら、少し悩むかも知れないがゴミ箱に捨てるだろう。そんなわけなのでアルバム1枚分聴くと頭に毒が蔓延したので、頭の中を掃除するためにナンシー・ウィルソンの「I’m In Love」とジャニス・イアンの「Love Is Blind」を聴いた。この辺まではまだよかった。問題はその後だ。昨夜のようにすることがなくなり、何をしたらいいのか分からなくなり、完全に煮詰まってしまった。散々あれこれ考えたが、どうにも出口というものが見つからない。もう1度ギターを弾く気にもなれない。しょうがないので内心忸怩たるものがあるが田舎の母親に電話して、長電話と言うほどではないが僕のそういった状況に関して漠然と話をした。これでようやく時計は10時を回った。腹は空いていないのだが何故か食欲はあり、どうせ何もすることが思いつかないので24時間営業のスーパーに買い物に出た。雨上がりの街は森閑としていて、ときおり車が通り過ぎ、遠くを仕事帰りの人たちを乗せた電車が走り去るぐらいで、それらが通り過ぎると夜はひっそりと佇み、僕の覚束ない足音だけがする。空気は澄んで、寒いが清清しく、この中に放射線が含まれているとは想像できない。とにかく僕はスーパーに辿り着き、トマトとコールスロー、ドレッシング、それに惣菜をひとつ買った。

時間は前後するが、昼間帰宅する道すがら、昨夜書いたように何故僕の頭の中から言葉が消えたのか考えた。で、それを探るために自分の頭の中に潜入を試みた。すると、そこは空っぽではなく、鍵のかかったドアがあった。ドアは頑として開かず、僕は鍵を持ち合わせていない。今の僕の頭の中はそういう状態なのだ、ということが分かった。

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Don’t think, just do it

ここを読んでいるあなたは、僕の文章量が減っていることにとっくに気づいているだろう。この日記だけじゃなく、例えばfragmentsとかも含めて。もちろん、日記というのはその日の体調もしくは精神状態に左右される。だから1行も書けない日もあれば50行でも足りない日もある。いずれにせよ、総じて最近の僕の文章量は減っている。これは事実だ。実際のところ、かつては頭の中に常に言葉や文章が電光掲示板のように流れていた。それは現実を投影したものであったり、ときには物語であったりした。日々、その日の単なる出来事だけじゃなくて、書きたいことは常にあって、問題はどれを書いてどれを書かないか、ということだった。ところが最近の僕の頭の中には言葉が浮かんでいないのだ。言葉がなければ文章も当然形成されない。かつて僕の頭の中をあれほど賑わせていた言葉は、一体何処に行ったのだろう? それを分析することに果たしてどれだけの意味があるのかは分からない。ひとつだけ挙げれば、頓服の飲み過ぎがあるだろう。それと昼寝のし過ぎ。それで夜ともなると僕の頭はぼうっとしてしまい、気がつくと天井を見上げて放心していたりする。そこには言葉なんてない。砂漠の向こうをとぼとぼと歩くらくだほどもない。僕は考えているようで考えておらず、考えていないようで何かを考えている。たぶん、問題はその間、何もしていない、ということだと思う。少なくとも何も生産していない。今日はとにかく寒い日だったが、特にこれといった酷い症状はなく、昼寝も1時間半程度、頓服も1錠飲んだだけ。にも関わらず、やっぱり気がつくと僕は天井を見上げて放心していたりするのだった。最近出来ることは限られている。その限られた出来ることのひとつ、ギターをしばらく弾いて一休みする。で、ちらっと傍らの時計に表示されているデジタルの数字を見る。それで僕は唖然とするのだ。まだ9時を回ったばかりじゃないか。あれほどギターを弾いて、ネット上のニュースを見て、それでもまだ寝るまで4時間もある。この牛歩の如き時間の進み具合は一体どうしたことなのだろう。この調子ではいつまで経っても今日という日が終わらないじゃないか、と僕は思う。で、その瞬間から僕の鬱屈は始まるのだ。どういうわけか最近になって、しょっちゅう時計を見るようになった。そして、そのたびに僕は憂鬱になる。時間というのは質量を持たない、尺度としての概念であるはずなのに、その尺度が伸びたり縮んだりする。アインシュタインがかつて述べたように。そして、その変化は僕らの都合のいいように伸びたり縮んだりするわけではないのだ。僕の問題は、それを常に自分にとって都合の悪い方に変化する、と思い込んでいる、もしくは感じる、ということだと思う。分かってるんなら考え方、見方を変えろよ、というところだろうが、それは感覚、フィーリングという瞬間的なものなので、なかなか思うようにいかない。男と女のように、第一印象がほとんどすべてを決めてしまうこともあるのだ。で、僕の場合は「ほとんど」じゃなくて「すべて」になってしまっているところが日々僕を悩ませている。そんなわけで、時計を見るたびに、僕は時間や人生というものをいたずらに浪費しているのではないだろうか、という思いに捉われてしまうのだ。解決策を考えるに、もう少し出来ることを増やす必要はあると思う。ジェフ・ベックは丸一日ギターを弾いているらしいが、僕は半日もぶっ続けでギターを弾くことは出来ない。大体、人間の集中力は2時間から3時間と言われている。大方の映画が2時間前後なのにはそれなりの理由があるのだ。

と、気づいてみると、いつの間にか長広舌になっている。やたらと長文の癖に日記と呼べる記述はやたらと少ない。まあいい。何もしないよりはいい。とにかくやることが大事だ。例えそれが何であっても。

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頭痛、時間の速度、幻聴

どうも記憶が怪しいが、今朝も一度6時ごろに目が覚めたような気がする。原因ははっきりしている。昼寝が長過ぎるのだ。もう随分前から大体2時間、長いときは3時間ぐらい昼寝をする。だから明け方に目が覚めてもあまり文句を言えない。もっと困るのは最近昼寝をするとその後が調子が悪くなることだ。以前だったら調子の悪いときに昼寝をして、リセットしてマシになる、というパターンだったのだが、最近は逆に酷くなる。今日も昼寝をするまでは珍しくさしたる症状もなく、ようやく波が上向いたかな、と思っていたのだが、また早く帰宅してしまったのでなんとなく習慣で昼寝をしてしまった。これが仇となった。起きたら頭痛。参るなあ。ひとまず頭痛薬を飲む。が、なかなか治まらない。で、田舎の母親と電話で話していたら、言葉が出なくなり、喋れなくなった。頭痛のせいでネガティブ思考になり、抑うつ状態になったのだと思う。踏んだり蹴ったり。まったく困ったものである。頓服のセパゾンを飲んで、念のため頭痛薬をもう1錠飲み、氷枕をしてソファで仰向けになってぼんやりと天井の辺りを眺める。こういうときは何も見ていないので、眼鏡があるとかえって邪魔なので外す。氷枕は案外と頭痛には効果がある。頭がきんきんに冷えるので、そっちの方に意識が行くので楽になる。一体いつまでこうやって天井を眺めなければならないのだろう、と思ってときどき時計を見る。すると、20分は経ったと思っても時計を見ると9分しか経っていない。ちょっとぼんやりしてもう1度時計を見ると、2分しか経過していない。前々から書いているように、今の僕には時間の感覚というものがないので、寝ている間以外は途方もなく時間が長く感じるというか、時間の経過が遅く感じる。駅のホームで電車を待っている間とか、永遠に来ないのではないか、と思うほどだ。そのうち、もういいかな、と思って起きてみると、どうやら頭痛は治まった。で、iTunesでなんとなくウェイン・ショーターのクインテットを聴いてみたのだがどうもピンと来ないというか、音楽を聴くということ自体がピンと来ない。なので、停止ボタンを押し、トイレに行った。すると、停めたはずの音楽が聞こえる。音楽性幻聴である。ちょうどピアノソロのあたりで停めたので、ピアノトリオの音が聞こえる。これは、自然音や生活音の中に豊富に含まれている倍音から無意識に音を抽出して脳内で組み合わせて再現してしまうのだ。今回の場合はトイレの換気扇の音からピアノトリオを作った、というわけである。別に永遠に聞こえるわけではないのでそれほど気にするほどのことでもないが、やはりあまり気持ちのいいものではない。その後はさしたる症状もなく夜は更けていき、要するに本日の失敗は昼寝をしたことだった。今度から昼寝するときは目覚ましをかけようかな……。

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死亡説

世間ではヴァレンタイン・デーと称して浮かれたり沈んだりしている人がいるであろう今日、そんなこととはまったく無縁なところにいる僕は、朝5時に目が覚めた。もちろん、2度寝、3度寝をしたが、努力も虚しく6時に起きてしまった。会社に9時に出社する人ならともかく、僕のような人間が朝の6時に起きてどうしようというのだろう。ともかく、起きてしまったものはしょうがないので朝食を摂り、案の定時間を持て余す。が、なんかが引っかかる。今朝は眩暈はないものの、全身に靄がかかったような嫌な感じ。結局、ソファで寝てしまい、目が覚めたのは9時だった。そんなわけで業務には35分ほど遅刻。が、別に誰に咎められるわけでもない。で、虫の知らせか第六感か、昼前に止めて帰宅の途に就いた。それでも一応時給としては悪くない。帰路、案の定身体がダルい。何か、半端なく疲労している感じ。まるでベトナムの最前線から退却でもしているような、極度の疲労感。帰宅して、空腹だったので一応パンの昼食を済ませ、ソファで毛布を被って気絶しようとしたが、これがどういうわけかいっかな眠れない。眠るには余りにもダルく、疲れている。ああでもない、こうでもない、と寝返りやら体勢を変えてみるのだが、一向に眠れる気配がないので、頓服のセパゾンを飲んだ。で、ようやく眠ったようで、確か3時ごろに目が覚めたと思う。この辺は記憶が怪しい。というのも、目が覚めてもダルさと疲労感はまったく取れず、まるでどこか内臓でも悪いような感じ、おまけに吐き気までしてきた。あんまり気持ち悪いのでまたソファで横になる。と、途切れ途切れに夢を見ているようで、現実とちょっとだけずれたものが間欠的に見えるというか体験する。たぶん、一種の譫妄(せんもう)状態だったのだと思う。とにかくあまりにも気持ち悪いのでまた死亡、次に目が覚めたのは既に日の落ちた6時だった。結果的に午後一杯寝たも同然だが、ようやくダルさが取れた。が、奇妙なことにまったく空腹を覚えない。何故だろう。全然お腹が減らないので日本茶を飲んでいると、盛んにげっぷが出る。どうもこれはヘンだぞ、と思う。本来なら腹を減らしているはずなのにげっぷまで出るとは。ってことは、今日の不調は恐らく胃腸から来ているのだ、と思った。それで、胃潰瘍の薬でもあるスルピリドを飲み、空腹ではないが昼間買っておいたおにぎりの夕飯を食べた。それでようやく人間界に復帰、という感じ。どうもこのところ、いろんな意味で毎日振り回される。で、その振り回しているのが他ならぬ自分自身なのだ。やれやれ、生きるのも結構疲れる。

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混沌

どうもFacebookを始めてから、日記を書くのを忘れそうになる。実際、FBにちょこっと書いたものを日記にも書く、というのもなんか芸がないような気がして。まあでも、もちろんここは非常に個人的な場所なので、SNSには書けないことも書ける。当たり前だが。

今朝も起きたら眩暈。三日目ぐらい? 早起きしたし、薬ももう切れるので朝から医者。この一週間、いかに酷かったかを説明したところで、医者のやることは同じ、メモを取っていつもの薬を処方するだけだ。眩暈だけならまだしも、今日はとにかく身体がダルい。そんなわけで昼過ぎに日当が出たので業務は早仕舞い、ところが帰途でもうふらふら。特に精神面で強い不安感があるとかではないのだが、前述のようにダルく、身体が思うように動かず、手と顔が痺れている。それを全部合わせると気持ち悪くなる、というわけだ。三途の川を渡っているゾンビのような足取りで歩きながら頓服を飲む。顔が痺れているとヘンな顔をしているのではないかと気になり、足元ばかり見て歩く。部屋に辿り着くと、当然のようにソファで死亡。2時間ぐらい? ま、それぐらいで起きるとまだダルい。それも半端なくダルい。もしかしたらまた風邪でもひいたのかと思い、体温計で計ってみると36.3℃、特に熱があるというわけでもない。PCに向かってはみたものの、肩は異様に凝ってるし、ダルいし、あまりにも気持ち悪いのでまたソファに横になっていると、小一時間ほど意識を失い、目が覚めるとようやくダルさは取れた。ってことは風邪ではなくてうつの症状ということになる。そんな風に小刻みに寝たりしていたので、いつの間にか一日が過ぎていき、なんだかよく分からないうちに夜になる。マユとFacebookでチャットしたり、ギターを弾いたりしているとどんどん時間は過ぎていき、夜は更けていく。急に果物が食べたくなり、24時間営業のスーパーに買い物に行く。トマトが安くなっていたので買う。あとミックスフルーツの小カップ、ゴミ袋、菜の花のおひたし、バゲットなど。帰宅してそんなものを食べているともう11時半、シャワーを浴びる。まったく、なんだかよく分からないままに一日が過ぎてしまった。再読していたリチャード・プレストン「ホット・ゾーン」も読み終わったので、次は何を読もうか。今度は再読じゃない奴を読もう。

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思考、指向

6時に一度目が覚め、寝直して7時起床。で、朝食後に時間が余ったのでギターを弾いていると今日も眩暈、朝から頓服を飲む始末。午後、業務から帰宅するころにはかなりダメな状態、強い不安感、痺れ。しょうがないので本日3錠目の頓服を飲んでソファで死亡。しかし、このところの傾向として昼寝をしても1時間ぐらい経つと元に戻ってしまう。断続的に恐怖心に近い強い不安感。思うに、思考の指向がよくないのだと思う。肩凝りも酷くて痛いので、頭痛薬を3錠飲む。もう薬漬け。9時からNHKスペシャルでうつの新しい治療法を見る。が、この国のこれまでの傾向から言って、認可されるまでに少なくとも数年は要するだろう。唯一、昨年保険診療扱いにされた認知行動療法は治療法としても現実的な意味でもいいと思うのだが、如何せん、僕の住んでいる近所にそのプロがいない。こうやって一通り番組を見ていると、今の医者に通って今まで通りの薬をひたすら飲んでいても治らないように思える。むしろ、自力で思考の指向性を変える自力認知行動療法を試みた方がよさそうだ。要は考え方、捉え方の角度を変えればいいのだが、なかなかこれが。タマに上手くいくこともあるので、習慣付ければ使えるかも。

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