Shake It Off

11月27日、日曜日。

なるべく夢を覚えているうちにツイートしておこうと思っているのだが、今朝は朝食後の珈琲を飲んでいるうちにみるみる夢の内容を忘れていく。覚えてられないもんだなあと。唯一記憶に残っているのは、自分以外の全員が関西弁を喋っていたということ。関西弁の世界。

最近fragmentsをまったく更新していないのだけれど、一応書くネタはあってタイトルも決まっている(「初老の世界」)。ただ不思議なことに書く時間がない。休日の午前中は何をしたらいいかわからないだのへったくれだのと言っているわりには。今日も結局業務に行って煙草を確保。午後は今日も相場の方法論を考える。それからNetflixでまずは映画「百円の恋」。主演の安藤サクラがボクシングが上達していくさまがとにかく凄い。夜は同じくNetflixでドラマ「のだめカンタービレ」を見てみるが、あまりにもデフォルメされていてちと腰が引ける。原作の漫画をアマゾンで全巻揃いで大人買いしなくてよかったと思う。夜、BSプレミアムでアガサ・クリスティ原作のドラマ「そして誰もいなくなった」を見た。

ま、こうしてみると別に忙しいわけじゃないんだ……。映画とドラマばかり見ている。

それはそれとして、久々にフェイスブックを覗いたら友人のフィリップ・セスが紹介していた動画に衝撃を受ける。ナッシュビルのセッションバンドなのだがあまりにもかっこよすぎて驚く。↓これ。

なんていうか、デビュー前のDirty Loops以来の衝撃。アレンジが無茶苦茶カッコいい。

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ボランチ大迫

11月26日、土曜日。

今日驚いたのはなにより、夜のブンデスリーガの試合、ケルン対アウクスブルク戦の後半で大迫がボランチに下がったこと。さすがにこれには驚いた。大迫はセカンドストライカーというかほぼトップ下の位置で前半絶好調で、惜しいシュートもあり、ほとんどの攻撃の起点になっていた。その大迫をボランチに下げたことで結果的に得点王のモデストにまったくチャンスがなかった。それにしても大迫、ボランチでもかつての代表での遠藤みたいなプレー、司令塔でありゲームメーカーの役割を果たしていた。器用だなあと。この器用さがかえって本人にとっては仇になっているのかもしれないが。つまり、なんでもこなせるから今日のような起用のされ方をしてしまうということで。それでも今日の大迫のパス成功率は92%とやっぱり半端ない。後半途中からアウクスブルクは宇佐美を投入、宇佐美と大迫が試合で対面するのはなんと2294日ぶりということらしい。試合の結果はスコアレスドローに終わる。

今朝は何故か7時半に目が覚め、土曜日なんだからまだ早いと二度寝して9時半過ぎ起床。二度寝したので夢の内容は忘れてしまった。わずかに覚えていたのは「ガイジンの助っ人はここが違うな」と思ったことで、そこだけみるとサッカーとかスポーツのことのようだが、何か交渉事のようだったような気がする。

例によって土日の午前中は苦手で何をしたらいいのかわからないので昼前から業務に行ってみる。すると、前回の馬鹿ヅキの分をそっくりお返しする不ヅキ。帳尻合わせというかなんというか。

帰宅後の午後は相場のルールと手法を再検討。プリントアウトしようとしたらノートPCから無線で印刷することができず、見るとプリンターを認識していないのでかなり焦る。キヤノンの電話サポートの時間を過ぎていたのでホームページのFAQを見たり、プリンタドライバを再インストールを試みたりするものの、そもそも認識していないのだからどうにもならない。古い方のノートPCを立ち上げてみるとこちらはちゃんと認識している。何が違うのだと焦りまくるが、分かってみればなんのことはない、無線LANのチャンネルが新しい方のノートPCがサブチャンネルになっていた。メインのチャンネルに切り替えると無事印刷ができた。やれやれ。

今日の母は最初僕が話しかけてもほとんど口を利かず、思わず僕が返事をしてくれないと話にもならないと愚痴をこぼすも、その後昨日母の友人たちが来たという話になりそれ以降の母は極めてまともだった。なんていうか、まともになるスイッチが入ったという感じだった。

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ギブアップ

11月25日、金曜日。

今日はもうまったくダメ、お手上げ、ギブアップ。降参。久々に相場でやらかしてしまった。以前からトレンドに対する調整の日にボロ負けすることはあって一応気にしてはいたのだが、いつの間にかそのパターンにどっぷりとハマっていた。相場観というか想定レンジがまったく間違っていた。それに、朝ドル円が噴き上がったのに惑わされた部分も多々ある。いずれにせよ「スキャルピングをやってるつもり→損切り→都合が悪くなるとデイトレード→ストップを食らう」という典型的なドツボにハマるパターン。しかもそれを一日中延々と繰り返してしまった。一番大きな要因は「ストップがつくのを嫌がってポジションの一部を損切り→結局ストップ」ということを繰り返したことだと思う。自分的に一日の損失額としては最悪というわけではないのだが、気分的にはそんな感じでのっぴきならないところに追い詰められた感。正直言って予算的にここを割ると最悪というところを割ってしまったので。コツコツドカンを繰り返していた以前よりは酷いことをやっていないつもりなのだが、気がつくと追い詰められていた。しかし、休日明け(米)の週末金曜日なのに何をやっているんだろう。来週からは少し大人しくしていないとダメかも。

それはともかく、とにかく寒いので今日からセーターを着てみた。すると、暖房をつけていると暑い。かといって外に出ると上にダウンジャケットを羽織っても寒い。一体どうすれば。まだセーター+ダウンジャケットという組み合わせは早いのか。

フェルディナント・フォン・シーラッハ「カールの降誕祭」、案の定読了。やっぱりハードカバーなのに短編3つだけというのはいかにも物足りない。それに、シーラッハは近作になればなるほどその傾向が強いのだが、あっさりし過ぎているせいか話が表層的で深みが足りない気がする。余計なものを削ぎ落とした簡潔な文章というのはいいんだけれど、ストーリーまで削ぎ落とされてしまっている印象を受けた。正直パターン化していて話が読めてしまう。結句、意外性を欠いている。ある意味意外性で書いている部分があるのに。

今日は相場のストレスで煙草がめっちゃ増えた。これを書いている時点でもう26本、あと1本吸えば最高タイの27本。夜になって今日は30本に到達してしまうかも、と思った。果たしてあと1本で我慢ができるのか。

という具合に何かと残念。明日から土日というのはむしろ幸いか。気分を切り替えられればいいのだが。せめて煙草の本数ぐらい気にしなくていいのであれば……と思ふ。今日はツイッターのタイムラインを追う余裕すらなかった。

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ダウンジャケット

11月24日、木曜日。

今日の日記は書くのが難しい。取り立てて書くことがない。強いて挙げるとすれば寒かったこと、それで今日からダウンジャケットを羽織るようになったことぐらい。東京は雪が降ったらしいが、山形のうちの辺りは降らなかった。しかし家の中にいても一歩廊下に出ると寒かった。ダウンベストは大分前から着ていたのだが、ダウンジャケットとなるといつのタイミングで着始めるべきなのか、今ひとつよく分からなかった。考えてみれば都心に住んでいたころはセーター→ダウンジャケットという順番で冬に向かって厚着になっていくのだったが、なんだか気がつくと今年はセーターを着るタイミングを見失っていてまだ着ていない。なんていうか、人より寒がりなのだけれどかといって人より厚着をするのがどこか恥ずかしいというような気持ちがあって。薄着の人に対するコンプレックスみたいな。

朝は9時半起床。眠かった。印象的な夢を見たのだがすっかり忘れてしまった。たまにいつまでも覚えている夢があるけれど、ほとんどの夢は夕方までにはすっかり忘れてしまう。妙に記憶に残っているのは、「24800円です」という夢の中の店の女の台詞だったりする。できれば恋する夢は覚えていたいのだけれど。

本日は昼から3時間ばかり業務。馬鹿ヅキ。その後夜まで相場。夕方ストップを食らって苦労する。夜までかかってストップ分を取り戻しただけ。日中の利益が1000円減った。しょぼい。相場のストレスで煙草が増える。

ところで、寝床でしか読まなかったので読み終えるのに1カ月以上かかったコーマック・マッカーシーの「ブラッド・メリディアン」、読んでいるときはあんなに読みにくい文体だったし特にカタルシスが得られるラストでもなかったのに、なんだかロストというか癖になる。またコーマック・マッカーシーを読みたいという気持ちがある。なんでだろう。明らかに悪文だと思うのだけれど。あの一貫した非情さがいいのかな。

昨日図書館から借りてきたのはフェルディナント・フォン・シーラッハ「カールの降誕祭」とピエール・ルメートル「天国でまた会おう」。シーラッハは短編が3つだけの薄っぺらい本でまるで絵本、昨夜寝床で2編を読んだのであっという間に読み終わる。ハードカバーといえこれで1500円はさすがに高い。買わなくてよかったというか図書館にあってよかったというか。

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取り残されて

11月23日、水曜日。

いわゆるところの「猟奇的な」女の子に付きまとわれるという夢を見た。次から次へと突拍子もないことをするので引きずり回される。挙句の果てにビルから飛び降りてしまうのだが、それでも死なずに起き上がってくるのだからまるでゾンビだ。そんな女の子であるから、決して僕は彼女に恋をしているわけではないのだが、それでもどこか放っておけないという不思議な夢だった。

起きてみると10時半だった。今日は勤労感謝の日で祝日だからまあいい。今日のメインイベントはJ1のチャンピオンシップ準決勝、川崎対鹿島戦であるので。もちろん僕は鹿島を応援している。

というわけで2時キックオフのチャンピオンシップ準決勝、川崎対鹿島は金崎のヘディングによる虎の子の1点を守って、鹿島が0-1で勝った。たぶんこの試合、鹿島も川崎もどちらも応援していない人にとってはいささか退屈な試合に映ったかもしれない。しかしながらリーグ戦終盤で4連敗といいところがまったくなかった鹿島が久しぶりに鹿島らしい戦い方をした試合だった。とにもかくにもこれで、ホームアンドアウェイの決勝を2試合見れるので嬉しい。

という試合を見ていると、相場の指値が成立した。今日は東京市場が休場なので昼頃にちょこちょことスキャルでトレードしていたものの、方向性がはっきりしないしあまり動かなかったので指値だけ置いておいたのだった。ユーロドルの売り指値が成立したのでついでにドル円をロング(買い)して、夕方5時半ごろに両方合わせて50ピップスちょっとになったので決済した。今日のところはこれで仕事をしたつもりになって、もう今日はいいやと思ったのだ。

ところが。この後夜になって一晩でドル円が2円近くも上昇するとは思ってもみなかった。それでなくても明日はアメリカが感謝祭で休日なので、今夜はどちらかというとポジションを手仕舞いする方に動くかも、と思っていた。あれよあれよとドル円が上がっていくのを唖然としてただ指をくわえて見ていた。というのも、フィボナッチで50%戻したところで売ろうかと思っていたのだがその50%をあっさりと抜けてしまったので。普通なら22時半の指標時から参入するところだったが、今日は夕方までにちょっと利益が出てしまったのでかえって入る勇気が湧かなかった。人間というのは不思議なもので、ちょっと上手くいくとそれを守りたくなってしまうのだ。ところが実際は50ピップスどころかドル円とユーロドル合わせて200ピップス以上取れた計算になるのだから皮肉だ。113円に届こうかというチャートを見ながら、そういえば俺、夕方には110円台のロングを持っていたのだなと気づき、ただただ唖然とするばかりだった。

そんなわけで本日はすっかり取り残された気分。

それはそうと、昼頃にツイッターで隣の隣の町で猫の里親募集のイベントがあるというツイートを見て、突然猫飼いたい病にかかってしまった。どうしようかと。車で30分も行けば猫が飼えるかもしれないのだ。しかしイベントは4時まで、鹿島戦にもろに被る。というので諦めたのだが、どうも猫飼いたい熱はなかなか収まらず、「山形 猫 里親」でググってみた。すると結構ある。あるのだが、単身者はダメとか部屋を見せてくれないとダメとか何かと条件が厳しい。あれこれと条件を出されると熱は冷めてしまう。一人暮らしがダメだのなんだの言っているけど、元妻はなにしろ猫カフェをやっているのだから10匹近く世話しているのだ。それも一人で。

とにかく今日は寒かった。家で暖房を入れていると気づかないが、午後に図書館に本を借りに行ったら、外はやたらと寒かった。昨日はぽかぽかと暖かかったぐらいなのに、今日はえらい違いだ。それもそのはず、今日の山形は最高気温が5度だったらしい。天気予報によると明日東京都内でも雪が積もるかもしれないというらしいから、東京で積もるのなら山形で積もらないわけがない、と思えてしまう。とはいうものの、まだ雪景色を目にしたわけではないのでいまひとつピンと来ない。いずれにしろ、もう冬になるのか……。

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スリッパとブラッド・メリディアン

11月22日、火曜日。

今朝の5時59分に福島沖で発生したM7.4(海外基準では6.9)の地震、うちでは6時ジャストに携帯の緊急地震速報が鳴ってびっくりして飛び起きた。すると、ぐらぐらぐらっと揺れてドアがみしみしいう。実家に戻って以来、一番大きな地震だった。iPhoneでツイッターを見ると速報では震度4の地震とあったので、おかしいな、うちでも震度4ぐらいに感じたがと思った。それにしても緊急地震速報のあのキュルッキュルッっていうのは実に嫌な音だ。たぶんある種のトラウマみたいになっていて、条件反射的に恐怖感というか嫌悪感を覚える。

で、大きい地震だと思って驚いてベッドから飛び起きたものの、いざぐらぐらと揺れ出すと何もできない。ドアがみしみしいっているから開かなくなると嫌だなとか頭をよぎるものの、結局僕が取った行動はベッドの脇でスリッパを穿いただけだった。それでどうしようかなとただ立ち尽くしていた。これでは緊急時に最低限のものを持って逃げるとかいうことがなかなか覚束ない。寒いのにガウンを羽織ることすらできなかった。情けないことこの上ない。5年前の震災のときはちょうど駅のエスカレーターを昇っているときで、昇りきったところで柱にしがみついた。あのときは無我夢中だったがそれぐらいの最低限の避難行動はできた。しかし、今朝はまったく何もできなかった。

ぐらぐらと揺れたものの思ったほど長くなく、おさまった頃合にまたベッドに潜り込むがどきどきしてなかなか眠れない。すると軽い余震が来た。しかしながら結局は9時過ぎまで二度寝することができた。起きて朝食を摂りながらツイッターのタイムラインを見直し、それからヤフーの地震情報を見ると、やはり福島では震度5でうちの町では震度4だった。津波も来たので結構大きな地震だった。実際、うちの方でこれぐらい揺れるということは滅多にないので、いかに大きな地震だったかということがわかる。その後も午前中に一回、夜に一回、体感する余震があった。夜の余震は震度1で、普通ならこれぐらいの揺れには気づかないのだが、どうも今日は過敏になっているようだ。5年前の震災の余震という話もあるし、今後一週間は同程度の余震がある恐れがあるということで、どうにも地震国日本、気が休まらない。

気分転換に午後、ゴミ処理場に車で溜まったごみを持って行った。最上川に架かる橋はいまだに工事中で片側通行、待つのがじれったい。帰りはぐるっと回って違う橋を渡る。相場は昨日同様どうもリズムが悪い。今日も夕方以降の欧州時間に二度ストップを食らってしまう。その後半分ぐらいは取り戻したのだけれど、基本方針自体は間違っていないのだけれど欧州時間の押しや戻りにやられるという同じパターンを二日続けてやってしまった。我ながら学習能力がないというかなんというか。夕方持ったポジションを引っ張っていれば元は取れたのだけれど、夜はドラマ「逃げ恥」を見たかったのでその前に利食ってしまい、ドラマを見終わった後はやる気が失せる。なんていうか、欧米が冬時間になってから深夜に動くので困る。それに生活を合わせるとまた世の中とリズムがずれてしまうし。

それにしても「逃げ恥」は面白いなあ。昨日の煙草は結局27本(最高タイ記録)。今日はここまでで24本。どうも世の中と逆行して最近になってじわじわと煙草の本数が増えてきている。今日もどうなることやら。もっとも、考えてみると田舎に戻ってくる前は平気で一日40本とか50本とか吸っていたのだけれど……。

おっと忘れるところだった。コーマック・マッカーシー「ブラッド・メリディアン」読了。

とにかく辟易したのは作者の文体。ツイートにも書いたが訳文はほとんど読点がなく、それでいて比喩を重層的に積み重ねて異様なまでにセンテンスが長い。美文調の典型的な悪文といった感じ。訳者も訳すのに苦労したんだろうなと思う。あまりにもセンテンスが長くて、一体どれが主語だったっけとか、この形容詞は一体どれにかかっているのかとか、すんなりと頭に入って来なくて苦労する。文章自体はそんな風に長広舌というか冗長なくらいなのだが、ストーリーの進め方は対照的にあっさりしていてどんどん進む。最後の方はあっという間に12年経ったり。コーマック・マッカーシーはコーエン兄弟監督の「ノーカントリー」の原作者(原作は「血と暴力の国」)ということで興味を持って読んでみたのだが、さすがにこの文体はヘビー、他の小説も読むかというと微妙なところ。

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傷心

11月21日、月曜日。

今日は相場に振り回されて損切りの上にストップを切らされて、挙句夕方から目をつむって持っていたポジションを利食い失敗して意気消沈。で、結果的には今のチャートを見るとそのままポジションを持っていればよかったということがさらに傷心に追い打ちをかける。実際のところ、夕方ストップがついたところで大負けは確定していたのだけれど、何故かその時点ではそれほどショックを覚えず気を取り直してポジションを取り直したぐらいなのだが、その後の動きにすっかり惑わされてしまった。

このところ母も口数が少なく、たまに口を開くと若干被害妄想傾向にあってあまりよいことを言わないのも気が滅入る要因でじわじわと来ている。ツイッターでフォローしている人が同じようにお母さんが施設に入って介護を受けていて、同じように物事をすぐ忘れてしまうというのに、それをむしろお母さんが幸せだとポジティブに捉えていたのにちと衝撃を受ける。そういう見方もあったのかと。では何故僕はそういうポジティブな思考にならないのかと考えるに、毎日面会に行っているのが逆効果なのだろうかと最初考えた。だが今日また母に会いに行って、やっぱり違うと思った。前述の人のお母さんはたぶん笑顔を浮かべて幸せそうな表情をしていたのだと思う。母はとても幸せそうに見えない。最近は僕にほとんど笑顔を見せない。むしろ職員が夜の薬を持ってきたときの方が柔和な表情になったり。その辺も僕を悩ませる。一体どういう風に考えてどういう風に対処すべきなのか、次第に分からなくなってくる。結局、人は人、自分は自分と思わなければならないのだろう。世の中の特養とかの施設に入っている老人が皆幸せとはとても考えにくい。ただ、母以外の入所者を見ると、あまり不幸そうには見えない。つまり、うちの母だけがネガティブに見えてしょうがない。たぶんそれは統合失調症による被害妄想傾向によるものがかなりあるのだろうけれど、今日辺り、母も自分で「これも被害妄想か」と口にしていたぐらいだからどうしようもない。いずれにせよ、僕に出来ることは本当に限られている。もしかしたら、なんとかして母を幸せにしたいと考えること自体が無理があるのかもしれないと思えてくる。

昨夜寝たのが4時だったわりには朝はなんとか9時半に起きられた。昼近くにちょっと昼寝はしたけれど。で、相場のストレスからこれは煙草が増えそうということで、例によってツイッターで「本日のルール。今日は何本吸ってもオーケー。30本でもオーケー」という言い訳宣言を夕方にしたのだが、今さっき25本目の煙草を吸って、これは本当に30本に到達してしまうかもしれないとびびった。実家に戻ってからの一日の最高記録は先日更新した27本。まあいつかは更新してしまうのかもしれないけど、今日は超えたくない。とすると早寝するしかないか。

今現在のチャートを見るとドル円乱高下、これはついていけなくても無理ないかも。

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セッションと死体

11月20日、日曜日。

どうも今日は日曜日という感覚が薄い。土曜日っぽい。なんでだろう。

朝目が覚めたら10時38分でしまったと思ったのだが途端に12分ワープして10時50分起床。まあ日曜だからよかったようなものの。で、起きてみると喉がからからで痛かったので風邪でもひいたのかと思った。気がつくと治まっていたけれど。

今日はお試し期間中のNetflixで映画を2本見た。ひとつめはデミアン・チャゼル監督「セッション」。公開当時結構話題になったのを覚えていた。またまたツイートを引用しよう。

ツイートにも書いたがジャズドラマー(を目指す若者)を主人公にした典型的なスポ根もの。鬼教師のフレッチャーがさしずめ「巨人の星」での星一徹というところなのだが、どうにもこのキャラクターが極端で。この手の音楽もののお約束として、最後に見事な演奏があってカタルシスという構造になっている。この映画の場合は非情なフレッチャーと演奏を通じてアイコンタクトする場面で終わっている。これはこれで映画としては面白いので音楽云々というところに全部目をつむればそれなりに溜飲が下がるのだけれども、主人公が何故見事な演奏ができたのかという音楽的理由が抜け落ちていて(この映画のまま受け止めると、まるで「悔しくて」いい演奏ができたというような奇妙なことになっている)、いわゆるドラム合戦的な決着のつけ方と似たりよったりな感じ。つまり、スポ根と書いたように音楽の話なのにまるで勝ち負けの話のような構造になってしまっている。だからなんだか後味が奇妙なのだ。すっきりしない。

そういう点では、同じく最後に見事な演奏でカタルシスを覚えるという分かりやすい構造の映画「オーケストラ!」の場合は、バラバラだったオーケストラの演奏がメラニー・ロラン演じるヴァイオリンのソロイストのあまりに見事な演奏に引き摺り込まれるようにひとつになっていき、素晴らしいハーモニーとダイナミクスを作っていく。その過程があまりにも音楽的であったので、コメディー映画なのに僕はこの演奏シーンを見てぼろぼろと泣いてしまった。

この2つの映画はラストの構造自体は似ているが、動機の音楽性という部分で対照的なものになっている。「オーケストラ!」の方が純粋に音楽的動機なのだ。だからそれまでのどたばたや馬鹿らしさはどこかに吹き飛んでしまい、ただ音楽が必然的に調和して構築されていくさまに感動する。そこを比較すると「セッション」のラストは無理があった。主人公と鬼教師フレッチャーの対立というところに拘り過ぎた。だから最後の演奏がどこか力任せのような印象を受ける。音楽的じゃないのだ。

2本目はドキュメンタリー映画「カルテル・ランド」。

題材が題材なので嫌な予感はしていたのだが、やっぱり出てきた。切り取られた首や吊るされた死体。これが現実なのだからしょうがないが、できればそういうものは目にしたくなかった。日本というあまりにも治安がいい国に住んでいるので、メキシコでの日常のあまりの落差に驚く。「シティ・オブ・ゴッド」のようなブラジル映画でも同じ印象を受けた。

死体と言えば。

近ごろずっと気になっているのが、うちの近所の普段は空家になっている家の庭に、ここ二週間ばかりずっと一台の車が停まっていること。その家は町外れの知的障害者の施設がたまに療養所的に使っていて、そういうときは車が2・3台停まっているし人の住んでいる気配が明らか。普段は前述のように空家。毎日車で前を通るので気になってチェックしているのだが、人が住んでいる気配はまったくないし車が動いた形跡もない。どう考えても不自然。で、もしかしたら運転手がアクシデントで車の中で死んでいるのではないかという気がし始め、毎日毎日通りがかってチェックしているうちにだんだん本当に死体があるような気がしてきた。「スタンド・バイ・ミー」的に。その空家の隣は小中学校で同級生だった女子の豆腐屋(工場兼自宅)なので、僕がこれだけ不審に思うのだから隣の家とか向かいの家とかが不審感を覚えて当然なはずなのだが……。これが都内だったら普通に警察に通報(違法駐車っぽいということで)とかしているところだが、田舎だとそうもいかない。一度気になり始めると気になって気になってしょうがない。こうしている間にも運転席で死体が干からびているかもしれないのだ。

そこでとうとう、今日の昼過ぎに業務に行く途中にその空家の前で車を停めて、恐る恐る車を覗いてみた。すると、運転席と助手席は空だった。とにかく、死体はなかった。ところが後部座席は窓にスモークが貼ってあって見えない。うむむ。一瞬後部座席のドアを開けてみるべきかと迷ったが、さすがにそこまでの勇気はなかった。もし開けて死体が出てきたら(どうもその発想から抜け出ることができない)洒落にならない。それに僕は一度逮捕歴があるので指紋を登録されているから、ドアに指紋がついたらいろいろと厄介だ。リアガラスの上の方から覗けそうだとも頭をよぎったが、とにかく僕以外は誰も気にしてないようでもあるし、好奇心を振り切って立ち去った。しかしながら、とすると死体があるとすれば後部座席かトランクの中だな、というような妄想がなかなか頭から抜けない。やっぱり警察に連絡した方がいいのだろうかとか考える。しかし田舎ってどうしてこういうときに気軽に警察に電話できないのだろうか。

そんなわけでこうしている間もあの広い家の庭先に小型車が頭を突っ込んでいる形で駐車している。もしずっとこのままで、雪が積もったりしたら一体どうなるんだろうか? そうなるとさすがに近所の人もおかしいと思うんじゃないだろうか。そこでようやっと死体が日の目を見るのだろうか。

とか妄想はいっかな止まない。あそこにあの車が停まっている限り。まったく、しょうもないことを気にし始めたもんだなと思う。

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夢のあとさき

11月19日、土曜日。

雨の日、本日の前半の印象はほとんどが朝方の夢が占めていた。いささか手抜きながら朝の連続ツイートを引用する。

前述のように外は雨で午前中から薄暗くてどんよりしていた。気分的には昼過ぎまで夢を引き摺る。昼過ぎから冷やかしの業務。その足で図書館に寄りコーマック・マッカーシー「ブラッド・メリディアン」を延長。スーパーに寄って買い物をして帰宅。午後Netflixで三池崇史監督「悪の教典」。夜BSで「獄門島」。その後DAZNで大迫先発のケルン対ボルシアMG、原口途中出場のアウクスブルク対ヘルタ。

もっとツイートを貼りたいところなんだけれどいい加減にしろと言われそうなのでこれぐらいにしておく。

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早起きとは何か

11月18日、金曜日。

というわけで早起きしてみた。アラームを使わずに8時10分に起きた。やればできる。もうちょっと頑張ればごみを出せる時間だ。つまりごみを出せる時間じゃないということは、世間一般の基準では早起きではないということなんだろう。そういえば一度、7時半ごろに町内会費を集めに来られて玄関で寝間着姿で頼むから勘弁してくれと言ったことがあった。朝の7時半に人の家を訪ねるというのは、警察が逮捕に踏み入るとかいうのを除いて、僕の基準では非常識という認識だった。それまでの自分の人生を鑑みて、ということだけれど。ただ考えてみれば朝9時からの会社に勤めたこともあったのでそれなりに早起きしていた時期はあったのだろう。ただし、その会社は遅刻を連発して新記録を作った挙句に一年で辞めたわけなんだけれども。

というわけで人並みの時間に起きたので東京市場の寄り付きから相場のトレード開始。しかし10時半ごろになってノーポジションになったときに猛烈に眠気が襲ってきて、結局ベッドに潜り込んで1時間ちょっと寝てしまった。こういうのはどう解釈したらいいんだろう? 8時10分足す1時間ちょっとで9時半ごろに起きたことと同じ計算になるのか? 根本的にそういうことじゃないのか? よく分からない。ただこれを書いている今深夜1時を回っていて、まだすぐに寝るつもりはないので、早起きしたから早く寝るという思考回路は僕の中にはない。僕の頭の中では「寝る」と「起きる」は別個に存在している。ただもうひとつ、「眠い」というのもあることは確か。

ここ最近気になっているのは、いつの間にか煙草を吸うペースが1時間に2本になっていることで、これでは計算上1日30本以上になってしまう。いやもっとか。8時間寝るとして32本。大体計算は合ってる。現に昼前に起きた昨日は煙草を吸い始めたのが昼過ぎからだというのに本数はむしろ増えた。何を言いたいかというと要するに早起きをするとその分煙草が増えてしまうのではないかと。早起きイコール早寝とならないということは。ただ実際問題として先日実家に戻ってからの一日の最高本数を更新してしまって27本、つまりああ今日は煙草が増えたと思っても25・6本でなんとか収まる。もちろん自慢にはならない。晩年の父は一日17本で、肺気腫なのに煙草をやめられない父に電話で意志が弱いだのへったくれだのと言っていたのだが、なんのことはない、自分の方がよっぽど意志が弱い。ああ今日は煙草が増えそうだと思ったらすぐに、前もってツイッターで「本日のルール。今日は何本吸ってもオーケー」などとツイートして先に言い訳をする始末。その上で市川崑は90歳過ぎても一日百本吸ってただの、倉本聰はだの筒井康隆はだの、誰それの親戚は毎日60本吸って90まで生きただの、あれこれと免罪符ばかりを探す。とはいうものの、なんとか多くても26本程度に収まっているのは、「何本吸ってもオーケー」と宣言したからといって闇雲にバカバカと無制限に吸っているわけではないのである。いや、これも自慢にならないな。

早起きに話を戻すと、困ったことに明日(日付が変わったから今日)から土日なわけで、土日というのはまったくもって早起きする理由がなく、むしろ休日の午前中というものがことのほか苦手で何をしたらいいのかさっぱり分からなくなる。ということで、明日の朝は一体どうしたらいいんだろう? つか、一体僕は何時に起きるのだろうか。

むむ、ちと眠くなってる。これが早起きというものなのか。うーん。

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