裏目

今日は何をやっても上手くいかず、ストレス凄い。

まず、久々に業務で大敗を喫した。当たらないことにはどうしようもない。で、母の病院に行くと昨日までと比べると母が珍しく穏やかな表情をしていてほっとしたのだけれど、リハビリが今日は1時間半あまりでいつもよりずっと長く、リハビリから戻ってくると担当の看護師がやってきて母の歯を往診してもらったらどうかと言う。この看護師、例の入院初日に次の病院を探せと発言した超感じの悪い看護師。目が笑ってない。もちろん、そのときやりあったことでの先入観はある。しかし、とにかく何かと言い返してきて不愉快。いつの間にかまた母のベッドの脇で丁々発止やり合っていた。すると、それが影響したのか母が不安定に。被害妄想傾向になる。

そんな風に何かとストレスが溜まる展開のわりには、昨日の反省から昼から安定剤を飲んだせいかなんとか精神的にはもっていたのだけれど、どうも看護師の配慮のなさとか態度の不快さがいつまで経っても消えず、夜弟に電話して愚痴を言ったら病院に毎日行かなくてもいいのではないか、自分の病気と混同しているのではないかと言われ、思わぬ展開になり、ああ電話しなければよかったと後悔した。どうも今日はよろしくない方にすべてが流れる。

FXでも同様。売っても買っても裏目。そういう日なのだろうか。まあバタバタとポジションを持っていくらか取り戻したりはしたけれど、なんか上手く行かない感が抜けない一日。終日どこかしら嫌な気分。上手いこと気分を切り替えることが出来ないしそういうものも見つからない。

ああそういえば唯一、夕食後に今日は桶川女子大生ストーカー殺人事件の動画をYouTubeで見たことぐらいかな、気分転換。

この事件のノンフィクション、清水潔「桶川ストーカー殺人事件 ―遺言」はホントに傑作。面白いというのはなんか不謹慎な気がしないでもないが、とにかく凄い。主犯が自殺してしまうという後味の悪い事件ではあるが、とにかくとんでもなく酷い事件であるし、動画を見てもらえば分かるが警察の酷さは筆舌に尽くしがたい。これほど酷い警察の記者会見は見たことがない。まさに鬼畜。当時フォーカスの記者であった清水が実行犯を追い詰める辺りにカタルシスが。

そういえば今日は昼寝をしていない。朝は6時に目が覚めて、5度寝か6度寝ぐらいしてようやく7時まで寝れた。これを書きながらふと気づいたが、昼寝してないのにそれほど眠くない。不愉快アドレナリンでも出ているのか。こういう日はとっとと寝た方がいいような気もするが。


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どうも体調がおかしい。ときどき手(指)がつったりする。左手だったり右手だったり。昨日あまりにも眠かったので今日は朝昼と安定剤を抜いてみたのだが、結局眠くなって母の病院から帰宅後1時間ほどソファで寝たのだけれど、寝た後にかえって調子が悪くなった。しょうがないので5時過ぎに安定剤を飲んだのだが、その後もどこか調子が悪く、ホントに体調が悪いのか精神要因なのか分からない。さしたる理由もなく夜に鬱屈したので恐らく後者だとは思うが。いずれにしても、以前隣町の精神科医が言っていたように、薬を飲まなかったり飲んだりするのがかえってよくないのか。不安定さの原因になっているかも知れない。やはり徐々に減らしていくべきなのだろう。いずれにしても調子が悪い。妙に体力ない感じがするし。

それにしても自分のことながら何故鬱屈するのかよく分からない。そういうところがうつ病たる所以か。今日も昼過ぎには業務の日当が出て1時ごろには母の病院に行き、1時間ちょっとで帰宅したのでさしたる要因は見当たらない。最近の傾向として暖房をつけているところで寝るとその後調子が悪くなる。今日の昼寝時はスピードスケートともアイスホッケーとも判別出来ない夢を見た。オリンピックの夢だろうか。

夜はYouTubeでトリカブト殺人事件(懐かしい)の動画を見た。この事件、物凄く巧妙に仕組まれていて驚く。犯人(神谷)の風貌や言動からは想像出来ないが、よくここまで研究したものだとある種感心してしまう。

その後はさっきまで本田が先発のミラン対サンプドリアの試合をネット観戦。前節消極的とイタリアメディアに叩かれた本田だが今日は積極的に見えた。だがまだ強引さが欲しい気も。それともちろんゴール。ちなみにうちはスカパー入っていないので、いつもここで見る。海外の試合は大概無料で見れる。昨日の1860ミュンヘンの試合とかもそう。2部の試合とかスイスリーグとかそういうのも中継で見れる。

いずれにしてもこの心身の調子の悪さ、なんとかならないものだろうか。で、こんな時間になってからあまり眠くなくなる。困ったものだ。

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睡魔

眠いのである。ただいま午前0時半を回ったところ、さっきニュルンベルクの清武が同点ゴールを決めたばかり。今夜はドイツ2部、1860ミュンヘンの試合を見て大迫も0-2から引き分けとする同点ゴール、プレミアリーグサウサンプトンの吉田麻也もヘッドで先制ゴール。相変わらず1860ミュンヘンのサッカーはボールを繋げず、大迫は前後半シュート1本ずつ、前半のシュートはGK正面、シュート2本で1ゴールは大迫半端ないがとにかくチャンスが少ない。

しかしなんでこんなに眠いのか。というのも、今日は夕方の4時からソファで3時間半も昼寝してしまったのである。最初はこのところの習いで2時間で起きるだろうと思っていた。晩飯にちょうどいい時間に起きるだろうと。ところがなかなか寝付けず、眠れないかも、と思っていたら気がつくと7時半を回っていた。で、競馬の夢を見た。競馬の小説を書いているか、あるいは読んでいるのかどちらか判別のつかない夢だった。もう競馬をやらなくなって大分経つけれど、最近の中では悪い夢ではなかった。

今日も7時起床。昨日の反省から、今日は朝から安定剤を飲む。結局業務に行くが1時間ほどで日当が出てしまったので後はちんたらと遊んで時間を潰し、2時過ぎに母の病院へ。土日はリハビリが休みなので、エレベーター前のロビーで歩く練習をさせる。今日の母は昨日までと比べると落ち着いた表情に見えたが、相変わらず元気はない。安定剤のせいかまたも病院で物凄く眠くなる。で、帰宅して昼寝を試みたというわけ。

それにしてもなんでこんなに眠いのだろう。安定剤3錠飲んだ影響なのか。それにしても毎日寝てばかりいる印象。今日は午後からずうっと眠い。ひたすら眠い。なので頭も回らない。

清武はたった今PKを外したところで交代。今日はしょうがない、さっき電源を入れた電気シーツがあったまる頃合いにもう寝よう。なんか寝ることしか頭にない。


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自己否定

最近早起きなので普通に朝ゴミを出せる。大体7時5分前ぐらいに起きる。6時台に起きるなんて、以前の僕なら考えられないことだ。寝る時間は2時ぐらいで、そんなに変わっていないのだけれど。その分、どうしても昼寝してしまうけど。

昨日調子が悪かったので、今日は昼過ぎまで安定剤(レキソタン)を飲まないでどうなるか様子を見てみた。すると、業務中に物凄い自己否定の集中砲火を浴びた。業務の内容が悪かったとかそういうわけではない。選択ミスではないし、ちょびっとはプラス。途中から両脇に人が来てそれはそれなりにかなりストレスではあったが、そういうこととは別に、ある意味自分を全否定する思念が強烈に襲ってきてかなり参った。実際には、これではダメだとか、こんなことをしていてはダメだとか、母に申し訳ないとか、そういう言葉が頭の中を飛び交った。そういう言葉が頭の中を埋め尽くしている状態で業務を続けるのは並大抵のストレスではない。本当に、生きているのが嫌になるほど強い自己否定だった。さすがに業務後、母の病院に着いた時点で安定剤を飲んだ。

結局、安定剤を飲まないなら飲まないで精神的にもたない。徐々に減らすとかしていかないと既に依存状態にはあるのでベンゾジアゼピン系の離脱症状もあるのだろう。ここまで極端に負の方に振れるとさすがに参る。

今日も病院に着くと母はリハビリ中だった。手助けなしでも立ったり出来るようになっている。しかし、相変わらず元気はまったくなく、蚊の鳴くような声でしか話さない。

安定剤が少しは効いてきたのか、帰宅するころには強烈な自己否定は少し収まる。ただ、これも安定剤の影響だと思うが夕食後コタツに入っていると猛烈に眠くなってきてまた2時間ほど気絶。なんかだんだんパターン化しつつある。

夜にかけては昼寝を挟んでオリンピックをチラ見しながらFX。なんていうか、少しやり方が見えてきた。資金を増やしてやればこれである程度食えるのではないかと思う。もちろんまだ不安はあるが。

昨日の日記でフィギュアスケートに批判的なことを書いたが、それはあくまでスポーツとしてどうかということであって、浅田真央がフリーで見事な演技をやったということはまた別の話。まだ見ていないけれど。たまたま見たところで村上佳菜子がバッハのシャコンヌの冒頭部分を使っていて、これは元々無伴奏ヴァイオリンのための曲だけれど、中学の頃、クラシック・ギターでよく練習した曲なので懐かしかった。なので、昨日から何度も聴いている。ヴァイオリンのソロって、何故かノートパソコン備え付けのしょぼいスピーカーでもある程度聴ける。抜けがよいからか。

今日の自己否定攻撃のせいか、業務に対して情熱が薄れるというか(元々そんなものを持ち合わせていたのか疑問ではあるが)、少々醒めかけている。FXの方がリスクが少ないような気がする。先週の土日酷い目に遭ったので、明日の業務をどうしようか迷う。だが困ったことに為替相場は土日休み。で、このところの傾向として自宅に日中ずっといると煮詰まる。困ったものだ。


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どうも調子が悪い。不思議なことに朝から飲んで一日3回安定剤を飲んだ日の方がむしろ調子が悪い。例によって母の病院に行くと物凄く眠くなり、リハビリを見学している間にパイプ椅子の上で涎を垂らして寝てしまったり。実際問題として体調が悪い感じだった。帰宅後も上向かず、夕食後にコタツでオリンピックをなんとなく見ていたのだが調子が悪いので寝ようと努力して2時間ほど寝た。

昨日こっそりgambling awayを更新してそこにも書いたのだが、今月の業務は何故か勝ちと負けが交互に来る。禍福は、ということわざがあるけれど、そんなに律儀に来なくてもいいような気がするのだが。昨日はツイていたのに精神的にダメと書いたけれど、今日は今日でツイていなくてもダメ、前述のように体調的なものもあるかも知れないが、どうにも精神的に粘る体力がない。根性とか根気と言い換えてもいいけれど。とにかく、何故か安定剤を飲むと逆に精神的にも身体的にも調子が悪い。明日は減らしてみる手か。確かにこのところずっと7時前には起きて早起きなので、夜の睡眠が5時間ぐらいと若干足りないのかも知れないが、その分昼寝してるのに。

FXの方も勝ち負けを繰り返している。傾向として、精神状態が弱っているときは裏目に出ると酷く悲観的になったりするが、逆に考えれば大きく負けるということは大きく勝つ可能性があるということで、そう考えればプラス思考になる。いずれにしても今日のように体調も精神的にも調子が悪くて頭がぼうっとしているときは判断がつかない。だが、頭さえはっきりしていればなんか手はありそうだという気はしてきた。

母は相変わらず精神状態がよくない。もうずっと柔和な表情は見せず、どこか怯えているような不安げな顔を常にしている。顔が気難しそうに強張っている。どこにも手がかりがないというか、これは母の精神状態なので僕にはどうしようもない。こういう母と向き合っているのは相当しんどい。

今日はツイッターのタイムラインにオリンピックのツイートが少なく、森元首相(東京パラリンピック委員長)の浅田真央が負けると分かっていた発言関連ばかりだ。なんか盛り下がっている感。今日はコタツで気絶するまで、スキークロスという競技を見たが、案外と面白かったけど。浅田真央の失敗やノルディック複合の団体が5位に終わった辺りが盛り下がっている要因か。いずれにしてもフィギュアスケートという競技がスポーツであるということに対する違和感は消えず、懐疑的に見てしまう。なんでスポーツなのに演技なのか。いや、演技なのにスポーツなのか。で、何故選手ごとに音楽が違うのか。課題曲を統一した方がスポーツとしてはフェアではないのか。というか、体操のように音楽などいらないのではないか、等々。終いには女子選手の化粧が過剰だとか、そういうところまで気になってしまう。

森元首相の発言に戻ると、オリンピックに関して言えば、成功する選手もいれば失敗する選手もいる。だからこそ見ていて面白いのだが、それと特定の選手が必ず失敗するというのはそもそも観点が違う。必ず成功する選手と必ず失敗する選手が決まっていてはちっとも面白くないではないか。というような意見を述べるにも値しないほどの発言。どうして政治家という人種はこういう人間ばかりなのか。


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今日は昨日ではない

今日は昨日ではない。サイトのトップページにも掲げているレイモンド・チャンドラーの作中の文言だ。どの作品だったかは忘れた。味わい深い言葉だ。実際、今日は昨日ではない。もしかしたら、それが救いでもある。実際、ときにはそれが救いになる。よく言われる「明日がある」というのは、今日という日は常に昨日になるという宿命を示唆しているだけなのかも知れない。僕らが生きているのは常に今日であり、今である。昨日ではないし明日でもない。だからたぶん、希望は常に今日あるべきなのだ。

だが皮肉なことに脳が認識するタイムラグにより、僕らは常に微妙に過去を生きている。そして、不安というものは過去よりも主に未来にある。一寸先は闇、次に何が起こるかなんて誰にも分からない。

FXの為替相場のチャートを見ていると、上がったり下がったりする。不安や希望のように。昨日から試しにストップロスを多めに取ってポジションを日をまたいで持ち続けてみた。そうすると、プラスになったりマイナスになったりする。損切りしない限り、いつかどこかではプラスになる(筈)。しかし、分からないのはどのタイミングで抜けるのがいいのかということだ。結局、次にどうなるかなんて分からないから。チャートの上下というのはもしかしたら僕自身の感情や欲望の上下を見ているのかも知れない、などと思う。

まったく希望がない毎日を生きているとずっと思っていたが、恐らく幾ばくかの希望は常にあるのだろう。そうでなければ生きていけない筈だ。ただ不安や絶望がそれを凌駕しているだけで。

そんなわけで今日は何度か自分に「今日は昨日ではない」と言い聞かせた。

前置きが長くなった。

朝は町内会のゴミの当番だった。なので、朝食後に集積場に行ったが何事もなく、ただホウキを持って往復しただけ。むろん、その方がいいのだが。雪はちらついていたが、雪かきするほどではない。

業務は昼過ぎに恰好がついたのでタマには無理せずにとっとと帰ることにした。というと聞こえがいいが、要は基本通りに粘る精神力がなかっただけ。言い方を変えれば、今日は昨日よりもツイていると思いたかったので、ツイているうちに帰ったというわけ。なので1時前には帰宅。ところが、机に向かってFXのチャートを眺めていると、前述のようにどこで抜けるのか(決済するのか)一向に分からない。そのうち煮詰まってきた。いまだ抑うつ状態である。なので、母の病院に行くまで少しソファで寝ることにした。

結局、2時間ばかり寝て、現実とあまり大差ない夢を見た。危うく現実と混同するところだった。目が覚めると電話が鳴り、母の病院の、先日打ち合わせをした師長からだった。話を簡単にまとめると、先日申し込んだ介護施設はなかなか空かないので、次に移る療養型の病院を早く申し込んで欲しい、という内容だった。だが問題は候補に挙がっている2つの病院それぞれに難点があるということ。一番の要因は母が統合失調症という精神疾患を抱えていることで、ひとつの病院は精神科があるが理学療法士がおらず、体力回復のリハビリが十分に受けられるかどうか分からない。おまけに病床数が少なく、かなり順番待ちをしそうだ。もうひとつの病院は理学療法士がいるが精神科がない。おまけにこちらは入院費が高い。月々赤字になるくらい。一長一短というよりもむしろ、どちらも短所があるということである。結局、後でキャンセル出来るので両方に紹介状を書くから申し込むだけ申し込んで欲しいとのことだった。後者の方が待たずに済みそうなので、施設に移るまでの2・3ヶ月であるなら後者の病院でも仕方ないかなと思う。

それから母の病院へ。着いたのは4時半ごろだった。母の精神状態・認知機能は日増しに少しずつ悪化している。今日も名前と誕生日を書く練習をさせたのだけれど、書くたびに間違えたり思い出せなくなるのが酷くなる。被害妄想や幻覚も少しあるようで、不安げな声をしきりに出す。正直、母が何を考えているのか、母の頭の中がどうなっているのか、さっぱり分からない。もはや感情移入することも難しくなっている。だが悲しいことではあるけれど、それが僕のある意味救済になるという皮肉な構造が見える。つまり、もう療養型の病院に入れて、やがては施設に入れるのも仕方がないのかなと腹を括り始めた。母を見捨てるわけではないが、物凄く主観的だった見方が少しずつ客観的な方に向かい始めている。それがいいことなのかどうか、僕には分からない。だがもはやそうするしかなさそうに見える。

結局のところ、人間は自分のことしか考えられない。他者のことを考えているつもりでも、実際は自分自身のことを考えている。どこかで自分は本質的に自分勝手で自分本位な存在であることを認めなければならない。

なんかこういうことってちょっと悲しい。僕は母のために生きたかったのに。母はどんどん僕のあずかり知らぬところで変容していってしまう。そして僕はそれを受け入れ続けなければならない。

今日はいい日でもなく、特別に悪い日でもなかったのだろう。世界は常に変容する。一刻も休むことなく。そこには絶望も希望もある。


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暗中模索

何をやっても上手くいかない日。一昨日のように酷い抑うつ状態になってもまったく不思議じゃない日だったが、先日来安定剤を毎食後飲んでいるせいなのか、夕食後にコタツで気絶したせいなのか、なんとかもっている。不思議だ。コタツで寝て、この界隈に住んでいる夢をこっちに引っ越してきて初めて見た。相変わらず、コタツに入っているとテレビでも見ていない限りホントに眠くなって困る。

夜はオリンピックのスピードスケートを見た。スピードスケートのラップを見ているのって、いかにもオリンピックを見ている感じがする。

業務は結果がどうのうこうの以前に精神的にダメ。辛くなる。母の病院に向かいながら、これではもう続けられないかなと半ば諦めの気分に。母は相変わらず元気がなく、表情も感情の起伏も乏しい。今日は足の爪を切ってあげたけれど、そういう母に向き合っているのはかなりしんどい。どうやって元気づけたらいいのかさっぱり分からなくなる。ただでさえ、僕の方が元気がないのに。

FXは相変わらず裏目るというか、機を逸するというか、タイミングがつかめない。要するに、自分のスタイルというものがまったく定まっていない。暗中模索。そんなことを言えば、すべてが暗中模索だ。なんだかよく分からずに、なんか上手くいかないなあと思いながら日々が過ぎていく。ひとつには、上手くいくイメージというものがない。イメージ出来ない。このところずっと大なり小なり抑うつ状態なので、何をやっても楽しく思えないからしょうがないところもある。なんていうか、確たるものがないまま、なんとなく時間が過ぎていく。特に帰宅してからがそうだ。どこか、寒いということに振り回されている気が非常にする。


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変遷

それにしても昨夜の抑うつ状態は酷かった。結局風呂に入らずに寝て、悪夢を見て朝目が覚めてもまだうつの残滓は残っていた。なので、今日は朝から毎食後安定剤を飲んだ。

朝から雪が降りしきっていて、朝食後に雪かきをしたが降り方が凄い割にはそれほど積もっていなかった。昼過ぎまで結構降っていたのだけれど結果的に積もらず、業務後母の病院にいるころには晴れ間も見えてくるという奇妙な天気だった。

昨夜の抑うつ状態の要因としては、2日続けて業務で大敗を食らって気が滅入っているところに母の認知機能障害が酷くなったように見えて、母が僕を忘れるのが怖いと言いだしたりしたことが重なったからだと思う。このところの母は毎日書いているように口数が極端に少なくて元気がなく、名前や誕生日を書く練習をさせるとやたらと間違える。

今日灯油を入れたら、この1ヶ月あまりで灯油代が約4万円、いくら灯油が値上がりしたからと言ってもちょっと洒落にならない。去年の同時期と比べると3倍近い。書斎と台所という、一番広い部屋の暖房を夕方から寝るまでずっとつけっ放しにしていたせいだと思うがそれにしても。危機感を覚える。なので、台所はこまめに暖房を消し、書斎は朝と寝る前にこの日記を書いたりするときだけ使い、後は一回り小さい茶の間でコタツに入って節約することにした。だが毎回書いているようにコタツに入ると眠くなるし、どうも理由はよくわからないがコタツが苦手、というか座椅子に座っているのが苦手になってしまった。疲れるしどうにも落ち着かない。足腰とかがよほど弱っているのか。去年父の葬儀後しばらく茶の間のコタツで過ごしていて最終的に煮詰まり、春ごろからずっと台所で過ごしていたことを思い出す。茶の間にいると閉塞感を感じるし、テレビをほとんど見ないし。書斎で音楽をかけながら机に向かっているのが一番楽なことは楽だ。

今夜は昨日に比べるとそれほどうつが酷くない。まだ多少顔と手が痺れているけれど。帰宅後はオリンピックもさして見るべきものが見当たらないので、なんとなくFX。今日はアメリカが休日ということもあり、値動きが少ないのでちまちまとスキャルピングの練習。

精神的にはまだ完全には立ち直れていない。眠くなるのが早い。それにしても(北)関東周辺の雪害、深刻なことになっている。一昨日頼んだコーヒーの生豆がいまだに届かないのも雪のせいだろう。それでいて雪国のこの辺はそれほどの雪ではないところが不思議だ。昨夜弟に電話したら、仙台は40cmぐらい積もっているということだったが。

そんなわけでもう眠い。今日も早く寝てしまいそうだ。出来ればいい夢を見たいのだが。


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擬死、他人の顔

最近にない極度の抑うつ状態で完全な廃人状態。というよりむしろ死体に近い。身体が思うように動かない。手と顔の痺れが酷く、他人の顔が貼りついているようだ。頭は鈍痛、気分が悪い。もうどれぐらい天井を眺めて放心していただろうか。3錠目の安定剤をさっき飲んだが、どうやら無駄なようだ。身体が強張って重く、力が入らない。今日は風呂に入れそうにない。これだけ酷いのはいつ以来だろうか。何も出来ない。

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雪の土曜日

昨夜はあれからフィギュアスケートをちょっと見た。羽生結弦を生で見るのは初めてだったが、ジャンプで2回失敗したので僕が見たせいかなと思ったが、結果的に金を取れてよかった。今日になってようやく、最高点を取ったショートプログラムの演技を見たが凄かった。なんていうか、姿がいい。フィギュアスケートに対して懐疑的でもありさして興味がない僕でも素晴らしいと思った。対して、パトリック・チャンは何をやっても姿が悪く、これではどうやっても羽生に勝てないなと思った。

大迫先発の1860ミュンヘンの試合も最後まで見て、大迫は惜しいヘディングシュートが2つほどあったが得点は出来ず。1860ミュンヘンのサッカーは大雑把で、クロスの精度もあまりないし正確なラストパスなんてまず来ない。パワーサッカーになりがちでパスを組み立てて崩すということがなかなか出来ない。それでもその中では大迫の技術は突出して見えた。数少ないチャンスでもそのうちまたゴールを決めるだろう。結局寝たのは朝の5時過ぎ、しかし不思議なことに7時の寺の鐘で一度目が覚め、二度寝したものの8時には起きた。5時間昼寝したので足し算では辻褄が合うものの、不思議だ。朝食後に胃の辺りから眠気が案の定湧いてきて、やっぱり睡眠不足気味かと思ったがなんとか夕方まではもった。

今日は各地で雪で死者が出たり大変なことになっているようだが、こちらも朝から凄い勢いで雪。一応朝雪かきはしたものの、降り方の割にはそれほど積もらず。午後になって雨混じりになったせいもある。あまり雪の降り方が凄いのでどうしようか迷ったけれど、朝からまた寝直すというのも関心しないので結局業務に行き大敗。上手く行かないものである。

その後は母の病院に行き、土日はリハビリが休みなので歩く練習などをさせてみたけれど、車椅子から手助けなしでも立てるようになっていた。随分な進歩だ。今日も母は元気がなく、父の戒名を覚えられないことを情けないと嘆息してばかりいるので、戒名を書いた紙を渡してあまり気にせずにゆっくり覚えればいいと言ったものの、紙を渡したのは逆効果だったかなと今になって気になっている。悪い方に拘るのはあまりいいことではないので。

先月からのこの1ヶ月あまりの灯油代がちょっと洒落にならないことになっているので、節約しなければとこれまで書斎と台所の暖房を入れていたのを止め、茶の間の暖房とコタツでなるべく済ませようとコタツでなんとなくオリンピックを見ていたら案の定気絶、気がつくと6時ごろになっていた。1時間半ぐらい寝ただろうか。夕食は昨日に引き続き焼肉。

その後後輩のM月くんからLINEで電話があり、FXの話で長電話。で、彼がかれこれ足かけ5・6年もFXの自動売買のプログラミングをやっていて、それでもFXで食えているわけではないので、やっぱりFXで食うのは難しいのかなと思う。話していて、自動売買のプログラミングそのものがどうも錬金術に近いのではないかという感じを受けた。つまり、不可能を可能にしようという試みに思えた。FXというか、為替相場というもの自体、不確実性そのものなのではないかと。まあじゃあそれでFX止めるのかというとそうではなくて、僕は僕なりにもう少し検証してみようとは思うけれど。なんとなく文系の勘だけれど、いかに(方法論を)単純化するかとどういう段階を踏んでいくかということがポイントのような気がする。ドラムのミヤザワにはミクシィ経由で早く億万長者になって俺に投資してくれと言われたけれど、たぶん無理。

なんかさっきから脇腹が痛くて気になる。明日も大雪の予報。どうしようか。だが、どうにもコタツに入っていると自動的に気絶してしまう。

そんなわけでジェイムズ・エルロイ「アメリカン・タブロイド」読了。面白かった。とにかく読みやすい。回りくどい情景描写や心象描写、余計な比喩は一切ない簡潔な文体。登場人物のほぼ全員が悪人というかまともな人物ではなく、映画のように小刻みにシーンを積み重ねることで目まぐるしく進む悪夢のようでいて、それでいて前述のように文句なく面白く、ある意味悲惨な結末に突っ走るのだが後味も悪くない。初期の短編とか読むと拙いのだけれど、LA四部作以降のエルロイはとにかく巧いなあと思う。この三部作もいずれ全部読もう。

今夜のBGMはノルウェーのピアノトリオ、Helge Lien Trio。


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