悪夢

それはもう恐ろしい悪夢を見た。父が倒れて以来、生き地獄のような現実を生きているけれど、それ以上に恐ろしい夢だった。怪物や悪霊に次から次へと襲われては命を狙われる。逃げても逃げても襲い掛かってくる。あまりの恐ろしさに途中で目が覚めた。すると、次に会社を辞める夢を見た。これも一種の悪夢、過去の追体験である。そんな風にじわじわと僕は現実に引き戻され、8時25分に携帯のアラームが鳴ってようやく起きる気になった。

一日中雪が降ったり止んだりしていた今日、夕方買い物に出かけた以外はほぼ家の中に閉じ籠っていた。午前中に葬儀屋が表飾りを引き取りに来た。午後はずっとコタツでYouTubeを見ていたが、町内会の区長がやってきて、ゴミ当番のやり方や町内会費の集金について説明していった。区長の爺さんは何故か不機嫌そうで、僕は何か理不尽なことを押し付けられているような気になって憂鬱になった。実際、ゴミ当番というのは一人所帯で仕事をしていたらまず出来ない。そういうときはどうしたらいいのだろうか。そういう、分からないことは数え切れないほどある。それらがすべて憂鬱のタネとなる。

夕方は母にいまだに父の死を教えてやれないことに関して物凄く苦しむ。

夜は香典をエクセルに記録していく。香典袋をすべて記録した時点で一旦保存して、それから会葬者名簿から住所や電話を入力していく。と、途中でエクセルがフリーズして、入力した住所がすべて消えた。むむ、やり直す気力が失せた。続きは明日やろう。

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夕方弟が仙台に帰り、僕はまたひとりになった。家の中はしんと静まり返った。すると、僕は寂しくて寂しくて、死んでしまいそうになった。まるでウサギみたいに。月曜に父の心臓が停まってからというもの、ずっと放っておいてくれと思い続けてきたのに。これまでの人生の半分以上をひとりで暮らしてきたというのに。まったくお笑い種だ。

昨夜は12時過ぎに床に就いたものの、なかなか寝付けなかった。なんというか、頭の中を現実が渦巻いて。しょうがないので睡眠薬のレンドルミンを不本意ながら1錠飲み、1時過ぎにようやく眠れたようだ。朝は8時過ぎに起きた。初七日の法要のため、10時過ぎに弟と寺に向かう。今日は朝から雪が降っていた。寺の本堂で法要を済ませ、住職の奥さんに今後の法要のやり方を聞いた。すると、二七日から六七日までを次回都合のいい日にまとめてやってしまい、四十九日に納骨と百か日を同時に行う、ということだった。まあ、昨日考えて気が狂いそうになった法事だが、少しは分かりやすくなった。集まった親戚は、叔母一人を除いて現地解散、その叔母もすぐに帰り、昼食は弟と2人で冷たい肉そばを出前で取って食べた。

弟が帰って一人きりになると、途端に何もする気になれない。ただひたすら孤独に思えるだけ。夕食後、弔辞を読んでくれた人にお礼の電話、のちBSで女子ジャンプのワールドカップをコタツに入って見る。1日で2勝をあげた高梨沙羅の強さは半端ない。機械仕掛けのようにオートマチックに飛んでいるように見える。束の間の慰めになった。後はひたすらネットをうろうろして、夜が更ける。明日からは少しずつ、いろんなことを片付けていかなければな。

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現実逃避願望

どうも例の朝目が覚めたときから絶望するパターンが再来してきた模様。悪夢というほどではないが、迷ってばかりで出口のない、非常に後味の悪い夢ばかりを延々見ているのにも関わらず、布団から出たくない。それだけ現実に関わりたくないという意識が強く働いている。それでも目覚ましをかけている8時25分より前には起きる。

天気予報では午前午後とも50%の確率で雪が降るとのことだったが、今日は終日天気がよかった。土曜日ということもあり、本日の弔問客は7人。終日気が滅入っているので相手をするのが辛い。葬儀屋が置いていったパンフレットを見て、五七日や四十九日の法要のことを今から考えて、物凄く憂鬱になる。今の僕は何事に関してもまったくといっていいほど自信が持てない。よって、法事ひとつ取っても物凄く面倒くさいことに思えるし、僕にはまともに執り行うことが出来ないのではないかという強い不安にとらわれる。夜にはパニック障害が再発しそうになるし、ちょっと油断すると気分が塞ぎ、常に抑うつ状態すれすれのところにいる。とにかく、この先の法事関係のことを考えるだけで胃潰瘍になりそう。それ以外のことを考えると今度は絶望してしまい、希死念慮らしきものが湧いてくる始末。

そういえば昨夜は処方された薬が効いたのか、就寝時の咳はそれほどでもなかった。明日は初七日。弟は明日仙台に帰る。ここを乗り切れば少しは楽になるのか、ならないのか。もう何もかも投げ出してしまいたい。マジで。

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昨夜、床に就いてから咳が止まらなくなり、永遠に続くのではないかという感じで、これでは眠れないのではないかと思うほどだった。

今日は弔問客は2人だけ、午後は弟に留守宅を任せて父が入院していた病院→母が入院している病院→町役場の順に回り、諸々の手続きをする。ノロウイルスの患者が出たということで、母の面会は来週一杯ぐらいまでダメということで、これはちと精神的に応える。一旦帰宅してから、昨夜のこともあり、前回も診てもらった近所の内科医に。咳止めとかの薬をもらう。町内の叔母(父の姉)が持ってきてくれた煮物で弟と夕飯、しかし夜になってまた咳が出始めてなかなか止まらない。困ったものだ。相変わらず気が滅入るというか、気分が塞ぐ。

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煩悶

8時半起床。昨日ようやく父の葬儀を終えたというのに、心はまったく安んじない。それどころか、いたたまれなく、ささくれだっている。朝から昨日の葬儀に出られなかった弔問客が訪ねてくる。10時には葬儀関係を任せた叔父夫婦がやってきた。昼過ぎ、僕はとうとう切れてしまった。些細なことから弟を怒鳴り付け、食って掛かった。もしかしたら母同様、僕も被害妄想に蝕まれつつあるのかもしれない。疎外感が半端ない。結局、弟に怒鳴ってしまったことで疎外感は一層増すだけだった。夕方、弟の奥さんと長男が仙台に帰った。僕と弟だけが残った。弟はどうやら僕に気を使っているようだ。こういったことが何もかも最悪に思える。夜は母が最初に放心状態になったころを思い出し、気分が塞いでしまう。

今日1日で7人ほどの弔問客がやって来た。合間に保険や年金関係の書類を整えようと試みるが、母がいないと肝心の書類がなかなか見つからず、多大な労力を要する。町役場に戸籍謄本やら何やらをもらいに行ったものの、父と母の住民票は僕が別世帯にしてしまったために母の委任状が必要なことが判明。いちいち面倒なことこの上ない。

なんていうか、何もかも行き詰っている感じがして、気が滅入って仕方がない。母が延々と呟く呪詛のように、すべてが最悪な方に流れている感じがしていたたまれない。救い難い気分。

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痛恨、不覚

そんなわけで、ようやく父の葬儀が終わった。前回の日記に斎場と書いたのは、葬儀会場の間違い。斎場は火葬場のことだった。

昨夜は弟一家と会場の宿泊施設に泊まり、今朝の8時半に出棺、9時に火葬、13時から葬儀。まあなんつーか、母の入院からの一連の流れで喪主を務めるのは、あまりにもへヴィーだった。12月の18日に父が脳死だと聞かされて以来、既に父に関しては踏ん切りはついており、これまで涙を流したことは一度もなかった。なので、元来人前で話すことはむしろ得意であることもあり、喪主の挨拶の原稿は用意しなかった。ところが、どういうわけか喪主の挨拶をする段になり、最初の一言、本日は時節柄もあり雪の日になってしまいました、と言ったところでどういうわけか不覚にも言葉に詰まってしまい、それは別に次の言葉が浮かばないのではなく、声が詰まってしまったのだった。確かに風邪で喉はやられてはいるけれど、その後ようやく振り絞った僕の声は明らかにか細い涙声であり、なんとも不可思議なことに実に無様な喪主の挨拶になってしまった。まったく痛恨の極みだ。特に感極まったわけでもないのに、一体僕に何が起こったのだろう。たぶん、僕の精神力はとうに限界に達し、喫水線をオーバーしていたのだと思う。その前の読経や弔辞の最中に、僕は最前列で何度も寝そうになっていた。で、喪主の挨拶の段になって、僕の精神は遂に決壊してしまった、というわけだろう。一度決壊してしまうと、その後の会葬者の見送りでも涙ぐんでしまうという醜態を晒してしまった。

そんなこともあり、葬儀が終わったと言ってもすべてが終わった感じはまったくせず、自宅に来た親戚一同がなかなか帰らないのが苦痛で仕方なかった。で、ようやく叔父叔母の一組を残して親戚が帰ったところで、着替えて母の病院に行った。書類を揃える件、昨日判明した肺炎の治療の件、パジャマや下着等の替えを持っていくこと、母の調子がよければ父の死を知らせること、とにかく今の僕には父のことよりも母のことの方が大事だ。ちなみに昨日の朝医師から電話があって、腎不全の疑いがあるということで急遽母を(総合)病院に連れて行って、諸々の検査を行った結果、腎臓は大丈夫なものの、重い肺炎にかかっていて治療が必要とのことだった。

病室に入っていくと、今日の母は昨日よりずっと妄言が酷かった。妄想の度合いはずっと酷かった。話している母を見ていて、今度こそ本当に泣きそうになった。まったく今日の僕は涙もろいというか、単にもろい。果てしない絶望を抱えて帰宅する羽目に。

帰宅して弟一家とコタツでサッカー日本代表の親善試合、ラトビア戦を見たりするが、弟一家はあまりにも幸せそうに見えて、今の僕と相容れるところは一切ないように思える。葬儀が終わっても、日曜日には初七日があり、その間にも葬儀に来れなかった訪問客があるだろう。本当の意味で解放されるのはまだ当分先、というか、そんなものは本当に訪れるのだろうかと思える。とにかく今の僕は、ありとあらゆる人に放っておいて欲しいのである。

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X-Day

今日の午後2時34分、父が死んだ。たった今親戚連中が帰ったばかりで、正直あまりにも疲れ果てていて詳しく書く気にもなれない。明日の午後、斎場に搬送して夕方納棺、明後日の朝出棺後に火葬、午後に葬儀、という予定。とにかくストレスが物凄い。今はただ、早くすべて終わって欲しいと思うだけ。次の更新は明後日の夜になるだろう。

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カウントダウン

まだ夕方の7時を回ったばかりだ。ビル・エヴァンスを聴きながらこれを書いている。先ほど父の担当医から携帯に電話があって、父は今晩か明日には亡くなるだろうとのことだった。早めに夕飯を済ませて、父の遺体を置く予定の座敷を片付けて。後は何をしていいのか分からない。ひたすら片付け続けて備えるべきなのかもしれないが、正直言ってそこまで物事をやり続けるだけの気力が今の僕にはない。何かを完璧にやり遂げるほどの精神力がない。かといって、このままただ病院からの連絡をひたすら待つのもいたたまれない。母に会いに行きたいけれど、正気ではない母に会っても何も出来ないし、何の慰めにもならないし、ただダメージを受けるだけだろう。もし父が亡くなっても、今の状態では母にそれを知らせることも出来ない。悪い状態の母に知らせることは出来ない。

僕は弟が嫌いになってしまった。父の葬儀の手筈を任せている叔父も、母の入院時に世話になった叔父も、みんな嫌いになりそうだ。いつまでこの悪夢は続くのだろう。いつになったら、この一連の悪夢は終わるのだろう。結局のところ、僕に出来るのは、何かが終わるのをただ待つことだけではないのか。まったく、こんな風に生きるのは救い難い。考えてみれば、僕は今朝目が覚めたときから既に絶望していたのだった。

しんと静まり返っただだっ広い家で、ただビル・エヴァンスのピアノだけが漂っている。そして僕は蒼ざめた顔をして、なすすべもなくただ待っている。胸がつぶれそうって、こういうことを言うのだな、と僕は思う。

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絶望と妄言と

下北沢に新しい街が出来て、そこから新しい線路が伸びて帰れなくなるという夢を見た。以前は駅まで辿り着けないという夢が多かったが、今回は路線がどう乗り換えても繋がらないという夢だった。例によって7時に鳴る寺の鐘で一度目を覚ましたものの、今度はネイティブ・サンという日本のジャズフュージョンのバンドの夢を見た。結局、起きたのは9時。我ながら随分寝るものだ。

朝食後、気になったのでYouTubeでネイティブ・サンを聴きながら調べてみると、リーダーでキーボードの本田竹廣、ベースの川端民生、ギターの大出元信の3人が既にこの世を去っていた。皆若くして鬼籍に入っている。僕はもともとネイティブ・サンを熱心に聴いていたわけではないので、こういう繋がり方はどこか気が滅入る。救いがない感じがする。弟から10時前にメールがあり、これから日帰りで仙台から来るという。

弟は昼前に到着した。2人だけでコタツに入っているとどこか重苦しい空気が流れる。オーブントースターで焼いたピザトーストの昼食を摂ると、弟の車でまずは父親の病院に向かった。父は尿の量がさらに減って、顔色も白くなり、明らかに悪くなっていた。看護師に訊くと、先日頼んだ父の診断書はまだ出来ていなかった。結局30分ほどで病院を出て、母の入院している精神病院に向かう。病室に入ると母は眠っていた。3日振りに見る母は痩せて見えた。向かいのベッドの女性が母を起こし、目を覚ました母は僕ら2人を見てとどまることのない妄言を吐き続けた。それは悪罵と言ってもいいものだった。あるいは呪詛だ。最近のローテーションからすると、今日は調子のいい日であってもおかしくはなかったのだが、実際は悪い方の人格だった。話を聞いていると、悪い方の人格の記憶はそれなりに一貫しており、いいときの人格の記憶とは異なる。母の状態は解離性同一性障害(DID)、つまりかつて多重人格と呼ばれていた状態に非常に近い。いいときと悪いときではまったく別の人格になってしまう。で、ほとんどの時間を悪い方の人格が占めている。母の妄言は前回来たときと同様、入院する前よりも酷くなっている。やはり叔父の言うように、今は病院を訪れてもただ気が滅入るだけかも知れない。そこにあるのはただの失望である。

弟は僕を実家で降ろすと、そのまま仙台に帰って行った。後に残された僕が覚えたのは絶望感だった。どうにも救い難い気分に陥る。毎日何も出来ないうちに日々が過ぎていき、父の死は確実に迫っている。一方で母は一向に回復の気配を見せない。どう考えてもこのままの状態で父の死を迎えてしまうのは明白だ。この、何もかもよろしくない方向に向かう流れは一向に変わらない。物事はひたすら僕が気が滅入る方向に流れる。

本日唯一の楽しみであった、スキーの女子ジャンプのW杯も期待外れの結果に終わり、ただ失望をもたらしただけだった。夜、何をしたらよいか分からなくなり、3ヶ月振りにギターを引っ張り出して少し弾いてみた。もちろん、指が上手く動く筈もない。半年以上かけてようやく動くようになったのに、また振り出しだ。風邪も一向に治る気配がない。

結局今晩は風呂に入った。気分を変えるものが他に見つからないから。まったく酷い一日としかいいようがないが、それでも今日は発見がひとつあった。オランダのジャズギタリスト、Martijn van Iterson。

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田舎の医者

燃えるゴミを捨てるために、7時過ぎ起床。毎朝、向かいの寺の鐘が7時に鳴るのでそれで目が覚めるのだけれど、寒いのでどうしてもまた寝てしまう。今日はいい加減ゴミが溜まっているので何がなんでも捨てなければと、なんとか起きた。

朝食後、風邪のせいでダルく、コタツで2時間ほど気絶してしまう。そういえば昨夜も喉が痛くてなかなか寝付けなった。目が覚めても何をしたらいいのか分からない。おまけに今日は実にいい天気だ。で、足を洗って封印した筈の業務を遊びで4時間やってしまう。なんつーか、罪悪感を覚える。時間が遅くなったので、あまり行ったことのない蕎麦屋で昼食。地元の名物である冷たい肉そばを食べたが、この店まずい。もう2度と行かない。一旦帰宅して、玄関前の雪かきをしてから、まずは母の病院に電話をして様子を聞いてみることに。ところがケースワーカーが外出中ということで、かけ直してもらうことになった。いまだにダルいので、風邪薬を処方してもらおうと母のかかり付けである近所の内科医に行く。待合室で待っていると母の病院から電話があり、結局看護師から様子を聞いた。昨日はあまり食べず点滴を2回したらしいが、今日は朝と昼はほぼ食べたとのこと。気になっていた夜は、ぐっすり寝ているとのことだった。同室の患者に迷惑をかけているのでは、と訊いたが、そうでもないからあまり気にしないようにと言われた。今日はどうやら1日眠いらしく、来るのなら明日の方がいいと言われた。話を聞く限り、叔父が言うほど見舞いに行くことにナーバスになる必要はなさそうな感じではあった。

内科医の待合室は、椅子の置いてあるスペースとは別に畳の間があり、いかにも田舎の医者の待合室という感じだった。待てども待てども、いつまで経っても呼ばれず、結局診察室に呼ばれたのは1時間以上経過した5時を回ってからだった。高熱ではないから普通の風邪だが、喉がかなり酷い炎症を起こしているとのこと。ずっと母を見てくれていた老医師に、母は入院しているので当分来れない、と事情を話す。最初に安定剤を処方してくれたのもこの医師だ。あまり人に宣伝して回るような話ではないが、やはり話しておかざるを得ないだろう。抗生物質と炎症の薬をもらって帰る。今日は風呂に入るなということだった。

結局、今日は父親の病院にも母親の病院にも行かずじまい。夕食後、だんだん精神的に参ってくる。一人でいるのが応える。よって、ノートパソコンにスピーカーを繋ぎ、久しぶりにまともに音楽を聴いてみる。あ、忘れてた、夜、鼻血。

今日聴いたもの: 山本剛トリオ「Autumn in Seattle」。

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