セッションと死体

11月20日、日曜日。

どうも今日は日曜日という感覚が薄い。土曜日っぽい。なんでだろう。

朝目が覚めたら10時38分でしまったと思ったのだが途端に12分ワープして10時50分起床。まあ日曜だからよかったようなものの。で、起きてみると喉がからからで痛かったので風邪でもひいたのかと思った。気がつくと治まっていたけれど。

今日はお試し期間中のNetflixで映画を2本見た。ひとつめはデミアン・チャゼル監督「セッション」。公開当時結構話題になったのを覚えていた。またまたツイートを引用しよう。

ツイートにも書いたがジャズドラマー(を目指す若者)を主人公にした典型的なスポ根もの。鬼教師のフレッチャーがさしずめ「巨人の星」での星一徹というところなのだが、どうにもこのキャラクターが極端で。この手の音楽もののお約束として、最後に見事な演奏があってカタルシスという構造になっている。この映画の場合は非情なフレッチャーと演奏を通じてアイコンタクトする場面で終わっている。これはこれで映画としては面白いので音楽云々というところに全部目をつむればそれなりに溜飲が下がるのだけれども、主人公が何故見事な演奏ができたのかという音楽的理由が抜け落ちていて(この映画のまま受け止めると、まるで「悔しくて」いい演奏ができたというような奇妙なことになっている)、いわゆるドラム合戦的な決着のつけ方と似たりよったりな感じ。つまり、スポ根と書いたように音楽の話なのにまるで勝ち負けの話のような構造になってしまっている。だからなんだか後味が奇妙なのだ。すっきりしない。

そういう点では、同じく最後に見事な演奏でカタルシスを覚えるという分かりやすい構造の映画「オーケストラ!」の場合は、バラバラだったオーケストラの演奏がメラニー・ロラン演じるヴァイオリンのソロイストのあまりに見事な演奏に引き摺り込まれるようにひとつになっていき、素晴らしいハーモニーとダイナミクスを作っていく。その過程があまりにも音楽的であったので、コメディー映画なのに僕はこの演奏シーンを見てぼろぼろと泣いてしまった。

この2つの映画はラストの構造自体は似ているが、動機の音楽性という部分で対照的なものになっている。「オーケストラ!」の方が純粋に音楽的動機なのだ。だからそれまでのどたばたや馬鹿らしさはどこかに吹き飛んでしまい、ただ音楽が必然的に調和して構築されていくさまに感動する。そこを比較すると「セッション」のラストは無理があった。主人公と鬼教師フレッチャーの対立というところに拘り過ぎた。だから最後の演奏がどこか力任せのような印象を受ける。音楽的じゃないのだ。

2本目はドキュメンタリー映画「カルテル・ランド」。

題材が題材なので嫌な予感はしていたのだが、やっぱり出てきた。切り取られた首や吊るされた死体。これが現実なのだからしょうがないが、できればそういうものは目にしたくなかった。日本というあまりにも治安がいい国に住んでいるので、メキシコでの日常のあまりの落差に驚く。「シティ・オブ・ゴッド」のようなブラジル映画でも同じ印象を受けた。

死体と言えば。

近ごろずっと気になっているのが、うちの近所の普段は空家になっている家の庭に、ここ二週間ばかりずっと一台の車が停まっていること。その家は町外れの知的障害者の施設がたまに療養所的に使っていて、そういうときは車が2・3台停まっているし人の住んでいる気配が明らか。普段は前述のように空家。毎日車で前を通るので気になってチェックしているのだが、人が住んでいる気配はまったくないし車が動いた形跡もない。どう考えても不自然。で、もしかしたら運転手がアクシデントで車の中で死んでいるのではないかという気がし始め、毎日毎日通りがかってチェックしているうちにだんだん本当に死体があるような気がしてきた。「スタンド・バイ・ミー」的に。その空家の隣は小中学校で同級生だった女子の豆腐屋(工場兼自宅)なので、僕がこれだけ不審に思うのだから隣の家とか向かいの家とかが不審感を覚えて当然なはずなのだが……。これが都内だったら普通に警察に通報(違法駐車っぽいということで)とかしているところだが、田舎だとそうもいかない。一度気になり始めると気になって気になってしょうがない。こうしている間にも運転席で死体が干からびているかもしれないのだ。

そこでとうとう、今日の昼過ぎに業務に行く途中にその空家の前で車を停めて、恐る恐る車を覗いてみた。すると、運転席と助手席は空だった。とにかく、死体はなかった。ところが後部座席は窓にスモークが貼ってあって見えない。うむむ。一瞬後部座席のドアを開けてみるべきかと迷ったが、さすがにそこまでの勇気はなかった。もし開けて死体が出てきたら(どうもその発想から抜け出ることができない)洒落にならない。それに僕は一度逮捕歴があるので指紋を登録されているから、ドアに指紋がついたらいろいろと厄介だ。リアガラスの上の方から覗けそうだとも頭をよぎったが、とにかく僕以外は誰も気にしてないようでもあるし、好奇心を振り切って立ち去った。しかしながら、とすると死体があるとすれば後部座席かトランクの中だな、というような妄想がなかなか頭から抜けない。やっぱり警察に連絡した方がいいのだろうかとか考える。しかし田舎ってどうしてこういうときに気軽に警察に電話できないのだろうか。

そんなわけでこうしている間もあの広い家の庭先に小型車が頭を突っ込んでいる形で駐車している。もしずっとこのままで、雪が積もったりしたら一体どうなるんだろうか? そうなるとさすがに近所の人もおかしいと思うんじゃないだろうか。そこでようやっと死体が日の目を見るのだろうか。

とか妄想はいっかな止まない。あそこにあの車が停まっている限り。まったく、しょうもないことを気にし始めたもんだなと思う。

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夢のあとさき

11月19日、土曜日。

雨の日、本日の前半の印象はほとんどが朝方の夢が占めていた。いささか手抜きながら朝の連続ツイートを引用する。

前述のように外は雨で午前中から薄暗くてどんよりしていた。気分的には昼過ぎまで夢を引き摺る。昼過ぎから冷やかしの業務。その足で図書館に寄りコーマック・マッカーシー「ブラッド・メリディアン」を延長。スーパーに寄って買い物をして帰宅。午後Netflixで三池崇史監督「悪の教典」。夜BSで「獄門島」。その後DAZNで大迫先発のケルン対ボルシアMG、原口途中出場のアウクスブルク対ヘルタ。

もっとツイートを貼りたいところなんだけれどいい加減にしろと言われそうなのでこれぐらいにしておく。

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早起きとは何か

11月18日、金曜日。

というわけで早起きしてみた。アラームを使わずに8時10分に起きた。やればできる。もうちょっと頑張ればごみを出せる時間だ。つまりごみを出せる時間じゃないということは、世間一般の基準では早起きではないということなんだろう。そういえば一度、7時半ごろに町内会費を集めに来られて玄関で寝間着姿で頼むから勘弁してくれと言ったことがあった。朝の7時半に人の家を訪ねるというのは、警察が逮捕に踏み入るとかいうのを除いて、僕の基準では非常識という認識だった。それまでの自分の人生を鑑みて、ということだけれど。ただ考えてみれば朝9時からの会社に勤めたこともあったのでそれなりに早起きしていた時期はあったのだろう。ただし、その会社は遅刻を連発して新記録を作った挙句に一年で辞めたわけなんだけれども。

というわけで人並みの時間に起きたので東京市場の寄り付きから相場のトレード開始。しかし10時半ごろになってノーポジションになったときに猛烈に眠気が襲ってきて、結局ベッドに潜り込んで1時間ちょっと寝てしまった。こういうのはどう解釈したらいいんだろう? 8時10分足す1時間ちょっとで9時半ごろに起きたことと同じ計算になるのか? 根本的にそういうことじゃないのか? よく分からない。ただこれを書いている今深夜1時を回っていて、まだすぐに寝るつもりはないので、早起きしたから早く寝るという思考回路は僕の中にはない。僕の頭の中では「寝る」と「起きる」は別個に存在している。ただもうひとつ、「眠い」というのもあることは確か。

ここ最近気になっているのは、いつの間にか煙草を吸うペースが1時間に2本になっていることで、これでは計算上1日30本以上になってしまう。いやもっとか。8時間寝るとして32本。大体計算は合ってる。現に昼前に起きた昨日は煙草を吸い始めたのが昼過ぎからだというのに本数はむしろ増えた。何を言いたいかというと要するに早起きをするとその分煙草が増えてしまうのではないかと。早起きイコール早寝とならないということは。ただ実際問題として先日実家に戻ってからの一日の最高本数を更新してしまって27本、つまりああ今日は煙草が増えたと思っても25・6本でなんとか収まる。もちろん自慢にはならない。晩年の父は一日17本で、肺気腫なのに煙草をやめられない父に電話で意志が弱いだのへったくれだのと言っていたのだが、なんのことはない、自分の方がよっぽど意志が弱い。ああ今日は煙草が増えそうだと思ったらすぐに、前もってツイッターで「本日のルール。今日は何本吸ってもオーケー」などとツイートして先に言い訳をする始末。その上で市川崑は90歳過ぎても一日百本吸ってただの、倉本聰はだの筒井康隆はだの、誰それの親戚は毎日60本吸って90まで生きただの、あれこれと免罪符ばかりを探す。とはいうものの、なんとか多くても26本程度に収まっているのは、「何本吸ってもオーケー」と宣言したからといって闇雲にバカバカと無制限に吸っているわけではないのである。いや、これも自慢にならないな。

早起きに話を戻すと、困ったことに明日(日付が変わったから今日)から土日なわけで、土日というのはまったくもって早起きする理由がなく、むしろ休日の午前中というものがことのほか苦手で何をしたらいいのかさっぱり分からなくなる。ということで、明日の朝は一体どうしたらいいんだろう? つか、一体僕は何時に起きるのだろうか。

むむ、ちと眠くなってる。これが早起きというものなのか。うーん。

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ワープ

11月17日、木曜日。

昨夜恋ダンスの振り付け解説の動画をYouTubeで見たんだけど、難し過ぎて俺には無理。とても覚えきれない。

それはともかく。

何やら夢を見て朝目が覚めたら8時台、まだいいかと二度寝して次に目が覚めたら10時半だったのでしまったこれは起きないとと思ったのだけれど、何故か次の瞬間に11時38分になっていた。呆然。ワープした。なんで1時間もワープしたのだろう。それでなくても今週10時前に一度も起きられていないのに。まさに人間失格。

そんなわけだから朝食後の珈琲を飲み始めた時点で既に昼を過ぎている。なんてこった。このところ試しに三日ばかり続けてオルニチンを飲んでいるんだけど、どうやら朝早く起きられるかどうかにはまったく関係ないようだ。たまたま最初に飲んだ翌日に眠くならなかっただけで。いや、そういえば今日も眠くならなかったのでその辺は少しは効果があるのだろうか。いや、そもそも起きた時間が時間だから眠くならなくて当たり前だ。いずれにせよ昨夜は寝たのが3時半過ぎで遅過ぎた。

とぶつぶつ言っていても仕方ないので相場で頑張ることにする。というわけでちまちまと相場のトレードを始めたのだが、2時ごろにちょっと上に持って行かれて損切りした。で、どうもこの損切りが気になってその後の調子を崩す。目先をドル円からユーロドルに変えたのが失敗だった。戻り売りをしているつもりが夕方から上がる一方になって指値が2つつき、その後夜まで延々と含み損を抱える羽目に。今日は損切りを嫌がったのでポジション量が増えて二の矢三の矢が撃てず、ただただチャートを眺めるしかなかった。含み損を抱えたまま母のところに面会に行くが、母は口数が極端に少なく、ちょっと喋ったかと思うとまた少し被害妄想傾向が出ていた。帰宅後、正直ストップを食らうのを覚悟したがまだポジションは生き残っていた。しかしどういうわけか今日に限っていっかなユーロが下がらない。そのうちまた上に持って行かれてひとつストップがつく。だが一応まだ5つポジションは残っていて、あとはただ祈るばかり。10時のイエレン議長の発言で動いたときも気が気ではなかったがなんとか生き残り、もう後は10時半のやたらと数が多い指標を目をつむって待つばかりとなった。で、結果なんとか下がってくれてちょっとだけプラスになったところで逃げる。ああ疲れた。結果的には日中の損切りと夜についたストップの分のマイナスになったのだが、今日のところはなんとか生還できただけでありがたいと思わなければ。まあ今チャートを見るとそのまま持っていればトータルプラスまで行けたみたいだが所詮そんなものだ。後の祭り。

今日は早く寝よう。もう我慢ならんので明日はアラームをかけようかな。8時半ぐらいには起きたい。頼む。今日は遅く起きたわりにはストレスで煙草ばかりが増えた。どうでもいいけど相場の日記みたいになるのは避けたい。次からはやめよう。

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キス

11月16日、水曜日。

今日の日記はたいして書くことがない。相場も見てるだけだったし。またしても朝起きたら10時半近かったということで、先週の土曜日からずっと10時前に起きたことがない、ってことぐらい。だから朝食後の珈琲を飲みながらツイッターのタイムラインをさかのぼって昨日の試合の記事を読み、またリアルタイムでTLを追っていると昼を過ぎてしまう。夕方精神科。夜は……何をしていたのかいまひとつ記憶がない。たぶん何もしていないんじゃないだろうか。10時半の指標から相場のチャートを見ていたけれど、結局見ていただけ。あとはSpotifyでちょこっと音楽を聴いたりYouTubeを見たり。

そんなわけだから、今日の日記なのに昨夜のことを書く。

代表戦の興奮が冷めやらぬうちにドラマ「逃げ恥」を見ていたんだが、ラストで星野源が新垣結衣にキスしたのに年甲斐もなく物凄く驚いてしまった。まあそれだけ彼らの役柄に感情移入して見ていたということなんだろうけど、その後はたと思ったのだが、もしかすると僕はこの先一生もうキスすることもないかもしれない、ということに気づいたのだった。先日阿川佐和子が63歳で結婚するという記事を読んで、俺もまだまだ可能性があるんじゃないか、もちろん結婚じゃなくていいんだけど、とか思ったのだけれど、考えれば考えるほど、この田舎の実家で一人暮らししている限りもうそういった可能性はゼロなんじゃないかと思えるのだった。それはつまり、もう僕はこの先キス、ただの形式ではないキスをすることはもうないだろうということだ。

考えてみると僕はキスを経験するのが遅かった。高校のときに生まれて初めて付き合ったアサギとはキスひとつしなかったし手も握らなかった。初めてキスをしたのは20歳のときで、居候先である黒姫のペンションの裏手で同じく居候をしていたレミとだった。そのときレミは煙草を吸っていて、初めてのキスは煙草の味がした。それは今でも鮮明に覚えている。

その後、20代の後半以降カンブリア紀の爆発みたいに阿呆のように女の子と関係しまくって、これまでのところ大雑把に言って60人ぐらい(プロを除く)だと思うが、そんなに少なくはないけれどかといってやたらと多いわけでもないと思う。すなわち僕はこれまでの人生に於いて少なくとも60人とキスを交わしているわけだけれど、ちょっとびっくりするのは鮮明に感覚を覚えているのは最初のキス、あの夏の日の煙草臭いキスだけなのだった。

まあそれが僕にとってどういう意味を持つのか、僕の人生に於けるキスとはどういう位置を占めるのか、それはちょっと判然としないし判然とする必要もないだろう。ただ僕はまだ童貞だった高校生のときにセックスよりもキスすることを夢見ていて、すなわち「キス=恋」みたいなイメージがあった。それが大人になった途端に出会ったその日にキスしたりということを平気でしてきたものだから、ケイと初めてキスしたときも、ジュンコと初めてキスした感触ももう覚えていないのだった。いつの間にか、「キス=恋」じゃなくなっていた。それは当たり前と言えば当たり前で、「キス=恋」みたいなものがある種少女漫画的妄想なのかもしれない。

それはともかく、つい数年前までキスなんてなんてことはなかったのだ。それはどうってことはない日常的なことだった。気がつくとそれが随分遠いところにあるような気がして、なんだかまた自分がキスに憧れていた高校生のような、縁遠いところにいるような気がしてしまうのだった。

果たしてこの先、僕はキスすることができるのだろうか? そして、できないとすればそれは何を意味するのだろうか?

とか考えそうになるのだが、たぶんそれは考えるようなことではないのだ。するときはあっさりするだろうし、しないからといってすべてを失うわけではない。ただね、もしこの先キスしないとすれば、僕は確実にひとつを失ったことになる、とは思うわけで。そこがちょっと寂しい。それは思ったよりも深刻でも切実でもない。そういうところにもちょっと寂しさがあるのだと思う。それでもドラマの中のひとつの切実なキスにはどきっとする。それだけでもいいんじゃないか、と無理やり思うことにする。

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うんこ

11月15日、火曜日。

今日の日記のタイトルが「うんこ」になるとは、自分でも想像だにしなかった。今日はなんといってもW杯アジア最終予選のサウジアラビア戦に尽きる。負けたらもしかするとW杯の道が絶たれるかもしれないという、まさにとんでもなく重要な試合だ。正直、ただ見ているだけの僕ですら緊張した。

ところが、なんということか、前半の試合途中に2回もうんこをしてしまったのである。うんこしている間に点が入らなかったのは幸いなのか。まさに予想だにできない展開。そして、驚くべきことにハーフタイムでもまたうんこ。一体何がどうなっているのか。

ということに自分でもびっくりしたのだが、途中2回もうんこしていたにもかかわらず、大迫はやっぱり凄かった。後ろからのボールめっちゃトラップするし。とにかくポストプレーが凄かった。こんなに前線でボールが収まる日本代表のフォワードを見たのは一体いつ以来なのか、ちょっと記憶にないほど。これでゴールさえ決めれば満点の出来だったが。

スタメンが発表されるまでは、大迫、清武、原口の三人が出ればなんとかなるだろうと思っていたのだが、その通りのスタメンになった。右サイドが本田じゃないのは予想できたが代わりに久保が先発というのはちょっとびっくりだった。日本は前半から気持ちが入っていていい試合だった。なんていうか、久しぶりに必死になっている日本代表を見た気がした。

それはそうと、その前半の途中に外で大きなサイレンの音がまるで空襲警報のように鳴ったのだが、あれは一体なんだったんだろう? 結局分からず仕舞い。ともあれ、前半のうちにPKを清武が決めて先制したのには本当にほっとした。

後半から本田が登場。相変わらずぱっとしないパフォーマンス。以前なら決めているだろうというチャンスを決めきれない。途中相手のファウルで足を痛めたせいだろうか、前半から攻撃の中心になっていた清武に代えて香川投入。もうホントに不思議なことに代表に来ると香川はコーナーキック以外の仕事ができない。ゴールの匂いすらしない。ところが、長友のクロスをその香川がヒールですらしたところを原口が決めて2点目。このままいけばサウジアラビアを抜いてグループ1位になれる。が、後半はサウジに押し込まれる場面も増えた。で、とうとう失点。やはり今の代表が強いといまひとつ思えないのはこういう失点があるから。これで尻に火がついてしまった。同点にでもされたら目も当てられない。できれば2点差で勝ちたいところだがもうそんなことは言っていられない。ということで、なんとかかんとか2-1でタイムアップ、勝ち点3という最低限の結果は出た。なんつーか、失点しまったことで勝ったとはいうもののなんかすっきりはしなかったのだが。

だから試合終了後もうんこしたのだろうか。

それはともかく、この後驚くべきことにタイがオーストラリア相手に2-2の引き分けに持ち込んでくれて、これで日本はようやっとグループ2位というW杯出場圏内で年を越すことになった。ふー。

事前に想定したとおり、大迫、清武、原口の3人の活躍がほとんどすべてだった。後半に投入された本田・香川・岡崎とは実に対照的だった。試合後の談話で、大迫が試合前に清武と「今日結果を出せなければ俺たちは終わり」と話していたということで、香川や本田こそがそういった覚悟を持って欲しいと強く思った。いずれにしろ、今日の前半で今後の日本代表のかたちが少し見えたんじゃないかな。

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来年の手帳

11月14日、月曜日。

来年の手帳を買った。というのも、3ヶ月後の2月に病院のCT検査の予定が入ったので、忘れないように書き留めておくためだ。今日は3ヶ月ごとの悪性リンパ腫の予後検査の日だった。8時半ごろに目が覚めて眠いなあと思った次の瞬間に2時間経過していたので、朝食後すぐに病院に向かった。いつものように血液検査をして、今日は診察をそれほど待たずに済んだ。

なんだか気がつくと血液検査は問題ないというのが当たり前になってしまって当然と思っている自分がいて。次回は一年に一度のCT検査。考えてみると首の付け根に腫瘍を見つけてからもう5年近くになる。あのとき腫瘍に気づかなかったら、あのとき帝京大学病院に行かなかったら、僕はもう死んでいたかもしれない。あのとき僕は既にステージ3だったし、PET検査(放射性物質を入れた造影検査)の画像を見ると上半身のいたるところが癌細胞だらけだった。肺の中にもあったし膀胱の辺りまで癌細胞はあった。脾臓は癌細胞で倍ぐらいにパンパンに膨れ上がっていたし首のところは気管を圧迫するぐらいにまでなっていた。だがしかし、脾臓は痛みを感じないし実際どこにも痛みはなかった。だから首の付け根に腫瘍を見つけなければ気がつかなかった。

帝京大学というと四大としては実にぱっとしない印象を受けるけれど、大学病院としてはいろんな意味で素晴らしい病院だった。施設、つまり環境としても素晴らしいし、何より最先端の治療を受けることができた。入院中、病院の脇を流れる川の向こう岸にある小さな公園に行っては煙草を吸った。病院の一階にあるドトールでエスプレッソのダブルを買って。ちょうど桜の散る季節で、川面は一面桜の花びらで覆われた。今思い出してもそれほど悪い思い出じゃない気がする。たぶんそれは結果がよかったからというそれだけの話なのかもしれないけど、それだけではない不思議な時間の流れ方をしていたように思う。

まだ入院する前、まだガンと確定していないころ、最初に生検のために腫瘍を切除する手術を受けた。手術室には控えめな音量ながらJ-POPが流れていた。女性ボーカルがハスキーな声で歌っていた。手術には女子学生がひとり、見学に立ち会った。2cm大の腫瘍を取り出すと、若い医者はその女子学生と僕に腫瘍を見せた。腫瘍は灰色だった。たぶん手術としてはまったく簡単な手術だったのだろう。鎖骨の上という場所的にもそうだったし、若い医者は手術中に鼻歌でも歌いだしそうな感じだったし、そのバックにはJ-POPが流れていた。そんなわけだから妙に緊張感がなかった。まるで他人事のように思えた。

そういったことから随分時間が経ったのだが、いまだに病院で過ごした時間は不思議と鮮明に覚えていていろんな感覚がよみがえる。抗がん剤治療のために通院していたころ、ある日受付で物凄く気分が悪くなって立っていられなくなり、看護師に大丈夫ですか? と言われて車椅子に座ったこと。聞こえないくらい小さい声でぼそぼそと喋る主治医。抗がん剤治療を終えた後の十条駅までの徒歩十五分の道のりが途方もなく長く感じたこと。なんとか駅のロータリーまで辿り着いて駅前の喫茶店で飲むカプチーノ。なんだかそういったことがいい思い出のように思えるんだ。

新しい来年の手帳のページに検査の予定を書き込む。それは僕にまだ来年があるということなんだ。

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A Song For You

11月13日、日曜日。

四度寝ぐらいして起きたのは10時20分ごろ。しかし眠い。気がつくと台所のテーブルに突っ伏して寝てしまうほど。オルニチンを飲んでみるが即効性はないようだ。午後、隣町のディーラーに行ってタイヤ交換。スタッドレスに替える。これで一応雪が積もってもオーケー。もちろん積もって欲しいわけじゃない。その後、何をしていたかいまひとつ定かでない。昨夜久しぶりにDAWソフト(いわゆるシーケンスソフト)を立ち上げて曲のミックスをいじったので、新しいノートパソコンの方にも同じソフトをインストールしたのだが、どうも音源のダウンロードが上手く行かなくて延々とダウンロードに失敗してはやり直しを繰り返していた。なんかうだうだしているうちに夜が更ける。深更、レオン・ラッセルの訃報。というわけで彼の”A Song For You” をギターで弾いてみる。以上という感じ。つまり本日はタイヤ交換ぐらいでさしたることは何もやっていない。と思う。

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地震で目が覚める、ノーカントリー

11月12日、土曜日。

朝6時43分の地震で目が覚めた。結構長く揺れたしそもそも目が覚めたくらいだから、もしかしてでかい地震なのかと一瞬びびった。しかし考えてみれば緊急地震速報は鳴らなかった。結局すぐに二度寝してしまい、あれやこれや夢を見て次に目が覚めたら11時だった。やってしまった感はかなりあったが、要するに久しぶりに8時間寝たというだけのことなのかもしれない。

そんなわけで朝食後の珈琲を飲んでいるともう昼。午後業務少々で煙草。母のところに面会。夜天皇杯川崎対浦和。延長後半で川崎が追いつきPK戦までもつれ込む、めっちゃ面白い試合だった。その後、久しぶりにコーエン兄弟監督「ノーカントリー」を再見。

なんかお隣の韓国はデモが凄いことになっていてどうなることやら。アメリカでも反トランプのデモ。世界というのはふと気がつくとちょっとしたことで激変しているという印象。そういえばソ連が崩壊したりベルリンの壁がなくなったりも随分唐突な感じがしたものだった。

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半端ない

11月11日、金曜日。

今朝も何やら夢を見て安眠を貪っていたら、固定電話が鳴って起こされた。朝っぱらから一体何事かと、もしかしたら親戚に不幸でもあったのかと電話に出てみると、リサイクルショップの営業だった。憮然。夢の内容もすっかりどこかに行ってしまった。そんなわけで9時前に起きた。眠かった。だが今日は夜にサッカー日本代表の親善試合オマーン戦があるので母のところにもいつもより早めに行かねばならず、よって相場は午後のそれなりの時間までしかできないから、本来であればこれぐらいに起きないとしょうがないことも確かだった。

そんなわけで朝食後から相場。ドル円を買い下がってナンピンしてしまったので、方向的には間違っていないと思いながらもひとつポジションを損切り、よって収支的には冴えず。残念だったのはユーロドルで、もう少し粘りたかったが母のところに行く時間になったのでほぼ同値で決済、これがよくある話でその後帰宅してみるとそのまま持っていれば……という感じ。実は帰宅後もユーロドルのショートを持ったのだが、やっぱり今日は泌尿器科に薬をもらいに行こうと思いまたもすぐに利食ってしまった。まあしょうがない。本日はサッカー第一なので。

というわけで親善試合、日本対オマーン、4-0。今日の試合はなんといっても前半だけで2得点した大迫と1ゴール2アシストの清武の半端なさだろう。大迫と齋藤学が先発というのでわくわくしたし、個人的にあまりにも大迫に期待しているので心配でもあったが、それを杞憂にしてしまうほど見事な結果を出した。今年の大迫はとにかくケルンの試合を見ていると素晴らしい出来で、リーグ2得点目のGKのニアを左足でぶち抜いたゴールなどはリアルタイムで見ていてまさに半端ない、圧巻のパフォーマンスだった。これで一番大事な次の予選、サウジアラビア戦でも大迫をワントップに据えるという明快な答えが見えてきた。齋藤学は逆にいまひとつよさを出せなかった印象。本田も動きが重い。初先発となった永木は最初こそパスミスとかあったものの徐々に慣れてそつなくこなした。その永木の出だしのパフォーマンスを見ていると、同じポジションの山口蛍の代表に於けるプレーがいかにいいかということも分かった。気になったのは後半選手交代をしてから。岡崎はボールロストが目立つし去年あたりと比較しても動きにらしさがないしキレがない。これではレスターで得点が少ないのも当然かと思ってしまう。正直岡崎のワントップではかなり不安。浅野もブンデス2部でのプレーもそうだが、代表でやるにはまだまだ未完成だ。ビッグマウス2世というかタトゥーまでしている小林祐希が利き足じゃない右足で最後ゴールを決めたのはご愛嬌。いずれにせよ6人を交代させて4トップみたいになった後半はなんていうか、チームの核を失ってしまったように見えた。前半の清武の役割を果たす選手がいなくなってしまった印象。ともあれ、本当に大事な次のサウジアラビア戦で、大迫というワントップの解が見つかったのはでかいと思う。これで次もちゃんと結果を出してくれればの話だけれど。

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