冷え性、体力

4月21日、火曜日。

午後、前立腺肥大で受診している泌尿器科。ようやく順番が回ってきて、最近体調が悪くて動悸がするのでこのところ薬飲むの止めてますだの、そういえば今日は朝からダルいだのと僕が説明していると、おもむろに医者が「寒がりですか?」と聞いてきたのでびっくりした。図星であるので。その、医者に行った2時過ぎは確かに暑かった。医者がそう言うのにはそれなりに訳があるわけで、恐らく僕の恰好が厚着だったのでないだろうかと思った。今日の僕の恰好はここ最近ずっと同じ、Tシャツに春物のセーター、その上にヨットパーカーである。その昔、大学に入学したばかりのころ、4月の僕の恰好といえば長袖のTシャツにGジャンだった。もちろん当時はまだ10代だったわけで体力も何も全然違うのだけれど、そんな風に言われてみれば確かに随分と厚着になったなあと思う。

結局医者は冷え性の人にも出す漢方薬(もちろん前立腺にも効く)を処方した。改めて、ああ俺は冷え性なのかと思った。

帰宅後、夕方になってずっとほったらかしだった庭をふと見ると、ここ最近の陽気で急に育ったのか雑草がそこら中に生えている。そこで、裏の方を中心に少々草取りをした。驚いたことにこのたかだか2・30分の草取りを終えて台所に戻ると膝ががくがくになった。驚異的な体力のなさである。その辺の老人よりも足腰が弱っている。少し真面目に考えなければならない。夕食後母のところに行ってやおら眠くなったのも草取りの疲れのせいかもしれず、そう考えると空恐ろしいほどの体力のなさである。

そんなわけで日中は暑いくらいだったのに、夜台所にいるとまた寒くなった。昨日と同じパターン。これはなんかの気のせいだと思って我慢していたのだが寒くてしょうがない。書斎の室温を見に行くと16度、まあ寒く感じてもしょうがないのかなと思い結局暖房を入れたけれど、どうも特に下半身が冷えている気がする。暖房を入れるとそのうち暑くなる。それで風呂に入って上がるとまた闇雲に暑いと感じる。これはたぶんナイトガウン(バスローブ)のせいではないかなと思う。その証拠に、朝起きて2階から降りて朝食を摂っている間は寒いと感じない。ナイトガウンを羽織っているから。

それはともかく、母のところで明日の天気予報を見ると、明日は最高気温22度で最低気温3度だと。寒暖差が20度もある。これでは寒くなったり暑くなったりするのもしょうがないし、下手すると風邪をひいてしまう。日中22度もあるのに朝は霜が降りるなんて。

前述のように今日は朝起きたときからやけに身体がダルく、いつもよりさらに集中力がなかった。再読中の丸谷才一「たった一人の反乱」、もう少しで読み終わりそうなので一気に読んでしまおうと思っていたがどうにも集中力が続かず。相場もバイト代を利食いした程度。まあ確かにここんところの相場は難しいのだが。夜はドラマ「ユートピア」の2話の残りを見たり、いろんなことをちょこまかとやったに過ぎない。思うに、今日衝撃を受けた体力のなさが集中力の欠如にかなり影響しているのではないかと思う。かといって体力をつけるにはそれなりの集中力が必要な気もするし、複雑な気分だ。

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寒かったり暑かったり

4月20日、月曜日。

相変わらず体温調節がバカっぽい。午後業務から帰宅後雨が降ってきて寒い気がして暖房を入れた。すると、何故か途端に眠くなった。今日も9時近くに起きて7時間以上は寝ているのだが。なんか寒いし眠いしで久々に昼寝をかまそうとソファで毛布を被った。すると、胸が詰まる感じが気になって上手く眠れなかったのだが、毛布を被っても寒いのである。サーモスタットで暖房が停まるくらいだからそもそもそんなに室温が低いわけでもない。

それから夕食後母のところに行って戻ってくると今度は暑いと思った。それでヨットパーカーを脱いでしばらくするとまた寒いと思う。なのでまた暖房オン。訳が分からない。台所でOさんと少々長電話をして風呂に入ろうと書斎にパジャマを取りに行ってふと見ると室温は19度もある。で、風呂から上がるとまた暑いと思う。一体全体、僕の感覚はどうなっているのだろうか。なんでやたらと寒いと思うのか。かと思うと暑くなるのか。

確かに夕方昼寝をしようと思ったころは体調があまりよろしくなかった。このところ飲むのを止めていた前立腺肥大の薬を朝飲んだせいかもしれないと思う。それにしても、どうして寒いか暑いしかなくて、中間がないのだろうか。ちょうどいいがない。実際問題としてこれは実に不便だ。栄養が足りないとかそういう問題なのだろうか。それとも自律神経とかそっちの方なのか。どっちにしても、この時期にしては人より厚着をしている気はするのだが。

そんなわけで、どうも帰宅してからというもの、妙にバランスを崩した体感温度に振り回される。こういうのっていろいろとやる気が失せる。

煙草は昨日とうとう15本を超えて16本吸ってしまった。今の体調では吸い過ぎ。今日はここまで14本、たぶん寝る前にもう1本吸うだろうから15本になると思う。それぐらいが限度。机の引き出しの中に残っている煙草はあと14箱。予定通りであればあと2週間ほどで僕は禁煙することになるのだが、正直なところを言えば今ぐらいのペースで吸い続けたいという気持ちが非常に強い。悩む。どうなることやら。

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眼鏡

4月19日、日曜日。

それにしてもまったく皮肉なことに、「禁煙セラピー」を読んでからというもの、煙草が増える一方だ。これではそのうち元に戻ってしまう。というのも、「これだけ言われているにも関わらず煙草を吸うことを選ぶ」みたいなある種の開き直りのような状態に突入しているように思える。とはいうものの、身体の方は既に上限が出来上がっているようで、現時点で15本吸ってしまっているのだけれど、どうやらこの辺が限界のようである。これぐらいまで来ると自然にストップがかかる。

昨夜早く(1時ごろ)寝たのである程度早起きを覚悟していたのだが、三度寝ぐらいして9時近くまで寝た。8時間近く寝たことになる。朝食後、BSで田中将大が登板しているヤンキースの試合を途中から見た。今日は無失点の好投、7回の時点で9-0という大差がついてしまい田中はお役御免。

本日は午後に母を一時帰宅させるので、午前中は一階を一通り掃除した。すると、どこかでスウィッチが入ってしまい大掃除モードに突入、気がつくと台所をマニアックに掃除・片づけしていた。

2時に特養に母を迎えに行く。向かいの寺の桜がほぼ満開になったので母とぼんやり眺めた。天気予報では晴れとなっていたので今日一時帰宅の手続きを取ったのだが生憎の曇り空。寒くはないのだがもう少し暖かくなると思っていた。母を茶の間のコタツに座らせ、久しぶり(一昨年以来か)に眼鏡をかけさせると、途端にかつての母の顔に戻ったように見えた。実際母の表情はとてもよく、本当に昔に戻ったようだった。ここに写真を載せられないのが残念だ。ノートPCとスピーカーをコタツの上に持ってきて、母と一緒にモーツアルトやベートーベンやショパンを聴く。不思議に幸せな午後だった。いろんな時間が交錯する。母の胸に去来するかつての時間と、僕の胸に去来するかつての時間、それと今。

それから母を台所のテーブルに座らせて、紙を広げて筆ペンで何か書くように言った。すると、母は自分の名前を書いた。びっくりするぐらい達筆だった。それから僕と弟の名前を書いた。私の息子です、と。もう一枚の紙に父の戒名を書かせたが、僕が手本を書いているにも関わらず母はどうしても間違えてしまう。それに、字もどこか怪しくなる。不思議だ。

こうして3時間弱の静かな時間は過ぎ、母を特養に送っていく。眼鏡をどうしようか迷ったけれど、起きている間はいいのだが眼鏡をかけたまま寝てしまったりして壊すのもなんだし、このところはずっと眼鏡なしで普通に生活も出来ているので、持って行かないことにした。また一時帰宅したときにかけさせればいいかなと。母を特養に戻すのは正直心が痛む。一時帰宅させたことでまた誰かに何か言われるのではと心配にもなる。だが僕にとって母はひとりだけ、どこまでも特別扱いして当たり前だ。これからは暖かくなる一方なのだから、また一時帰宅させよう。また一緒に音楽を聴こう。

そんなわけで今日という一日は母と過ごしたのがすべて。

毎日同じ時間に夕飯を食べているので6時になると腹が空く。早い夕食後、そういえば冷蔵庫が空っぽなのでスーパーに買い物に行く。夜中に腹がまた減りそうだと思って、滅多に食べない焼き鳥を買ってきた。ところが帰宅後つい珈琲を淹れてしまい、ポテトチップスまで食べてしまったので焼き鳥を食べるタイミングを逸してしまった。大体に於いて、焼き鳥を食べるのに珈琲はないと思う。この辺は実に焼き鳥を食べ慣れていない。

今日は母を一時帰宅させた以外は掃除をしたぐらいでほぼ何もやっていないに等しいのだけれど、どこか夢のような一日でした。

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早起きという損

4月18日、土曜日。

どういうわけか、8時前に起きてしまった。確かに昨夜は僕にしては早め(1時半)に寝たのだが、なんで土曜日にこんなに早起きしてしまうのか、いまひとつよく分からない。これは午前中持て余すなあと思って、朝イチから業務に行ってしまった。ところが久々の不ヅキで散々。まったく、早起きはちっとも得ではない。今のところ。

帰宅後、例のiPhoneの入力がまともに出来ない件でアップルのサポートに電話。どうやらOSのアップデートが不完全だったようで、復元(再インストール)をしたらようやく直った。アップルは電話も割とすぐに繋がるし、最終的にはリモートを使ってやってくれるなど親切だった。ひとまず、まともに入力出来るようになったし、連絡先や写真、音楽も元に戻ったのでよしとせねば。

夕方Jリーグの試合を見ていたらまたちょっと具合が悪くなる。というか、眠かったのかもしれない。コタツでちょっとうとうとする。

夕食後母のところに行くと、母が涙目だったのでどうしたのだろうと思ったら、どうやらテーブルの向かい側に座る老婆に何か言われたらしい。何を言われたのかと訊ねると、はっきりしないのだがどうも僕が毎日来てプリンやら何やらを持ってくるのを批判されたようなことを言っていた。正直、僕の心中としてはその老婆に対して憎悪を覚える。母は被害妄想傾向にあるということもあるが、自分だけがデザートを食べているといったような、そういうことを元来気にするたちではある。実際のところ、母がなんと言われたのかは定かではない。その後は母は少し笑顔を覗かせたりしたので、単に今日は少し不安定だっただけなのかもしれない。

夜はJリーグの名古屋×清水の試合を見る。基本的には相変わらず終日煮詰まっている。何をしたらいいのか分からず途方に暮れる。

やっぱり煙草が増える傾向にある。もう既に今日も14本目。しかしながら、どうやら13本目辺りでキャパシティーは一杯になるらしく、14本目ともなると胸が詰まる感じがして実際不味い。だったら吸わなければいいという話なのだが。結局昨日読んだ「禁煙セラピー」はまったく役に立っていないようだ。いずれにせよ、このところの体調の悪さは煙草に起因しているのは間違いなさそうだ。しかしそれでも吸いたくなる。げに中毒の恐ろしさなり。

明日の日曜日、午後に母を一時帰宅させる予定。

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禁煙セラピー

4月17日、金曜日。

9時前起床。そこそこ早く起きたので朝食後出かけようと思って玄関を開けたら外は風があって寒かった。なので外出を止めて暖房をかけて家に篭った。

そんなわけで今日は日がな、ツイッターのフォロワーの人に薦められたアレン・カーの「禁煙セラピー」を読んでいた。夕食後には読み終わったのだけれど、皮肉なことにこれを読んで結果的に今日は煙草が増えてしまった。

著者のアレン・カーは元々会計士だったのだが多いときは一日100本、少ないときでも60本というヘビースモーカーだったのだが一念発起して禁煙に成功、それを機に禁煙のセラピストとなった。

なんで「禁煙セラピー」を読んで煙草が増えてしまったかというと、煙草の本数を減らすのは意味がないと書いてあったからなのだが、実際のところ、僕の経験から言っても1本吸ってしまったら同じというところは理解できる。つまり、所詮オール・オア・ナッシングであるということ。アレン・カーいわく、本数を減らしても苦痛とストレスが増えるだけというのだ。彼は意志の力による禁煙は無駄という。ではどうするかというと、考え方を変える、つまり禁煙を楽しむという意識改革をせよというのだが、つまりはこの本に書いてあるのは禁煙の方法論ではなく認識論であり、したがってアレン・カーは喫煙を洗脳と言い放つのだが要するにこの本に書いてあることを盲信せよというわけで、ある意味逆の意味で洗脳されるぐらい問答無用で彼の言うことを頭っから信じないと表紙に書いてあるように「読むだけで絶対やめられる」とはならないのだった。

それはちと無理。

結局アレン・カーは肺がんで死んでしまうのだが、その辺が実に皮肉というか。いやもちろん、禁煙したからこそそこまで彼は生きられたということも確かなのだろうけれど。

ただ、喫煙する者の心理という面ではアレン・カーの言うところは正鵠を射ている。つまり、煙草を吸ったからこういう利があると考えるのはすべて勘違いであるということ。つまり僕らは煙草という毒物の中毒であって、煙草を吸うための理由をあれこれと後付けしているに過ぎないということだ。実際、何の疑問も抱かずに煙草を平然と吸い続けている人はともかく、ちょっとでも禁煙を考えたり身体に悪いということが念頭にある人なら、誰でも思い当たることなのである。要するに、何のために煙草を吸っているのか、どうして煙草を吸いたいのか、そこのところが吸いながら実はよく分からなくなってくるのだった。というのも、煙草をおいしいはずと頭では思っていても実際吸ってみるとおいしくないのだから。

煙草というのは肉体的にニコチンという物質の中毒でもあるが、それ以上に精神的に強く依存する中毒で、1本吸うともう1本吸いたくなるものなのである。ただその繰り返しに過ぎない。で、夜寝ている間に煙草を吸いたくなるかというとならないわけで、要するに一日の半分は吸わなくても実はまったく平気なのだった。

で、そういうことは日々薄々分かってはいるのだった。にも関わらず、煙草を吸う方が人生が豊かになるという妄想がどうしても頭から離れない。ひっきりなしに吸いたいわけではないが、煙草を吸わないとつまらないと思ってしまう。

アレン・カーはそういった心理はすべて勘違いであるとし、煙草を吸わないということがどんなに素晴らしいことか認識すべきだと言っている。これは実に正しい。正論である。しかしながら、先日2日ばかり禁煙したときにも頭に浮かぶのは煙草を吸いたいということばかりで、禁煙している喜びというものを実感するまでに頭が行かない。それは以前4ヶ月禁煙したときもそうだった。

で、こういう認識の仕方を根本から変えないと、アレン・カーの言うように禁煙出来ないのだろうか。意志の力だけでは本当に禁煙出来ないのだろうか。世の中の大半を占める(ように思える)禁煙に成功した人々は、皆このように意識改革を行えたのだろうか。

この辺がよく分からない。僕のような天邪鬼な人間はそういう風に言われるとかえって反発を覚えてしまうぐらいで、なかなか劇的に煙草に関する認識を180度ひっくり返すということが出来ない。それもそのはずで、身体に悪いだなんだと言われ続けながら何十年も吸い続けているというのは、それなりに喫煙にもいいところがあるはずだという思い込みを繰り返してきているからだ。これをひっくり返すのは容易なことではない。つまり、禁煙するということは人生に於いて何かを捨てることのように思えてしまうのである。

これがいかんのだ、とアレン・カーは言っていて、その点は実にもっともだと思う。

彼の意見によると、僕が今やろうとしているようにちょっとずつ本数を減らしていってフェイド・アウトするというのはナンセンス、ということになる。そうなのかなあ。山崎はそうやって煙草を止めたと言ってたけどなあ。

だが確かに、1本吸ってしまうともう1本吸いたくなり、結局元に戻ってしまう。実際、今日はもう14本、現時点で昨日よりも1本多い。減るどころか増えてしまっている。それはまあ、先々週辺りと比べると3割ぐらいは本数が減ってはいるのだが、それと禁煙というのは根本的に異なる。結局のところ、どういう理由づけであるにしろ、どういう方法論を取るにしろ、アレン・カーの言うようにどこかできっぱりと吸うのを止めるしか手はないのだった。

というわけで、いつかは止めます、煙草。

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それはそうと、昨夜寝床で気づいたのだがいつの間にか(たぶんOSをアップデートしてから)、iPhoneが入力変換出来なくなった。漢字どころか濁音・半濁音すら変換出来ず。そもそも変換候補も何も表示されないのだからどうしようもない。電源を入れ直したりすべてリセットしたりあれこれやってみたのだが今のところお手上げ。音声入力でしか入力出来ない。明日サポートに電話して訊いてみようと思う。まあ基本的にカメラとしてしか使っておらず、後はWiFi端末としてちょっと使う程度で入力することはあまりないので気づかなかったのだが。

母の鼻声はようやく直った。町内の桜も大分咲いてきたので、天気予報を見て、明後日の日曜日に一時帰宅を申し込んでおいた。

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問題はないらしいのだが

4月16日、木曜日。

一昨日よく眠れなかったので昨夜はまた睡眠薬を2錠飲んだ。すると、春眠暁を覚えない感じで二度寝三度寝していたのだが、9時前に回覧板で起こされた。

で、ようやっと意を決して県立中央病院の循環器科の診察を受けた。あれこれ理由をつけて先延ばしにしても妄想が膨らむだけなので。それで、心電図の検査を受けたのだが結果は問題なし。というわけだから、肺も心臓もとりあえずは問題ないということになった。今日の循環器の医者は、煙草を吸って調子が悪くなるのだったら止めればいいじゃん、と言っていたのだけれど、なんていうか、これですっかり安心したわけではない(何しろいまだにそれなりに調子が悪いので)が、禁煙する意欲は後退してしまった。ヘビースモーカーに戻るつもりは毛頭ないのだが、細々と吸い続けたいみたいな気持ちがふつふつと。こういうのって甘えなのだろうか。10本ぐらいだったらあと10年ぐらい吸ってもいいんじゃないかなーみたいな。と言いながら現時点で既に13本と、なし崩しになりそうな雰囲気もあるのだが。

結局のところ今回の動悸や息苦しさ、胸の詰まる感じや痛みはどこに原因があるのか分からず、もしかしたら精神科の医者が言及していたように心因性のものなのかもしれない。だが11本目まで来ると調子が悪くなるところをみると、確かに煙草に起因しているような感じは受けるのだが。もうちょっと厳密に検査すればどこか炎症は起こしていると思う。そんなわけだから、呼吸器と循環器の両方で特に問題はないと言われてもどこか手放しで安心する気にはなれない。実際問題としていまだに調子はよくないのだから。かといってひとまず考えられる医者には一通り診てもらったわけだから、これ以上延々と原因を究明し続けるというのも無理がある。

病院の帰りにドトールに寄って昼食。隣接している書店でポール・オースターの「オラクル・ナイト」を購入。冒頭を立ち読みしてどうしても読みたくなった。帰宅するとアマゾンに注文していた柳美里「貧乏の神様」とアレン・カー「禁煙セラピー」の2冊が届いており、積読の本が溜まる。

日中は暑かった。羽織っていたヨットパーカーを脱ぐくらい。外気温は17度から18度だったが、体感的には20度は超えていた。今日のところは山形も東京と気温は大差なかったようだ。日が落ちると寒く感じるが。

夕方はなんか落ち着かなくて風呂の掃除をしたり、脱衣所とかトイレとかあちこちを掃除したりする。しかし、心臓が問題ないと言われたせいもあって、最近の中では比較的精神的にはマシな方だった。

母はようやく鼻声が治りかけている。今日は風呂にも入ったようだった。

母のところから帰宅後、夜はJリーグの柏対鹿島の試合をテレビ観戦。相場は小遣い稼ぎ程度。今日は病院に行ったことでなんか一仕事した気になり、あとはなんとなく一日が過ぎた。

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陽気と鬱屈

4月15日、水曜日。

ずうっと毎日睡眠薬を飲んで寝ているので、このまま一生飲み続けるわけにもいかないと思ってなんとかそこから脱しなければと思い、いつも2錠飲んでいるのを昨晩は短期型の1錠だけにしてみた。すると、ひっきりなしに夢を見るし、トイレにも起きるし、やたらと目を覚ますしで、あまり寝た気がしなかった。例えば7時の寺の鐘の音とかでも目が覚める。そんなわけだから本日は睡眠が足りない感じではあった。

今日は日中やけに暖かく、朝食後に業務に行ったのだがセーターにスタッフジャンパーでは暑かった。とはいうものの帰宅すると北向きの台所はひんやりと涼しくてどういう恰好をしたものかと思ったが、ズボンを冬ものから普通のカーゴパンツに穿き替え、セーターを春物に着替え、ヨットパーカーを羽織った。日中はそれでちょうどいいくらいだった。

ぽかぽかと暖かいので散歩に出た。昼間は晴れていたのに散歩に出るころには天気が曇り始め、風が出てきた。それでも寒くなかったところをみると、かなり暖かい陽気だったのだろう。今日はいつもの散歩コースと方向を変えて旧家が立ち並ぶ通りを抜けて小さい川沿いを回った。僕の住む町は駅もない片田舎の小さい町だが、かつてはこれでも城下町だったので3・4軒ほど続けて昔の武家屋敷のような大きな屋敷が並んでいたりする。かと思うとほぼ廃屋があったり、営業しているのか分からない潰れかかった店があったり。川沿いを歩くと右手には廃工場があった。

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そんな感じで1時間ほどかけて歩く。帰宅すると叔母がやってきて、赤飯と煮物と昆布巻を持ってきてくれたので夕飯はそれで済ませる。

夕食後に母のところに行くと、今日はソファに座っていたもののまだ鼻声だった。しかしこのところの母の精神状態はかなりいい。ときおり笑顔を見せる。

夜はまた煮詰まる。どうにも何も出来なくなる。どうやら抑うつ状態っぽい。昼間は暑かったくらいなのに夜になると寒く感じるが、さすがにもう暖房は入れず、ひざ掛けをかける程度。どうも最近は鍵盤を弾く気になれず、台所でギターを手にして久しぶりに曲を作り始めるものの、Bメロの途中まで書いて煮詰まる。どうにも集中力がないし落ち着かないので頓挫。どうも最近は体調の悪さばかりに頭が行っていたけれど、よくよく考えてみればずうっと抑うつ状態が続いているような気がする。かといって安定剤を飲む気にもなれない。

相場は昨夜から持ち越したポジションが功を奏して、昨日の大敗分を取り戻してお釣りが来た。

昨日病院に行ってどうやら肺は大丈夫と言われたものの、相変わらず動悸はするしときどき胸がちくちくと痛んだりするので気になっていまだに安心出来ない。気は進まないがやはり循環器で心臓を診てもらった方がいいのだろうか。嫌だなあと思うものの、かといって例によってあれこれ悪い方に想像してばかりいても切りがない。

今日は日中比較的最近の中では体調がそんなに悪くなかったせいか、煙草をやたらと吸いたくなりこれは増えそうだなと思ったのだが、ここまでのところ12本。ちなみに昨日も12本だった。もしかしたら今日はあと1本ぐらい吸ってしまうかもしれないが。

そういえば今日は前述のように寝不足気味だったのに昼寝しなかった。というか、この2・3週間、体調が急に悪くなってからというもの、昼寝しなくなった。いいのか悪いのか。しかし睡眠薬を2錠飲まないと熟睡出来ないようでは困ったものだ。

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Rest of my life

4月14日、火曜日。

県立中央病院の呼吸器内科を受診してきた。11時前に病院に到着、受付に問診票を出して動悸が酷くてというと、動悸だったら心臓の方で循環器内科ではないかと言われて、えっと思ったけれど、血液内科の医者から話をしてもらっている旨を伝えてとにかく呼吸器内科で診察を受ける。しばらく待たされてようやく診察の順番が回ってきた。医者は2月に撮ったCTの写真を見ながら、確かに肺気腫ではあるがごく軽いという。煙草を吸っている人がこれぐらいの年齢だと大体こんなもんだと。血中酸素を計るが問題なし。聴診器で心音も聴いたりしたものの、特に問題はなく、今日で診察は終わりということ。結局肺がんどころか覚悟していたCOPDでもなかった。肺気腫にしてもそれほど気にするほどではないということだ。もちろん、なるべく煙草は止めるように言われた。気になるようだったら都合のいいときに循環器も受診すればよいとのことだった。

病院の帰りにドトールに寄って昼食。これで一安心というところなのだろうが、なかなかピンと来ない。結局のところ、急に体調が悪くなったので妄想ばかりがどんどん悪い方に広がったということなのだろう。しばらくして、ようやく取り越し苦労だったのだと思う。しばしぼんやりして、さて残りの人生をどう生きようかなどということを考える。

帰宅してふと思ったのは、今日の診断というのは2か月前のCTの写真を見てのことであって、体調が急に悪くなったのはこの2・3週間のことだから果たして今日の診断を真に受けていいのだろうかとまたぞろ疑念が湧いた。だがそれを言い始めると切りがなく、要するに僕はいささか病気に対して被害妄想的になる傾向がある。いずれにしても一番気になっていた肺気腫にしてもそれほど進んでいるわけではなく気にする必要はないとのことだから、ひとまず安心してもいいのではないだろうか。とすると、問題は動悸とあちこちに感じる痛みだが、どうも精神科医が言っていたように心因性の要因もありそうだ。恐らくあまりにも過敏になり過ぎていたのだと思う。

そんなわけでようやっと少しほっとした分だけ気が緩んだのか、煙草が増えてしまった。で、不思議なことに今日の診察結果を聞いたら煙草を吸ってもそれほど具合が悪くならない。人間なんてゲンキンなものだと思う。だが、せっかくここまで本数が減ったのだから、予定通り徐々に減らしていずれ禁煙しようとは思う。

それはともかく、夜は相場でボコボコに。ストップを食らいまくる。確かに迂闊だったが、指標結果からするとちょっと納得がいかない部分も。

母はいまだに鼻声のままだ。今日も夕方から雨。

なんだかまだ完全にはほっとし切れていない。どこかまだ気持ちがふわふわして。どうやったら本当に安心できるのだろう。

そういえば今日はW杯アジア2次予選の組み合わせが決まった。日本はE組、シリア、アフガニスタン、シンガポール、カンボジアという組み合わせ。楽勝でしょう。全勝でお願いします。

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雨の月曜日

4月13日、月曜日。

曇り、のち夕方から雨。暑いぐらいだった昨日から比べると寒く感じた。業務から帰宅後、ずっと暖房をつける。室温自体はそれほど低いわけではないのだが、なんだかやたらと寒い気がして。どうも最近は寒いと暑いしかなく、真ん中のちょうどいいというのがない。

前述のように結局今日も業務に行ってしまったのだが、日中は不安感強く、とにかく精神状態が悪かった。夜になって少しは落ち着いたけれど。今日は間欠的にやたらと煙草が吸いたくなり、どうも増えそうだなと思ったら、ここまで昨日より1本多い9本(昨日は結局8本だった)。ひとつには体調が少しだけマシになったということもある。その分煙草を吸いたくなってしまう。だがやはり煙草を吸うと動悸がする傾向にはある。夕食後母のところに行って帰宅してから7本目を吸うと、その後1時間ぐらい経つと猛烈に煙草が吸いたくなり苦労した。で、8本目を吸うと強烈な吸いたいという衝動がなんとか治まる。この辺は昨日と同じ。なんとなく徐々に一日に吸える煙草の上限が減っては来ていると思うのだけれど。なかなかすぱっとやめられない。精神的に不安定だと余計そうだ。

今日の母はまだ鼻声のままだったが、昨日同様ときおり笑顔を浮かべて表情はよく、話すこともしっかりしていた。それが救いだ。早く母の風邪が治ってくれるといいのだが。あんまり母の表情がいいのでiPhoneで写真を撮って母に見せると、スマホをほとんど触ったことのない母は、偶然タップしてスライドして驚いていた。

夕方と夜は相場。それなり。

夜、ジョー・ヘンダーソンの70年のライブアルバム、”Joe Henderson Quintet at the Lighthouse” をYouTubeで聴いて、改めて物凄いカッコいいと思う。これ、CDを買おうと思う。特にエレピのGeorge Cablesがやたらとカッコいい。

さっき煙草を吸ったのでまた動悸がする。今日はもう吸わない。明日はいよいよ県立中央病院の呼吸器内科で診察を受けようと思う。体調が悪い悪いと言いながらいつまでも先延ばしにして、悪い妄想を膨らませてもしょうがないだろう。正直言ってホントに気が進まないのだけれど。

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4月12日、日曜日。

というわけで、本日午前10時47分に煙草を吸ってしまい、一昨日の夕方からの禁煙は1日半で終わった。1本吸ったらどうなるのかと思ったが、結局今日はここまで8本吸ってしまった。やはりなし崩しになるのか。ただ、考えようによってはついこの間までは20本以上吸っていたのだから劇的に減ったと言えないこともない。しかし、やっぱりここは禁煙が台無しになってしまったと考えるべきなのか。さっきまでHと長電話しても思ったのだが、この辺は実に微妙なところである。

相変わらず今日もいろいろと考え過ぎた。終いには煙草が生き死にと同意義のように思えてきて、生きるとは何かというような思考回路になってしまうのだからこれはもうどうにも答えが出るわけがない。とうとう煙草を吸ってしまってから業務に行ったのだが、途中から業務をやる意味を見失ってしまい、一体こんなことに何の意味があるのか、という具合になんでもかんでも根源的な疑問と化してしまう。そんなわけで1時半過ぎにはいたたまれなくなって止め、朝食用のパンが切れていたのでスーパーに買い物に向かった。

スーパーの駐車場に車を停めて、今日はやたらと暑いことに気づく。やけに天気がいいし、買い物をする前に少し散歩をしようと思い立ち、そのままスーパーの裏手の田んぼの中の舗装もされていない農道(あぜ道)を最上川の堤防の方に向かって歩いた。

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空は晴れ渡り、暑くて途中から革ジャンを脱ぎ、セーターの袖をまくった。何もかもが曖昧に思えた。一体僕は何をやっているのだろうと歩きながら思った。結局道は堤防まで通じておらず、引き返した。スーパーの帰り道、近所の家の庭の桜が開花していることに気づいた。

3時過ぎに精神科の予約が入っている。何時ごろになるか事前に電話したところ、4時に来てくれということだった。それで、ほとんど待たずに済んだ。基本的にうつ病の診察ではあるのだが、ここ最近の話というのは2・3週間前ぐらいからの急激な体調の悪化と禁煙の話ぐらいしかない。それを話し、もしかしたらCOPDじゃないかと思うのですがと僕が言うと、医者は穏やかな口調ながらまるでCOPDであることが当然であるかのように話し、それどころか肺がんの可能性まで口にした。それで僕の思考ベクトルは一気に悪い方に傾いてしまった。

医者の帰り、寺に寄って昨日の三回忌の引物を届ける。見ると、寺の境内の桜も咲いている。昨日は気づかなかったので、今日の陽気で咲いたのだと思う。

先ほどの医者の何気ない話ぶりで、帰宅後は頭の中が肺がんかも知れないということで一杯になってしまい、ちょっとしたパニックに陥りそうになった。医者が言ったのはあくまで可能性のひとつにしか過ぎないし、大体において1月にCT検査を受けたばかりなのだが、そのときの僕は肺がんだったらどうしようということしか頭になかった。その恐怖感が治まるまでは少し時間がかかった。食欲もないのだが、医者に痩せたようだから今日から栄養状態に気をつけるようにと言われたばかりなので、なんとかスーパーから買ってきた刺身で夕飯を食べる。まあ医者が言うにはこれでは駄目でもっとマシな食事をしろということなのだが。

7時近くに母のところに行くと、いつもの食堂(ホール)のソファに母がいないので部屋に向かうと、途中の廊下で職員に今日は鼻声で風邪をひいているようだと言われる。部屋に行くと、やはり母は酷い鼻声だった。話を聞いてみると、昨夜熱が7度5分ばかり出たという。母の表情自体はむしろよくて、話す内容も今日はとてもしっかりしていたのだけれど、何しろ僕自身の精神状態がよろしくないので必要以上に心配になる。もう熱は下がっているということなのだが、後ろ髪を引かれる思いで母のところを後にする。

帰宅後、Jリーグの鹿島対新潟の後半を見ながら、ようやく肺がん恐怖症は少し治まってきた。だがどこか心もとなく、誰かに電話したくてしょうがない。もちろん、電話してどうなるわけでもないとも思う。あれこれと電話してみるが繋がらない。しょうがないので久々に学生時代のサークル仲間であるWに電話をしてみるが、気のせいか酷く感じが悪かった。それで同級生女子のOさんと話し、それからHと話した。それで根本的に今の状況が解決するわけではまったくないけれど、一人で考えているとこのところの傾向として悪い方、悪い方にしか頭が回らないので、そういう意味では誰かと話すことで少しばかり客観的になることは出来る。しかし、考えてみれば不安に駆られるたびに毎日毎日誰かに電話をするというわけにもいかないのだった。

いずれにしても火曜日には県立中央病院の呼吸器内科で診てもらうしかないのだろう。正直怖い。とても怖い。何か理由をつけて先延ばしにしたいというのが本音。まったく、今の僕は精神的にとても脆い。

それはそうと、禁煙はどうするのだ?

どっちにしてももう新たに煙草を入手するつもりはないので、机の引き出しに放り込んである17・8箱がなくなったらその時点でオートマチックに禁煙になるはずなのだが……。そういうことで果たしていいのだろうか。

急に暖かくなり桜が開花した日、右往左往するばかりなり。

それで今何を考えているかというと、寝る前にもう1本煙草を吸おうと思っているのだ。まったく救いがたい。

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