4月12日、日曜日。

というわけで、本日午前10時47分に煙草を吸ってしまい、一昨日の夕方からの禁煙は1日半で終わった。1本吸ったらどうなるのかと思ったが、結局今日はここまで8本吸ってしまった。やはりなし崩しになるのか。ただ、考えようによってはついこの間までは20本以上吸っていたのだから劇的に減ったと言えないこともない。しかし、やっぱりここは禁煙が台無しになってしまったと考えるべきなのか。さっきまでHと長電話しても思ったのだが、この辺は実に微妙なところである。

相変わらず今日もいろいろと考え過ぎた。終いには煙草が生き死にと同意義のように思えてきて、生きるとは何かというような思考回路になってしまうのだからこれはもうどうにも答えが出るわけがない。とうとう煙草を吸ってしまってから業務に行ったのだが、途中から業務をやる意味を見失ってしまい、一体こんなことに何の意味があるのか、という具合になんでもかんでも根源的な疑問と化してしまう。そんなわけで1時半過ぎにはいたたまれなくなって止め、朝食用のパンが切れていたのでスーパーに買い物に向かった。

スーパーの駐車場に車を停めて、今日はやたらと暑いことに気づく。やけに天気がいいし、買い物をする前に少し散歩をしようと思い立ち、そのままスーパーの裏手の田んぼの中の舗装もされていない農道(あぜ道)を最上川の堤防の方に向かって歩いた。

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空は晴れ渡り、暑くて途中から革ジャンを脱ぎ、セーターの袖をまくった。何もかもが曖昧に思えた。一体僕は何をやっているのだろうと歩きながら思った。結局道は堤防まで通じておらず、引き返した。スーパーの帰り道、近所の家の庭の桜が開花していることに気づいた。

3時過ぎに精神科の予約が入っている。何時ごろになるか事前に電話したところ、4時に来てくれということだった。それで、ほとんど待たずに済んだ。基本的にうつ病の診察ではあるのだが、ここ最近の話というのは2・3週間前ぐらいからの急激な体調の悪化と禁煙の話ぐらいしかない。それを話し、もしかしたらCOPDじゃないかと思うのですがと僕が言うと、医者は穏やかな口調ながらまるでCOPDであることが当然であるかのように話し、それどころか肺がんの可能性まで口にした。それで僕の思考ベクトルは一気に悪い方に傾いてしまった。

医者の帰り、寺に寄って昨日の三回忌の引物を届ける。見ると、寺の境内の桜も咲いている。昨日は気づかなかったので、今日の陽気で咲いたのだと思う。

先ほどの医者の何気ない話ぶりで、帰宅後は頭の中が肺がんかも知れないということで一杯になってしまい、ちょっとしたパニックに陥りそうになった。医者が言ったのはあくまで可能性のひとつにしか過ぎないし、大体において1月にCT検査を受けたばかりなのだが、そのときの僕は肺がんだったらどうしようということしか頭になかった。その恐怖感が治まるまでは少し時間がかかった。食欲もないのだが、医者に痩せたようだから今日から栄養状態に気をつけるようにと言われたばかりなので、なんとかスーパーから買ってきた刺身で夕飯を食べる。まあ医者が言うにはこれでは駄目でもっとマシな食事をしろということなのだが。

7時近くに母のところに行くと、いつもの食堂(ホール)のソファに母がいないので部屋に向かうと、途中の廊下で職員に今日は鼻声で風邪をひいているようだと言われる。部屋に行くと、やはり母は酷い鼻声だった。話を聞いてみると、昨夜熱が7度5分ばかり出たという。母の表情自体はむしろよくて、話す内容も今日はとてもしっかりしていたのだけれど、何しろ僕自身の精神状態がよろしくないので必要以上に心配になる。もう熱は下がっているということなのだが、後ろ髪を引かれる思いで母のところを後にする。

帰宅後、Jリーグの鹿島対新潟の後半を見ながら、ようやく肺がん恐怖症は少し治まってきた。だがどこか心もとなく、誰かに電話したくてしょうがない。もちろん、電話してどうなるわけでもないとも思う。あれこれと電話してみるが繋がらない。しょうがないので久々に学生時代のサークル仲間であるWに電話をしてみるが、気のせいか酷く感じが悪かった。それで同級生女子のOさんと話し、それからHと話した。それで根本的に今の状況が解決するわけではまったくないけれど、一人で考えているとこのところの傾向として悪い方、悪い方にしか頭が回らないので、そういう意味では誰かと話すことで少しばかり客観的になることは出来る。しかし、考えてみれば不安に駆られるたびに毎日毎日誰かに電話をするというわけにもいかないのだった。

いずれにしても火曜日には県立中央病院の呼吸器内科で診てもらうしかないのだろう。正直怖い。とても怖い。何か理由をつけて先延ばしにしたいというのが本音。まったく、今の僕は精神的にとても脆い。

それはそうと、禁煙はどうするのだ?

どっちにしてももう新たに煙草を入手するつもりはないので、机の引き出しに放り込んである17・8箱がなくなったらその時点でオートマチックに禁煙になるはずなのだが……。そういうことで果たしていいのだろうか。

急に暖かくなり桜が開花した日、右往左往するばかりなり。

それで今何を考えているかというと、寝る前にもう1本煙草を吸おうと思っているのだ。まったく救いがたい。

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三回忌、非禁煙宣言

4月11日、土曜日。

今日は父の三回忌を11時から行うので念のために9時にアラームをセットしておいたがさすがにその前に起きた。朝食後の珈琲を飲んでいると9時半過ぎにドアチャイムが鳴り、何かと思ったら弟がもう仙台から着いて、予定より早いのでびっくりした。もっと11時ぎりぎりになるかと思ったが。今回弟は奥さんと次男を連れてきたので総勢3人。それ以外の叔父、叔母、いとこの奥さんの親戚3人も11時までに揃った。

住職は11時ちょい過ぎにやってきてまず自宅で読経、それから寺に移動して本堂でまた読経。ひととおり読経が終わると、それではご焼香お願いしますと言われて、順番は僕からなのだが立ち上がったはいいものの一瞬頭が真っ白になり焼香ってどうするんだっけ? 状態に突入、礼をするのも忘れ、しばし呆然と立ちすくんでしまった。まったく馬鹿げた話だが、本当に焼香の仕方を忘れてしまったのである。何故か頭には「焼香=線香」というイメージしか浮かばず、一体どこに線香があるんだという一瞬パニック状態、それから目の前にある抹香をつまんでくべればいいのだということにようやく気づく。この間が一体どれぐらいの時間だったか、たぶんせいぜいが十秒か二十秒ぐらいだろうが随分長く感じられた。結局住職に対して礼をするのも忘れて席に戻り、次に弟が焼香するのを見て、ああそうだった、こういう風にやるのだったと思い、なんでこんなことを自分は忘れてしまったのだろうとしばし唖然とした。最近度忘れも多いがときおりこういったエアポケットみたいな忘れ方をすることがあって焦る。

その後墓にお参りして新しい卒塔婆を置き、うちの近所の料理屋に移動して会食。住職は山形で葬式があるというので会食には欠席。どうも体調が悪いせいもあってまたなんかやらかすんじゃないかと思っていたら、座敷に座るときに上座に座ろうとして叔母に下座に座るようたしなめられた。これもなんでそうしたのか、一度ネットで調べて法要では下座に座ると覚えたはずなのだが、確か四十九日と一周忌のときは叔父に言われて上座に座ったような記憶があり、それでつい迷いながらもそうしてしまっったのだけれど、そうすると上座に座ったという記憶自体が怪しいことになる。

とまあボーンヘッドを連発。こうなると自分自身をまったく信用出来ないのだけれど、まあ後はただ談笑しながら食事をするだけなのでなんとか無事に終わる。

会食を終えて帰宅すると2時近く。しばらく弟一家と茶の間でテレビを見て、3時ごろになって弟一家は母のところに寄ってそのまま仙台に帰宅。一人になるとどっと疲れが出て、また体調が怪しくなってきた。夕方になって茶の間のテレビでJ2のセレッソ大阪対金沢の試合を見ていたのだが動悸と息苦しさが半端なく、胸が痛くなったりするのでこのまま心臓が停まるのではないかと思ったり。あんまり具合が悪いので寝ようと思ったが寝れなかった。結局台所のテーブルに戻るとなんとかなるので、例によってコタツで寝ようとするとかえって具合が悪くなるという奴だったのかもしれない。いずれにしても、昨日からいまだ禁煙をしているのにも関わらず、やっぱり動悸や息苦しさはちっとも変わらない。

久しぶりに昼から分不相応な豪勢な食事をしてしまったのでいつまで経っても一向に腹が減らないし、動悸がして体調が悪いので食欲もない。かといって食べないわけにもいかないので、8時半ごろに簡単な夕飯を済ませる。しかし、今日のように外の料亭でいっぱしの料理を食すると、いかに普段の僕の食事が粗食であり貧しい食事なのかというのを思い知らされたような気がする。今後はもう少し食事にお金を使ってもいいんじゃないかなあとぼんやりと思う。

それはともかく、ときおり間欠的に物凄く煙草が吸いたくなる。もう本当に吸ってしまおうと何度も思う。頭の中が禁煙のことで一杯になり、何も手につかなくなる。あまりにも考え過ぎて、次第に形而上学的というか、観念的になっていく。例えば、余命半年と言われたら好きなだけ煙草を吸うだろうし、余命三十年と言われてもやっぱり煙草を吸うだろうな、とか、煙草を吸ってもいいのだという理屈をあれやこれや考え始める。ここで1本吸ったらどうなるだろうかとあれこれ考える。1本吸ったら気が楽になるだろうかと。そこからまた再度禁煙を始めればいいんじゃないかと。一方で、そうするとまたその翌日になって同じことになってしまうんじゃないか、結局なし崩しになって元に戻るんじゃないかと思うと、ここで我慢した方が楽でめんどくさくないとか、もう頭の中がそういう思考でああでもないこうでもないと溢れかえってしまう。

もう本当に何も出来ないのだ。窮屈なことこの上ない。なので、一度禁煙そのものを止める宣言をしようと思う。かといって、喫煙宣言をするわけではない。実際、昨日禁煙宣言してから30時間以上経過しているがまだ吸っていない。だがしかし、禁煙を宣言してしまうとあまりにもそのことに縛られてそれしか考えられなくなってちとどうにもならないのである。だからここはひとつ、便宜上禁煙を取りやめ、特に禁煙しているわけではないということにしたいと思う。もしかしたらそのために今晩1本ぐらい吸ってしまうかもしれない。しかしながら、基本的に煙草を止めるという方針自体は変わらない。まあ、あれこれとただ言い訳しているだけのような気もするが……。

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禁煙宣言

4月10日、金曜日。

本日午後6時27分に吸った6本目の煙草をもって、禁煙することにした。台所の煙草と灰皿を片づけ、書斎にある煙草を全部引き出しの中にしまった。それから、ツイッターとフェイスブックで禁煙宣言をした。

もう体調的にどうにもならなくなったのである。正直言って、これ以上は身の危険というか、生命の危険を感じた。動悸と息苦しさが酷過ぎて。もう禁煙してから6時間ぐらい経つが、まだ動悸と息苦しさは治まらない。いろいろ調べてみて、先日亡くなったレナード・ニモイの死因でもある、COPD(慢性閉塞性肺疾患)の可能性もあるなと思った。ウィキペディアには「死より恐ろしい病気」と、まるで客観性を欠いた(いささか無責任な)主観的表現で書いてあり、かなりぞっとする。とにかくここまで危機感が募るとさすがに放置しておくわけにもいかず、来週の火曜には病院の呼吸器内科に行こうと思う。

禁煙宣言をした直後からストレスで肩が物凄く凝って、終いには頭痛までしてきた。母のところにも長くいれなかった。ずっと心臓がどきどきして、今にも死んでしまうのではないかと気が気ではなかった。夜になって夕飯をなんとか食べると肩凝りは少しマシになったものの動悸は酷くなる。身体がしんどいのでなんとか吸わないで我慢出来そうだと思っていたのだが、動悸がして精神的にストレスを感じると今までの習慣で闇雲に煙草が吸いたくなる。頭の中に「ストレス=煙草」と刷り込まれている。そこをなんとかこらえられたのはそれだけ体調が悪いということであってあまり喜べない。胸が詰まる感じがしてときどき軽い痛みすら覚える。息苦しさが抜けない。

とりあえず危機感から発した禁煙宣言、正直言って何日どころか何時間続くかと思っていたが(失敗したらそこからまた禁煙を始めればいいと思っていた)、どうやら今日は無事我慢出来そうだ。問題は明日の朝、朝食後を我慢出来るかどうかだが、正直言ってこの息苦しさでは吸いたくても吸えない。

最後に吸った煙草(今のところ)は、やっぱり美味しくなかった。最後だと意識して味わおうと思ったのだが、それでも美味しくなかった。

明日は父の三回忌、それで今日の午後に隣町の叔母(母の妹)が花を持ってきてくれて、茶菓子まで買ってきてくれた。弟も花を買ってくるというので、とりあえず僕が買わなければならないものはない。準備は一通り済んではいるが、あまりにも体調が酷いので無事こなせるかどうか少々心配になる。それだけ動悸と息苦しさが酷い。かなり深刻。禁煙という一世一代のことを成し遂げられたとしても、それではい健康ですというわけにもいかないので。何しろ35年も吸い続けてきたのだから、実際問題として今日止めたからどうの、ということはないと思うものの。

ああそれにしても動悸が酷い。

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我が妄想

4月9日、木曜日。

晴れ。昨日ほどではないがやっぱり寒い。

今朝はゴミ当番なのでアラーム使用で7時45分起床。ゴミ当番といっても箒を持って収集車が持ち去らずに置いていかれたゴミがないかどうか確認してくるだけで、これまで何か問題があって置いていかれたゴミがあったのは一度しかない。今日も何もなし。ただゴミ置き場を見てきただけ。

2日続けて8時間ぐらい寝た後での6時間睡眠は少々眠かったが、気がつくと今日は昼寝をしていない。なんだか最近は昼寝をするという思考回路にならない。これはいいことなのだろうか。

早起きしてしまったのであれやこれや考えて煮詰まる前に業務に行く。なんだかんだいって業務に行くとあれこれ考え悩む必要がない。ただ昔と違って意欲はないのでそれなりに業務自体にストレスは感じる。最近はセコく結果が出ているので我慢する。3時まで。

帰る足で寺に寄り、明後日父の三回忌をやるので墓の掃除をした。恥ずかしながら、考えてみれば箒で掃いて雑巾で拭くというような墓掃除をやったのは初めてだ。真ん中の新しい墓の裏に父の名前を見つけ、父は自分で建てた墓に自分が入ったのだなあと感慨をあらたにする。そして、僕もこの墓に入るのだろうかと思う。

帰宅後、4時過ぎになってどういうわけか猛烈に空腹を覚えた。確かに少々早起きしたがそのせいとも思えず、菓子パン1個で昼食を済ませたせいだろうか。食欲が増すドグマチールは飲んでいない。とにかく急激に腹が減って5時を回るころにはあまりの空腹にギブアップ寸前となり、もう今日は早めに夕飯を食べようと思った。かといって何かを作る気にもなれず、久々に次年子の食べ放題の蕎麦を食べることに。七兵衛そばに電話をしてやっていることを確認してから車で出発。すると、20分も走って大石田町に入ると道の両脇に雪がまだ残っていて、さらに山の方に向かうと辺りはすっかり雪景色になった。さすがに道自体に雪はないが、もう普通タイヤに替えてあるのでちょっとビビる。

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なんていうか、風景がちっとも春じゃない。冬に引き摺り戻されたような気分になる。

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というわけで七兵衛そばに到着、ひとつしかないメニューの盛りそばは食べ放題である。大根汁にそばつゆを入れて食べる。あんなに腹が減っていたのに、男性の標準と言われる3杯頼んだのだが食べ切れずに少し残してしまった。壁には「そばは残さないでください」とあるのに。食べ終わって店の外に出ると辺りは薄暮に覆われ、数匹のコウモリが鳴きながら飛び交っていた。

その足で母のところに直行。到着すると母は食堂(ホール)のソファに横になっていて、何事かと思って職員に訊ねると、母の左足がむくんだためだという。見てみると、本当にすっかりむくんでいる。このところ渡してある弾性ストッキングを穿かせていなかったせいだ。職員に母が静脈血栓であることを話して弾性ストッキングを毎日穿かせるように頼む。

母のところから帰宅後、NHKで今日から始まったドラマ「かぶき者慶次」を見た。うーむ、「慶次」というのは隆慶一郎の「一夢庵風流記」を漫画化するに当たって読者に分かりやすいようにそう表記したのであって、前田利益の通名は慶次郎である。まあそこは百歩譲るとして、藤竜也ではその慶次郎のイメージじゃない。前田利益はまず腕っぷしが強そうじゃなければならず、豪傑に見えなければ。

夜、気がつくと昨日とまったく同じ時間に11本目の煙草を吸っていることに気づく。昨日は結局15本だった(15本目は3分の1ぐらいしか吸えなかったが)。今日は少々早起きした方なのである程度しょうがないといえばしょうがないが、毎日決まって11本目の煙草で物凄く調子が悪くなる。もうほとんどお約束みたいなものだ。今さっきこの日記を書くのがしんどくなって台所に行って本日13本目を吸ってしまったけれど、12本目以降はただ惰性で吸っているだけでもう胸は詰まるわ手は痺れるわただの具合の悪い人であり、煙草を吸っても煙草を吸っている気がしない。実際、今の煙草を吸っては体調が悪くなるようになってからというもの、いざ吸ってみるとそれまで吸いたい吸いたいと思っていた煙草を吸っている感じがしないのである。もはや、僕にとっての喫煙というものは、頭の中の願望が作り出した妄想となりつつある。何故自分が煙草を吸いたいのか、吸っているのか、もうさっぱり分からないのだった。ただ朝から晩まで煙草を吸いたいとひたすら思い続け、もう一方では吸ってはいけないとひたすら思い続けている。一日中その両極の思念が綱引きをしている。それだけで頭が一杯だ。だが実際問題として11本目で極度に具合が悪くなって以降はまったく頭が回らなくなる。結局のところ、僕の願望というのは煙草そのものが吸いたいというよりも、煙草を吸うことが平気になりたいという、まるでこれから煙草を吸い始めようという高校生のような発想に近いような気がする。どこかに煙草を吸っても大丈夫なんだと思い込みたい自分がいて。なんかそれはある種の憧れ、憧憬のようなものだ。そんなわけで僕の中では煙草はもう煙草の葉を紙で巻いたものではなくて、何かの象徴のようになりかけている。つまり、煙草を吸える人間こそが健康なのだというような、本末転倒なイメージ。本当に妄想化してそれに憑りつかれているかのようだ。これでは禁煙出来ないのも当たり前のような気がする。

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なし崩し

4月8日、水曜日。

9時半過ぎ起床。昨夜寝たのは1時半だから、8時間ぐらい寝たことになる。昨日に引き続き今日も寒い。今日は全国的に寒かったようで、千葉で雪が降ったらしいので驚く。山形は晴れていた。

せっかく順調に減っていた煙草だが、今日は増えてしまった。現時点で14本。何故だろう。本数が増えないように業務にも行ったのだが。しかし、考えてみれば煙草を吸い過ぎないように業務に行くという考え方自体、煙草を吸うものと思っているのだからしょうがない。煙草のせいで体調が悪いとある意味思い込んでいるわけだけど、身体のあちこちが調子が悪いような気がして、それがいちいち気になる。例えば歯だとか、首の付け根辺りだとか、胸だとか、そこら中がちくちくと痛む。それが全部煙草のせいというような気になってしまっている。終いには、最近とみに視力が落ちて目が悪くなったなあと思っているのだが、それすら煙草のせいではないかと思っていて、これではまるで強迫性障害である。実際、日中左目がかすむ気がして物凄く気になり、この町で一軒だけの眼科に初診を受けるにはどうしたらいいのか問い合わせの電話をしたぐらいなのだが、目がかすむと思ったのは実はメガネが汚れていただけという、ちょっと笑えない話になっている。

こんな風に体調に関して妙に神経質になってしまってストレスが溜まり、それで煙草を吸ってしまうという本末転倒な感じ。一体どうしたら煙草を止められるのか、禁煙出来るのかと考えるに、要するに吸わなければいいだけということに気づくのだが何しろそれが途轍もなく難しい。ように思える。頭の中でぐるぐると渦巻いている煙草を吸いたい吸いたいという欲求をどうやって抑えればいいのか。

とにかく感覚的にというか、体感的に日に日に身体中のあちこちが具合悪くなっているような気がする。そういうものは以前だったらいちいちそれほど気にしなかったものが大半で、多分に被害妄想的になっているのだと思う。

体調に対して過敏になっているとあらゆることにストレスを覚える。毎日母のところに行くのもしんどくなってきた。今日は母がぽつりと子供たちの世話にならないために老人ホームにいなければならない、というようなことをこぼしたのでいたたまれなくなり、どうしても我慢出来ないようだったらうちに帰ってこいと言ってしまった。本当にそうした方がいいのかもしれないと思った。多分にそれは現実的に無理があり、僕という個人の生活が成り立たなくなるかもしれないが、それでも僕が無理をすべきなのではないだろうかと思った。胸が潰れる思いで母のところから帰る。

夜になって相場をやるのにも疲れて、途中でもういいやと早々に利食いしてしまう。後になって早まったことに気づくのだが。

いろいろ少々投げやりになり、そういえば契約しているhuluを先月はほとんど見なかったことに気づき、ドラマ「Utopia ― ユートピア ― 」の1話を見た。オフビートでエキセントリックで非常に面白い(先が読めない)のだが、続きはもう少し精神的に余裕のあるときに見たい。

明日の朝はゴミ当番なので今夜は早く寝ようと思っていたのだが、これから寝床で本を読むと昨日と同じぐらいの時間になりそうだ。そういえば今日も安定剤を1錠飲んでしまった。なんかいろんなことがなし崩しになっていく。

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逆戻り

4月7日、火曜日。

9時48分ごろ起床。久しぶりに結構眠ることが出来た。とにかく起きたのがもう10時近かったのでこれ幸いと病院へは行かず。日中は相場のスキャルピング(超短期取引)。しかし性格的なものかどうもスキャルピングは苦手。疲れるだけでどうにも上手く行かない。いまだに勝手がつかめない。ひとまずプラスになったところで一旦手仕舞い、4時ごろになんとなく車でドトールに行く。ついでに隣の本屋で本を買おうかと。

なんか今日は寒いなと思ったら、外気温は4度だった。ひと月ぐらい戻った感じだ。ドトールでカフェラテを飲んで、途中席を立って隣接した本屋を覗いて回る。結局迷った挙句、米澤穂信「満願」を買った。「このミス」で1位になったり何かと話題になっている本なので。

またドトールで少し動悸がする。しょうがないので久々に安定剤を1錠飲んだ。5時半ごろに一旦帰宅、それから改めて母のところに出向き、帰宅後夕飯。夜はまた相場。

夜になってまた体調が怪しくなる。今日は結局11本で収まった昨日よりも煙草が増えるペース、たぶんそのせいだと思う。毎度同じなのだが夜煙草を吸うと1本吸うごとに調子が悪くなる。実際吸っても美味しくないのだが、それなのに吸いたくなるから困ったものだ。増えたといってもこれを書いている現時点で12本だからそれほどでもないのだが、ちょっと身体的には一杯一杯な感じ。日に日に一日に吸えるキャパシティが減っている。こうやって自然消滅的に禁煙出来ないものだろうか。それにしても身体のあちこちが調子悪い感じがする。ちょっとボロボロな感じは否めない。

予報によると明日も寒そうだ。何度読んでもピンと来ないジョイス「ダブリンの市民」は諦めて、今は丸谷才一「たった一人の反乱」を再読し始めたところ。今日買った本も含めて未読の本は山ほどあるのだが、なんでわざわざ一度読んだ本を再読しているのか、自分でもよく分からない。

今日はACLでようやっと鹿島とガンバ大阪が1勝を挙げた。

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逸機、死霊の罠

4月6日、月曜日。

今日もたぶん終日雨。というのも、今日は夕方まで玄関の鍵を開けるのを忘れていたくらい家に閉じ籠っていたので。

三度寝ぐらいして9時半起床。朝食後、なんとなく煙草を吸わないでもいられそうな気がして、もしかしたらこのまま禁煙出来るかもと11時半ごろまで様子を見ていたのだが、なんていうか、どうせだったら最後の煙草は美味しいと思いたいというような妙な感傷が紛れ込んで吸ってしまう。残念。確かに不味くはなかったが、雰囲気的に今朝は禁煙の最大のチャンスだったような気がするので。一本吸ってしまうと後はなし崩しになってしまう。一本も二本も三本も同じ、というように。それでも今日はここまで10本で収まっている。自宅に篭ってこれなら上出来と言ってもいいのかもしれない。それに、物凄く苦しんで我慢したという感じでもなかった。これぐらいまで減ると、昨日までのように極度に体調が悪くなるということはない。ただ、4本目を吸ったところで手が痺れる感覚とかはあった。食後と珈琲を飲んだときだけの一日5・6本ぐらいなら許されるんじゃないかなとかは思うものの、それはそれで難しいだろうなとは思う。前述のように、一本吸ってしまうと同じなのだった。

夕食後に母のところに行くまで家に篭っていて何をするわけでもなく、午後は例によって煮詰まって人生とか生きることに対して懐疑的になりそうになったので、家中を掃除機をかけて回った。こんな風に、煮詰まったときは少しでも身体を動かすと気分的にマシになる。

オンラインレンタルでも見当たらない故池田敏春監督の「死霊の罠」、ググってみたら驚いたことにYouTubeにフルでアップされていた。久々に見る。傑作だと思っていたけれど、改めて見直すといろいろとやり過ぎな部分は確かにある。しかしながらこの手の日本のホラー映画の中では先鞭をつけたという意味でも出色の映画だと思う。本間優二(元ブラック・エンペラー。柳町光男監督「十九歳の地図」で主演)、近頃さっぱり見ないと思ったら随分前に俳優を辞めていた。ひとまず、ほとんど何もしていない一日だけれど、二日続けて映画をなんとか最後まで見れたというのはまずまず。

今日の母は話の内容こそあまり覚束ないものの、いつもに比べるとときおり笑顔を見せながら比較的喋ってくれた。ただ母の記憶はだんだんと怪しくなってきている。笑顔を見せてくれるのは救いだが、その辺は気になる。毎日気にすると気が滅入る一方になってしまうのだが、なかなか割り切れるものではない。

外はずっと雨の音がする。明日は火曜日、県立中央病院の呼吸器内科の診察の日だがどうしよう。まだ決心がつかない。正直、行くのがちょっと怖い。気持ちとしては先延ばしにしたくてしょうがない。昨日までほどではないというものの、やはり胸が詰まる感じはする。行った方がいいのだろうな、病院。悩ましい。

↓ 池田敏春監督、石井隆脚本「死霊の罠」。冒頭かなりエグいのでその手(スプラッタとか)に弱い人は閲覧注意。

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動悸、愉楽

4月5日、日曜日。

雨。近頃異常といっていいぐらい寒がりな僕だが、今日は最高気温が10度ぐらいだったので普通にちょっと寒かったようだ。ただ、暖房を入れないと寒いと思ってしまうのでいまひとつ自分の感覚が信用出来ない。

昨夜寝ようとしたら冬用のボアの毛布では暑くて眠れず、薄手の毛布に替えなければならなかった。それに動悸がしてなかなか寝付けなかった。

今日は朝から午後まで業務。すると、とうとう母のところの女性介護職員と鉢合わせしてしまい、一応黙って軽く会釈ぐらいはしたものの実にバツが悪かった。別に悪いことをしているわけではないのだが。それで業務後に車で20分ぐらいかけてドトールに行ったのだけれど、このころからまた動悸がし始めた。それでドトールで閻連科の「愉楽」を一気に読み終えたのだが、ずっと動悸が治まらずさすがにビビる。脈拍を計ってみたが普通に思えた。気になるので帰宅後ウィキペディアで動悸を調べてみたものの、いまだに科学的には解明されていないようで。夜になってもずっと動悸がしているような気がしてしまうのだが、ドトールで本を読んでいたときのようにどきどきしているわけではなく、どちらかというと胸が詰まるような感じがするのを動悸がしているように感じているのかもしれない。いずれにしても気味が悪く、さすがに病院で診てもらった方がいいのかと悩む。要するに行きたくないのである。これ以上医者を増やしたくない。

何にせよ煙草を吸うと調子が悪くなるというのは変わらないので、まずは禁煙することが喫緊だというのは重々承知しているのだけれど、これがどうしても出来ない。一度4ヶ月禁煙出来たとは到底思えないほど今回は我慢が出来ない。なんせ、煙草を吸って調子が悪くなってるっぽいのに、調子が悪いからという理由で煙草を吸いたくなるという堂々巡りに陥ってしまっている。

夜はテレビで「テルマエ・ロマエ」を見た。映画を最後まで見るのは実に久しぶり。正直、かなり根気が必要だった。どうも動悸のような体調面もそうだが強迫観念というか焦燥感が強くて映画をのんびり楽しむような精神的余裕がなくて。毎度同じことを書くが、体調が悪いと精神面に影響するし、精神状態が悪いと身体に来る。かように、今の僕は複数のネガティブな要素がピンポンのように相互作用を引き起こしているというスパイラルに陥っている。

そんなわけで閻連科「愉楽」読了したのだが、あまりにも面白いという評判が先行していて期待し過ぎた面があり、中国特有の大袈裟に誇張された表現や読めない漢字に振り回されながら読んで(それでも読みやすかったのだが)、いつ面白くなるんだ、いつ面白くなるんだと思っているうちに読み終わってしまった。正直がっかりした。どうにも中国のテイストというのが僕には合わなかったようだ。というわけでツイートから。

うーん、この本、4000円近くしたのでピンと来なかったのはちょっとショック。

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満月の晩のダッチロール

4月4日、土曜日。

どうにも落ち着かない。体調も精神状態も終日不安定。風邪でもひいてるのかもしれない。暖房を入れないと寒いと思い、暖房を入れると暑いと思う。ちょうどいいというのがない。夕方コタツに入ってJリーグの試合を見ていたら、足は暖かいのにむしろ上半身は寒いと感じたり。例によって夜12本目の煙草にさしかかると物凄く気持ち悪くなる。喉がいがらっぽくて炎症しまくっている感じ。ついでに胃の辺りも。そこら中が炎症を起こしている感じがする。本当に風邪かもしれないが。

精神状態はそれに輪をかけて酷い。あまりにも落ち着かないので夜になってもしかしたら昨日からドグマチールを飲むのを止めたせいかもと思い、一錠飲む。改めて調べてみると、ドグマチールには離脱症状はほとんどないと書いてあるが。安定剤も飲むのを止めたので、多少の影響はあるんじゃないかと。それぐらい今日は終日不安定だった。

何故か分からないが今朝も6時半、7時半と目が覚める。結局起きたのは8時半。外は晴れ渡っていて散歩にはちょうどよさそうだし、車でどこかに遠出するのもよさそうだと思うのだが、どういうわけかまったく踏ん切りがつかない。散歩に行ってその後どうするだの、例えば米沢辺りまでドライブに行ってそれでどうするだの、あれこれ迷ってしまい決心がつかないのだった。それでひとまず業務に行ってから考えようと行ったものの、途中で嫌気が差して放り出して帰宅。まったくもって優柔不断というか、何をするにもこれでいいという確信が持てない感じだった。結局一日ほぼ何も出来ず、ただそわそわしたり少しいらいらしたりするだけだったような気がする。現実逃避なのか、頭の中はずうっと煙草を吸いたいという思念だけが湧いてくる。実際吸うと調子が悪くなるので、一日中その欲求と戦っては負けを繰り返していた。

夕食後母のところに行くと、空には満月。場所によっては皆既月食だったとのこと。

それにしても今日のような調子では、まったく何も手につかない。やはり闇雲に薬(向精神薬)を止めるというのは無理があったのか。もう少し上手に使うというか、だましだまし減らしていかないとダメなのか。夜の体調からして、自律神経に変調をきたしている感じが無きにしも非ず。まあそれも考え過ぎなんだろうけど。とにかく、何も行動に移せずにただ思考だけが空回りしている。

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生唾

4月3日、金曜日。

もろもろ不調。また体調が悪くなった。いや、もちろん相変わらずデフォルトで悪いのだけれど。

朝目が覚めて時間を見るとまだ6時半、ちょっとびっくりして二度寝したものの7時過ぎには起きてしまう。今日は燃えるゴミの日だからゴミを出してしまおうと。そんなわけで無事ゴミは出せたものの、最近の習いで睡眠時間5時間では当然足りず朝食後に昼寝というか二度寝というか、とにかく書斎のソファで毛布を被った。眠いわりには寝付きが悪かったものの、気がつくと二時間弱寝ていた。ただそれですっきりしたかというとよく分からない。

外はときどき雨がぱらつく天気。午後の3時に予約していたタイヤ交換だがディーラーに電話して1時に早めてもらう。というわけで遅ればせながら普通タイヤに交換。帰り際にスーパーに寄って買い物。

午前中2時間寝てしまったし午後の時間も中途半端に使ってしまったしということで、今日は早めに母のところに行くことにした。4時に行く。受付の記帳を見ると、今日は叔父(母の弟)が来たようなので母に訊いてみると、叔父は夫婦で来たという。食堂であれこれと話していると母はときおりはにかんだような笑顔をちらっと見せたりしてそこそこ普通に話が出来た。1時間ぐらいいて帰宅。

ここ3日ばかり、夕食の味噌汁には庭で取ったふきのとうを刻んで入れている。凄い香りがして春の味がする。

夕食後、茶の間でJリーグの鹿島対鳥栖の試合を見ていたのだが、ハーフタイムにトイレに立つと急に口中に生唾がどっと出てきてびっくりした。試合が後半になっても生唾はなかなか止まらない。一体何がどうしたのだろうと思ったら、どうやら喉がつかえる感じがして痰が詰まっている感じ。父のように喉を詰まらせるのではないかとびびった。やはり慢性気管支炎っぽい。それでも懲りずに煙草を吸うと当たり前だがさらに具合がよろしくない。煙草を一本吸うと明確に体調が悪くなるのにどうして吸いたくなるのだろうか。吸うと調子が悪くなるのだから、普通に考えれば条件反射的に学習してもいいはずなのだが。何度も書いているけれど吸っても決して美味しくない。まあ考えてみれば35年以上も吸い続けてきたのだから、煙草を吸う習慣の方が抜けきれないのも当然なのかもしれないが、だとすると何故先週辺りから急に煙草を吸うと調子が悪くなるようになったのだろうか。

今もちょっと気分が悪い。胸がつかえる感じがする。もういい加減諦めて禁煙しなければならないのだろうが、どうして頭の大半はこの期に及んでもまだ吸いたいと思っているのだろうか。相場の雇用統計は裏目ったし(事前に嫌な予感がして損切りしておいたので大やけどはしなかったが)、なんかいろいろボロボロ。体調が悪いとどうにもならない感が凄い。思うところあって、先週末ぐらいから安定剤のレキソタンを飲むのを止め、今日から抗うつ薬のドグマチールも飲むのを止めた。ただ睡眠薬は飲んでいるので完全にベンゾジアゼピン系を止めたことにはならないのだが。こうして薬は減らせているんだがな。結局は禁煙出来るかどうかに話は尽きるような気がする。

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