X-Day

今日の午後2時34分、父が死んだ。たった今親戚連中が帰ったばかりで、正直あまりにも疲れ果てていて詳しく書く気にもなれない。明日の午後、斎場に搬送して夕方納棺、明後日の朝出棺後に火葬、午後に葬儀、という予定。とにかくストレスが物凄い。今はただ、早くすべて終わって欲しいと思うだけ。次の更新は明後日の夜になるだろう。

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カウントダウン

まだ夕方の7時を回ったばかりだ。ビル・エヴァンスを聴きながらこれを書いている。先ほど父の担当医から携帯に電話があって、父は今晩か明日には亡くなるだろうとのことだった。早めに夕飯を済ませて、父の遺体を置く予定の座敷を片付けて。後は何をしていいのか分からない。ひたすら片付け続けて備えるべきなのかもしれないが、正直言ってそこまで物事をやり続けるだけの気力が今の僕にはない。何かを完璧にやり遂げるほどの精神力がない。かといって、このままただ病院からの連絡をひたすら待つのもいたたまれない。母に会いに行きたいけれど、正気ではない母に会っても何も出来ないし、何の慰めにもならないし、ただダメージを受けるだけだろう。もし父が亡くなっても、今の状態では母にそれを知らせることも出来ない。悪い状態の母に知らせることは出来ない。

僕は弟が嫌いになってしまった。父の葬儀の手筈を任せている叔父も、母の入院時に世話になった叔父も、みんな嫌いになりそうだ。いつまでこの悪夢は続くのだろう。いつになったら、この一連の悪夢は終わるのだろう。結局のところ、僕に出来るのは、何かが終わるのをただ待つことだけではないのか。まったく、こんな風に生きるのは救い難い。考えてみれば、僕は今朝目が覚めたときから既に絶望していたのだった。

しんと静まり返っただだっ広い家で、ただビル・エヴァンスのピアノだけが漂っている。そして僕は蒼ざめた顔をして、なすすべもなくただ待っている。胸がつぶれそうって、こういうことを言うのだな、と僕は思う。

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絶望と妄言と

下北沢に新しい街が出来て、そこから新しい線路が伸びて帰れなくなるという夢を見た。以前は駅まで辿り着けないという夢が多かったが、今回は路線がどう乗り換えても繋がらないという夢だった。例によって7時に鳴る寺の鐘で一度目を覚ましたものの、今度はネイティブ・サンという日本のジャズフュージョンのバンドの夢を見た。結局、起きたのは9時。我ながら随分寝るものだ。

朝食後、気になったのでYouTubeでネイティブ・サンを聴きながら調べてみると、リーダーでキーボードの本田竹廣、ベースの川端民生、ギターの大出元信の3人が既にこの世を去っていた。皆若くして鬼籍に入っている。僕はもともとネイティブ・サンを熱心に聴いていたわけではないので、こういう繋がり方はどこか気が滅入る。救いがない感じがする。弟から10時前にメールがあり、これから日帰りで仙台から来るという。

弟は昼前に到着した。2人だけでコタツに入っているとどこか重苦しい空気が流れる。オーブントースターで焼いたピザトーストの昼食を摂ると、弟の車でまずは父親の病院に向かった。父は尿の量がさらに減って、顔色も白くなり、明らかに悪くなっていた。看護師に訊くと、先日頼んだ父の診断書はまだ出来ていなかった。結局30分ほどで病院を出て、母の入院している精神病院に向かう。病室に入ると母は眠っていた。3日振りに見る母は痩せて見えた。向かいのベッドの女性が母を起こし、目を覚ました母は僕ら2人を見てとどまることのない妄言を吐き続けた。それは悪罵と言ってもいいものだった。あるいは呪詛だ。最近のローテーションからすると、今日は調子のいい日であってもおかしくはなかったのだが、実際は悪い方の人格だった。話を聞いていると、悪い方の人格の記憶はそれなりに一貫しており、いいときの人格の記憶とは異なる。母の状態は解離性同一性障害(DID)、つまりかつて多重人格と呼ばれていた状態に非常に近い。いいときと悪いときではまったく別の人格になってしまう。で、ほとんどの時間を悪い方の人格が占めている。母の妄言は前回来たときと同様、入院する前よりも酷くなっている。やはり叔父の言うように、今は病院を訪れてもただ気が滅入るだけかも知れない。そこにあるのはただの失望である。

弟は僕を実家で降ろすと、そのまま仙台に帰って行った。後に残された僕が覚えたのは絶望感だった。どうにも救い難い気分に陥る。毎日何も出来ないうちに日々が過ぎていき、父の死は確実に迫っている。一方で母は一向に回復の気配を見せない。どう考えてもこのままの状態で父の死を迎えてしまうのは明白だ。この、何もかもよろしくない方向に向かう流れは一向に変わらない。物事はひたすら僕が気が滅入る方向に流れる。

本日唯一の楽しみであった、スキーの女子ジャンプのW杯も期待外れの結果に終わり、ただ失望をもたらしただけだった。夜、何をしたらよいか分からなくなり、3ヶ月振りにギターを引っ張り出して少し弾いてみた。もちろん、指が上手く動く筈もない。半年以上かけてようやく動くようになったのに、また振り出しだ。風邪も一向に治る気配がない。

結局今晩は風呂に入った。気分を変えるものが他に見つからないから。まったく酷い一日としかいいようがないが、それでも今日は発見がひとつあった。オランダのジャズギタリスト、Martijn van Iterson。

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田舎の医者

燃えるゴミを捨てるために、7時過ぎ起床。毎朝、向かいの寺の鐘が7時に鳴るのでそれで目が覚めるのだけれど、寒いのでどうしてもまた寝てしまう。今日はいい加減ゴミが溜まっているので何がなんでも捨てなければと、なんとか起きた。

朝食後、風邪のせいでダルく、コタツで2時間ほど気絶してしまう。そういえば昨夜も喉が痛くてなかなか寝付けなった。目が覚めても何をしたらいいのか分からない。おまけに今日は実にいい天気だ。で、足を洗って封印した筈の業務を遊びで4時間やってしまう。なんつーか、罪悪感を覚える。時間が遅くなったので、あまり行ったことのない蕎麦屋で昼食。地元の名物である冷たい肉そばを食べたが、この店まずい。もう2度と行かない。一旦帰宅して、玄関前の雪かきをしてから、まずは母の病院に電話をして様子を聞いてみることに。ところがケースワーカーが外出中ということで、かけ直してもらうことになった。いまだにダルいので、風邪薬を処方してもらおうと母のかかり付けである近所の内科医に行く。待合室で待っていると母の病院から電話があり、結局看護師から様子を聞いた。昨日はあまり食べず点滴を2回したらしいが、今日は朝と昼はほぼ食べたとのこと。気になっていた夜は、ぐっすり寝ているとのことだった。同室の患者に迷惑をかけているのでは、と訊いたが、そうでもないからあまり気にしないようにと言われた。今日はどうやら1日眠いらしく、来るのなら明日の方がいいと言われた。話を聞く限り、叔父が言うほど見舞いに行くことにナーバスになる必要はなさそうな感じではあった。

内科医の待合室は、椅子の置いてあるスペースとは別に畳の間があり、いかにも田舎の医者の待合室という感じだった。待てども待てども、いつまで経っても呼ばれず、結局診察室に呼ばれたのは1時間以上経過した5時を回ってからだった。高熱ではないから普通の風邪だが、喉がかなり酷い炎症を起こしているとのこと。ずっと母を見てくれていた老医師に、母は入院しているので当分来れない、と事情を話す。最初に安定剤を処方してくれたのもこの医師だ。あまり人に宣伝して回るような話ではないが、やはり話しておかざるを得ないだろう。抗生物質と炎症の薬をもらって帰る。今日は風呂に入るなということだった。

結局、今日は父親の病院にも母親の病院にも行かずじまい。夕食後、だんだん精神的に参ってくる。一人でいるのが応える。よって、ノートパソコンにスピーカーを繋ぎ、久しぶりにまともに音楽を聴いてみる。あ、忘れてた、夜、鼻血。

今日聴いたもの: 山本剛トリオ「Autumn in Seattle」。

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親離れ、子離れ

一昨日(母と一晩中格闘した翌日)から、風邪をひいている。熱はないっぽいが、喉が痛いし、1日のうちでときどき酷くダルくなる。そんなわけで昨夜は物凄く疲れていたにも関わらず、喉が痛くてなかなか寝付けなかった。で、9時起床。朝食の用意をしていると、叔父から電話がかかってきた。で、叔父曰く、昨日の僕の報告からして、母の病院には極力行かない方がいいと力説していた。調子が悪い日に行っても何もならないし、何よりも同室の他の患者に迷惑だと言う。母の調子の波を僕が把握することに意味はないと言う。僕と母は、それぞれ親離れ、子離れする必要があると言う。とにかく、病院に任せるべきだというのが彼の意見だった。まあ同室の人に迷惑だというのは、昨日の母の調子からして、僕が行こうが行くまいが、あの調子で喋り続けているのでは迷惑だと思う。とにかく、今日は母の病院には行かないことにした。

町役場に行った後、父の病室に寄った。病室には父の姉である叔母がいて、少し話をした。母の調子が悪くなって以来、父の方はこの叔母にずっと見てもらっている。父の様子は一見変わらないようだが、尿の量が少なくなって色が濃くなっており、その点から経過が悪い方に行っているのは分かる。病院を出ると、風邪のせいでまたダルくなってきた。母の病院は目と鼻の先なので、どうしても顔を見に行きたくなる。ひとまずケースワーカーに電話で話を聞いてみようと病院に電話すると、今日は病院が休診日とのこと。帰宅して一人で夕飯を食べ、BSでブンデスリーガの試合を見てなんとか母の病院に行きたくなる気持ちを抑える。たぶんこの気持ちは罪悪感なのだと思う。慣れるまでもう少し時間がかかりそうだ。夜、また風邪でダルくなる。明日はゴミを出す日なので、今日は早めに寝ようと思う。今日で1月も終わりか。

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Hell

ネットは28日に設置したのだけれど、肝心のPCがUSBが上手く動作せず起動することが出来ず、そっちは昨日修理に出して、今日ノートパソコンを買った。そんなわけでようやく更新が出来る。

久しぶりの日記だけれど、正直どこから書いていいのか分からない。22日に引っ越しを完了して夕方の新幹線に乗り、田舎の最寄駅に着いたのは7時過ぎだった。タクシーに乗り、実家に辿り着いた僕を待ち受けていたのは、既に狂気に憑りつかれていた母の姿だった。それからの日々はまさに地獄だった。数日に1度、大体4日から5日に1度、1日だけ母は正気に戻る。しかし翌日からまた母はまったくの別人となる。被害妄想は日増しに酷くなり、3日目の晩辺りに1番酷くなる。そうなると母は一睡もしない。支離滅裂な話をして、氷点下の屋外に出ようとする。それが朝まで延々と続く。僕は途中から完全に神経が擦り切れて、力づくで朝まで母を抑え込む。一昨日の夜がそうだった。本当に悲惨だ。僕は母を精神病院に入院させたくなかった。先週、隣町の病院で入院病棟を見学したけれど、その病院の入院患者は皆背筋が寒くなるほど狂気に憑りつかれた目をしていた。そんなところに母を入れたくない。しかし、目の前の母はまさに狂気そのもの、その言動は完全に狂っているとしか思えない。もう僕には母を救う手段がないのだ、という暗澹たる思い。悲惨極まりない地獄だ。僕は何もかも放り出して泣き喚きたくなった。しかし、母の狂気はそれすら許してくれない。僕はときおり気が遠くなりながら、永遠に来ないように思われる朝が訪れるのを、訳の分からない妄想を口にし続ける母の手を握って待った。母が正気に戻るのをひたすら待った。

やがて夜が明け、外が白んでくる。時計が7時を回るころ、山形市に住む叔父に電話をして来てくれるように頼む。助けを求められるのは、母の弟であるこの叔父しかいない。僕は朦朧とする頭で母の妄言を聞きながら、ひたすら叔父が来てくれるのを待った。叔父の到着を待つ間、母がどれぐらいか分からないがうとうとして、それでようやく落ち着いた。この酷い夜が明けると、翌日は決まって調子がよく、1日だけ正気を取り戻すのだ。

そんなわけで昨日の朝、9時前に叔父が到着してからは、母の状態はよくなり、代わりに一睡もしなかった酷い一晩の記憶を一気に失くした。母を病院に連れていけるのは今しかない、入院させられるのも今しかないというので、重症患者ばかりの隣町の病院ではなく、地元の精神病院に母を連れて行った。母ではなく、僕の方が既に限界に来ていて、もう母を入院させるしかないというのが叔父の判断だ。まともになった母は久しぶりに自分で着替え、化粧をして素直に僕らに従った。

午前中に辿り着いた病院では延々と待たされて、診察後も即日入院の手続きに延々時間がかかり、ようやく母を病室に入院させられたころはもう半日が過ぎていた。正気を取り戻した母は、入院することに素直に同意した。病気を治すためだからと。あまりにも母が素直なので、僕は悲しくなった。前回見学した病院に比べると、今回の病院はそれほど悪い環境ではない。6人部屋だが、同室の患者は皆おとなしい。それでも、少なくとも2・3ヶ月を母がこの閉鎖病棟で過ごさなければならないと思うと胸が痛む。

一旦自宅に戻り、着替えなど、入院生活に必要なものを揃えて病院に届け、再び家に戻ったころに不眠の疲れがどっと押し寄せた。夜、広い実家に一人で寝るのに何処か不安を覚える。

そんなわけなので、今朝起きたのは9時。母の入院のために揃えなければならない書類がいくつかあり、車であちこちに寄り、その途中で迷った挙句にノートパソコンを買った。なんていうか、今の僕にはなんらかの気晴らしが必要だから。夕方、5時過ぎに母の見舞いに行った。予想していたことだけれど、案の定、調子のよい日の翌日は別人になっていた。自分が病院にいることはなんとか認識しているようだけれど、点滴しながら僕に話す母の話は、状態が一番悪いときのそれで、支離滅裂な妄想だ。母の妄言に慣れている筈の僕でさえ意味が分からないほど、今日の母の話は酷かった。その訳の分からない話にうなずきながら、やっぱり入院は仕方がなかったのだなと改めて思った。この状態の母を自宅で僕一人で見るのは無理がある。それに、状態が悪いときの母は3日ぐらい平気でまったく食事を摂らず、水さえも飲まないので、病院にいれば点滴を受けられる。

脳死状態にある父はまだ存命中だ。母の診断は一応PTSD。狂気という病気は存在しない。今の僕が願いは母が治ること、ただそれだけだ。

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ロング・グッドバイ

8時に目が覚めた。昨夜寝たのが1時過ぎなので、睡眠時間としてはまずまず。と言っても起きたのは例によって9時近くだが。

昼前に電車で隣の武蔵浦和まで行き、区役所でもろもろ引越しの手続き。転出証明書とか。今日で武蔵浦和ともお別れだ。考えてみると、武蔵浦和にはなんだかんだで10年ぐらい住んだ。僕の人生の5分の1じゃないか。途中結婚したし離婚したし。確かに僕の人生の中では酷い10年間だったかも知れないけど、すべてがすべて酷かったわけじゃないと思う。束の間、刹那的ではあったかも知れないけど、楽しいときもあったのだ。ふと、遊歩道沿いのマンションに住んでいたころ、ベランダの手すりをこの世の果てと呼んで、手すりの上に腰掛けてよく放心していたことを思い出す。やっぱりこの10年は、とてもとても苦しかったし、辛かった。で、たぶん今が最悪なんだろうけど。

区役所での手続きを終えると、駅前のカフェでパスタのランチを食べた。最後なんだから贅沢をしたつもりなのだが、実際食べてみるとあまり贅沢をした感じはしなかった。3時前に電車に乗り、再開発を繰り返したモダンな街並みを後にする。さらば。もう来ることもないだろう。

既に明日の新幹線の切符は手にしている。南浦和に着くと、みどりの窓口でもういらなくなるSUICAを精算したけれど、手数料を取ったり、端数は戻ってこないなど、踏んだり蹴ったりの仕組みに憤慨する。戻ってきたのはデポジットの500円だけ。それはともかく、部屋に戻ってせっせとダンボールに荷物を詰める。と言っても本を詰め終わると後はたいしたものはなく、というか、持って行くものと同じぐらい捨てるものがあるので、どれを捨ててどれを持っていくのかを考える方にむしろ時間を取られる。田舎のゴミの捨て方はかなりシビアで、こっちのようにアバウトじゃないので、捨てられるものは出来るだけ捨てていった方がいい。

昨夜実家に泊まった弟と電話で話をしたら、安定剤をソラナックスからデパス、つまり強い薬に換えて朝晩2錠にしたところ、今日の母親は状態がよくなったらしい。普通に話を理解するぐらいまで。逆に言えば昨日までは話を理解出来ないほど被害妄想が酷かったということだが。安定剤をデパスに換えて、2・3時間だった睡眠時間が4・5時間に増えたらしいので、それが一番大きいと思う。何しろ3・4日まともに睡眠を取っていなかったっぽいから。

そんなわけで明日の新幹線で今度こそ本当の意味で実家に帰る。実家にネットを引くのは来週頭の予定なので、それまではまた1週間ぐらい日記の更新が滞ると思われます。

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さよなら、カメさん

昨夜セルシンを5mgだけだが飲んだせいなのか、目が覚めたのが9時半、起床は10時過ぎ。寝たのは12時ぐらいだと思ったが……どうしてこう寝過ぎるのか。

ここ数日、痛いほど快晴だ。午後、僕はダウンジャケットのポケットにカメさんを入れて、駅のホームにいた。電車が来て、かつて住んでいた隣の武蔵浦和で降りる。スクランブル交差点を渡り、川に繋がる用水路があるところまで来て、カメさんを放す。外来種だからホントはいけないのだけれど。これ以上大きくならないし、生命力が強いからきっとここでも生きていけるだろう。よくよく考えた末、カメさんを山形には連れていかないことにした。東浦和に住む学生時代の同級生に預けることも考えたけれど、この先、下手をすると20年近く生きるものを安易に頼むことは出来ない。僕の行為は無責任に思えるかも知れないけど、それでもこれは散々考えた末のことなのだ。これがベストの選択であるかどうかは僕にも分からない。

今日の弟の話からすると、母の被害妄想はますます酷くなっている。症状としては、統合失調症に近い。この先、カメさんを育てるどころか、僕自身、どうやって生きていけばいいのか、ともすると途方に暮れてしまう。天気予報によると、よりによって明日の夜から引っ越しをする明後日にかけて、また雪が降るらしい。35年に渡る僕の首都圏での生活も残すところあと1日半だというのに、僕はそのカウントダウンに一切のセンチメンタリズムを覚えない。正直、そんな余裕はどこにもないのだ。現実とは、どうしてこうも苛酷なのだろう。そして、僕らはそれを避けて通ることは出来ない。

10年間ありがとう、カメさん。そして、僕の誕生日にカメさんを買ってくれた元妻。僕はいずれ彼らも忘れてしまうのだろうか。それが生きるということなのだろうか。いや、たぶん僕は忘れないだろう。僕は必ず思い出し、そして今のようにちょっと胸を痛めるのだ。

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妄言、解錠師

8時に目が覚め、起床は8時45分ぐらい。

母の言うことが遂に支離滅裂になってきた。夕方電話すると、もう何年も年金を不正受給していて……と、明らかに訳の分からない話に。母はもう狂気に片足を踏み入れているのだろうか。それとも極度の被害妄想による一時的な妄言なのだろうか。僕の方が正気を保っているのもそろそろ難しくなりそうだ。とにかく自分の気持ちを落ち着けるためだけにひたすらジャズを聴き続ける。1日が長い。早く山形に帰りたい。

スティーヴ・ハミルトン「解錠師」読了。「このミス」1位ということで読んだ。アメリカ探偵作家クラブ(MWA)のエドガー賞最優秀長篇賞、英国推理作家協会(CWA)のダガー賞など名だたる賞を得ているように、確かに面白い小説であった。おまけに、560ページを越す長篇であるのに、それを感じさせないほど読みやすかった。ただし、その構成上の理由から、ミステリとしての意外性はほとんどなく、あくまでもストーリーテリングで読ませる小説であり、小説としての奥深さという点でも少々軽いと思えた。だが、気の滅入る日々が続いている中で読み続けられた、というか、読むことが苦にならなかったのは、その軽さというか、重過ぎない読み応えによるものだと思う。

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最後の診察

目覚ましを8時半にかけておいたのだが、その前に目が覚めた。昨夜は最近には珍しく寝付きが悪かったのだが。不思議なものである。

そんなわけで10時過ぎに病院に到着。予約は11時だが早めに受付を済ませて待っていると、結局11時近くまで待たされた。今日でこの、帝京大学病院での診察は最後、先日のCT検査の結果も異常なく、招待状とこれまでのCTの写真をコピーしたCD-ROMを受け取った。ぼそぼそと喋るS本先生には本当にお世話になった。ありがとうございました、と診察室を出る前に深々とお辞儀をして礼を述べて辞した。

今日はもうひとつ、歯医者の最後の診察もあるが、3時半の予約なので一旦南浦和に戻る。例のダッチ・コーヒーが美味しい喫茶店でサンドウィッチの昼食。今日ももちろんダッチ・コーヒーを頼む。先日あまりにも美味しいと思ったので、いささか懐疑的になりながらひとくち飲んでみると思ったほどではなく、あれは勘違いだったのかと思うが、二口目から素晴らしく美味しく思える。改めて、コーヒーは水出しが一番美味いのかなと思う。

3時半に隣の武蔵浦和の歯医者へ。呼ばれたのは4時近くなってからだった。今日が最後なので、治療というよりも歯の掃除をして終わった。こちらの若い先生にも長いことお世話になった。特に、最後の方はスケジュール的に無理を言ってやってもらったので本当に感謝している。出来ればこの先生にずっと治してもらいたかったのだが。

歯医者を出ると、サイゼリヤでカプチーノを飲みながら母親に電話してみた。すると、今日もどうもおかしい。話がまったく続かない。様子を聞いてもまったく要領を得ない。まだ叔父がいるというので電話を代わってもらった。叔父の話によると、これでも昨日よりは状態がいいそうだが、昨夜泊まってくれた叔父の話によると母は夜、ほとんど寝ていないらしい。一昨日泊まった弟も同じことを言っていた。深夜1時過ぎに目を覚まして、ずっとぶつぶつと独り言を呟いて起きているそうだ。叔父は今晩も泊まってくれるそうである。僕には今のところ、なす術がない。来週帰るまで、叔父や叔母に迷惑をかけるしかなさそうだ。今の僕の願いはただひとつ、母が元通りに元気になってくれること、それしかない。他には何もいらない。母の精神状態が普通になってくれればそれでいい。それだけが僕の望みだ。

夜はなんとか気を静めようとひたすらジャズを聴いて過ごす。田舎に帰るまでの残り3日間、どうやって過ごそうか。

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